「・・・」
鏡に映る自分はこれ以上ないと言う程眉間に皺を寄せていて、口は一文字に結ばれている。

は、少しだけ切った前髪を横に流して止めている花の髪飾りを人差し指でつつくと、
盛大なため息を零し、改めて自分の格好も見るとげんなりとした表情で肩をすくめた。

淡いピンクのスカートも花飾りもとてもじゃないが自分に似合う代物とは思えない上に、
豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏(違う)としか称しようがないのだが


――俺からの誕生日プレゼント!今度会う時は絶対に着てきてね
ある意味苦手とも言えるあの花が咲くような笑みには勝てず、なけなしの勇気を振り絞って袖を通してしまったは、
スピーカーに繋いでいたIpodを切ると、羞恥心を少しでも除くため、先程までかけていた曲を口ずさみながら暗示をかける。



「私は初音ミク、初音ミク・・・だめだ、無理がありすぎる・・・ッ!私だって可愛くなりたいさ、ちくしょう!」


人間的な成長に繋がる一歩を踏み出したいのに踏み出せない時、
街でかかっているラジオやら、テレビのドキュメンタリーやら、はたまた雑誌でピックアップされた成功者の言葉とか、
そう言うものに背中を押されて、結果後悔するもしないも足を踏み出す事はしばしばあるが、今の状態はまさにそれ。

おぼれる者は藁をも掴む所か、バーチャルアイドルにもすがるのである。


それでも妹に言わせて見れば、「食べる」「寝る」事以外に何の疑問も持たなかったが、
「可愛くなりたいなぁ」とポツリと零すように言いだしただけでもかなりの進歩らしい。

とは言え長年積み重ねてきた脂肪は簡単に燃焼できるはずもなく、
あのころよりも体重は落ちたが、それでも世間一般ではまだ太ってる部類だろう。


「あーもうやめやめ、考えたって悲しくなるだけだって」


天気予報のお姉さんは笑顔で晴れを告げ、まぶしい位に青い空は一滴の雨を降らすようすもないが、
まずはなんにでも形からと言うことで、折り畳み傘を鞄の中にしまうと、待ち合わせ場所へ出かけた。




【メルト】




「うわー、すっごく似合ってるよ。前髪もこの前あったときより短くなってる」
浮かない顔のとは対照的に、満面の笑みで彼女を出迎えたジローは勢いあまって抱きついてくる。

とくんと心臓が鳴って、少し赤みが差す頬がうらめしい。

「・・・ジロー君、もう高校三年生なんだから、少しは人目を気にしようよ」
自分の心にごまかすようにそう言うと、ジローは「ごめんね」と言って身を離し、「俺嬉しくてさ」と言葉を続けた。

寝る子は育つと言うが、中学生の頃よりジローは随分背が伸びて、
今では少し見上げなくてはいけないため、長時間一緒に居ると首が痛くなるのだ。


は改めてジローと視線が合うと、かぁぁと頬が更に熱くなるのを感じて、慌てて視線を逸らした。


俺の分まで頑張って、誰よりも幸せになってね
あの時彼がどう言う気持ちで言ったかを知った時、胸を鷲掴みされたような痛みは今だに鮮明に思い出す事が出来る。
自分の事で一杯一杯だった事が申し訳なくて、それと同時にジローの切ないほどの優しさが身に沁みた。


――ジロー君と居るのが幸せなの。だから、一緒に幸せになってくれませんか


眠ってる彼にそう言ったのももう大分前の話で、ましてや初めてであった中学三年生の夏から三年たった今でも
横を歩いてくれる彼はその事を知らないし、肝心の「好き」と言う言葉は伝えられてない。




話題を逸らすようにジローが握っていたジュースを見ると、大分汗をかいていて、
「長く待たせちゃった?」と言うと、彼は「ちょっとだけ」と言って、申し訳なさそうな顔をしたにほころぶように微笑んだ。

「でもね、ちゃんだけに教えてあげる」

そう言って耳に寄せられたジローの息がかかって、火照ったからだは今にも溶けてしまいそうな程に目元がくらくらする。
ちゃんと居る時も幸せだけど、同じ位待ってる間も幸せなんだ」

内緒だよ、と言うジローを照れ隠しでにらみつけ、「そんな事誰にしゃべるんですか」と言うと、彼はまた笑った。
こうやって無邪気に笑う姿はあの頃から変らないけど、顔つきは随分と大人びていて、今や可愛らしいと言う言葉は似合わない。











「・・・」
「うわー、まさか降るとは思わなかったね」

コンビニで雨宿りをしながら空を見上げると、あれだけ快晴だった空は、黒い墨をひっくり返したように真っ黒な雲で覆われていた。

ぶらぶらと当てもなく散歩をした後、映画も見終わった事だし何をするかと言う話題になった時、
ジローが眠たそうに目を擦っていたので、公園にでも行って昼寝をしたらどうかとなった途端にこの雨だ。


