僕には。


「あなたが守りたい人の事を知って下さいね、リオン」



あの時の僕には、彼女が何を云いたいか理解が出来なくて。
グルグルと身体を巡るようなこの焦燥が何なのか、考えるつもりもなかった。



「そして、全力で守って下さい」



頭に乗せられた、覚えのない感触とぬくもり。呆れる程穏やかで能天気な笑顔は、気がつけば当たり前に傍にあったもので。

 ――わたしが彼らの仲間じゃないっていっても、信じてもらえませんよね?

最初の、とにかく気に食わなかった気持ちが思い出せないほど、同じ時間を過ごしすぎたのだろうと思うと、それも当然の事のように思える。


見張っていなければ危なっかしいと思っていた。
放っておく事ができない、しょうがないヤツなのだと云う事を、僕は自分で自分に刷り込んでいたのだ。






僕は、気がつかなくちゃいけなかった。




知らず知らずのうちに、自分が渦中にいた事柄も。


 ――あんまピエロな事してると、俺みたいになるぜ
 ――!


彼女が何を危惧し、憂い、決意をしていたかを。



僕は、気がつかなくちゃいけなかった。

 ――じゃぁ俺ん所に嫁に来るか?

あの時感じた、苛立ちの原因。



 ――リオンは、好きな人とかいるのか?

問いを投げかけられたとき浮かんできた人間が、二人いた事。




少なくとも本当に気がつかなくてはいけなかった事は…。

「わたしが、あなたを全力でお守りします」


出会った時から、彼女が胸に秘めていた決意。
何気なく僕の隣を歩いていた時も、共にしていた覚悟。

そうすれば僕は

僕は



僕たちは、何かが変わっていただろうか……?







【微弱な変化】





!」


衝撃が来ると覚悟した時、目の前に飛び出してきた影が彼女だと気づいた瞬間、リオンは衝撃派でもろとも吹っ飛んだ。

「ぐ…っ」
耳元で呻く小さな声。荒い息遣い。
痛みのないこの身体が本来受けるはずだった攻撃を代わりに受けたのが彼女だと、遅れて理解するのに時間はかからなかった。

慌てて身を起こすと、支えを失ったようにグラリと彼女の身体が倒れこむ。



っ」
「りお…」


ん、と云いたかったのだろうが、言葉を紡ぐのもままならなかったらしい。
攻撃を受けた背中に手をやった彼女が、忌々しそうに黒服に身を包んだ男を睨みつける。


「ほぅ。しばらく見ない間に……見上げた忠誠心だな」

ヒューゴの言葉を笑い飛ばすように、は鼻を鳴らした。
痛みにジワリと汗が滲んだ顔で、引き攣ったような笑顔を浮かべる。


「最初から忠誠してたよ、リオンにはね。もっとも、雇い主であるアンタにはこれっぽっちも抱いちゃいなかったけど」


云いながら早くもヒールを唱えていただが、間髪いれずに放たれた攻撃に悲鳴をあげて、身体を縮ませた――「ぃ…っ」
「貴様…ヒューゴ!」
慌てて庇うように前に出たリオンを、ヒューゴが嗤う。


「アイツらといる間にずいぶんとほだされたらしいな。リオン」
「僕は――! ……お前らに従うつもりはない」


ジリッとリオンが床を踏みしめる音が聞こえ、
は痛む背中と肩を堪えて起き上がると、身体に負担がなるだけかからないよう時間をかけて立ち上がった。

対峙するようにヒューゴを見据える。

後ろに控える面々も、顔見知りゆえに表情の変化でも見られるかと思ったが。誰一人のケガに表情を崩すものなどいなかった。
揺るがぬ瞳で真っ直ぐと前を見つめている。その表情が何よりも語っていた。




みな、それぞれ。
命を懸ける理由がある。

だからこそ剣を構える必要があるのだ――今更ためらったりなどしようものか。

同じく、も。



が小さく微笑むのと、レンブラント爺が手元のスイッチを押すのとはほぼ同時。
ゆっくりと開いた扉に首を巡らせたリオンが息を呑んで駆け出し、その奥にいるマリアンの姿に蒼白になる。震える手がシャルティエを握って。

ゲームなら、ここでリオンが折れたはず。
思わぬ反抗に驚いたのはだけではなかったらしい。ヒューゴが感心するかのごとく嘲笑った。


「まだ歯向かうか」

躊躇なく繰り出された術に、は軋む足を走らせる。


「リオン!」

もう両手で庇う事もできない。
半ばタックルする勢いでリオンを突き飛ばし、打ち当たった衝撃に身体が悲鳴をあげるのを感じた。グラリと世界が揺れる。
さすがに詠唱を三発食らうのは死活問題だ。
胃の中のものがせりあがってくるのを何とか堪え、下敷きになったリオンの瞳に、険しい表情をした自分が揺れているのを見つめる。


