「狙われている、か…」
リオンの言葉に押されるように、の気持ちもズンと沈むのを感じた。
これから先、隙さえあればバルバトスはを狙ってくるのだろう。一瞬でも気を許せば殺される。バルバトスと正面激突した今、それは確信に近かった。
『まあ、普通に考えたらそうだよね。が生きているのは不都合だから、殺しちゃえって事でしょう?』
「シャル!」
「いいのよ、リオン。多分その通りだから」
クレスタを旅立った彼らの後に続く道中、話す内容は代わり映えしない。
は鬱々と歩きながら、対照的な程に意気揚々と歩いていくカイルとロニの背中を見つめると、深いため息を吐いた。
これではカイル達の心配をするより先に、まず自分の心配をしなくてはいけない。
情けなさに嫌気が差しながら、はカイルとロニの背中を見つめる。
ハーメンツヴァレーの崖を降りてリアラに会ってからと云うもの、
カイルの足取りは後ろから見ていてもますます軽いものとなっていて、浮かれ捲くっているのが見て取れた。
そうなるのも無理はない。
遠目からしか見なかったが、リアラはなるほど美少女で、色の白い肌に栗色の髪。ピンク色のふっくらとした唇。花のようにかわいらしい服。
が男なら間違いなくドストライクなほどに愛らしかった。
その時ばかりは憂鬱な気分を忘れて、ウハウハとリアラを見ていただったが、そんなをまるで変質者を見るような瞳で見ていたのはリオン。
彼が「怪しいぞ」と苦言すると、は胸を張って答えた。
「これで萌えなきゃ、腐女子が廃る!」
「…」
「あんな可愛い子に身もだえなきゃ、男も廃りますよ、リオン」
ニヤリと口角を持ち上げて笑うと、呆れられたのは云うまでもない。
そんなこんなで、アイグレッテの街についた二人を追いかけて来たのはいいものの、は街の人だかりを見るとリオンの腕を引っ張った。
「どうした?」
「……ここにいましょう」
「だが、カイル達は」
「この人ごみじゃ動くに動けないはずです……わたしはあまり、あの人ごみの中に入りたくない」
なぜだ
と訊ねようとしたリオンの耳に、街の人間の感極まった声が届いた――「エルレイン様だ!」
思いきや、すぐさまが掴んでいた腕で、逆にの腕を掴みなおしたリオンは家の影に身を滑らせる。を奥に追いやると、物陰から窺うようにそっと騒ぎの方を見た。
「ストレイライズ神殿に来たのか…」
「でしょうね」
指先が震えるのが分かる。
リオンにばれないように壁に押し付けていたが、それでも微弱な振動は腕を握っていた彼には筒抜けだったようで、
珍しく「大丈夫だ」と優しい声をかけられた挙句、微笑みかけられてしまった。
その悩殺スマイルの方がよほど心臓に悪い。
は「う、うん」と視線を泳がせるように下を向く。
なんか慣れないなぁ…優しいリオンに。
胸の内で呟いた言葉は、口に出せば逆鱗に触れる事は目に見えているので胸の内にとどめておく。
表情だけで戸惑いをしめしていると、その時ざわっと人々がざわめく声が聞こえた。続けてカイルの怒鳴り声――「ペンダントを返せ! それ、あの子のだぞっ」
いきり立つカイルの声に、野次馬へと視線を戻したリオンが怪訝な顔をする。
「カイル…?」
「リオン。心配なら、カイル達の様子を見てきて大丈夫ですよ。わたしはおとなしく、ここにいますから」
スタン譲りの後先考えない無鉄砲なところは、後ろをつけているだけでも十分に見て取れたのだろう。
リオンは迷うようにと騒ぎの中心を交互に見つめ、後ろ髪を引かれているだ。そんな彼の姿に少し笑ったは、彼の背中を押す。
「ホラ、リオン」
だけど、その途端彼は何かを思い出したかのようにビクリと身体を震わせ、の顔を真っ直ぐと見据えたまま「ここにいる」と首を横に振った。
拒絶反応に近い否定の仕方に、は小首を傾げる。
「リオン…?」
「そう云って、お前はいなくなった」
ぽつりとした呟きと一緒に、リオンが俯いた。
「…」
そんな迷子の子どものような顔をされてはコチラも反応に困ってしまう。
脱力したようにがズルズルと壁伝いにしゃがみこむと、リオンも腰を下ろした。隣に膝を立てて座った彼に、は眉尻を下げて苦笑する。
「――わたしは、リオンの心に、ものすごーく深い傷を作ってしまったんですね」
「……」
返ってこない返事が、肯定を表していた。
「リオンを助けるつもりが、リオンを傷つけてしまって。ココに、呼び戻してしまった」
「!」
「あ、違うんです。昨日みたいに後悔の話をしている訳ではなく…もうちょっと前向きな話です。