「大丈夫?ジロー君、眠たくない?」
「うん、少し目覚めた。でも驚いたC〜、一週間前から天気だったのにね」

「ホントだね、ついてないなぁ・・・」


くしゃりと顔を歪めたの隣で、ジローはコンビニの時計に視線を走らせると、時間を確認する。
「雨も降って来たし、もう五時だから駅まで送るよ」

「え」

ジローの思いがけない言葉に間抜けな顔で声を上げたは、「どうかした?」と尋ねられて慌てて首を横に振った。
「なんでもないの。またしばらく会えなくなるなって思っただけ」

は地方だし、東京に出てこないといけない事と、ジローの受験で会う機会はかなり限られてきている。
でもそんな事より何より心の奥底にある言葉を、は言葉に出来ずに胸の中でかみ締めた。




ジロー君はこんなに早くバイバイしたいの?










わ た し は も っ と い っ し ょ に い た い よ 












「そうだねぇ・・・でも、ここからホテルまで電車で一時間くらいかかるでしょ?あんまり遅くなるといけないし」

そう言った彼の顔が凄く大人びて見えて、はぎゅっと鞄を握り締める。
ジローが好きだと思ってくれていたのは確かだけれど、今も自分の事を好きで居てくれているかなんてわからない。

自身が「好き」と言う気持ちを口に出来ないせいで、その話題に触れる事はないから、彼の気持ちを確認したくても出来なくて。



もしかしたら魅力的な女の子がジローの傍にいて、彼はその子が好きかも知れないし、
それでなくても三年間彼の気持ちを知らないふりをしてきたに愛想を尽かしているかもしれない。

ちゃん」
「へ!?」

「どうしたの?ボーっとして」
「あ、うんうん。なんでもないの。ジロー君こそどうしたの?」

「ん。もしかしたらちゃん折り畳み傘持ってるんじゃないかなぁと思って」


ジローの言葉で自分が傘を持っている事を思い出したが鞄に視線を落とすと、
そのしぐさで持ってる事が分かったジローは「傘貸して」と言い、おずおずと差し出したから傘を受け取るとパッと開いた。


「行こう」

笑顔で暗に相合傘を促してくるジローとは対照的には顔から色をなくすと、恐れ多いといわんばかりに首を横に振る。
「それ小さいし!私コンビニで買うからジロー君それ使って――うわ!」

手を引かれ、思わず踏み出した一歩は傘の中。
思わずジローを見上げると、目を細めて笑った彼はもう一度「行こう」と言って、の心がきゅっと音を立てて縮まる。





ちゃん、そんなに離れてたらぬれちゃうよ。もっとこっちに来て」
指先が緊張で震えて、上手く声が出ない。

「でも、ジロー君がぬれちゃうし、ジロー君がこっちに来て」
裏返りそうになる声でそういって、雨にぬれている彼の左肩を指差すと、ジローはそれを横目で見て、にししと変らない笑みで笑った。

「俺は男の子だからいいの」

ちゃんが来ないなら、傘そっちに持ってって俺がもっとぬれちゃうよ、なんていう彼はあの頃のように子ども扱いで許してくれそうにない。

こういう所、跡部君とか忍足君に似てきたかも。ちょっと残念・・・
勇気をそっと振り絞って触れるくらい近くに行くと、彼の服を掠める指先が熱くなっていった。



――今度はちゃんから越前君に好きって伝えればいいんだよ

あの時はね、精一杯リョーマが好きだったよ
でもね今は同じ位、ううん、それ以上ジロー君に恋してる

だからね、こんな風に優しくされると、涙が出そうなくらい嬉しいんだよ





口に出さない気持ちを理解して欲しいなんてわがままだよね
想いよ届けって願う事は誰にでも出来るけど、私がジロー君に抱いてる気持ちは私だけのものだから



伝えなくちゃ







距離が遠い分、一生懸命気持ちを手繰り寄せなくちゃいけないよ
勇気を出すんだ


「ジロー君」
「何?」

「あのね、手を貸して」


立ち止まって向き直ったが言うと、ジローは首をかしげながらも手を差し伸べた。
今も変らずテニスに打ち込む手は、大きくて、頼れる位力強い手になっていて、体温をぎゅっと握り締めると瞳を伏せる。

今度は私からジロー君に伝えるね


「私は、ジロー君が好きです」





「まだ、ジロー君と一緒に居たい・・・ッ!」

せき止めていた想いと一緒に、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていった。

今さらって言われたらどうしよう、怖くてたまらないまま、
逃げ出す事も出来ずに立ち尽くしたは、ジローが何かを呟くのが聞こえて身をすくめる。


「・・・ホント?」

それからかなりの間を置いて零すように言ったジローの顔を見上げたが、戸惑いながらもうなずくと、ジローは真顔で詰め寄ってきた。
「嘘とか冗談とかじゃなくてホントのホント?」
「・・・うん」

「越前君じゃなくて、俺が好き?」
「・・・うん」



「や・・・やった――ッ!



