「いらっしゃいませ」
夜の帳が落ちてくると、店は昼の賑わいとはまた別の喧騒に包まれる。
次の日うちわの代用品で店の中を仰ぎまわらなければならないほど酒の臭いが充満し、あちらこちらで勃発する喧嘩は手がつけられない。
よって、この店で働き出して一ヶ月弱で学んだことは、
絡まれない程度の愛想笑いを装着し、どんな時でも柔軟に、物事には首を突っ込まない等他多数。
特にこちらの酒は元の世界のお酒と違い味も荒削りだし、アルコールの度数もかなり高い。酔いが回るのも早ければ酔い方の性質も悪い。
未成年とはいえたしなむ程度に酒を飲んだこともあったでも、
初日に店主に酒を一杯頂いた時に目を回したほどで、あれから一度も酒を飲もうと思った事すらない位だ。
朝から晩まで働いているためそこそこの給料を貰っているし、こちらは物価も安い――もっと飲みやすい酒ならたまに飲めるのに
とは言えこちらに来てから質素な生活が続いているためか、
あれだけ落ちなかった体重が少しずつ落ちてきているのが現状で、いざとなったら着物を買い換えるくらいのお金は欲しいは、
最低限の生活以外の金銭は俗に言うへそくりと言うやつでコツコツと貯めている。
それでも戦続きで貧困なこの世界の女性に比べては随分とふっくらしているし、
元の世界でもまだ十分ぽっちゃり系に属しているだろう、多少痩せた所で今更この脂肪がどうにかなるとは思ってない。
「お待たせしました」
料理を置いたがさっさと台所に戻ろうとしていると、
近くに座っていた男が突然ドンッと机を叩いて立ち上がる大きな音に思わず身をすくめ、驚いた顔でそちらに視線を向けると、男は大きな声を上げる。
「それでもお前は兵かッ!」
騒がしい店の中でも、怒声に近いその声は目立ち、何事かと客の目がそちらに集まった。
見ると店主も台所から顔を出し、困ったような表情をしてまた戻っていく――この手の喧嘩は日常茶飯事だ。
伊達軍程ではないが、兵と名の付く連中はどこも喧嘩っ早い上に荒っぽく、一言で言ってしまえば常識が無い。
酔いが回って一騒ぎ起こす連中は後先たたないのだ。
今回もどうやらその類のようで、怒鳴られた方の男はいかにも気が弱そうと言う事から見ても、
大方気分良く酒を飲んでいたのに、隣で愚痴っていたのを聞いて気を悪くした男が一方的に絡んでいるのだろう。
男が再び机を叩くと、酒が入ったお猪口が倒れた。
「貴様のような軟弱な兵は我が武田軍の恥さらしだ!俺が一から兵法を叩き込んでやるッ、どこの隊のものだ!」
説教酒程たちの悪いものはないよね、とはため息をつくと背中を向けて歩き出した。
武田の兵はそれでなくても暑苦しい。内輪もめならよそでやってくれ。
知らぬ振りを決め込むことにしたの耳に、あらんかぎり声を荒げた男の言葉が入ってくる。
「死にいった仲間の分まで敵を殺し、武田が乱世をひとつにまとめる俺達は平和のために戦ってるのだ!
そのような泣き言を言う暇があれば、敵の一人でも殺せ!」
何ソレ、と目元を吊り上げたは再び男に首を巡らせた。
つばがかからんほど詰め寄られた男は「はぃ」と情けない声を上げて首をもたげている。
「乱世を生きるのに敵味方もないだと?仲間を斬られた時点で敵だ!敵を斬るのが味方だッ、甘ったれた事を言うな!」
「は、ハィイ!」
「お前は友を殺された事がないのか!」
一方的な言葉に、だんだんとはらわたが煮えくり返ってきて、こちらに飛ばされてからの一ヶ月弱のストレスが爆発したように、は静かに声を上げた。
「貴方達の言う平和って何ですか?」
普段なら自分が巻き込まれない事が最優先なのに、どうして口を挟んでしまったのか今のには分からない。
後の未来で「あれは運命だったのかも知れないね」と語ることになるとは夢にも思わないは、分からぬまま言葉を続ける。
「殺されたから殺して、殺したから殺されて」
殺されたから殺して・・・殺したから殺されて、それでホントに・・・最後は平和になるのかよ・・・!?
