「だからさぁ〜ちゃんはちょっと控えめなんじゃないかと俺は思う訳ですよ」 「そうですかねぇ」 つい先刻帰って来た幸村は、お館様もとい信玄の所へ今回の山賊討伐について報告をし、 その足での寝室へと足を向けていたのだが、障子に手をかけようとした時部屋の中から聞こえてきた会話に動きをとめた。 「俺はもっと我がまま言ってみるのもいいと思うけど」 城を空けた幸村が帰ってくると分かっている日には、例えどんなに彼の帰りが遅くなろうとも辛抱強く待っていてくれるのはいつものこと、 更に言うなら佐助の声が聞こえた事に対して驚いている訳でもない――彼に自分が来るまで彼女の相手をしてくれるように頼んだのは幸村だ。 あえて言うのなら会話の内容に驚いたと言う所か、立ち聞きはよくないと分かってはいるものの意思に反して体は動いてくれず、つい耳を傾けてしまう。 「我がまま、ですか」 「そうそう。ちゃんが自分の考えてる事とかそう言うの言うの苦手だって言うのは知ってるけどさ、 男の立場から言ってみれば、たまに奥さんに甘えられたり、我がまま言われたりしたいもんよ?」 「そう言うものですか」 「そう言うもの」 へぇとが間抜けな相槌を打っているのが聞こえる。 佐助はおいおいといわんばかりの声で「ガキの恋じゃないんだからさ」と言ったものの、数秒でため息と共に呆れたような声で続けた。 「まぁ旦那もちゃんも恋愛初心者同士が結婚したようなもんだからさ、 周りから見てれば初々しくてほほえましい所もあるけど、たまぁに口出したくなるようなもどかしさも感じる訳よ。 たまには甘えてみれば?ホラ、“今日は幸村さんの好きにしてください・・・”とか」 「・・・どうしてすぐ床の話に行くんですかね、佐助さん」 冷静に切り返すのツッコミが聞こえる傍らで、幸村はボンッと破裂したように頬を朱に染めると、 口元を手の甲で覆い、佐助の言葉に促されるように浮かんできたピンク色の思考を強制的に遮断した――なななななんと破廉恥な おそらく幸村の破裂音が聞こえたのだろう「今外で何か聞こえませんでした?」とが尋ねると、 しばしの沈黙の後佐助は「気のせいじゃない?」と言い、気配において忍びに勝るものはないと思っているが「そうですか」と言って話の筋が戻る。 事実、気配に関して忍びの右に出るものは居ない。 間違いなく佐助は部屋の外に居る幸村の事に気が付いているだろう。 つまり黙って聞いていろと言う佐助の暗黙の意図なのだが、あいにく猪突猛進、感情の向くまま一直線な幸村にその意を汲み取る事は至難の業。 だが幸村はいつものノリで水をさすこともなく、黙って会話に耳を傾けた。 「まぁ冗談は置いといて。 マジな話、旦那もちゃんにもっと我がまま言って欲しいんじゃない?ちゃんは聞き分けが良すぎるっつーか、欲が無いっつーか」 佐助の言葉にが「欲ぐらいありますよ」と笑っているのが聞こえて、幸村の心臓はぎゅっと縮まった。 彼女の笑い声を聞いたのなどいつ頃の話だろうか。 娶ってからと言うもの、彼女の笑みはどこか影が落ち、困ったように微笑む姿しか見ていない気がする。 その相手が自分ではなく佐助だと言う事に尚更幸村は苦しいのだが、佐助が言う所の初心者な幸村はその感情をもてあますばかりだ。 娶るということは、他人じゃなくなるという意味なのだと幸村は思っていたのに、 距離は縮まるところか彼女と自分の間に一本の線を引かれてしまったように感じる。 元々あまり自分の考えている事を言うのが得意でないのは知っていたが、娶ってからというもの輪をかけて彼女は自分の考えている事を言わなくなった。 口下手な幸村がそんな彼女の意思を上手く聞きだせるはずもなく、 結果ズルズルと今日まで引きずってしまい、口出したくなるようなもどかしさを佐助は感じたのだろう――これ以上頼りになる味方は居ない。 現にはしばらく笑った後黙り込むと、「言いたくても、言えないんです」と静かな声で呟いた。 「私の我がままは、きっと幸村さんを困らせます。だから言えません」 「俺は旦那じゃないから大丈夫」 でしょ、と言う佐助の言葉にはまたひとつ笑って、ふと沈黙を落とすと、ポツリと零すように口を開く。 「幸村さんにとって、信玄様の為に槍を振る事こそ幸せだと言う事は、よく分かってるんです」 「まぁね。でも、ちゃんがあんまり殺生して欲しくないって言ってからは、旦那も出来る限り気をつけてるみたいだぜ? 今回みたいに山賊やらなんやらよっぽどの悪党以外は大抵致命傷を避けてる」 「・・・それを、後悔しているんです」 痛みを堪えて振り絞るようなの声音に、幸村はぞっと背筋があわ立つのを感じた。 