「分かるわけない! だってカイルは、聖女でも英雄でもないじゃない!」
悲鳴に似た声が、カイルを貫く。
矢に射抜かれたような顔で立ち尽くす少年にかける言葉も見つからず、言い放った後、カイル以上に痛みを堪える顔をしたリアラを抱き寄せる事も出来ず、は小さく息を吸った。
「…フォルトゥナ。わたしたちを、十年前のあの日に……わたしがここに戻された直後の時間のハイデルベルグに戻して…」
【幸せのかたち】
城へ戻ったカイルたちは、とにもかくにもウッドロウの所へと向かった。
ローブを脱いだも新たな変装を施してヒョコヒョコと着いて行ったのだが(の奇行を誰も問わなかった事については悲しむべき事だ。普通にあり得そうだと思われたのかも知れない…)
、誰もあの騒ぎに乗じて謁見の間に突入した者だとは気づかなかったようで、
当本人のウッドロウもまた、当然現れた第三者の存在に最後まで首を傾げていた。そんな彼に、は内心で頭を下げる――ウッドロウ、殴ってゴメンね!
気絶していただけの彼は、いち早くレンズがない事に気づいて捜索の手を伸ばしたそうなのだが、煙を巻いたようにレンズは見当たらなかったらしい。
城は何もかもを巻き込んで騒然としている。
王も兵士も民間人もてんやわんやとなった城で、落ち着いて一度状況を把握するため、一晩置いて出直して欲しいと云われたカイルたちは、あてがわれた客室に引き上げた。
そして。
ベッドから起き上がったリアラが部屋を出ると、そこにはヘラリと笑ったが立っている。
出迎えるように「やあ」と手を上げた彼女に対して、思っても見なかった人物がいた事にリアラは眼を白黒とさせると、閉めた扉の向こうを見た――確かにベッドは丸くなっていたはずなのに。
そんな彼女の反応が想像通りだったとでも言いたげに、 はフッフッフと声をあげて笑う。
「秘技、変わり身の術なのだよ――あれは枕と毛布」
「何で…」
「かわゆいリアラを一人で、危険な場所に行かせられる訳ないじゃない」
おばさん臭い動きをしながら能天気に云った。
リアラは瞳を揺らすと、もう一度「何で」と呟いた。
「あのね、リアラ」
はリアラに向き直ると、その頭にそっと手を置く。
「わたしは、リアラに会えて幸せだよ」
「………」
「リアラに会えて、カイルに会えて、ロニに会えて…ナナリーに会えて。一緒に旅が出来た事が本当に幸せ。……だからリアラ。お願いだから、誰も幸せに出来てないなんていわないで。
リアラが聖女だろうと、そうじゃなかろうと。わたしはリアラに幸せを貰ったの。それだけは忘れないで。リアラは、一人じゃないよ」
ギューッと抱きしめた彼女は、本当に華奢だ。運命を背負えるとは思えないほど小さな身体に、は笑顔のまま瞳を伏せる。
「云ったでしょ。
わたしは英雄を探す、幸せを探すリアラを手伝うよって。
だから、そんなに一人で抱え込まなくていいんだよ、リアラ」
「…あり、がとう」
「うん。じゃ、行こうか!」
□
部屋にリアラとがいない事をナナリーから聞いたカイルとロニが動揺するなか、リオンだけは何かに納得したように黙ったままだった。そして、「やはりそういう事か」と呟く。
「そういう事かって…どういう事だい?」
「嫌。……あのバカはやはり手がかかると思ってな」
吐き捨てるような言葉に苦笑を零したシャルティエの声は、おそらく誰にも聞こえていない。
リアラとが夜明け前、光に包まれて消えたと云う話を兵に聞いた彼らはウッドロウに勅命状を貰った後、地上軍跡地へと向かった。リオンの狙いはイクシフォスラーだ。
あの飛行艇があれば、リアラとがいるであろうストレイライズ神殿に一刻も早くたどり着く事ができる。そしてまた、空襲をかける事もできる。
その案に乗って地上軍跡地へと向かう道すがら、ロニは「それにしても」と後頭部で腕を組んだ。
「さんってのは、昔からああだったのか? ジューダス」
「ああ、というのは?」
「なんっつーか。後先考えないって云うかよぉ……」
「はっきり云って、結構無茶してるよね」
「ズバッと云うな、カイル…」
軽い調子で口を挟んだカイルにロニが苦笑を零すと、リオンは仮面の奥で表情を険しくする。
「……ああ」
