ぼんやりとしたまどろみの中揺れる感覚、と言うのだろうか
ふわふわと浮足立つような奇妙な感じに小首を傾げたはあたりを見渡すと、怪訝な顔で足元に視線を落とした。



「…夢……の中?」

本当に浮かんでる。
気持ち手をパタパタとさせて遊んでいると、
「アンタね」と言うぶっきら棒な声が背後から聞こえてきて、は首を巡らせると素っ頓狂な声をあげた――「わたし?」

紛れもない元の姿の自分がいて、眉間に皺を寄せた自分は以前よりも少し痩せた腰に手を当てると、幾分か低く喋る。
「あたしのイメージとあまりにもかけ離れてることするのやめてよね」
け、と悪態をつかれるまでに至ってようやくは目の前にいるのが越前さんだと言うことに気がついた。
そうか、越前さんって今わたしなんだっけ…とはマジマジ見る。




「…なんか、頭良さそうに見えるのは気のせい?」

「中身が違うだけでこんなにも自分が間抜け面になるとはあたしも正直思わなかったわ」

「間抜け面…!?みんなして何なんですかもう!そんなにわたし間抜け面ですかね?!」



地団太を踏むと越前さんはふとほころぶように笑った。
こういう笑顔、リョーマにそっくりだなぁなんて思っても思わず噴き出す。他人の気がしないって言うのはまさにこのことだろうか
お互いのことなんてほとんど知らないのに、
過ごしてきた環境を共有するとこんなにも身近に感じるものなのである。二人して少し笑うと、は「そっちはどうですか?」と尋ねた。


「うん。何だかんだ言って、結構楽しいかな
バレたとは言え、アンタらしく過ごしてたら不思議と娯楽もいいもんねって思えたし」

「越前さん勉強しすぎですよ!わたしがどれだけ苦労したと思ってるんですか!」

「バカね、頭が悪いのは勉強すれば何とかなるけど、知識があるのにないふりをするってのはすごく大変なことなのよ」

「…」

「なんてね
むしろいろんなことを勉強できて楽しいわ」


ふと見せた微笑みは不思議と想像してたよりずいぶんと優しく暖かな微笑みで、は思わずポカンとすると、見惚れてしまったことに気づいた。
つくづく思う、人間中身が変わるとこうも違うものなのね…複雑だが


「音楽ってうるさいだけかと思ってたけど、いい曲もたまにはあるのね」
「そーなんですよ!わたしはJPより断然アニソン派ですけどね!越前さんはどっちが好きでした!?」
「どっちが好き…って言われるとよくわからないけど、確か…こういう曲あったわよね」


人差し指で音を取りながら、越前さんが鼻歌でメロディーを少し刻むと、はわっと両手を叩いた。

「越前さん歌上手いですよ!それで音楽が嫌いなんてもったいないです!
あ、そっか。わたしは越前さんの体で歌ってたんだから、オンチってことはないはずですもんね!
みんなすごく歌が好きって言ってくれたんですよ!これを機会に歌に目覚めてくださいよ!」

「…大袈裟ね。ま、だいたいそうだろうとは思ってたけど」
苦笑した越前さんは宙を見上げると「本も面白かったわ」と笑う。



「ガンダムSEED、あれは奥が深かったわね」
「でしょう!?もー最高ッスよ!」
「それから…テニスの王子様」


ふわりと越前さんが華を咲かせるように微笑んだ。
「やっぱりリョーマは王子様よね」

グッと言葉に詰まったが表情を曇らせてうつむくと、越前さんはそんな彼女を見て、すっきりとさわやかな笑みを浮かべる。
「さすがあたしたちの惚れた人よね。そう思わない?」
へ?と間抜けな顔で面をあげたはしばらくの間言葉を見失ったようにしていたが、
ハッと己を取り戻したように目を見開くと何度も何度も頷いて声をあげた――「はい!」



「面白かったわー
不二があんないい性格してたなんて、あたし知らなかったしね
って言うか、こっちにきて改めて考えてみると…あれってテニスじゃないわよね。異種格闘技戦?」