「幸村さんが致命傷を避けても、向こうはそんな事は知らないし、がむしゃらに得物を振るってくるでしょう。 もし私が言った事を幸村さんが気にして隙が出来、それを突かれたらと思うと怖くてたまらない・・・ッ」 「旦那に限ってそんな凡ミスするとは思わないけどさ。確かにみねうちするよりも、殺す気で得物を取った方が安全は安全だよね」 「自分が今、戦国の時代に居る事は分かっています。元居た世界のようにいかない事も、幸村さんの生き甲斐も。 だから、戦をしないで欲しいとかそう言う我がままは無いんです。 ただ、どうしようもない位の死に際になるまで、生きて欲しい」 「ちゃん・・・」 「大好きな人が戦場に行く恐怖なんて知らずに生きてきたから、覚悟を決めて得物を握る背中を見る辛さなんて知らなかった。 どうしていいか分からないんです、信玄様の為に生き、死のうとするあの人に何と伝えていいか」 はっと彼女が泣く声が聞こえ、佐助が息を呑む音がここまで聞こえてきそうな程静かな辺り。 幸村は高鳴る心臓の音が二人に届きやしまいかと胸の上でぎゅっと拳を握り締め、唇を噛み締める。 「床で死んで欲しいなんて言いません、私の見えない戦場で死ぬ日が来る事の方が、あの人の望みだと知ってます。 あの人が信玄様の為に使う命を、私が止める事なんて出来ません。 でも、もしたった一つだけ我がままを言う事が出来るなら、もう駄目だって思う位危険な時が来るまで、生きつづけて欲しい・・・ッ、死に急いで欲しくない!」 感情に流されるまま、ほんとは、と彼女が途切れ途切れに言葉をつむいだ。 「信玄様がうらやましいんです。 帰って来た時にまず一番に幸村さんに会えて、無事を確認できて、ご苦労様と言える事がうらやましいです。 でも、どんなに報告が長引いて夜更けになっても、ためらいがちに部屋に来てくれた時の嬉しさは言葉では言い表せなくて、 信玄様には遠く及ばずとも大切に想ってくれてるんだなって、今の立場で十分だと思えるんです。 だから、私が一番になれなくても 一生懸命に槍を振る鍛錬をしてる姿も お茶請けに団子が出された時の嬉しそうな顔も 口下手なのに時々すごく直球に気持ちを伝えてくれて、その後りんごみたいに真っ赤になる姿も、出きるだけ長く見ていたい」 素直に惚気だと受け取れないのは、目の前の彼女の表情を見ているからだろう、と佐助は瞳を伏せて、口を開く。 「俺は給料が大事。一にも二もなくて給料が大事」 唐突な言葉に泣いていた彼女が「え」と言うと、佐助は「やっぱ旦那つきの忍びだからね、大将も大事だけど、一番は旦那だなぁ」 と外に居る幸村を浮かべて苦笑を零した――成り行きとは言え、こんな場面でのカミングアウトはさすがに気恥ずかしい 「っつっても、旦那が大将の為に捨て身だから、結局俺様も大将が優先になっちまうけどな。そんで、友達ならちゃんが一番」 「私?」 「そ。一番なんていっぱいあるもんだから、そんな事気にしなくていいんだって事。そろそろ旦那が帰ってくる頃だから、続きは旦那に聞くべし」 いくら鈍い幸村にも、佐助の言わんとする事は理解出来た。そろそろ潮時という事だろう。 トントンと扉を叩くと、佐助が「ほらね」と笑って障子を開け、幸村の瞳に驚いた顔のが映った。 彼女が「わ」と声を上げると、慌てて目元の涙を拭い取り「おかえりなさい」とぎこちない笑みを浮かべ、 佐助は「じゃ俺は退散しますんで」と両手を上げると、天井裏に消える事はなく、 「旦那、しっかり」とすれ違いざまに幸村にしか聞こえない程の小さな声で呟いて、入れ違いに部屋を出て行く。 佐助が出て行ってしまうと、言わずもがな広がる沈黙に幸村はそわそわと体を浮かした――今更ながら、立ち聞きしていた事が申し訳なくなったのだ。 そんな事を知る良しも無いが「どうかしましたか?」と首をかしげ、幸村は風を切るように首を大きく横に振る。 「な、なんでもないでござる!殿は元気になさっていたか?」 「はい。幸村さんも元気そうで何よりです」 彼女の安堵したような表情が、幸村の胸を鷲掴みにしたような痛みを残した。 でも、もしたった一つだけ我がままを言う事が出来るなら、もう駄目だって思う位危険な時が来るまで、生きつづけて欲しい・・・ッ、死に急いで欲しくない! 「某は、元気が取り得ゆえ・・・」 言いかけた言葉を止めた幸村は、いつもと違い歯切れの悪い幸村を見て不安そうに眉を潜めたに歩み寄ると、 しゃがみこみ、そっと手繰り寄せるように抱きしめる。 幸村がまさかこんな行動に出るとは夢にも思わないは「ぎゃ」と悲鳴を上げると、「どうしたんですか幸村さん!」とわたわたせわし無く手を動かした。 