「し、死ぬかと思った…」

うなだれたの傍で、リオンは下を歩いていくカイル達を見下ろしている。
クレスタへ向かう道中の彼らは、上に続いている崖から見られている事なんてまったく予想もしないらしく、和気藹々と小突きあいながら先を進んでいた。

は無表情で彼らを見ているリオンを見上げると、眉根を寄せて苦言する。

「リオンのスピードについてこられると思ったら、大間違いなんですからね!」


神様見習いのおかげでかなり身体能力があがったが、スピードを誇るリオンには到底敵わない。同じペースで走れと云うのが無理な話だ。
が云うと、彼はチラリと視線を向けた。


「のろま」
「!、そういう事云いますかね!? 普通! 無理矢理連れて来たクセしてっ」

いきり立つと、「静かにしろ」と睨まれる。
確かに高さはあるが、声が聞こえても不思議じゃないくらいの距離で、グッとが押し黙ると、リオンは背中の布を解いてシャルティエを取り出した。


『やっほー』

緊張感のない声に、は毒気を抜かれるのを感じて脱力する。
逆に云うと、リオンの劇的変化に戸惑ってばかりだったの気持ちが、何の変化もないシャルティエの声に気持ちが楽になったとも云える気がした。

がホッと安堵の息を吐くと、
事の成り行きを聞いていたらしいシャルティエが豪快に笑う。



『坊ちゃん、いくらなんでもあの言葉でに分かれって云っても無理があると思いますよ』
「そ、そうだよね。シャルティエ!」

の思考回路は単純なんだから』
「喧嘩売ってんの?」
『え?僕、褒めてるけど?』


あっさりと云った彼には頬を引き攣らせるしかない。
がツーンとそっぽを向くと、彼は太陽の光を浴びたようにキラリとコア・クリスタルを光らせた――『それよりも僕は、どうしてがココにいるのかを聞きたいけどね』



は答えない。
すると、追い討ちをかけるようにシャルティエが続ける。



『……あの時は、確かに死んだはずだよね?』


沈黙が痛い。
エルレインが蘇らせた事にするには、不都合な点がありすぎた。


自身も、自分を生き返らせたのは神様見習いである事を確信している。



だって、


『エルレインが提示した報酬そのもののを、彼女が早々に蘇らせるなんて思えないんだけど』



そう、まさにそれ。
もしもリオンの云うとおり、エルレインがを助ける事を引き換えにリオンに要求を突きつけたとするのなら、元凶のがココにいるのは明らかに変だ。

は膝を抱きかかえる力を込めると、瞳を伏せた。


「…エルレインの手で、生き返った訳じゃ、ない」
『……』

「でも、云えない」


云ってもいいのではないかと思う。
見習いはがしたいようにすればいいと云ったのだ。それは全権を委ねられたのと同意。ここで喋ろうと、の勝手と云う事になる。

だけど、言葉が詰まったように出てこない。


それは全てを知っていたと云う事に対しての後ろめたさなのか。
今から起こる事も知っているという事に対しての後ろめたさなのか。

分からないまま、押し寄せてくる不安に蓋をするように、は気持ちを押しとどめる。


「ゴメン」


端的に謝ると、シャルティエが深いため息を吐いた。
問い詰めた所で口を割るはずもない事は、リオンとシャルティエが一番よく分かっている気がして。







【リオンが壊れたある日の事 3】





クレスタの村に入ると、は注意深くあたりを見回しながら歩いた。
リオンはある意味目立つが、ルーティに会った所で絶対に気づかれない事は間違いない。だが、何の工夫もしていないは話が別だ。一発で大騒ぎになる。

それでもクレスタの街に入ったのは、
リオンがカイルを見張る(と本人は云ってたのだが、実際の所は見守る?見つめる?ストーカーする?に違いない)と云うのと、
なんだか色々な事があって精神的につかれきってしまったが暖かいベッドで眠りたかったためだ。


宿屋の前で「じゃあな」と踵を返したリオンに、「部屋は取らなくていいんですか?」とは慌てて声をかける。
孤児院の傍にいるつもりなのだろうが、ちょっとの時間でもベッドに入って休んだ方がイイに決まっている。云うと、リオンは首だけを巡らせた。