大好きだったSEEDで、カガリがあげた悲痛な叫びの声を思い出す。
カッと血が上ったせいか、店に野次馬が集まっている事に気づきもせず、は震えるように声を絞り出した。
「恨んで、恨まれて、その先に来る未来を笑って過ごせる訳がないじゃないですか」
明かりも無い夜の町、一歩家から外に出れば町は戦で傷ついた人で溢れかえっていて、
その人たちの顔をちゃんと見た事がありますか、言葉を聞いた事がありますか、とは問いたくなる。
少なくともが知り合った人の中に、「敵討ちをして欲しい」等言った人は居ない。
皆絶望を見たような瞳で笑うのだ
戦なんて悲しいね。誰かが死んだり、傷つくことなんてなくなってしまえばいいのにね、と
「敵討ちなんて、所詮自己満足の世界なんですよ。
それで誰かを殺す戦があれば、それは新たな憎しみしか生みません。
貴方達は誰かのためと言って人を殺して、誰かのためと言われて殺されてるんですよ」
うるさい、と男が苦虫を噛み締めたような顔をして拳を振り上げた。
殴られると身をすくめたは、ぎゅっと唇を噛み締めて瞳を瞑ったものの、
乾いた音が聞こえたにも関わらず痛みは来ない事に、おそるおそる顔を上げる。
太い腕が男の拳を止めていて、
それをたどっていくと、長い髪をひとつにくくった髪が揺れているのが見え、次にこちらを見ているサルと目が合った。
「え」と瞳を見開いたが、くるくるとしたサルの瞳に映る。
「おっちゃん。女の子相手にムキになんなよ、みっともないぜ」
「貴様には関係ないだろう!そこをどけッ!」
「おーおー、怖いねぇ。完璧に頭に血がのぼってやんの」
飄々とした声音は聞き覚えがあるものだが、こちらの知り合いではない。向こうに居たときに、画面越しに聞いた声だ。
現状についていけないままぼうとしている間に、腕を掴まれて引っ張られる。
「喧嘩は三度の飯よりも好きだが、弱いものいじめは嫌いでね。逃げるが勝ちっと」
「ちょ、うわ!」
躓いたものの踏み出した一歩を境に引きずられるまま足を速めて、流されるまま店を逃げ出すハメになったは、
こんなに走ったのは久しぶりだと思うほど全速力で町を駆け抜けると、男が足を止めたことでようやく息が出来た。
【運命の出会い】
ぜえぜえと肩で息をしていると、男はこちらへ顔を向けて精悍な顔をくしゃりと歪める。
「アンタ足遅いなぁ。追いつかれるかと思ったぜ」
「貴方達と、一緒にしない、で下さいッ!こちらとら運動神経、皆無・・・なんですよ!」
「うんどうしんけい?何だそれ」
「・・・ようするに足が遅くてすいませんでしたと言う意味ですッ」
かみ合わない会話に苛立ったは棘のある言葉を返したものの、「あー」というとしゃがみこんで頭を抱えた。
「スイマセン、ただの八つ当たりです。ああ、明日からどうやって生活しよう・・・やっと長屋に移れたのに」
少し前まで助けてくれた少女の家に居候していて、最近戦の被害者が借りれると言う安い長屋に越してきたばかりだ。
居候は金を使わずにすむが、その分気を使う。
少女の家族はこれ以上ないほどよくしてくれたが、それが返って申し訳なく、
は職が見つかってある程度稼ぐと、抱えられる程の荷物と一緒に家を跡にしたのだ。早々と出戻りなんて情けなさ過ぎる。
「っつっても、あの場で殴られても辞めさせられてたぜ」
「・・・それもそうですね。殴られなかっただけ良しとしましょう、助けてくれてありがとうございました」
気を取り直したように頭を下げたを見た男は瞬くと、「変なヤツ」と噴出した。
「怒り出したと思ったら謝るんだもんな」
こっちが気を悪くする暇もねぇやとけらけら笑う男に、は苦笑を零すと「まさか助けられるとは思っていなくて」と言葉を濁した。
正確に言うと、「まさか貴方に助けられるとは思わなかった」と言った所だ。
BASARAの世界に来たところで、夢小説のヒロインのように上手いこと人生が送れるとは思っていなく、
せいぜい一町人として一生涯を終えるつもりだったので、まさかキャラと関わることになるとは思わなかったのである――せいぜいすれ違う町人Aがいい所だ
しかも武田領にこの人が居るとは夢にも思わなかったわけで、とは男を見上げた。