突然傘を投げて両手離しに喜んだジローは、道行く人々に首を巡らせると、「今の聞いた?」と誰にともなく尋ねて、
尋ねられた人のぽかんとした表情に「ぎゃ」と悲鳴を上げたは「ちょ、ジロー君」と制止しようとした途端、抱きしめられる。

「ぅわ!」
ちゃんが俺の事好きって言った!俺の事、俺の事好きって・・・ッ」

「言った!言ったからそんな事大きな声で言わないで!


雨にぬれる事など気にもならず、わーわーと両手で口を押さえようとしたに、ジローはガッツポーズで叫んだ。
「だって俺世界中のみんなに聞いて貰いたい!世界で一番大好きな人が、俺の事やっと好きって言ってくれたんだよ!?嬉C〜!」


「・・・やっと?」


「だってちゃん、俺と一緒に幸せになりたいって言ってくれたのに、全然好きって言ってくれないし」


しゅんとうなだれるジローの傍らで、は真顔に戻る。

何ゆえ寝ていたはずのジローがそれを?
固まったは、辿り着いた結論につま先から頭に血が上っていくのを感じると、「狸寝入りしてたの!?」と負けず劣らずの声で叫んだ。

しかしそんな事耳にも入っていない様子のジローは飛び跳ねん勢いで喜び続けると、「俺ね」と輝かせた瞳でを見る。


「俺ね、ずっとちゃんに好きって言って欲しかったの。だから忍足に相談して・・・」
ちょっと待った。何その明らかな人選ミスは


忍足と言う単語にハッと思いついたは、自分の格好と折り畳み傘を交互に見ると顔面蒼白になった。


――もしかしたらちゃん折り畳み傘持ってるんじゃないかなぁと思って


よくよく考えてみれば一週間前から晴れマークが出てたのに、折り畳み傘を持ってるなんて普通は思わない。
これが用意周到な人物ならまぐれでありえるかもしれないが、生憎はそのような人種ではないし、ジローもそれを知ってるだろう。

だけどそれが筋書き通りだとしたらどうだろう

あらかじめピンクのスカートと髪飾りをプレゼントしていたら、小心者のがメルトになぞる事などゆうに想像出来る。
ときめきが最高潮に達したとき、自分はジローを好きだといって・・・何このラブロマンス的な展開!


ラブロマンスと忍足が脳内でがっちり合わさったは、
思い出せば出すほど、穴に入りたいくらい恥ずかしくなって、両手で顔を覆うとしゃがみこむ。

忍足の策略だと思いつかなかった自分が情けない、こんな恥ずかしい展開にのせられた自分が情けない。
もうなんだかいろんな意味でなきそうだ



忍足ィィイイイ!!!!



それよりも勝った怒りに今からでもメガネを叩き割りに行こうとした顔を上げると、
ジローの笑顔が目の前にあって、苦手なその笑みに何を催促されるか分かったはう、と後ずさる。

「ね、もう一回言って?」
「・・・何をでしょうか」

「しらばっくれてもダメー」


ぎゅっと腕を掴まれて「言ってくれるまで離さない」と頑固な一面を見せたジローに、
は「大きな声を出さない?」と言うと、力強く頷いたのを確認して、ぼそっと呟いた――「好きです」

その瞬間、太陽のようにまぶしい笑みを浮かべたジローを見て、忍足への怒りとか憎しみとかどうでもよくなってしまう。
ジローは「俺も好きだよ」と言うと、こほんと咳払いを零して、今まで見たこともないくらい優しい微笑みでの額にキスを落とした。


「俺と一緒に、幸せになってください」





+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ジローは大人になっても無邪気な子どもで、でもどこか策士になりそうです
雨が降らなかった場合はどうなったのだろうとかそういう事はいいっこなしで(笑)

+おまけ+

「俺もね〜、ちゃんともっと一緒にいたいけど、今は我慢しろって跡部に言われたんだ」
「そうなの?」

「うん。大学行ったら好きなだけ会えるしね」
「そうか。バイトとか出来るもんね、私ももっとがんばるよ」

「それもそうだけど、俺そっちの大学受けるから」
「え!?そんな理由で大学決めちゃだめだよ!」


「いーの。だから今は我慢して、来年はからず――っと一緒に居ようね」