だから、私が一番になれなくても ぎゅっと眉根を寄せた幸村は、彼女の肩を掴んでゆっくり離すと、彼女の瞳に自分が揺れるのを見る。 「某は、お館様に仕える将でござる」 「・・・知ってます、けど・・・」 「そ、そうではなくて!確かに某はお館様に使える将であるゆえに、殿を不安にさせる事があるやも知れぬ。 確かにお館様はこの幸村にとって何にも変えられぬ尊き存在。だが、だからと言って殿が二番とかそう言う問題ではないのでござる! お館様はお館様、殿は殿と某は考えているゆえに・・・その・・・」 上手く言葉にならない事をこれほど歯がゆく感じた事はない。 幸村が一生懸命言葉を紡ぎだそうとしているのを見たは、ため息をつくと「佐助さんにまた騙されました」と苦笑を零した。 「聞いていたんですね、幸村さん」 「さ、佐助は悪くないでござる!あ奴は某の事を考えて・・・」 「分かってますから、大丈夫です」 それでもやはり、聞いて欲しくはなかったのだろう。 明らかに表情を曇らせたに、幸村は必死で言葉を探して、探して、再び口を開いた。 「某は・・・某は、殿の 一生懸命に槍を振る鍛錬をしてる姿も 某が鍛錬している時に、見ている姿も お茶請けに団子が出された時の嬉しそうな顔も 某のためにお茶請けには必ず団子を出して下さるその気遣いも 口下手なのに時々すごく直球に気持ちを伝えてくれて、その後りんごみたいに真っ赤になる姿も 負けず劣らず真っ赤になるその頬も 振り向きざまの笑顔、少し癖のある髪、柔らかい体も、だ・・・だ、大好きでござる」 カァァアッと頬を赤くしたは、視線を落とすと「スイマセン、太ってて」と言葉を濁し、 幸村が「そう言う意味ではなくて・・・ッ」と言う前に赤くなった頬に手を添えると、「分かってます、大丈夫です」と先手を打った。 「その、恥ずかしくて・・・」 「某も恥ずかしいでござる」 こういうところが「初々しい」に当たる所なのだが、仮に佐助が居たとしてもほほえましくはないだろう。どちらかというと鬱陶しい。 しかしチャイルドマーク組みの近くには幸い誰も居らず、思う存分に照れあうと、幸村は言葉を続けた。 「お館様と殿は比べられないのでござる。 殿の“おかえりなさい”と言う言葉には敵わぬのだが、将としてお館様に報告に上がるのは某の勤め」 口下手なながらも、伝えようと言う気持ちが伝わってくる一言一言には思わず一筋涙を流す――言葉にしないと、伝わらない事の方が多い。 ちゃんが自分の考えてる事とかそう言うの言うの苦手だって言うのは知ってるけどさ、 男の立場から言ってみれば、たまに奥さんに甘えられたり、我がまま言われたりしたいもんよ? どくん、どくんと心臓が鳴って、喉がくっつくのではないかと思う中、が勇気を振り絞るように「凄く我がままな事を言っていいですか」と尋ね、 「うむ、是非・・・ッ」と幸村が頷くと、は立ち上がって窓辺に置いていたものを取り、再び幸村の前に腰を下ろす。 「これを」 そういって幸村に渡したのは、六文の銭。 幸村の首にかかっている、彼の決意の証と同じもの。 「もし迷惑じゃなければ、三途の川の渡し賃、私の分は幸村さんが持っていて欲しいんです。 もし私が先に死んだ時は、三途の川のほとりで幸村さんが死ぬまで待っています。 幸村さんが先に死んだ時は、私が死ぬまで待っていてくれませんか?」 迷惑ですかと言う彼女の瞳は今にも泣きそうで、それでも絶対にこれ以上泣かないという意思の強さが宿っていた。 幸村は首から六文銭をおろすと、彼女の分の渡し賃も糸に通し、再び首にかける。 「迷惑な訳がないでござろう。この幸村、しかと受け取ったでござる」 緊張でこわばっていた彼女の顔がゆっくりと笑みになり、「ありがとう・・・ございます」と見せた笑みは、 初めて会った時から彼女を娶るまでの間幾度と無く見せてくれて、幸村が大好きな彼女の暖かい笑みだった。 久しぶりに見たその笑みに嬉しさでめまいがしそうで、手繰り寄せたい手をぎゅっと握ると、幸村は立ち上がる。 「もう夜も遅い。ゆっくりと体を休めてくだされ」 「はい。幸村さんも」 おやすみなさいという彼女の声を背に、幸村は障子を閉めると、首にかかった十二文を握り締めた。 「これが六文分の重み・・・」 以前より倍に増えた重みが、ずっしりと幸村の首にかかる。 首にかけていた重みに慣れてしまった為だろう、幸村はたった六文がこんなにも重いものだったのか、と改めて噛み締めた。 もう駄目だって思う位危険な時が来るまで、生きつづけて欲しい・・・ッ、死に急いで欲しくない! ああ、これが・・・
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