ちょっとまだ現状の理解に追いついてない部分が多々あって
リオンフラグが立ってる辺りが特に。むしろ信じられない現実って云うか。
が聞いたら腹抱えて笑うジョークだとしても可笑しくない話ですし。
でも、無理矢理それらを呑み込んだとするならば、
今度は勝手に、リオンの前から消えたりしないって約束します。
もうリオンを傷つけないって、ココまで追いかけて来てくれたあなたを一人にしないって約束しますから」
は笑うと、小指を差し出す。
怪訝な顔をして小指を見つめるリオンの手を取ると、とリオンの小指を絡めた。「な」と驚く彼の声が可笑しくて、声をあげて笑ってしまう。
なんかリオン、子どもみたい。
「小指って、約束の指なんですよ。はいっ。
ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
「針、千本?」
「そーです。死ぬより無理な話ですよ、針千本なんて。……だから絶対、約束を護ります。リオンも、そんなにかたくなにならなくて大丈夫ですよ」
ポンポンとリオンの両肩を叩いて、深呼吸を促す。
「はい。吸ってー、吐いてー。
ムーっとしてるのも美人が際立ちますが、笑うと一層花が咲きますよ。
そんだけ美人に生まれたんだから、いいように使わないともったいないです」
「びじ…!? お前…!」
「少なくとも、わたしに比べたら万倍美人です」
きっぱりと言い切ったに、リオンの背中でシャルティエが呆れたように『自分で云ってて悲しくならない…?』と声をあげたので、は胸を張って言い返す。
「いいんだよ! 人間認めて初めて楽になれることってたくさんあると思うから、わたし!」
『変にポジティブだよねぇ〜、って』
「背中に布でグルグル巻きにされてる人に云われたって悔しくもなんともないですよぉっだ」
『云ったなー! 坊ちゃん、技決めちゃいましょうよ。技!』
「ギャー!」
軽いジョークのようなノリで云われた恐怖の言葉にが全身全霊を賭けて震えていると、雰囲気も何もあったもんじゃないと、リオンは肩をすくめた。
次に彼女と場を作る時にはシャルティエはどこかの倉庫かなんかに突っ込んでおくべきかも知れない。
愛するマスターにそんな事を思われているとは露とも知らず、
シャルティエは布に包まったまま愉快に彼女と漫才を続けていて、街の騒ぎもようやく収まりを見せたように、通りにはの能天気な声が響き渡っている。
リオンはため息を吐くと、の頭をこつんと殴った。
「行くぞ」
「あ、はい」
彼を追うように立ち上がったは、ズボンを叩きながら微笑む。
エルレインもバルバトスに感じていた、息が詰まるような恐怖を、いつの間にか感じなくなっていた。
それどころか、次に襲われた時は返り討ちに出来てしまうんではないかと思うほど俄然強気になっている自分がいて、
現金な自分に呆れてしまいながらも、心があったかくなってくる事に安堵を覚える。
ああ…。
は瞳を伏せると、リオンの肩に手を乗せた。
仮面の奥にある瞳はビックリするくらい優しく弧を描いていて、はゆっくりと微笑んだ。
「それじゃぁ、わたしたちに出来る事を探しに行きますか? ……ジューダス」
「――ああ」
【フィリア】
大神殿へと続く抜け道を進んだカイル達を追いかけて進んだ二人が、ストレイライズ神殿へたどり着くと、
リオンは神殿の内部が見える高さの木をみるみるうちに登って行った。あれは登ると云うより跳んでいくと云った方が正しいのかも知れない。
がえっちらおっちらと登りようやくリオンに追いつきかけた時、身を乗り出したリオンが「フィリア!」と声をあげた。
「!」
その声に慌てて木を登り、リオンの隣から中を見たがヒッと息を呑む。
そこには、赤い絨毯の上に倒れているフィリアと、神聖な床を流れている真っ赤な血。それを見るリアラの真っ青な顔。
カイルとロニはバルバトス相手に大立ち回りをしているが、後一歩のところで追い詰めかけられていて、は幹に手をつくと、降りる準備を始めた。
そうだ。
のうのうと木に登っている暇などなかったのだ。
リオンと話しているうちにすっかり危機感までほだされていた事に今更気づく。
こんな大事な事を見失うなんて…
が足を下ろしかけた時、何を考えたのか、そんなの腰に手を回したリオンは動きを制すかのようにグッと抱き寄せた。
「わわ」と云ったの頭をもう一つの手で固定され、バサッとマントが顔に覆い被さってくる――ま、ままままままさか…っ!