「僕はいい」


「いいって……。ちょっとでもベッドで寝ると疲れの取れ方も違うと思いますよ?
あ、そうだ。じゃあこうしましょ。わたしツインの部屋取っておきますから、後で窓からでも入ってくるといいですよ!」

グッと親指を立てると、リオンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚いたので、そんな彼の驚きにもまた驚いた。
「え」と声を詰まらせると、彼はに向き直って不機嫌そうに腕を組む。


「どうして僕がお前と同じ部屋に泊まらなくちゃいけないんだ」
「何を今更……。今までだって何度もあったじゃないですか」


リオンの書類を待っていて、そのまま部屋で爆睡しまったのを筆頭に、旅の途中なぜか相部屋になった事もある。
その時はシングルで、もちろんリオンがベッド、がソファーだったのだが。(結構根に持ってる)

があっけらかんと云うと、彼は目の前に不都合を突きつけられたような顔をして、ギリッと奥歯を噛み締める音がここまで聞こえてくるようだった。


「あの時はあの時、今は今だ」
「はぁ?」

「あの時はお前が隣で寝こけてようと僕にはどうでもいい事だったがな。今は違う。それとも、僕に期待でもしているのか?」

「期待?」


何の期待よ。
意味が分からなくてポカンとしていただったが、徐々に呑み込むようにリオンの云っている意味が分かると、ワナワナと身体を震わせた。

つまりは、わたしがリオンを誘っていると!?

はギッと目頭を吊り上げると、思わず親指を下に向けてしまったのも不可抗力といえよう、懇親の力を込めて叫んだ。



「坊ちゃんは一生木の上で寝てろ!!!!!! 変態っ」









リ オ ン が 壊 れ た 。
その事に対して悶々と考えていたのも、ベッドに入ってほんの数分の事だった。

この世界に来てから寝つきがよくなっているのか、一度布団に入ったら朝まで目が覚める事はない。

だからこの日もてっきりそうなると思ったのだが、夜中に糸に引っ張られるように意識を起こしたは、
ピンと張り詰めた殺気に身が強張っているのを感じて、すぐさまベッドから転がり落ちた。その瞬間、今まで自分が寝ていた場所に斧が振り下ろされる。


「っ」

息を呑んだが動くのは早かった。
ベッドの脇に置いていた刀と銃のフォルダーを取り、近場の窓から外へと飛び出すと、地面に足をつける。振り返れば、窓の脇に足をかけた男がコチラを見下ろしていた。

靡く青い髪。
隆々とした肢体。

「……バルバトス…」


呟くのと、上からバルバトスが降ってくるのはほぼ同時。抜いた刀と斧がぶつかり、耳障りな音が劈くように響き渡る。
は地面を踏みしめて斧を受け止めたが、とても力では敵わないとすぐさま判断した。ストーンウォールを唱えて、バルバトスを距離を取る。

重い攻撃を受けた身体は想像以上にダメージを食らっていて、乱れる呼吸を落ち着けるように深呼吸を繰り返すと、は勢いで引けを取らぬよう、虚勢を張って笑う。


「英雄殺しが、わたしに何の用?」
「――俺は貴様に興味など、ない」

「なるほど。エルレインの命令か…」


納得がいった。
もしもリオンの云う事が本当だとするのなら、勝手に蘇っているをエルレインがよく思うはずもない。さしずめ、消してしまえばいいと云った所か……はハッと鼻で笑い飛ばした。

「エセ聖女が考えそうな事ね」


不意を突かれて動揺していた意識も、ようやく平常を取り戻しはじめた。
刀を握る手に力を込めると、はバルバトスを睨みつける。



「奇遇ね。わたしもあなたをぶっ飛ばしたいと思ってたの」
「ほぅ?」


揶揄するようにバルバトスが聞き返す。


「よくもスタンを………。わたしの、わたしの…」




  ――いやあ、俺もこの件に関しては同感っていうか……あんまり女の子が無茶するべきじゃないと思うんだよ

  ――云ってることは紳士的だけど、してることは全然紳士的じゃないよスタン!