「そら来た。上司っつぅんだからよ、もうちょっとどうにか出来なかったもんかねぇ…」
「出来るものならとっくにしている」
「だよなぁ…」
「それに、」
言いかけて、リオンは言葉を濁した。そのまま数秒黙り込んだあと、ややあって言葉を続ける――「あの頃のぼくは、あいつに構ってる余裕なんてなかった」
思い切り訳有り気なリオンの言葉の雰囲気に、ロニは「へぇ」と神妙に相槌を打って、
ナナリーはというと、苦渋を飲んでいるような顔で黙りこくってしまったリオンを横目で見た。
「だから今、アンタは護ろうって必死な訳か。まぁいいんじゃないかい? 亡くしてから気づくよりはさ、よっぽど」
弟を思い出した時に見せる憂いを帯びたナナリーの表情を見たロニの傍らで、リオンは自嘲気味に笑う。
「……どうだかな。亡くしたに等しい」
「そんな事ないよ!だって、ジューダスは今さんと一緒にいるじゃないか!」
間髪入れずに声をあげたカイルに、ジューダスは「今、か」と小さな声で呟くしかない。確かに、今がある。それは確かながら妙な感覚だ。
あの時死んだはずの自分たちが、こうして今という時を刻んでいる。あの時は気づきもしなかった彼女の不審さに、ようやく今気づき始めた自分がいる。
それは、
それは今を生きていると云う事にも似ていて
「…」
リオンは拳を握り締めると、地上軍跡地がある先を真っ直ぐと見据えた。一刻も早く、あの場所へ行かなくては――約束を護って貰うためにも。
□
「だいじょうぶだよ、カイルは来るよ」
エルレインに幽閉されているリアラに、はずっとそう声をかけ続けていた。来る訳なんて、ない、のに。
「この時代でわたくしが見たのは、人生に絶望し、苦しみ、わたくしにすがって救いを求める人々の姿だ。苦しみは苦しみでしかない、リアラ。
人々がおまえのいう幸せを、絶対幸福だと考えているというなら、なぜ、お前はそこにいる? なんの力も持たず、英雄も見出せず、何故閉じ込められている?」
「それは…」
「リアラは何の力もなくなんてない」
きっぱりと横から否定したのは。
彼女もまたリアラと共に幽閉されているというのに、何一つ心配そうな素振りは見せなかった。それどころか、堂々とした態で横から口を挟む。
「わたしはリアラに会えて幸せ。一緒に旅が出来て幸せ――人一人幸せに出来ないあなたが、大勢の人間を幸せ幸せにしてるって思ってるなんて、勘違いもいいところだわ。
エルレイン、あなたは誰一人幸せになんてしてない」
「…愚かな。
神に救いを求めず、現にお前は死んだではないか」
「え?」
リアラが耳を疑ったように、横で膝を立てて座っているを見た。当本人である彼女は涼しげな顔で笑っている。
「まぁね。
でもそれは、わたしが望んだ事だもの。死んだから不幸なんて言い方はよしてよね。わたしは、幸せだった。
確かにあの時はあれが最善だと思って、結果的にはジューダスを苦しめてしまった。それは反省してる。
死ぬつもりはないって云ってた割りに、それ以外道が見出せなかった…。それでも、あの時のわたしは精一杯で選んだもの。後悔なんてしちゃわたしに失礼ってもんだし。
それに、少なくともわたしが知ってる神様は――ああ、神様見習いは、救いを求めない人間は助けないなんていうちっさい人間じゃなかったわよ。
何も無い空間でいきなりスライディングで飛び出してくるようなバイタリティー溢れる精神を持ってて、
こっちがどれだけツッコもうが鮮やかなスルースキルを使う芸達者な一面も持ち合わせたてたけど
それが、わたしの信じてる神様なの。
……ジューダスに会わせてくれたあの人が、わたしの信じるべき存在よ。
おべんちゃら並べて勝手に幸せを与えたつもりになって、自分に酔いしれてるあんたじゃないってだけだっつーの」
はベーっと舌を突き出した。
「わたしがここにいるのはさぞや想定外だったでしょうね。ざまぁみろ」
意地悪くケケケと笑っていると、エルレインがそっと手を伸ばすのを瞳に映した。
ここはエルレインが作り出した空間なだけに、は手も足も出ない。ちっと舌打ちすると、エルレインが緩やかに微笑んだ。
「そうあせらずとも、フォルトゥナが降臨すればわたしたちの役目は終わる――お前と、彼の役目もな」
「…」