「りお…! わたしごと窓から突入する気じゃ…っ」
言葉の途中で、ふわりと身体を襲う浮遊感。
目の前は真っ暗でどこに突撃するか分からない恐怖と、庇うように包み込まれる腕にますます神経が尖る。
「い」と云う間もなく耳元でガラスが割れる音が響き、床に足をつけたリオンに継いで何とか地面に降り立つと、は遅れて「ギャァアアアア」と悲鳴を上げた。
「こわっ、こわっ、怖かったァアアァァアアアア」
もはや断末魔に近い。
地団駄を踏むように床を踏み、かと思えばぴょンぴょン跳びはね、挙句の果てに頭を抱えて絶叫したをポカンとした顔で見つめたカイルとロニとリアラ。
ケガをしているのも忘れた様子でカイルが「さん…?」と呟いた声に、我に返ったはハッと目を見開いた。
「そうだ、グミ!グミ!」
鞄を漁って取り出したアップルグミを、カイルの唇に押し付ける。
続けてオレンジグミ。
同じセットをロニにも渡そうとした時、横から伸びてきたリオンの手がグミを分捕ると、何かの期待に顔を輝かせていたロニに向かってぶん投げた。
べチッと頬にグミがぶつかる音が響く。
「それでも食ってろ」
「……ジューダス…」
なんでそんなにロニに対して挑戦的なのか。
ゲームでも友好的とはいえない態度だったが、ここまで対抗心を燃やしてはいなかった気がする。
ロニの女好きにが含まれている事がそんなに腹立たしいのか…。実はわたしは結構嬉しかったりするんだけど。ホラ、だって、腐っても女は付くし。
バチバチと火花を散らすようににらみ合っているロニとリオンに、
は云う言葉もなくため息を吐くと、バルバトスに視線を向けた。そして、腰の刀をゆっくりと抜いていく。
和みかけた空気に、気を引き締めて神経を尖らせ、真っ直ぐと目の前の敵を見据えた。
「これ以上はさせない」
「……貴様か」
愉快そうに、バルバトスが嗤う。
酷く耳障りな嗤い声にはニヤリと笑い返すと、中指を立てた。
「英雄殺しなんて異名、勿体無いわ……アンタなんかM男で十分だっつーの!」
床を蹴って走り出す。
斧と剣がぶつかる刹那に、突然身を翻したは左足を軸にした回し蹴りを放った。狙いは、筋肉に覆われていない――頬。
「っ」
不意を突いて見事に決まった蹴りに気を許す事はなく、すぐさまバルバトスと距離を取る。
用心は功をなしたようで、大したダメージもなかったらしいバルバトスが距離を詰めてくると、振り上げられた斧の軌道上に岩の壁が現れた。
リオンだ。
術を唱え終えた彼が、の横を通りすぎてバルバトスへと向かっていく。
「千裂虚光閃!」
繰り出された技を斧で受け止めたバルバトスが後ろに現れた気配に振り返ると、そこには。斬撃を避けた先には、待ち構えたようなリオンのネガティブゲイトが現れる。
互いの位置、呼吸、攻撃の予想を完璧に読んだ連携プレーに、カイルたちはただただ目を皿のようにするばかりだ。技に見惚れるというのはこういう事をいうのかも知れない。
リオンとせめぎあっているバルバトスの頬を走った熱は、の弾丸。
彼女は眉間にくっきりと皺を刻んだまま、頬を持ち上げるようにして嗤った――「次は脳天狙いますよ」
「…ふ」
かすかに声をあげて笑ったバルバトスが、リオンから斧を引いて後ろに下がる。背中に現れた歪。
「カイルにロニ、……ジューダス…だったか。それに、……覚えておくぞ。我が名はバルバトス・ゲーティア。英雄を狩る者だ。
貴様が英雄を目指すなら、俺は必ずお前を殺す。それを覚えておくがいい」
の銃弾が威嚇するように放たれた。
再び頬を走る熱にも、バルバトスは動じない。
「クックック…ハァーッハッハ」
なんというお決まりな笑い声と共に消えたバルバトスの影を見据えていたも、禍々しい存在感がなくなったと同時にフィリアに駆け寄る。
「フィリアさん!」
