ゴンッと壁に頭をぶつけて、は額を押さえるとうずくまった。

「痛い…」
さん、大丈夫?」

すぐさま駆け寄って来たカイルはの前髪をかきあげると、赤く腫れあがった額に顔を渋める。
「痛そ…」
そんなカイルとは対照的で、しゃがみこんでいるに目もくれずスタスタと先頭を歩いているリオンは淡白に、あっけらかんと言い放つ。

「自業自得だ。これで何度目だと思ってる」


誰のせいだ! と、は真っ黒な背中を睨み付けてギリギリと歯軋りをした。

リオンが理解不可能なことを言い出してから、は混乱しっ放しだ。
とりあえず彼が云う事で頷くことが出来たのは、これからカイルたちの前では彼をジューダスと呼ぶ事を義務付けられた事くらいのもの。
額を擦りながら立ち上がったに、サッとロニが並んだ。

「大丈夫ですか、さん」


支えるように隣を歩き出したロニに「大丈夫よ」と笑顔を返せば、
つい先ほどまで、いっそすがすがしい程他人事を決め込んでいたリオンに突然腕を引かれて前につんのめった。


ぐぃぐぃと前に引っ張られて、有無を言わさずロニと引き離される。

「おい!」と追いかけてくるロニの言葉、存在すらリオンは無視だ。
は困ったように息を吐く。


もっとちゃんとロニを相手にしてやらないと、かわいそうだよ…。


そんなに気分を害したのか何なのか、
リオンは睨むようにに横目を投げやった。

「前を見て歩いていて、どうしてそうなる」
「………誰かさんのせいじゃないですか?」


嫌味たーっぷりに云ってやると、彼は勝ち誇ったような声をあげた。

「云うじゃないか」

ニヤリと口端を持ち上げて笑う。
うわー、今の顔。性格の悪さがチョー出てますよ、坊ちゃん。


が返す言葉を探そうと口を開きかけたとき、全身をピンと張り詰めた感覚が過ぎった。ぞわっと背筋を逆撫でする薄気味悪さ――これは…。


リオンが腕から手を離す。
まったく同時の勢いで得物に手をかけた二人をカイルとロニは素っ頓狂な顔で見ていて、は刀を抜くとざわついていた心を静めるように息を吐いた。



「何か、来る」



その瞬間、水面が水しぶきをあげて跳ね上がる。
現れた巨大蛇には目を剥いて、そう云えばこんな敵いたような…と思い返している間に、しっぽが勢いよく頭上から振り下ろされた。

「わわっと」


避けたが、弾かれた水しぶきがなかなか痛い。
はステップを踏むように横とびすると、カイルとロニが遅れて武器を構えるのを確認した。敵と味方の位置を把握しようと全体に視線を走らせる――リオンは?

丁度の反対側にいた。
こちらも難なく避けていて、敵の出方を眺めているようだ。

記憶を辿りながら敵の弱点を思い出したが頭の中でざっとシュミレーションを始めたとき、「うおおお!」と云う先走ったカイルの雄たけびに真っ青になる。

「カイル、待って!」


剣を構えて突撃していく姿がなるほどスタンによく似ている。けれど経験不足ゆえか、スタン以上に彼は無鉄砲だった。
固い皮膚にぶつかった刃物が弾かれ、横腹を尻尾でぶん殴られて吹っ飛んでいく。


「カイル!」

ロニが何とか受け止めたものの、追い討ちをかけるように放たれた無数の槍に、は割って入るとすかさずバリアーを唱えた。槍が弾かれる。
さん」
驚いたロニの声に、は首を巡らせると微笑んだ。


「カイルをよろしくね」


そのまま地を蹴って走り出す。


「り……じゃなかった…ジューダス!」
「ああ!」


ヴァサーゴの目の前で跳躍すると、ワンパターンに尻尾を振り上げて来た。
がそれを剣で受け止めると、リオンが背後から鎧の隙間に向かって攻撃を繰り出す。

弱点を突かれたヴァサーゴが弓のように反り、大きな隙が生まれた。

その間にフォルダーから銃を抜き取ったは、ギャァァアと悲鳴をあげるヴァサーゴの瞳に照準を合わせると、ためらうことなく引き金を引く。パァンと乾いた音。
銃が咆哮し、水面を叩くようにヴァサーゴは尻尾を振り回すと、やけっぱちになったように我武者羅な攻撃を始めた。