  ――どうしてだよ…リオン、 さんっ



「わたしの仲間をよくも殺してくれたわね……っ、バルバトス!」


それは、
ゲームをプレイして抱いた怒りとはまったく比べ物にならないもので、むしろ憎しみにもよく似ていた。


フォルダーから銃を取り出すと、ためらう事なく引き金を引く。乾いた音が響き渡って、銃弾は一直線を描いてバルバトスへ向かっていったが、彼は斧で一刀両断切り捨てた。
その瞬間、爆薬が弾けて煙が広がる。

その隙を突いて背後へ回ったはバルバトスの首筋に向かって刀を振り切ったが、斧にはばかられ、地面に足をつけたは足払いを仕掛けた。
が、脛を蹴った足はまるで鉄板を蹴ったように痺れて、が痛みに顔を歪めた瞬間、襲ってきた斧を横ステップで何とか避ける。

(どんな鍛え方したらここまでなる訳!?)


鋼のような肉体とはまさにこの事を云うのだろう。
力でも敵わなければ、肉弾戦もキツイ。でも、逃げる事もできなければ、逃げたくもない。


エアプレッシャーを唱え、距離を詰める。
「牙連蒼破刃!」
バルバトスにたどり着く寸前で全部防がせたが、間をおかずに空破絶風撃を繰り出した。避けたバルバトスの頬に一筋の線が走る。

次、と技に移ろうとした瞬間、風がうねる音が聞こえて、咄嗟に腕を出したはバルバトスの右足を受けた。骨が軋む音が聞こえる。
痛みに意識が揺れて、勢いのまま横に吹っ飛ばされたが地面との衝突を覚悟したとき、ふわりと何かに抱きとめられた。見上げると――リオン。



「りお…」
「何で僕を呼ばない」


登場した途端掃き捨てられた理不尽な言葉。


呼ぶ暇もなかったのだ。
言い返したいのに、右腕が痛くて言葉が出ない。

蹴りで骨が折れるってどうよ?

ヒールを唱え出したを起こして、リオンは庇うように前へ歩み出ると、腰の剣を抜きバルバトスへと向ける。


「……貴様、覚悟はできているんだろうな?」


リオンの静かな怒りは、護ってもらっている立場だと云うのに身の毛がよだつ恐怖を感じて、は息を詰めた。
一方、バルバトスは興ざめしたように「邪魔が入ったか」と斧を下ろすと、リオンの後ろにいるを真っ直ぐと見据えて、ニヤリと笑う。


「まぁ、いい。殺す手間も楽しめそうだ」


こんのM男がっ!
云いたい気持ちをグッと堪える。
引く気になったバルバトスをわざわざ挑発してまで、再び危ない橋を渡る必要はない。けど…。

「……やれるもんならやってみれば」

実際リオンが来なければかなり窮地に立たされていた事は間違いないが、未だフツフツと沸きあがる怒りが収まらなくて、は負けじと笑った。


「面白い」


そういうと、バルバトスが消える。
その瞬間一気に気が抜けて、は地面にへたり込むようにしゃがんだ。


「び…びっくりしたぁ」


こっちが本音だ。
あんな身を削るような殺気を身に受けた覚えもなかったし、寝ている所を襲われるなんて云う事想像した事もなかった。
座り込んでいるの頭上に影がかかって、見上げると仏頂面のリオンと瞳が合う。
差し伸べられた手を握って立ち上がると、手繰り寄せるように抱きしめられて身体が強張った。

「!? ちょ、リオン…っ」


形を確かめるように抱かれると、戸惑いにグルグルと目が回る。
があたふたしていると、耳元でリオンのため息交じりの声が聞こえた。これは説教のパターンだ!と、心の準備をしたの耳に、思いもよらぬ呟き。

「また、僕は……お前を護れないのか、と…」


途切れ途切れの言葉には目を見開いた。

なんで、そんな事。


はくしゃりと表情をゆがめると、小さく首を横に振る。目尻がじわりと熱くなった。
「違うよ、リオン。あなたを護らなきゃいけないのは、わたしのはずだったのに」

あなたをこんな所にいさせたくなかった。
そんな変装までして、名乗る事もできないままカイル達を見守って、最後の最後で、再びあの時間に戻されるなんて、そんなのあんまりな筋書きで……。