同時に立ち上がったカイルがよろめくのを受けとめたジューダスが、苦々しいまでに表情をゆがめて、リアラの腕の中で瞳を伏せているフィリアの傷には手をかざす。
いくら神様見習いにレベルを上げて貰っているとはいえ、でもこの傷が治せないことは頭の冷静な部分では理解ができていた。が、感情は別の話だ。
ひたすら回復をかけるが、フィリアの頬は土色のままだ。
はギュッと唇を噛み締めると、瞳を揺らす。
だめ、だ。
に出来る事はたかが知れている。
でも、に出来ない事を出来る人間がいる。
「――リアラ、フィリアさんを助けて」
絞りだしたような声に、リアラは目を丸くした。
「どうして、わたしの事…」
「お願い。リアラ。リアラにしか出来ない事があるの、助けられる命があるの。だから、」
――さん
「フィリアさんを、助けて」
戸惑うように視線を泳がせていたリアラが、覚悟を決めたように頷くと、両手を組んだ――「お願い。フィリアさんを助けて」
少女の祈りはフィリアの命の光となって、淡い光が彼女の身体を包み込むと、バッサリと斬られた傷口に吸い込まれていく。
やがて傷口が白い肌に戻ると、リアラはふらりと身体を揺らして倒れた。その身体をが支える。
「ありがとう、リアラ…っ」
小さな彼女の身体を抱きしめるの傍で、リオンはフィリアの首筋に触れた。脈を打つ動きと、肌のぬくもりに彼もまた頬を緩ませるように笑う。
「もう大丈夫だ」
「…なんで、エルレイン大司祭長と同じ奇跡の力を、この子が?」
リオンもも、何もいえない。
リオンにいえない事があるように、もまた、云えないことを抱えたままだ。
彼は無言のままマントを脱ぐと、そっとフィリアの身体にかけた。そのまま抱えあげる。
もできることならリアラを抱えてあげたかったが、ここはよりずっと適任者がいることを理解しているので、カイルを呼んだ。
「カイル。彼女を抱えてあげて」
「え、あ、うん」
腫れ物に触るように、目に見えないものに触れるように
おそるおそる手を伸ばしたカイルがリアラの身体を抱えると、も立ち上がる。
「行くぞ。騒ぎを聞きつけて神団の連中が駆けつけてくる。フィリアの私室にしばらく隠れた方がいい」
「って、おい! 俺は聖司祭の部屋がどこにあるかとかしらねーぞ!」
「問題ない。僕が知ってる」
こういう所が怪しまれる要因になるんだよ、とは肩をすくめた。
女性の私室を知っている事を堂々と公言するなんて(しかもその格好で)、ロニより怪しい人間に思われても仕方のない話だ。
この坊ちゃんはそういう所が抜けてるからなぁ…。
クスクスと笑うが隣に並んで歩くと、彼は怪訝な顔をしてそんな彼女を見つめる。
「何だ?」
「いえ、なんでも」
「って待てよ!――ああもう、カイル!わけわかんねぇが、確かにここにいちゃマズイ!行くぞ!」
□
眠っているフィリアを前に、リアラは見るからに落ち込んでいた。
あの後すぐ目を覚ましたリアラは、何一つ言わないまま視線を床に落としているばかりで、そんな彼女にカイルは四苦八苦と慰めの言葉をかけている。
そんなカイルの初々しさには思わず肩を揺らして笑った。
「かわいいですね、カイル」
「…そうか?」
「うん。スタンとルーティさんも、こんな風だったんですかねぇ…」
リオンにしか聞こえないよう、小さな声では笑う。
恋をしても、恋愛のれの字もしらなかったスタンの事だ。ルーティと一緒にいだした頃はさぞ見ごたえがあったに違いない。
カイルとリアラを見ながら想像に思いを馳せていると、フィリアはベッドの中で身じろいだ。う、ん…と掠れた声があがる。
のほほんと茶でもすするような顔をしていたが、途端にオロオロと辺りに視線をさ迷わせはじめた。
やばい、フィリアが起きる! 咄嗟にどこかに隠れようとしたは手繰るように寄せられて、抵抗する間もなくバサッとマントが覆い被さって来た。