動きが狭い空間で、それでもはエルレインと対峙するかのように後退さる。リアラはの手に庇われるように背後へ隠れると、胸元のペンダントを握り締めた。
か細い声が、「カイル」と紡ぐ。
「……おかしな話だ。神の化身であり、聖女であるお前が人間にすがるとは。
お前が求めているのは共に歩み、使命を果たす役割をしてくれる英雄なのか? それとも…」
「あなたには関係のない話だわ」
きっぱりと拒絶したリアラを、憐れむようにエルレインが見つめた。
「英雄でもないあの子と、神に望まれず蘇った死者と歩むその先には悲劇しか待っていないと云うのに……それでもなお、求めるか…」
「は仲間よ。もしあなたがを傷つけると云うのなら、わたしは絶対にそれを止める」
「そこに閉じ込められたままで?」
「何だってするわ」
「……リアラ…」
たゆたう水のように澄んでいて、それでいて、力強い何かを感じさせる一言だった。背後に庇っている少女から発せられたとは思えないほど、たくましい言葉。
はニヤリと口角を持ち上げると、ゆっくりと腰元の剣を抜いた。
「あんたの生ぬるい世界と、わたしたちの生きる意志――どっちが強いか、根競べでもしようじゃない」
その時、エルレインの背後にある扉が勢いよく開き、外から息を切らしたカイルが現れる。
「リアラ!」
大聖堂の中に響き渡るような声で叫んだ彼が剣を構える傍で、リオンが姿を見せた。と視線が合うなり、「このバカ!」と思い切り罵られる。
「ば…!? 助けに来て、第一声がそれってどうですか!?」
「うるさい!」
「リアラを放せ! エルレインっ」
駆け出したカイルたちと、エルレインが交差する。
何度エルレインに押されようと必ず立ち上がるカイルを、焦点の合わない瞳で見つめながら、リアラは「なんで、」と呟いた――なんで助けに来てくれたの?
はそんなリアラの肩に手を乗せると、にっこりと微笑む。
「ねぇリアラ。魔法の言葉を教えてあげようか?」
「……魔法の、言葉?」
「そう。一つはね、”ごめんなさい”。悪いことしたとか、人を傷つけたとか思った時は、そう云って謝ればいいのよ。そしたら仲直り。
もう一つは…」
リアラの耳元に顔を寄せたは、ゴニョゴニョと耳打ちする。その言葉を聴いた彼女は「え?」と云って、迷うように視線をさ迷わせた。そして、おずおずと口を開く。
ためらうように、それでいて、何かに願いをかけるように…。
「かい、る…」
「いけ! リアラ、頑張れ!」
想いがあふれたように、ボロボロと涙を流しながら。ひぅっとしゃくりあげながら、リアラはエルレインと戦う彼の姿に向かって叫んだ。
「カイル……助けて!」
「うん、待っててリアラ、今助けるから!」
嬉しそうな声でそう返してきたカイルに、リアラがほっと息をついて。
その後カイルが放った技は、ものの見事にエルレインの残像を切り裂いた。彼女の姿が夢のようにぼやけて消えたとき、リアラとを包んでいた空間が消える。
「お、っと」
着地したの横を通りすぎてリアラに駆け寄るカイル。
泣きながら謝るリアラと、そっと抱き寄せるカイルの姿には言いようもない萌えを感じると、グッと拳を握り締めた――かぁわぁいいなぁ!この二人はっ。
意気揚々とそれを見ていただが、不意に後ろに誰かがたったかと思うと、勢いよく拳骨が落とされて、
脳天を直撃した痛みにしゃがみこんだは、仮面の奥ではんにゃのような形相をしている坊ちゃんと瞳があった。
「り…じゃなかった、ジューダス」
「お前こそ、何かぼくに云う事があるんじゃないか?」
「……ご、ご心配おかけしました」
謝ると、盛大なため息が返ってくる。
「ケガは?」
「ないです。リアラが護ってくれたから」
「そうか、」
続けて安堵した顔。
こんなにコロコロとリオンの表情が変わるなんて、よほど心配かけたに違いない。いや、想像は出来てたけど…。
は瞳を伏せると、一つ頷いた。
だいじょうぶ、覚悟も出来た。
「ジューダス。差し迫ってるこの問題を解決したら、あなたに大事な話があるの。聞いてくれる? 全部、話すから」
「……あぁ」

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