「あの、先に言っておきますけど」
「…何?」
「チョコだけの直火はダメですからね」

「え、そうなの?」

素っ頓狂な越前さんの声に、はやっぱり知らなかったかと口端を引きつらせた。



【Be my valentine】



チョコ作り教えてとぶっきら棒なメールが来たのは数週間前。
わざわざ地方に住んでいる自分に聞かなくとも倫子さんやらがいるでしょうとメールを返すと、チョコ教えて、と同じメールが送られて来て、
どうやら倫子さんや奈々子さんには教わり辛いらしいとようやく理解できたが行けるかどうか財布を見ていると、隣でメールしていた

「鍋爆発しないようにね」

サラリ口をはさんだ。

――いやいやまさかまさか、君じゃあるまいし…
――姉ちゃんは分かってないよ。普段料理しない人間の危険性が

確かに
チョコを作ると言って鍋を爆発させた人間が言ったとなるとなるほど重みのある言葉だ。
はサァッと血の気が引くのを感じると、「行きます。行かせていただきます」と返事を返し今日にいたるのだが、
やっぱり来てよかったと内心安堵のため息を吐く。

「あと、チョコに水とかお湯とか入れちゃダメですよ!分離しますからね!」
「…うん」
「後あと、レンジでチンもダメです!」
「……うん」

倫子さんと奈々子さんは家を空けているらしい。
と言うよりもどうやら空けた日を狙ったようで、
「南次郎氏は…?」と尋ねると「追い出した」と鍋とチョコを手にした彼女からあっさり返事が返ってきた。

「追い出したって…」
「だって、見られると色々うるさいデショ」

まあ確かにあの弁当事件を思い出すと、越前さんの言葉にも否定ができないなぁとは大きくため息を零す。
父親というのもなかなか難しい立場だとも思う反面、南次郎氏はちょっと度を越しているとも思えるわけで
――結局追い出されてもしょうがないかという結論にたどり着いたは気を取り直したように生クリームを手に取った。

「わたしお菓子作りはどちらかというと経験が少ないので、
教えられるレシピと言ったらガトーショコラか生チョコか、トリュフくらいのものなんですけど…」
「へえ、どれが評判良かった?」
「えーっと…ガトーショコラは友達には人気ですよ。
でもトリュフとかはちょっと作って冷蔵庫に入れたりしておくと、コーヒーうけとかになるのでお気に入りですね。
生チョコもおしいけど…アーモンドとかあったほうがいいから、この材料だと前者二つがいい気がします」
「ふーん」

いまいちピンと来てないようだ。
まあ甘いものとかあんまり興味なさそうだしなぁと思ったは首を傾げる。

「とりあえずあたりさわりのないトリュフにします?
今度ガトーショコラも教えますから、食べてみて気に入ったら来年あげるみたいな感じでどうでしょう?」
「あー、それいいね。そうしようかしら」
「まああの人なら越前さんがくれたもの何でも喜ぶと思いますけどねー」

うひひと怪しい笑いを交えて言うと、ぼん、と隣から煙が上がる音が聞こえ、
さっそく鍋爆発かと豆鉄砲がはじけるような勢いで首を巡らせると、耳まで真っ赤にした越前さんが口元を押さえていた。

なんとなく気まずい空気が広がって、は思わず「…ごめんなさい」と謝ってしまう。
「……いいのよ、別に」

こほんと咳ばらいが聞こえたあと気を取り直したように越前さんがチョコを開けて、は生クリームを冷蔵庫から出すと鍋をコンロの上に置いた。
「生クリームが一緒なら、すっごく小さい火で直火でも大丈夫ですよ。あ、チョコはコーティングの分も残しておいてくださいね」
「どれくらい?」
「うーん…だいたいこれくらいかなぁ?多めのほうがいいかも」
「分量とか図らないの?」
「あー、わたしはあんまり図らないですね。
ケーキとかはちゃんと図らないとおいしくないけど、トリュフも生チョコも適当のほうが融通が利きますから。味見したら大抵大丈夫ですよ」

指示しつつ、お互いの家族の近状などを交えて談笑する。
越前さんの笑顔がすごく優しくてつい熱弁してしまいそうになるのだが、彼女の手元に一番注意をしておかなければいけない。
とはいえ料理の腕は壊滅的な印象があったがなんだかそう危ない手つきでもなくて、「越前さん料理…?」というと、
「あんたと入れ替わってた時に手伝ってたから」とふわり微笑まれた。

「アンタの家族には感謝してる」
「いえ!こっちこそ倫子さんたちさまさまって言うか…!」
「それで、うちのリョーマにはチョコ作らないの?」
「…!?」

ガシャーンとボウルをひっくり返すと、
越前さんがびっくりしたような顔でこちらを見て、はあははと苦笑を零すとボウルを元あったように戻した。
「いえ…あの……ですね」

にっこりと鮮やかな笑顔を向けられるとうんともすんとも言えず、は唇をへの字に曲げると「意地悪ですねぇ」と言葉を濁す。

「バレンタインが苦手だって知ってるくせに…」
「アンタとして過ごしてたから知ってて当然でしょ。何?まだ過去のこと引きずってんの?」
「いや…過去のことというほど大したことでもないよーな…」

ようするにバレンタインデーというものにあまりいい思い出がないのだ。
それなりに女の子をしてみたことはあったけど、玉砕ばっかりでビターなバレンタインを過ごした記憶位しかない。
チョコをあげるのにどうしてもためらいがある。