動きも大きければ隙もデカイ。
は刀を構えると、ニヤリと口角を持ち上げて笑った。


「オレの本気、見てみるか!」


がいないと絶対にウケてくれないと分かりつつ、は剣を振り切る――「空破絶風撃!」
ヴァサーゴが沈むのとが着地するのはほぼ同時。銃と刀を仕舞いながら、彼女はロニに視線を向けた。

「カイルは?」


弾き飛ばされただけでたいした事はなかったのだろう。
身を起こしたカイルも、それを支えているロニも、ぽかんとした顔でとリオンを見ていて、カイルは寝言を云うように呟いた――「すごい…」




「……ヴァサーゴは硬い鎧に覆われている。攻撃した一瞬に、鎧に隙が出来るんだ。むやみやたらに突っ込んでいけば勝てると云うものじゃない」

刺々しく云うリオンに、はまあまあと宥めすかす。

「倒せたんだから、いいじゃないですか」
「お前はいちいち甘すぎるんだ」

「だってカイルかわいいもの」


「な!」


愕然とするリオンを無視しては腰を落とすと、カイルの横っ腹に手を添えた。そのままヒールを唱える。
「これでよしっと。もう痛くないでしょう?」
「…ホントだ」

「ふっふっふ。その場その場に応じた回復方法の判断においてわたしの右に出る者はいないと自負しているのでね!」

「お前ほどケガをする人間はいないからな」
「一言多い!」


足元の小石を掴んで投げると、あっさりと避けられた。うん、まあ、分かってはいたけどね。
それでも腹立たしい気持ちを抑えられずに地団駄を踏んでいると、カイルがぱぁぁああっと顔を輝かせていく。


「すごいね、さん達!息ぴったりだ!まるで、母さんが云ってた人たちみたいっ」
「ああ。ルーティさんの仲間だろ? 確か名前は…」

「””――さんと同じ名前だよね? 俺、母さんの話で一番好きだったんだ。その人と、リオンの話が」


「っ」
「!」



二人同時に息を呑む。
そのことに当然気づくはずもなく、カイルはニコニコと笑いながら両手を広げた。


「英雄リオン・マグナスと、……オレもいつか、その人たちみたいに想いあえる大切な人を見つけるんだ!」

夢を語るように云うカイルに、ロニが横から茶々を入れる。
「ばーか。あれはちょっとやそっとじゃたどり着ける領域じゃねぇって」


一方はというと。



「なっ、なななななな…!」


ボボッと顔が熱くなって行くのを感じていた。
ルーティさんってば、カイルとロニに何を教えたの!? 想いあえる大切な人!? どう聞いてもメチャメチャ脚色されてるよ、それっ。



明らかに悪意としか思えない。



が言葉も見つからずにオロオロとしていると、どうやら別の部分で驚いたらしいリオンが怪訝な顔でカイルに訊ねる――「母親? ルーティ?」
思えばが割って入った事から、正当な会話の手順が踏まれてなかったのだ。

ココに来てようやくカイルがスタンの息子だと云う事にリオンが気づいた事に、はほっと胸を撫で下ろす。これでリオンのストーカーイベントも無事に始まるというもの。
リオンの問に、それまで鬱憤が溜まっていた様子だったロニが、ここぞとばかりに誇らしげに胸を張る。

「ああ。なんたって、コイツの両親はあの五英雄、ルーティ・カトレットとスタン・エルロンだからな!」



リオンが仮面の奥にある瞳を僅かに見張ったのが分かった。
彼は顎に手を添えるように仮面に触れると、「そうか…あいつらの」と、注意深く聞いていないと聞き逃しそうな声で呟く。それを聞いては、胸が締め付けられるような痛みを感じた。