越前さんのまじめな言葉に思わぬぶはっと噴き出したは腹を抱えてゲラゲラと笑う。

「あはは!確かに!そこがいいんですけどね、周助君のあのキャラを知らないのは…ある意味幸せだと思いますよ」
「そう?元の世界に戻ったら、ぜひとも話してみたいと思うの。それから考えてみたいこともあるわ」

その言葉に呆気に取られたに、越前さんはふふ、と声を出して笑った。
「それから日吉の演武テニス!近くにあったのが古武術の道場だったから通ってみただけだったんだけど…次に行く時からはまじめに通ってみたいわね
アンタは?何がしたい?」
話題を振られるとは思わなかったは少し考え込むと、思い立ったように表情を輝かせる。



「えと…料理……思う存分料理がしたいです。
キャベツの千切りとか、きゅうりを薄く切るとか!こっちに来て最初のころは指がうずいてうずいて…!」

「あー…それは無理かも。たぶん腕なまってるから」

「ぎゃ!マジですか!あれ習得するの結構大変だったんですよ!しばらくキャベツの千切り食べてたんですから、ウチ!
…それから、お母さんとお父さんにちゃんと感謝がしたいです。
具合が悪くてもいままで何とか生きてこれたのは、妹のおかげだけじゃなくて、親がいて…友達がいたからってことに気がついたから
南次郎氏とか見てると、本当に愛されてるなと思って。わたしも、越前さんも」


「あれは親ばかでしょ」
「お互いですよ」


あははと二人で手を叩いて笑う。
越前さんは瞳を伏せると、「それから」と小さく唇に弧を描いた。


「あたしは、ちゃんとリョーマに想いを伝えようと思うの」
「え…?」
「アンタの片思い事情を聞いてね。考えたわ」

誰だ、誰がしゃべったんだとはグルグル目を回したが、そんなことを把握しているのは母親だけだということに気がついた。
ちくしょう!黒歴史をさらけ出しやがって!とは唇を噛みきらんほど噛みしめる。



「この気持ちは…何にも変えられないのね。
世界が変わって現実から逃げることはできても、この想いからは逃げられないの
アンタだってそうでしょう?」

こちらの恋愛事情を知っている、ということはがどれほどリョーマを想っていたかも母に聞いたということだろう。
水を得た魚のようにはしゃいでしゃべったんだろうなと何となく予想がつく



「向き合ってなおさら、逃げられないことを知ったんじゃない?」
「…」
「リョーマはカッコいいからね、最高に」
「………はい、すごく…カッコいいです」

ぽろりと零れた言葉は、堰止めた枷を外したようには頬を押さえると涙を流した。



「だったらとことん向き合いましょ。
逃げてばっかりじゃ、打てる区切りも打てないわ……話は変わるけど、アンタって本当にヤな性格してるわよねぇ」
「…そう…ですか?」

「ヒロインとはかけ離れた存在よ
根暗だし、マイナス思考だし?あたし、アンタみたいな人間って正直イライラするんだ…
でも、不思議と感情移入できるのは、痛みを理解してくれるからなのかも知れないわね
それってある意味マイナス思考の賜物よ?だって、とことん影を知ってるから、光を知れるんでしょう?
きっと、そう言うところを理解してくれる人がいると思うの」


…リョーマとか。
そう付け足された言葉には目を丸くした。越前さんが苦笑する。



「だから対等になりましょう
あたしは元の世界に戻ったら、ちゃんとリョーマに想いを伝える。リョーマがアンタに会えないのも知ったうえでね
アンタも、今居ないあたしに遠慮なんか絶対しないでよ
じゃなきゃ許さない

