眼を覚ますと、そこは知らない場所でした。
「んぅ?」
首を傾げたが身を起こすより先に、ベッドの脇に立てかけられていた剣――シャルティエがとてつもない大きな声をあげて、そのあまりの大きさにはベッドから転がり落ちそうになる。


『ぼっちゃーん!の眼が覚めましたよっ!!!!』
「うわぁ!?」

今度は驚いたのもつかの間、ダダダーッと部屋を駆けてくる音が聞こえたかと思うと、スライディングするように見慣れた仮面が飛び込んできた。マントが翻っている。
そのまま歩み寄って来たかと思うと、

!?」

血色の悪い顔色をしたリオンに詰め寄られて、はたくさん寝て艶々とした肌のまま、呆気に取られて瞬いた。

「な、な、な…何事……?」


ドキドキと鳴り響く心臓。
目覚めにして次々に起こる心臓に悪い出来事の数々に、はタオルケットの上から心臓を押さえる。何なんだ一体。


「具合はどうだ?」

聞かれてポカンとしていたも、ようやく事の成り行きを思い出して「ああ」と口を開いた。
そうか、カイルたちが来たと同時に気を失ったんだっけ…。気絶する瞬間まで感じていた鋭い毒の痛みも、今となっては微塵もない。はへらっと笑った。


「大丈夫ですよ、おかげさまでピンピンしてます」
「そうか…」

「ところで、ここはどこですか?」


とぼけたふりをして聞いてみたが、実際はナナリーの家だと大幅の予想がついていた。
城とは思えない部屋の風景だし、室内は寒い雪国では考えられないほどの暑さと湿度で、タオルケット一枚で寝ているのだ。ここがスノーフリアな訳がない。


が訊ねると、リオンは表情を渋める。


「ここは、その…」
「おや、眼が覚めたのかい?」

声が聞こえて来たのは部屋の入り口。見ると、見慣れたキャラクターがツインテールを揺らして立っていた。生意気そうなネコ目が細められる。


「ジューダスが慌てて駆け出すから、何事かと思ったよ。調子は?」
「はい。いいです。ありがとう」
「気にする事はないよ。今水を持ってくるからね、すぐ動くんじゃないよ」

姉御肌な彼女はてきぱきと水を運んでくれ、水を飲むと、起き上がっていたをすぐさまベッドに寝かせた。
まだ寝ときなといわれれば、子どものように素直に頷いてしまう。美人はそうさせるだけの迫力があった。
ナナリーはの前髪をかきあげて熱を確かめると、背後に立っているジューダスに首を巡らせる。



「もう心配なさそうだね。
一応念のために、今日一日は安静にしておいた方がいいんじゃないかい?」

「ああ」

「ベッドはそのまま使ってくれて構わないよ。あたしも今日の用事が済んだら、何か精のつくものを用意するからね」
「…助かる」


おお、珍しくリオンが素直にお礼なんて言っている。
自分のためだと思うと多少くすぐったくもあって、はベッドの上でもぞもぞと動いた。タオルケットで頬を隠すと、息を吐く。わたしもお礼言わなきゃ。



「ありがとう」
「いいのいいの!あんたが元気になったら、このムッツリジューダスも安心して子守に専念できるってモンだからね。早く元気になっとくれよ」



ナナリーの言葉にあからさまに嫌そうな顔をしたリオンがあまりにも可笑しくて、が声をあげて笑うと、ナナリーはそんな彼女の頭を二三度軽く叩いた。

「そんだけ笑えれば十分。それじゃ、あたしはちょいと出かけて来るよ。ジューダス、しっかり彼女に着いててやるんだよ」
「……お前に云われなくともそのつもりだ」





【骨をかぶった日】




それにしても
と、は先ほどから無言のままベッドの傍に腰掛けているリオンを盗み見た。 ――この人、どうやってわたしをここまで連れて来たんだろう?


おそらくあの後、筋書き通り彼らはバルバトスを追い込んだはずだ。そして、そこに真の黒幕であるエルレインが登場する。
彼女によって未来に飛ばされるリアラを追って、カイルが光の中に飛び込み、ロニとリオンは更にそれを追ってこの時代に来るのだ。気絶したをつれてくるのは至難の業だったに違いない。

がぽやんと自分を見ている事に気づいたのか、眉根を浮かしたリオンが「何だ?」と聞いてくる。機嫌が悪いのではなく、これは確実に怒っている時の反応だ。




「…いや、よくわたしだけ置いてけぼりにされなかったなぁと思って」

十年後の世界にいるらしいと云う事を伝えた後、思い切り無口になっていたリオンは、バカ正直に訊ねたの言葉に眉間の皺を寄せた。


「そう思うなら、勝手な行動は慎め」
『そうだよ。坊ちゃんったら、の傍を離れないで詠唱ばっかりしてたんだから』

「うぁあ…」

ロニとカイルが前線に突っ込んで行き、その後ろでを抱えたリオンが昌術を立て続けにぶっ放している様子が簡単に想像できた。この坊ちゃんなら、ソレくらいの無茶はやりかねない。
そりゃぁカイルとロニもかなり厳しい戦闘になったことだろう…。後で謝っておかなくちゃ。


でもまぁ、最初に謝るべきはこの人だろうな。


「心配かけちゃってゴメンね、リオン」
「まったくだ」


呆れたようにため息を吐かれると、しゅんと小さくなってしまうしかない。外では子ども達の賑やかな声と、それに混じってロニの怒声が響いている。
どうやらリオンはのお守りと云う事で、子どもたちの相手は免除されているのだろう。本当に一日付き添ってくれるつもりらしい。