爽やかな声、甘いマスクに似合わぬ派手な風貌、肩に乗った夢吉――前田慶次、主要キャラクターの一人で、
BASARAのキャラはキャラとして好きな人物は多いが、出きれば関わりたくないような面子ばかりだ。
代表者で言うと真田幸村。
たまに城から聞こえてくる「ぅぅうおぉお親方様――ッ」と言う声は大好きだが、その現場を近くで見たいかと問われれば答えは否。
これがなら喜んで見たがるだろう(むしろ兵として志願して、萌えのためだけに幸村の近くの地位まで上り詰めると思われる)、
だがあいにくはBASARA暦はまだ短く、好きなキャラと聞かれてもぴんと来ないのが現状で、つまるところ前田慶次は関わりたくない面子の代表者なのだ。
風来坊と名のつくように、風の向くまま気の向くまま。命短し恋せよ人である。
ようするにシビアな現実に挫折して、恋する事すら投げ出したとは対照的な人物だということだ。
そんな事を思われてるとは夢にも思わないのだろう慶次は、「アンタ何であんな無茶な事したんだ」と問うて来て、
が眉を潜めると、「酔っ払いのたわごとだろ。あんな連中はこの時代掃いて捨てる程居るぜ」と言葉を続ける。
「・・・いつもだったら無視してますよ。第一自分の身が一番大切ですから、余計な事に首突っ込みたくないですし。ホント、なんで口挟んだんですかねぇ」
おかげで仕事もなくなりましたよ、と瞳を伏せたを一瞥すると、慶次は遠くの景色に視線をはせた。
「アンタは、大切な人が殺されても同じことが言えるかい?」
「え」
思わず慶次を見ると、彼は険しい表情のままに視線を戻し、互いの複雑な感情が交差する。
慶次の心中がなんとなく想像出来たは、そうか、と思うと何と言っていいか分からぬまま逃げるように視線を落とした。
この人は殺されたんだ
初めて恋した人を、友達に殺されて今を生きてる
その気持ちはには分からない。
でも、分からないからこそ素直に答えるべきだと思った彼女は、口を開いた。
「・・・恨まない、と言ったら嘘になるかも知れません」
ねね――ッ!
慶次の脳裏に、過去が過ぎって胸を痛い程締め付ける。
「私は戦で大切な人を亡くした事はありませんし、一人ぼっちになった今、無くすものなんてありません。
でも、もしこれから大切な人が出来て、その人がただ単に戦に巻き込まれて死んだなら、私は戦を憎むでしょう。
だけど、もしそれがその人が選んだ道で誰かに殺されるのなら」
慶次…違うの…、あの人を責めては…駄目…
ねね!死ぬな!死ぬんじゃねえぇぇ!
「殺した人を恨む事は、きっとその道を選んで生きたその人の、生きてきた人生を否定する事になると思います。それだけはしたくないです。
今はまだ、大切な人が殺されて、同じ事を言えるかどうかは分かりません」
でも、とは顔を上げると、精一杯の笑顔で微笑んだ。
「でも、同じことを言えたらいいなと思います」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした慶次は、「アンタどこの生まれだよ」と唐突に問うて、驚いたが「何でですか」と尋ね返すと、くしゃりと笑った。
「いや。なんか平和なところでぬくぬく育ったんだろうなと思ってね」
「ッ」
歯に衣を着せぬ物言いには思わず息を呑み、瞳を揺らす。
つんと鼻が痛くなって、目元が熱くなっていった。
「そうですね、確かに随分平和な所で育ちました。でも、もう戻れない場所ですから」
泣くな、なくな、泣くな
それでも泣きそうなのは相手も十分にわかったようで、触れてはならぬものに触れたような顔をした慶次に、は頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございます。でも、もう一度店に持って謝りに行ってきます。私の生きる場所は、ここしかないから」
それでは、と頭を下げて去っていくと慶次の間を、冬口の少し冷たい風が吹きぬけた。
それはまだ見ぬ未来の入り口、人はこれを、運命の出会いというのかも知れない

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