せっかく一緒に見たこの世界を裏切るなんて、許さないから」


見てる世界は全然違う
本来のの世界を越前さんが見て、
越前さんの世界をが見た

だけど、見ているものを共有したことで、同じものを見たような気になっているのは越前さんも同じらしい


「越前さん…想像してた感じと違います」
「変わったのよ。アンタだって同じでしょ?」
「はい、同じです」




素直に笑えた
眩しいくらいの笑顔で越前さんが答える

ああ
中身もあるかも知れないけど、

わたしってこんな風に笑うこともできるんだな、こうやって笑ったら結構かわいいかも。なんて、確かに前なら思いもしなかったなとは思う



「…会えてよかったです」
「そうね。お互い頑張りましょ」


越前さんが消えかかる。ふと足元を見ると、自分の姿もぼんやりとかすんでいっていることに気がついて、は慌てて身を乗り出すと叫んだ。
「わたし!入れ替わったのが越前さんでよかったです!」
わずかに見えた越前さんの唇が「当然でしょ」と呟いた気がして、
ハッと目を見開いたは自分の手からシャープペンシルが転げ落ちることに気がつくと慌てて手を伸ばした。
寸でのところで掴んだがガタンと激しく音をたててしまい、クラス中の視線が集まったことに気づくと、少し頬が熱くなるのを感じながら体勢を立て直す。


「…」
ふふ、と笑う声に視線を向ければ花子がふわりと笑っていて。
苦笑をこぼしつつ頭をかいたはあははと情けない顔で答えた。

ね、越前さん
越前さんもきっと、入れ替わったのがわたしでよかったって…思ってくれるよね?




【カウントダウン】



「そろそろ潮時…か」
バタバタと風になびく洗濯物を見ながらポツリと呟いたは元気な声が聞こえてくるコートに視線を向けると、空に持ち上げた。
「やっぱ最後は挨拶しなくちゃだよねぇ。周助君と手塚君でしょ?えっと、幸村君たちに跡部君に、ジロー君。あと…裕ちゃんに…すごく不本意だけど、白石君…
佐伯君にも挨拶しなくちゃな…」


それから


「リョーマ…」


越前さんはああ言ってたけど、告白となると身がすくむ。
だってほら、一度はリョーマの想いを突っぱねた身だし、とは肩をすくませた。
時間はないような気がする。後一日なのか、二日なのか、三日なのかはさっぱり分からないけれど、でも、確実に帰る日は近づいてる。


「この世界とも…お別れ……か…」

そう呟くと
妙に現実味を帯びた気がしてはぽっかりと胸の中に穴が開いたような気持ちになった。
分かってた
いつかは帰る日が来ること
ここが自分たちの居場所じゃないこと

向こうの世界には自分たちの帰りを待ってくれる人がいて、こっちには越前さんの帰りを待ってる人がいる。
だから、しょうがないことだと思えるあたり、もう自分の中で整理がついているのかも知れない。諦めと言う名の整理が

あの頃の自分は願っていた
リョーマの世界に行けることを。それはリョーマの存在が実在していることを確かめたくて、ほんの一秒でもいいからあの人に会えたならと泣いたこともあった。
自分が恋い焦がれている人は生きてるのだと信じたかった。

同じように笑ったり、泣いたり…はしないかも知れないけれど、それでも同じような退屈な日常を過ごす彼は、それを打破して突き進んでいるんだと思いたくて。


幸村に跡部、ジローに裕次郎、白石に佐伯
思わぬ出会いや出来事は、考えれば一生のうちで瞬きほどの一瞬かも知れない時間の中であり得ないほど輝いて、たくさんの大切な気持ちをもらった。
それは彼らが実在しているのだという確証
だから




だから

「これで…いいんだよね?」


ふとのことが浮かんだ。
自分が越前さんと会ったことから考えても、もしかしたら切原さんに会っているのかも知れない。
あの子のことだから笑顔で笑って、笑顔で別れて
んで、泣くんだろうな

今すぐ駆けつけなければと思う気持ちは不思議とわかなかった。
部活が終わって行こうと思えたのは、のことを心から思ってくれてる立海のメンバーがいることを知ってるからだろう
前なら誰も頼れないと思っていた
自分が駆けつけなければという気持ちでいっぱいになって、どうしていいか分からなくなって

誰かを信用できるってこういうことなんだろうなぁとは笑う

実際、姉に対するよりも正直になれそうだしあの子の場合


でもま、部活終ったらダッシュで向かうかな。逆に姉妹じゃなきゃ言えないこともあるしね
ひょいと洗濯かごを持ち上げたはにぃっと笑うと、空に向って両手を伸ばした

「残りの日、大事にするぞ!オー!」