ギュッと握りしめた拳が痛い。
けど、心の方がもっともっと悲鳴をあげていた。


「ごめんね、リオン」

ボロッと涙が溢れ出す。
しゃくりあげたは、まだ夜明け前の空を仰いで泣き出した。大口を開けて、絶え間ない涙が頬を濡らす。


「ごめん、ごめん…リオン!」


うわーんと間の抜けた泣き声をあげたは、力任せにリオンの服を握り締めた。


「この世界の誰の幸せよりも、貴方一人の幸せを願ったのに…っ。なのに、それすらやり遂げられなくて…!貴方をまた、この運命の輪に入れてしまったっ」
「違う。僕は望んで…」

「何でっ、何で追いかけて来たの、リオン!」
「…」

「そんな優しい言葉、聴きたくなかった。
つっけんどんでよかった! マリアンさんと一緒にいる貴方が見れたなら、幸せそうな貴方を護れるなら、わたしはそれでよかったのに!」


  ――マリアンは、僕の命だ。

ためらいなくそういうあなたの、力になりたかった。
あなたが幸せになってくれるのなら、他の何を引き換えにしても構わないと思った。


なのに。



なんで、追いかけて来た。
なんで、会いたかったなんて云うの。

護れないかと思ったなんて、云うの。

わたしの為に、そんな痛そうな顔をしないで欲しい。


「リオンのバカー!」


謝っていたはずが、責めて、挙句の果てに幼稚な言葉で貶したに、いつものような嫌味の嵐は返ってこない。
ただ云われるがままに受け止めようとするかのように抱きしめる腕に力が篭って、それがなお更の激情を呼び、
それから数分か、数十分か、は泣くはわめくはリオンを罵るわして、ようやく涙を拭い始めた。そんな彼女を腕に、リオンは小ばかにしたように笑う。


「よく泣くな」
「うるさいですよ! 元々は泣き虫なんです! 悪いかっ」

「嫌。どちらかと云うと驚いた」
「は?」

「……僕は今まで、お前の何を見てたんだろうな」


みなまで云わずとも、その口調に後悔のようなものが含まれているのを感じたは、眉間に皺を寄せると言い返す。


「ウチの姉妹の家訓として、
笑顔は大安売り、泣き顔はとっておきって言葉があるんです。そうやすやすと見せてたまるか」

赤くなった鼻を擦ると、熱は持ってるし、大分痛い。この調子じゃ見るに耐え難い顔だろうな、とは思う。坊ちゃんのお綺麗な顔を前に何たる醜態。
モンスターの骨の奥にある瞳を見据えて我に返ったは、「わ!」と声をあげると、慌てて距離を取ろうと手を伸ばした。ぐいぐいとリオンの肩を押すが、なかなか離れない。


「とりあえずリオン、落ち着きましょう」
「お前が落ち着け」

「なら離れましょう」
「断る。なかなか面白いものが見れるからな」

わたしは見世物か何かか!
つーかこれ人が見たほうがよっぽど見世物の光景だっつの! 夜明け前に抱き合ってる男女、男の方はモンスターの骨かぶってっし!
どんだけー! ですよ。どんだけー!

「うるさい。耳元で騒ぐな」
「だったら離れりゃいいだろうがこの変態!」

「ほう?変態」
「ギャー! これ以上近づくなァアアアァァアアアア!」



目の毒だ!
眩しい!

溶ける!


ギャァギャァ騒ぐを、ことさら面白そうな瞳でリオンが眺めて。
そんな彼の視線に気づいたは、不満たらたらに舌打ちした。


「リオンが壊れた」
「ああ。僕もそう思う」





あの時。

  ――ねぇ! リオン! 幸せになってねっ

  ――!!!!!


彼女が背中を押してくれなかったなら、そう言葉をかけてくれなかったなら。
何も知らない自分はどう過ごしていたのだろうか、と


彼女が死んでから、そう考えた事が何度もある。


答えなんて出るはずもない問いを、何度も、何度も。そのたびに考えるのを止めては、またふとした瞬間にそれを思い返したりもして。
幸せと云う言葉を、酷く重たく感じた。

苦しくて、辛くて
胸をかきむしりたい程の衝動なのに、不思議と愛しいこの気持ち。


気づいたんだ。



ああ。




「だけど、悪くない」
「――っ」



これも、幸せの一つなのだと。