ドリーム小説 「随分と遅くまで頑張っていらっしゃるのですね」

突然、
唐突に。
息がかかるくらい近くから声がして、滑り落ちたペンがころころ転がっていく。

「驚かせてしまいましたか?」
一礼する姿が今日もお美しい。

物腰が柔らかい、丁寧語、そして何より腹黒。
的三種の神器を全てコンプリートしている。十人のが居たら十人のが涎を垂らしながら十点を付けるだろうこの男に、当の本人はとても大切な事を学ばせて頂いた。

イケメンも現実化したら三次元。字あまり。
遠くからありがたく眼福を頂戴する位が幸せなのである。特にこのウツボさんは。


なら寮ですよ」
「おや、どうしてさんだと?」
心外そうな口ぶりだ。

頼りなく差し込む夕日と相まって、うっかり一瞬、罪悪感のようなものが芽生えかける。が、すぐに正気へと戻った。

満 面 の 笑 み。

何これ珍百景、にんまり半月に映る自分までもが怖い。
「そりゃあ、と良く一緒に居るところを見ますし」
ペンを追いかける振りをして、思わずするりと目を逸らしてしまった。

かれこれ数日前。エビオムレツの美味しさを語るを前にして、ホッとしたのが脳裏を過る。

よかったその場に居合わせなくて。

仮にそこにが居たなら、例えどんなに艶やかで美味しいエビオムレツだろうと、味は砂だと思った自信がある。


「そのさんから、お姉さんは料理が趣味だと伺いまして」
一瞬、聞き間違ったと思った。
「ご存じとは思いますが、現在モストロ・ラウンジは人手が足りません。そこでぜひ、監督生さんにお手伝い頂けないかと」
「え、いや、無理ですごめんなさい」

首を横にした。
体感的には音速に達したはずである。
首がもげる未来すら見えたに、ジェイドはにっこり笑顔のまま首を傾いだ。

「オンボロ寮は、経済的にとても厳しいはず。これは互いの利になる話では?」
痛いところを突かれた。ド直球に突かれて、は目を瞑むる。

オンボロ寮は火の車。誰にも何にも隠せず火の車。だがそれ以上の問題を抱えて過ごしている事は、を入れて、エーデュースグリムしか知らない事である。

エーデュースグリム。
そして、ホントは四バカ。

下手したら姉、留年して下級生になっちゃうんじゃね? 問題は、入学当初、監督生ズを震えあがらせた。

そこで当面の間、身の回りの世話はが。こんな時にも要領の良さを発揮するが、ミステリーショップやモストロのバイトをして、なんとか食いつないでいるのが現状である。が、この生活苦、からしてみれば体重も落ち始めたりと案外悪い事ばかりではない。

ではないのだが――これは働けと言う暗黙の指示だろうか――。

だとしても、心臓に悪そうな職場は絶対に御免である。


「好きは好きでも、人様にお出しするような腕ではないですよ」
「ジャミルさんは褒めていらっしゃいましたが」
「え?」

しまった、
気付いた時には遅かった。
してやったりな顔をしているウツボと目が合う。


厨房で顔を合わせるジャミルの手際に感動し、魔法を使った料理の美しさは目から鱗で、厨房内ストーカーしているうちに「見ているだけなら手伝ってくれ」と猫の手も借りたい時のジャミルに駆り出されるようになった。
と言っても材料切るくらいなのだが。
そんな出会いを経て、が夕飯の仕込みをしていると、稀にふらりと現れる事もある。が、茶を飲んで料理談義をする程度で、互いの料理を食べた頃なんて数える程しかない。
ようは顔見知り程度な訳で、

ワンテンポ遅れて、反応を返した事に恥ずかしくなってしまった。

「それは、多分、あれです。お互い珍しい料理だから」
「そうでしょうか」
「そうですよ。だから慣れない料理を作る現場なんて、ほんと使い物にならないと思います」
「…」
「と言う訳で遠慮したいのですが」

必死に愛想笑いをしているに対して、ジェイドは華やかな笑顔だ。
え、やだ、何で笑ってるの。

「こう見えて、僕、監督生さんの事は結構気に入っているんです」
「…はあ…?」
「昔のアズールを思い出すようで」
「………それ、絶対アズール先輩には言わない方がいいですよ」


死ぬほど嫌な顔をされると思うから。
想像しただけで、ちょっと傷ついちゃったである。下唇を突き出していると、ジェイドは至極残念そうな息を吐いた。


「ですから、あまり手荒な交渉はしたくないのですが」
「…て、手荒な交渉!? え、いま手荒な交渉って言いました!?」
「元はと言えば、監督生さんのせいでイソギンチャクたちは居なくなってしまった訳ですし」
「ですしでもおすしでもなく、ひっかきまわしたのは主にですから!」
「人手が足りないのに、フロイドは気分によっては使い物になりません」
「それはそちらの問題では…っ」
「アズールも僕も、とても困っているんです」
「知らねー!」


あ、これ時間をかけて言いくるめられるパターンだ。
とにもかくにも離脱が最優先と踏んで、手あたり次第に教科書をかき集める最中にも、背には痛いくらいの視線が突き刺って来る。獲物とはこんな気分なのか。どうにかして逃げたい! 逃げたいぃいいい!

その時。
「監督生」
静かな声が割り入って来て、聞き覚えのある声に、はうっかり呼吸を忘れた。ジャミルが本棚に背を預けて立っている。


「妹とグリムが探していたぞ。夕飯の時間なんじゃないか?」
「え」
「早く戻ってやった方がいい」
「あ、はい! ありがとうございます、ジャミルせんぱい」


先輩、後輩。
頭で分かってはいつつも、本当は随分としし…な彼らを前にして、先輩呼びが恥ずかしい今日この頃。だが今日ばかりは、腹の底から声が出る。
「ジェイド先輩、失礼しまーす!」
一目散に図書室を出て行くの背中を見送って、ジャミルは呆れた横目を向けた。


「ジェイド。確かに君には――彼女の料理について聞かれた覚えがあるが、俺の記憶ではこう答えたはずだ。君に教える義理はない、と。違ったか?」
「それは失礼いたしました。それを伝える為に、ジャミルさんはわざわざコチラへ?」
「別に」


部活が休みで、何となく厨房に足が向いたら、大抵この時間は夕飯の仕込みをしているはずの彼女がいなかった。
なら部屋に戻るかと踵を返した時、不意に、ジェイドに監督生の腕前について聞かれた事を思い出したのだ。

あのジェイドが、なんの目論見もなく質問などしてくるだろうか、と考える。

とりあえずはぐらかしたが、まあこれ以上助けてやる義理もない。

なのに帰る途中、たまたま二人の声が耳に入って来て、
聞こえなかった振りをしようと思ったはずなのにここに居る今を、ジャミルはため息ひとつで押し出した。


「監督生とは時々、互いの国の料理について話をする程度だ。俺にとっては興味深い話だが、俺をだしに使っても、大した効果は得られないぞ」
「なるほど参考になります。ところでそれは助言ですか? それとも忠告ですか?」

別に。
ただ単に助言でも忠告でもなく巻き込むなと言う話なのだが、皆まで言うのも癪に触って、せいぜい意味深に見えるようジャミルは笑ってやる。
「さあ――どっちだろうな?」



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「え、あたし姉ちゃんが料理好きとしか言ってないよ」
「それであんだけ詰めてくんの!? コエー!」