が上手くリオンを助けていたならば。
願っていた未来と、あまりにかけ離れている現実に息が出来ない苦しさを覚える。

心臓に手を当てたを横目で見たリオンは、何か云いたそうに口を開きかけたが、すぐさま思い直して閉じた。

瞳を伏せて、
改まったように言葉を紡ぐ。


「行くぞ」


ヴァサーゴが現れた少し先にある出口。
重々しく腰を下ろしている鉄の扉を開くと一気に風が吹き抜けて、篭っていた空気を吹き流していく。


「ここはもう街の外だ。神団の連中が来る前に、さっさと行くがいい」
「うん……ジューダス、さん、ありがとう」

「別に。僕たちが出るついでの話だ」

「それでも、ありがとう! 本当に助かったよ」

またまたそういう素直じゃないことを云うんだから、と、は苦笑すると、背伸びをした。
暗い地下を歩いていれば、必然的に背筋も曲がるし肩も凝ると云うもの。外から入ってくるオレンジ色の光が、それだけで身体を軽くしてくれるような気持ちになる。




「ねえ、ジューダス。わたしたちもカイルと一緒に行かない?」
「――へ?」

「何?」


思わぬの切り出しに、三人の顔が驚きに染まる。
は夕焼けに暮れる空を見上げると、目を見開いているのであろう、リオンに視線を戻した。上手い勧誘文句はないだろうか。

「だってホラ、面白そうだし…。この二人で行かせるのも心配じゃない?」



どうせストーカーするんだし、一緒に行動した方が早くない?
ともいえず。

まごまごと口ごもったは窺うようにジューダスを見たが、彼の表情がピクリとも動かない事にかなりあせり始めた。


(なななななんで!? ストーリーでは一緒に行きたがってたのに!)


は右往左往と視線を泳がせて考え込む。
ここでリオンが「うん」と云わなければ、ロニとカイルの二人旅は本当に心配になってくる。

序盤でそんなに強い敵が出てくる事はないと分かっていても、さっきのヴァサーゴとの戦闘を思うと不安でしょうがなくなって来た。
母親の気持ちとは得てしてこんな感じなのだろう。


ぶっちゃげ云うと、はコソコソと後をつける趣味がない。


読めないリオンの表情に痺れを切らしたは、意を決して言葉を続けた。


「じゃぁ…えーっと、わたしはカイルたちについていこうかな?」

「え!? 本当!?」


嬉しそうなカイルの言葉とは裏腹に、絶対零度のブリザードが吹き荒れる。身を削ぐような寒さにはヒィイ!と悲鳴をあげて、自分で自分の身体を抱いた。
「だって! カイル達だけにするのも心配だし! り、ジューダスはその点強いから心配ないし…だから…」


なんでこんな言い訳みたいな空気になっているんだろう。
は内心涙を流すばかりだ。

別にリオンと一緒にいるという取り決めを交わした訳でもないし、繰り返し云うが、彼はカイル達の後をつける気でいるに違いない。
すごく離れる訳でもなければ、まったく連絡を取り合えなくなる訳でもなく。

何にそんなに神経質になっているかも分からないまま、言い訳を続けようとするに、リオンは投げ捨てるように言い放った。


「僕はもう、お前を手放すつもりはない」

「――っ」

息を呑む
そのまま動きを固めた彼女の腰に手を回したリオンは、漆黒のマントをはためかせながらカイルたちに首を巡らせた。


「悪いがコレは連れて行く。――せいぜい頑張ることだ」
「ちょ…! ジューダス! 勝手に決めないで下さいよっ。うわ…っ、ギャァアアアアァアァアア!!



風に逆らうように駆け出したリオンの腕の中で、は今にも死にそうな悲鳴を上げた。足が追いつかないんですけど!
呆然と見ているカイルとロニの耳に、色気のないの悲鳴が遠くなっていくのが聞こえる。


「ぁあぁぁ…」


やがて聞こえなくなると、
そろって二人は首を傾げた。



「なんだったんだ、一体…」
「さぁ…?」