「ぅわ!?」
「声を出すな」
おまけに口まで押さえられたら、息は出来ても死ねと云われているようなものだ。は身体を硬直させたまま、瞬きも忘れて立ち尽くす。
マントの向こうから聞こえて来た「フィリア聖司祭」というリアラの声はくぐもっているのとは対照的に、リオンの心臓の音が近くで聞こえてくるものだから、気が気じゃない。
耳を塞ぎたいけど動けない。
「ごめんなさい…聖司祭様はわたしを庇ってくださったのに、何もできなかった…」
「そんな事はありませんよ」
フィリアの声は、どこまでも優しい。
その様子は見えなくとも、きっと暖かな笑顔を浮かべているのだろうという事が想像できる。
「あの男はわたくしを狙ったのです。あなたが罪に思うことは何もありません。それどころか、感謝しています。あなたがわたくしの命を救ってくださったのでしょう?」
リアラが答えないまま、重い沈黙が降りる。
フィリアは少し黙って、言葉を続けた。
「少し、昔話をしましょうか?」
「昔、話…?」
「ええ。――かつて世界を滅ぼしかけた巨大レンズ神の眼が、このストレイライズ神殿に保管されていたことは知っていますね?
わたくしは十八年前の騒乱のとき、最初に神の眼を盗み出した、大司祭グレバム様の下で、ずっとレンズの――神の眼の研究をしていたのです。
研究結果が、どのように使われるのか、まったく知らずに……」
あの時のフィリアの取り乱しようは、今に浮かんで来そうなほど鮮明に覚えている。
「……彼が神の眼を使って世界の支配者になろうとしたのを、止めることができなかったわたくしは、自らの責務として、いま英雄と呼ばれている人々とこれを追いました」
「スタン・エルロンとルーティ・カトレット……」
「ええ。それと、リオンさんに、さんと」
フィリアの言葉に、リオンの手が僅かに揺れたのが分かった。
「リオン・マグナスと、………」
「わたくしは初め、スタンさんたちと共にかつての師を追いながら、
彼を止められなかったことを、わたくしの研究が多くの人を苦しめる結果になったことを、ことあるごとに悔やみ、涙していました。
そんなわたくしに、スタンさんは泣いてるだけじゃダメだと教えてくれたのです」
「泣いてるだけじゃ、ダメ…」
「そう。そしてさん。
わたくしは彼女の生き様に教えて頂きましたわ――誰かの幸せを願うと云う事はとても勇気がいる事で…そして時に、エゴにもなりゆると云う事を」
今度はが息を呑んで、リオンの腕の中でかすかに震えた。
「さんがリオンさんの幸せを願って亡くなった後……リオンさんは、とてもとても見ていられる状態ではありませんでした。幸せなんて、程遠い場所にいましたの。
それでも、リオンさんは再び立ち上がられました。愛する方の幸せを護るために、彼もまた、さんの想いも背負って歩き出されたのですわ。
それがどれ程の強さと勇気が必要だったか、わたくしは今でも想像できません。
そして、
あの場所でリオンさんの背中を押したさんはどれだけの勇気がいったのでしょうか、強さを必要としたのでしょうか…。
誰かの幸せを願うと云う事は尊きことでもあり、同時にエゴにもなりうる……だからこそ、自分の中にあるかけがえのない何かを賭けなければいけないのですわ。
それが正しい事なのか、間違った事なのか分からないまま、最後まで貫き通す心を必要とする。
あのお二人がすれ違った運命に、
幸せという言葉の重みを、わたくしは教えて頂きましたわ」
「幸せの重み……」
「後悔は何も生み出さない――その事を、あの人が教えてくれたから、わたくしは本当の意味で前に進むことができた。
そして今、さんのおかげで、本当の意味で、人々の幸せを願っていられますわ。
リアラさん? あなたが力を求めるのは、何かを生み出そうとしているからではないのですか?
