ドリーム小説
「やっば、次の会議間に合わん殺されるッ」
ノートPCを雑に閉じた。デスクに広げていた書類を適当に引っ掻き集めてPCの上に筆箱と一緒に乗せると持ち上げる。もう片方の手に鞄を掴んで椅子から立ち上がり、ヒールでバランスを崩しながら駆け出した。両手が塞がって会議室の扉を開けられず、肘でドアノブを押しやってなんとか開いた。肩でドアを押しながら雪崩れるように廊下に飛び出ると、突然目の前がホワイトアウトする。
「まぶ、し」
今朝出社した時は曇天だったのに。いつの間にこんなに晴れたんだ。目を瞑りながら、走る足は止めない。数秒後、眩しさが軽減して目を開くと、景色が一転していた。
5年以上通っている会社の廊下じゃない。
見覚えのない、夕日のさす廊下。窓の外にはキラキラと夕陽を反射する木々。なんとなく見覚えのあるような、この廊下はまるで、学校の、ような。
両手に持っている荷物に違和感を覚えて見てみると、ノートPCと書類はバケツとモップに。最近買い替えたばかりの通勤鞄は、見覚えのないスクールバッグに。足元のパンプスは、ドンキで買ったような安い上履きに。
そして何より、スーツがまるで学生服のような格好になっている。何事?どゆこと?Why??
「待って、この制服見覚えが…」
記憶を辿ってもすぐには出てこない。前クールでやってたドラマ?違う。最近見たアニメ、…違う。いやアニメ?なんか近い気がする。…今なんか過ったな。なんだっけ、なんだっけ…
「!」
名前を呼ばれた。会社で下の名前を呼び捨てで呼ぶやつなんて同期ぐらいしかいないけれど、こんないい声のやついたか?いない。絶対いない。
振り返った光景に、息をするのも忘れてしまった。
「わりぃ、部活長引いちまってさー。真田副部長にどやされて、…て大丈夫か?どうかした?」
「…あか、…や?」
「は?そだけど。お前の大好きな双子のお兄ちゃん、赤也くんデェス」
ドヤ、とキメ顔で立てた親指を胸に押し当てたのは、どこからどう見ても、赤也だった。テニスの王子様。私の青春。そのキャラクター、切原赤也。ワカメと称された癖っ毛、吊り目の大きな目、伸びのあるビブラートの効いた愛嬌のある声。
今なんて言った?双子の、兄…?
いやいや、赤也は姉と2人兄弟のはず。どゆこと?
「て、おい!無反応やめろよ傷つくっつーの!」
「わ、あ、ごめん」
「んま、いーけど。お前また自主的に掃除とかしてたのかよ。ほんっと真面目ちゃん。さ、帰ろ。オレ腹ぺこぺこ」
「あ、…あーうん。そだね」
なに?なんなの?どう言う状況?白昼夢?
それとも私死んだの?転生?トリップ?
向かい合わせに立っていた赤也が隣に立って、手を握った。
もう片方の手でモップとバケツを取り上げる。
「これ元の場所返してきてやるからさ。
お前なんかちょい変だし、休んでろよ」
触れた。触れられた。
夢、じゃない。この感触は。
どこもかしこも知らない景色だ。
「そんで今日柳先輩がさ、」話し続ける赤也の斜め後ろをついて行く。家に帰っている、のだろうけれど、マジでほんとに微塵も知らない土地だ。これ、もし本当に夢じゃなく、もし仮にトリップとかだとして、明日も明後日も私の意識があるのだとして、1人で帰れる自信が皆無なのだが…?
「って、お前聞いてる?ボーッとしてっけど、熱あるとか?」
「え!熱は、ない、…と思う」
なんとも歯切れの悪い返事をしながら、胸まであるおさげの三つ編みを指でいじる。赤也の顔を直視できない。チラリと目線を上げると、彼は心配そうな顔でこちらを見下ろしていた。顔面…顔面が天才すぎるのよマジで…!どういう造形してるんですかホント天才すぎます…!!
「は?今日なんかおもしれーことあったかよ」
「私は…いつも通りかな」
あはは、と曖昧に笑うと「お前いつも"いつも通り"じゃん」と赤也が口を尖らせる。かわッ!!!グッ、血を吐くところだったぜ殺す気かよ。
「今日の晩飯何かな?」
「楽しみだね」
「おー」
完ッ全に他人の家。「お邪魔します」と言いそうになった口を慌てて閉じて、ごく小さな声で「ただいま」とつぶやいた。赤也の「ただいま!メシ!」の声でかき消されたおかげで特に違和感はなかったらしい。扉から顔を出した女性が「おっそい!私明日早いんだからさっさと食べるよ!」と怒鳴る。
「あ?姉貴だけ先食やいーじゃん」
「母さんが面倒だからアンタらまとめてって言ってんの」
「ったりー」
お姉さん…!!美人すぎる…!!
目を丸くして見つめていると「おかえり、」とにっこり微笑まれた。「ただいま」と思わず釣られて顔を緩める。「早く着替えて降りておいで」と声をかけると、彼女はまた扉の向こうに消えた。
赤也は階段を登らず廊下の奥へ進んでいく。降りておいで、と言うくらいだから2階に子供部屋?一軒家二階建て、良い暮らしされてますな…じゃなくて、家の造り的にはこの奥は一般的に洗面台とか?手を洗いにいってるのか赤也くん偉いッ!ひとまず予想に賭けてついて行ってみよう。
「?、今日は先に手洗うんだな」
手を洗いながら鏡越しに赤也がこちらを見た。ビク、と肩を揺らしてから「へぁ、う、うん」とあからさまに変な返事をしてしまう。いつもは先に赤也が手洗い、この子が着替えなのか?