何かを意識していないと、今にも途切れてしまいそうだった。


「りおん」
…」


吐息交じりの声。
自分でも驚くほど小さな声しか出せない。

だけど、おかげでヒューゴたちには聞こえていないはず。

血の味がする唾を呑み込む。


「今はまだ、我慢して」
「な、にを…」

「今我武者羅になっても、マリアンさんを助けられない。だからってリオンが犠牲になってもマリアンさんは助からない。
逆転のチャンスは必ず来る。



……ううん、わたしが作ってあげる」




視界が霞む。

動揺している姿が妙に歳相応に見えて、
はあまりの可笑しさに、思わず微笑んだ。



「こういう時は、お姉さんにどーんと任せなさい。かならずチャンスをあげるから……だから…」


薄れていく意識の中で、はゆっくりとリオンの頬に手を伸ばす。



「今は、が、まん……して…」
…!」


リオンの上にドサリと倒れこみ、そのまま勢いに乗って転がったが床の上で気絶すると、
リオンは小刻みに震える身体を押さえ込むように拳を握った。上がる息を、どうにかこうにか押し殺す。

『坊ちゃん』と呼ぶシャルティエの声もどこか遠くに聞こえて、は青白い顔で意識を失っている彼女を見つめた。

「わか…った……」

ヒューゴにその言葉を云うまでに、どれだけの時間を必要としたことだろう。
振り絞るように云うと、ヒューゴは唇をニヤリと持ち上げて、レンブラント爺が顎で示すようにを指した。


「その娘は?」
「そのままにしておけ。駒も人質も、多い事に越したことはない」














が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
ぼんやりと焦点が定まらない視界で天井を見上げていると、リオンがその顔を覗き込んで来て、彼女は「うわ!?」と声をひっくり返す。


声を上げただけで身体も痛んだ。
眉をひそめたに、リオンがまるで自分も痛むような顔な顔をする。

ゆっくりと伸ばされた手が、額に汗が滲んで張り付いた前髪をかきわけて、リオンの手を冷たさに、は目を細めた。火照った体に丁度いい。


「目が覚めたか?」
「…うん」


身体が痛い。
この中で眠っていられたというのは信じられないなとは思う。正確に云うと気絶だけど。

電流が走るように痛む腕をぎこちなく動かすと、キュアを唱えた。これでだいぶ楽になるはず。
改めて部屋を見渡すと、当然いつもと違う部屋の景色が広がっていた。もう屋敷は出た後らしい。

ここは? と訊こうと思ったが、
いつもながらに顔色の悪いリオンを見て飛行竜の中なのだと裕に判断できたので、とっさに質問を変える。


「あれからどれくらいの時間が?」
「二日だ。……もうすぐ、オベロン社の工場跡地に着く」

「……そう」


ならそう長い時間かけていられない。
キュアでも回復が追いつくかどうか……それだけ体の痛みが激しい。ゲームならこれで一発なんだけどなぁ…。

リオンは治癒系の昌術が唱えられないから、出来たのはせいぜいをベッドに寝かせる事くらいだったらしい。
坊ちゃんのこの細腕でを運んだともなれば、それはそれは大変な作業だったろうなーと思う。まあ、見た目以上に力はあるみたいだけど。

が苦笑を零していると、リオンは零すように呟いた――「バカだな、お前は」


「え。上司を庇ってケガした部下にそんな事いいます? フツー」
「そこがバカだと云うんだ。ぬけぬけと巻き込まれて…」



おとといの夜、呼び出されたのはリオンだけだった。
にも関わらず、部屋を出た瞬間、待ちかねたようにが手を上げたのだ。

 ――お仕事ですか? お供しますよー

じゃなきゃ、今頃こんなケガをしてまで連れ去られる事もなかった。何も知らない人間だけがいる屋敷で目を覚ました、それだけの事だったのに



「何で、着いて来た」
「何でもかんでもないでしょ。約束したじゃないですか、マリアンさんを守るリオンの事を護るって」

「だからと云って…っ」

「リオン」
「!」



ベッドの上に横たわった彼女が、笑う。




「マリアンさんを、助けましょうね」




それが何を意味するか知らずに。
何を引き換えにするのか知らずに。


僕は、


頷いてしまったのだ。