でしたら、後悔ではなく反省をしなくては。
残念ながらわたくしには、あなたがあなたの英雄に出会う術はわかりません。けれど、今のあなたに必要なものならわかります。
あなたを助け、あなたを支え、そして導いてくれるもの…それは仲間です。
わたくしにとってのスタンさんや、ルーティさんのような。リオンさんやさんのような。そんな人たちこそが、今のあなたには必要なのだと思います。
そしてあなたも、仲間のためにきっと何かできることがあるでしょう。
あなたの力を、まずその人たちのために使うことを考えてみてはいかがですか?」
「わたしの力、仲間のために」
動かなかった指先が、痺れたように熱を取り戻す。
今動いちゃ、ダメなんだろうなぁ…。
分かってはいたけれど、は誰にも気づかれないように願いながらそっと手を動かした。リオンの手に重ねる。
これ以上ないくらいにリオンが過剰反応を示したのは云うまでもない。
けど、あくまで何事もなかったようにシラを切るのはなんだかくすぐったくもおかしくて、は笑いながらも、言葉に出来ない謝罪が胸に込み上げてくるのを感じた。
ごめんね、リオン。
ゴメン。
「……ダメです。そんな人、いるはずがありません」
「そうですか?わたくしにはもう、すぐ傍まで来ているように見えるのですが?」
「オレがなるよ!」
割れんばかりのカイルの声。はりきってるなぁ…。
「オレが君の仲間になる!ずっとずっと一緒にいる!決めた!」
「で、でも…」
「君がこれからも英雄を探すつもりなら、あのバルバトスとかいうヤツがまた現れるかもしれないだろ? オレが君を護る!
それに、一緒にいれば、オレが君の探している英雄だってこともきっと分かるしね!」
へへへと笑う少年の声が、なんとも間の抜けてること…。
こりゃ完全にの存在忘れてるな、と、は思う。
急にいなくなったの事なんて気づいていないに違いない。隠れた事を不審に思ったりもしてないに違いない。
いや、この状況ではありがたいに越した事はないけれど、お姉さん、ちょっと寂しいよ…。
「本当に、わたしと一緒に来てくれるの…?」
「も、もちろん!一緒に行かせて頂きますっ」
リアラの鈴のように笑う声が響く。
「あ、あの、オレ、君の事なんて呼んだらいい? り、り、リアラさんでいいのかなぁ?」
「さんなんていらない。リアラでいいわ」
「う、うん、わかった。改めてよろしく。オレ――」
「カイルさん、でしょ? そしてロニさん」
「オレもロニでいいぜ。カイルの事も、さんなんてつけなくてかまわねぇよ。な、カイル?」
「うん、もちろんさ!」
リオンが行くぞといわんばかりに動き出して、は引っ張られるように歩き出した。思えば足元は隠れてないんだから、の存在はさぞかし妙な具合になってるに違いない。
「ちょ、ジューダス、足踏んでる…」
「うるさい、さっさと歩け」
ゴニョゴニョと言いよどむ二人を見て、リアラがさらに笑い声をあげて、カイルに訊ねた。
「あの人たちは…?」
「あ、待ってよジューダス!さん!」
「……?」
「そう、さん。フィリアさんの仲間と同じ名前なんだ!オレたちの仲間もね!」
「そうなんですか。ジューダスさんに、さん…」
フィリアの声が遠くなっていく。
バレやしないかと緊張したが、考えてみればは死んだのだ。とが結びつくことなんてまずない。けれど…。
どんどん声が聞こえなくなっていくなか、最後に聞こえた言葉に、は涙が流れそうになった。
「……さんとリオンさんも、どこかで幸せでいてくれると嬉しいですわ」
ありがとう、フィリア。
その言葉は、まるで願いのように……。

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