赤也の後に速攻で手洗いうがいをして、さっさと2階にあがろうとする赤也にダッシュでついて行く。姉と2人部屋だろうか。いやこんな立派な家だし3人に一つずつ部屋があってもおかしくない。どの部屋かわかるかな。
階段を登ると、ご丁寧に各部屋にネームプレートがぶら下げてあった。神対応…!サンクス!!
「早くしてってばー!!」
「るっせ!叫ぶな!」
階下から姉が叫ぶ。部屋に入ろうとしていた赤也がそれに叫び返した。やばいやばい、早くしないと。ドアノブに手をかけて、ドクドクとうるさく鳴り響く心臓に大きく一呼吸。ふぅ、と吐き出してから、勇気を出して扉を開いた。ごめん、見知らぬ赤也の妹さん。勝手に部屋に入ります!!
部屋は中二女子と思えないほど簡素で、必要最低限といった感じだった。ベッドの上に綺麗に畳まれていたスウェットを見つけるとすぐに着替える。先程姉が出てきた部屋へ向かうと、やはりそこがリビングだった。
食卓に並べられた出来立てのご飯。湯気の立つ豪勢な食事。思わず立ち尽くして見入ってしまった。お母様、すげぇ…!!!残業続きでコンビニ飯生活だった働き盛り会社員に、これは沁みる。
「何つったってんの?」
赤也の声にハッとして「美味しそうだったから」と笑うと「腹減ったよなー」と彼も笑った。だから顔面!!はぁ、笑顔やば…
姉と赤也の戦争のような唐揚げの取り合いに若干引きながらも、なんとか自分の分、数個唐揚げを確保できた。酢の物、お吸い物、白米とバランスの良い食事を噛みしめながらいただいた。毎日食べたい…幸せすぎる…
食事を終えると「置いてていいわよ」と言ってくれた母親の言葉に甘えて食器は水につけるだけで、そそくさと部屋に戻った。
もし、仮に、本当に、夢じゃなかった場合。
明日もこのままだった場合に備えて、情報収集をしなければ。
手がかりになるものを探さねば。
私自身はどうなったのかとか、あの後の会議はどうなったのかとか、進めているプロジェクトをどうしようかとか、考え出したらキリがないことはたくさんある。けれどひとまずは、早急にこの子の情報を集めねばならない。これ以上ボロを出して周囲の人間に不審に思われるのは、私のためにもこの子のためにも避けたい。
「失礼します…!」
片っ端から荷物を漁った。スクールバッグの中身、勉強机の引き出しという引き出し。クローゼットに洋服ダンス。本棚にベッドの下、個人用と思われるノートPCのデータetc...
わかったことは。
彼女は切原赤也の双子の妹で名前は、。同じ名前なことにご都合主義感が否めないし、赤也が双子なんて設定原作はなかったはずだからパラレルワールドか何かなのか?
彼女の性格は几帳面、真面目、引っ込み思案。赤也とはまるで正反対。その性格のおかげで、中学から書き溜めている日記帳が存在した。ありがとう、ありがとう妹さん。あなたの日記を赤の他人が開くと言う失礼をどうかお許しください。
日記帳をざっと読んで、ここ数年の彼女のことがさらにわかった。
赤也が一年の時に付き合ってこっぴどく振った元カノと2年から同じクラスになり、クラス女子リーダー格のその子に嫌がらせを受けている。物品の盗難破損は当たり前、毎日の掃除押し付けetc...これは嫌がらせというよりいじめだ。ヤダヤダこれだからガキンチョは。
最後に一番重要なこと。それは…
X月X日
今日は校舎裏に呼び出されて、ずっと怒鳴られた。頬を叩かれた。すごく痛かった。だけど通りかかった丸井先輩が止めに入ってくれた。嬉しかった。
X月X日
丸井先輩が声をかけてくれた。あれから大丈夫なのかって心配してくれた。優しい。赤也には言わないでくれているところも、すごく嬉しかった。
X月X日
丸井先輩が…
恋する少女やん!!!!
っは???胸熱ですわ。
お姉さんこんな純粋な片想い久しくしてないから浄化されて消えそうです。ええ。
「、ー、風呂先入んねーの?」
コンコン、と扉を叩くと同時に声をかけられる。思わず日記帳を勢いよく閉じた。ガチャ、と勝手に扉が開かれて、赤也が顔を出した。うわ、やっぱり顔綺麗すぎん?作画良すぎん?どゆこと??
「オレ汗かいてるから先じゃないとイヤなんだろ?さっさしねーとオレが先に入るぞー」
「あ、わ!はい!入ります!」
切原赤也と同じ風呂に入るのか?ていうか風呂って…お風呂…いい響き…毎日シャワー人間の会社員にとっては夢のような響きです…
先程引き出しを開けまくったおかげで下着の場所はわかる。タンスに駆け寄ってノブに手を乗せたところで、扉の方を振り返ってにこりと笑った。「下着取るから閉めてくれる?」