「付き合ってるんだから、玉砕の心配もないじゃない」
「いやそれは分かってるんですよ…ただどういう顔をしてあげたらいいのか分からないって言うか?あげることが苦手になったというか」


実は持ってきたのは持ってきたので部屋の入口にでもおいて帰ろうかと思っていたのだ。
話題に上がってしまった以上そうとも言いだせず、
やっぱ持って帰ろうかなぁとか思っていると、玄関のドアが開く音が聞こえて越前さんはべぇっと舌を出す。
「大丈夫、今日あんたが来てることはちゃんと言ったから」
「……」

はめられた!
愕然としたがわたわたと動き回っていると、「何してんの?」と越前さん以上にぶっきら棒な声が後ろから聞こえて来、
油が足りないロボットのようにギギギとは首を巡らせる。


「嫌…あの……」
「…」
「どこでもドアを探してて…」
「……」

うっわ気まずいとは恐怖におののいた。
この沈黙が何とも言えない圧力を持っているのは肝試しの一件で十分なほどに知っているのだが、久々の威圧感に土下座でもしてしまいそうな勢いだ。
(嫌いや待て待て、逃げようとしていたのは見られてたけど、そんなやましいことをしてた訳じゃないんだし…)
「リョーマ、あんたチョコ貰えないみたいだよ」

(やましいこと出来た――ッ!!??)

ちょ、越前さん!?と裏返った声を上げようとしたとたん、
ふーんと言う目で見られたはもはや泣きそうな目で後ずさる――怖い、その目怖いって!

「いや…あげないって言うか…おいて帰ろうと思ってたって言うか…!!」
口が滑った
パチンと両手で蓋をしたときは時すでに遅し。姉弟そろった「ふーん」という声にはたじろぐ。

「あの…その……!」
「これ後冷蔵庫でいいんだっけ?」
「あ、はい。そうです」
「んじゃあたし出かけてくるわ」
「へ!?」
「いってらっしゃい」
「いってきます」

越前さんが出て行ったキッチンでは、まさに木の葉が風に吹かれる絵と共にひゅーなんて言う効果音が聞こえそうなくらい静かになって、
は背筋に冷や汗が流れるのを感じるとグルグルと目を回した。

「あの」
「…」
「別に、リョーマにあげたくない訳じゃなくて…!」
「知ってる」

「その…どうしても…苦手って言うか」

リョーマを想って過ごしていた日々。
バレンタインのチョコレートを作ったことだってあった。渡せるわけがないと分かっているのに、どうしても作らずにはいられなくて。
だから
渡せるものなら渡したいのに
臆病な自分がそれを許さない

「ハイ」
揺れる瞳の前に突然広がった花と、鼻をくすぐる香りに瞬いたは「え?」と間の抜けた声をあげるとパチリと瞬いた。
「…何、これ」
「何って…花」

いや、花は見てわかるんだよ?
受け取ったかすみ草に添えられたカードには「Be my valentine」と書かれていて、
ますます意味の分からないが目を回していると、リョーマはあからさまな溜息を吐く。
「アメリカのバレンタインデーは、別に女が男に何か送るとかそう言う日じゃないんだよね」
「…うん」
「かすみ草、好きだって言ってたでしょ。だから」
「うん」

「愛とか別に確認しなくても分かってるし、アンタも分かってると思うから。だからこれは俺の気持ち」

気持ち

「りょま…」
ギュッとかすみ草の花束を握ったは鞄に駆け寄ると、渡す勇気がどうしても出せなかったチョコレートを取って、リョーマに勢いよく突き出した。
「これ…!わたしの気持ち…ですッ」
受け取ったリョーマは「さんきゅ」と言って少し笑って、も破顔したように笑うとボロボロと涙を零す。

「あのさ、リョーマ」
「ん?」
「手紙…初めてリョーマを想ってチョコを作ったバレンタインの日に書いたやつ…入れてるの。もう何年も前のだけど、でも、どうしても入れたくて。
お世辞にも綺麗じゃないんだけど…」

好きで、好きで、どうしようもなく好きで

ねえリョーマ

「昔も、今も――あなたが大好きです」







ホント手のかかる子だなぁと小さく笑うと、見上げた夕焼けは少し薄暗いオレンジ色で何故だか少し切なくなる
「バカだな、あの子も…あたしも」
好きな人に向き合うことがすごく不器用で、好き過ぎてどうしたらいいか分からないくらい相手を想ってしまう。でも、そんな恋をする自分が嫌い。
未来よりも過去をずっと身近に感じてしまうから、気がついたら後悔が胸を締め付ける。

あの時があるから、今がある

「昔好きだったやつなんかとリョーマを一緒にしないで欲しいよね、リョーマの方がカッコいいに決まってるじゃん」



昔あの人を好きだったことを後悔したくない


だからあたしも

「待ち合わせより…早すぎたかしら」

そんな風な恋をしたいな――少し小走りで来るだろうあの人と


越前リョーマ様

これから先、たとえどんな未来が待っていたとしても
あなたを好きになったことはわたしの誇りです

あなたの前に大きな未来が広がっていますように

                      



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越前さんとほのぼのバレンタインデー
逆チョコでマカロニが書いたので、あたしも乗っかって書いてみました^^