ドリーム小説

「オレも…げ…そうかな」
「馬鹿お前、寮長に……たら…すんだ!」

壁にミザリー、障子にメアリー。
ドアから漏れ聞こえて来る会話に、はごくりと固唾を飲んだ。ノックしてみる。「あの、すいませ」言い終わらないうちにギャッと飛び上がるような悲鳴が聞こえて来て、
「ここ開き部屋だったよな?」
「こえぇ!」
足早に音が遠くなっていく。

「…また駄目だったか…」
めげずにノックを続けているが、どいつもこいつも逃げ出すばかりで返事もくれない。熟慮の精神? 用心深いを通り越してビビりなのではないか、とまで思えて来る。


再び足音。
耳をそばだてていたは、靴音がひとつな事に気付くと一目散に机へと駆け戻った。慌ててペンを握りこむ。ほぼ同時に開いたドアの先で――先輩、ジャミル・バイパーは息を吐いた。


「うちの寮生を驚かすのは止めてくれないか、監督生」
――スパイシーな匂いもここまで香ると暴力的だ。本人より先にお腹が返事をしそうになって、気持ち声を大きく出す。

「なら、ここから出してください」
「それは出来ない。寮長命令だ」
「だったら直接、寮長さんと話をさせて下さい」
「断る」
「〜〜〜〜もう!」

にべもない。

ホリデー初日。
火の妖精に薪を届けに行ったとグリム待っていると、ジャミルがオンボロ寮を尋ねて来た――予期せぬ来訪にとても驚いたはずなのに、なぜだかそこからの記憶はあやふやだ。
勉強を見てやると言われたような気もする。
たがそれも夢だったような。

少なくとも勉強を教えて貰うような間柄ではなく、
絶対怪しまないはずがないのに、ふと気が付いたらこの部屋で、勉強道具一式広げた前に腰かけていた。以降、一切部屋から出して貰えない。

三食上げ膳据え膳付き。たが、進んで出ないのと出られないのとでは全くもって話が違う。

奥歯をギリギリしているに気付いているくせに、何食わぬ顔でジャミルはノートを覗き込んだ。

「スペル」
「え?」
「間違ってるぞ」
「え、あ」
「ただでさえ進みが遅いんだ。少しは集中したらどうなんだ?」
「この状況で集中しろと言う方が無理なのでは?」
まあそうだな、とジャミルが頷く。いや頷くんかい。


とまあ……口ではそう言ったものの……正直、。人生の中でかつてないほど勉強に達成感を感じている。
そもそもジャミルがスカラビアの副寮長だと言う事も、小耳に挟む会話から察していたほどとジャミルは料理についてしか話したことがない。
互いの友人の話も、勉強の話だってしたことがない。

思い返してみれば、若いころは人に好かれたいとか友達になりたいとか、そういう事を人一倍考えて生きた方だと思う。そういう自分に疲れて鈍くなっていった自覚もある。

ただ御託はさておき――この学校、藪を突いたら何が飛び出して来るか分からないから、めっちゃ怖いだけである。
『君子危うきに近寄らず』
これをオンボロ寮の精神として掲げたい。常常そう思って過ごしているは、ここに来て初めて後悔していた。


(…ジャミル先輩って頭良かったんだ…)


貸してくれたノート、マジ半端ない。めっちゃ書き込まれてる。しかも何故だか分からないが、レベルが躓きそうなポイントまで網羅してある。
このノートがオクタヴィネルなら、対価を要求されるか、イソギンチャクか。

(もっと早く勉強を話題に出しておけばよかった)

語学力からして貧しいは文字解読からはじまり、日本語に直しながら考え、解答する。その労力を差し引いても、身についている実感がある。

(ジャミル先輩って、真面目なんだなあ)
いただきますと手をあわせながら、台所でスポーツみたいに汗をかいているジャミルを思い出した。あんなに追われているのに、手抜きをしている場面を見た事がない。
もっと肩の力を抜けばいいのに。でも十代だもんなあ、なんて考えるは、いつもいかに楽するかを考えて手際重視の家事だ。そんなにアドバイスされたって、全く全然嬉しくないだろうし。

(このカレーもうまぁ)

スプーンがサクサク進む。
そんなの傍らで、何とも言えない顔をして解答を読んでいたジャミルは、ふと横目に気付いたようすで視線を持ち上げた。
「なんだ?」
「……とグリムは元気にしているんですよね?」
「ああ」
「絶対に?」
「慰めになるかはしらないが、俺にも妹がいる」
「そうなんですか」

(この顔の妹かぁ…。美人の匂いしかせんな)

スマホを持っているのはだし、グリムだって居る。が探しに現れないと言う事は、が置かれた現状に薄々察しがついているかもしれない。

(なんだかなあ)

このままでは良くないと思いつつ、何故だかどうして、無理やり脱出する気になれない。鬼気迫る顔で厨房に立つジャミルと、この完璧なまでのノートが、どうしてもの心に引っ掛かってしまうのだ。
(まあ危害を加えられる訳でもないしなぁ)

ただと連絡は取りたい。スカラビアに居る事は分かっているし、引き続きドアは叩く事にしよう。
「あのー」とだって、「すみませーん」とだって言ってやる。そのうち返事をしてくれる寮生が現れるかもしれない。

そのためにも英気を養わねばと、カレーをもりもり食べるは知らなかった。その翌日夜、ついに軟禁から解かれる事。
「ねーちゃん。居る?」
!?」
「マジで居た! ジェイド先輩さすが!」

「ん? ジェ? 今なんて言った?」
「ドアから離れててね、危ないよ!」
「ちょ、え、ま」

押しても引いても頑として開かなかった扉が蹴破られる事。尻もちをついたの目に、長い長い足が映って――「おや、監督生さん。こちらでしたか」――と、にっこり笑顔のジェイド・リーチに「ひぃいいい!」と悲鳴をあげたのだった。