はタオルケットを目元まで持ってくると、うとうとと瞳が重たくなるのを感じた。


「…まだ眠い……」
「寝ればいいだろう」

「うん、そうだね」
「もう少し休め」


ぶっきらぼうに言われた言葉に誘われて、だんだん睡魔が襲ってきた。ねむ…。ゆっくり瞼を伏せたは、再び闇の中へと落ちて行く。


次に眼が覚めたときは、日も暮れかかった夕刻。
窓から差し込むオレンジ色の光を受けて瞼を開いたは、ベッドの傍らで椅子に座っているリオンを見上げた。どうやら彼も眠っているらしい。

長い足と手ををもったいぶるように組んで、モンスターの骨で作られた仮面の奥にある瞳が伏せられているその顔には、柔らかい影が降りている。


「美少年がもったいないよなぁ…」


誰に云うともなく呟いたは、身を起こすと、仮面に手を伸ばした。
そのまま持ち上げると、スポッと外れる。


「おぉ…!」

感動だ。感激だ。
リオンが外している所は何度か見た事があるけれど、実際に触れさせてもらった事がなかったは、その無機質な感触にキラキラと瞳を輝かせた。
ときめきに胸を躍らせながら、それを胸元で持つ。悪魔の誘惑だ。


「リオン、寝てるし……大丈夫だよね?」


寝息こそたててないが、いつになく静かな坊ちゃんを前には勇気を振り絞ると、えいっという掛け声と共に骨を被った。すぐさま「おお!」と歓声をあげる。


「すご…っ。
意外と見える範囲広いんだ!これ!」

こちらから見えているリオンの顔の面積よりもずっと広い。
なるほど骨というのは実用性に優れた仮面だと認めざる得なくなって、は何故か分からないけれど、すごく負けた気持ちになった。まるで変態を肯定するようだ…。


「でも、なんか、カクカクする」


慣れないでは安定性がまるでない。
ズレ落ちてくる仮面を持ち上げるも、結局すぐに落ちてきて、
また持ち上げるという行為を繰り返していたが頭を縦に揺らしていると、「何してんだ?さん」と云うロニの声にハッと正気に戻った。


「え!? あ、ロニ!」

「気がついたって聞いたんできてみりゃ…」


ベッドの上で、仮面で遊んでいる不思議女一名。
は「わー!」っと声をあげると、仮面を脱ごうと骨に手をかけた。勢いよく引っ張るもなかなか抜けない。


「う、うぉおおお…!」
さん、それ、愉快すぎます」

「ちょっ、笑ってないで手伝って…! あぁぁああダメだ! 今きたらジューダスの素敵☆素顔をさらしてしまう! いいか、ロニ、そこを動くでないぞ…!」

「そういや、そっか。さんがそれを被ってるってことは…ジューダスは今素顔って事だな?」


してやったりのロニの顔に、は顔面蒼白になった。


「だ!ダメだよロニ! 女に飢えてるロニがジューダスの素顔なんて見たら、もう男でもいっかって思っちゃうに間違いないから! まあわたし的にはそれも美味しいけど!
「心配してるんですか? 期待してるんですか?」
「ここが複雑な乙女心なのだよ、ロニくん!」

うああと挙動不審に動くの上で、骨がまたカクッと下がってくる。


「のぉおお!」
「んじゃ、オレは今のうちにジューダスの素顔を…」

じわじわと寄ってきているロニの気配。だめだリオン、逃げてくれ――! そう叫ぼうとした時、不意に頭が軽くなった。視界が広がる。
見ればあっさりとから骨を取り戻したリオンが仮面をかけている所で、後一歩の所で見えなかったらしいロニが抗議の声を上げた――「なんでぇ、後ちょっとだったのによ!」



「そうやすやすと見せてたまるか」

ふんっと坊ちゃんが鼻を鳴らす。
うん。まぁリオンの素顔はソレくらい焦らす価値があると思うよ! と、云おうとした時、珍しくリオンが噴出したのでは驚きに言葉を失った。り、りりりリオンが声出して笑ってる…だと!?


「なんだ、あの情けない動きは」
「み、見てたんですか!?」

「お前がロニに気を取られてる隙にな。それ以前に、ぼくは最初から寝てなどいない」


つまり、
が起きて骨をとる辺りからバッチリ聞いていたと云う事だ。 なんという性格が悪い!


「寝ていると安心しているから何をするかと思えば、まさか仮面とはな」
「当たり前じゃないですかっ、他に何を期待してると!?」

「せっかく寝たふりをしていたというのに…」
「そんな乙女な期待には絶対こたえないからな!わたしは!」


茶化すような声音で白々しく残念がるな!
キーッと猿のように牙を剥くに、ロニとリオンがそろって声をあげて笑っている。こんな奇跡、二度と見られないに違いない。


「なんか、モンスターにいそうな感じだったよな」
「あまりにマヌケで、一撃を与えるのも哀れになりそうだがな」
「云えてるね。あーあ残念。もう少し愉快なさんを見てたかったぜ」

「お前に見せるのが惜しくて起きたんだ」
「何を!?」

「大体、もう少し空気というものを読めないのか貴様は」
「はぁ!?」


と、思ったらまた始まった…。
が呆れた様子で場を眺めていると、タイミングよく帰ってきたナナリーに病人の前で騒ぐなとロニはすぐさま技を決められ、そのままカクッと昇天する。ロニ…。
あまりにも哀れなその姿に同情を覚えていると、ナナリーはケラッと笑った。


「その様子じゃ、明日からでも、あんたも子ども達の面倒見て貰えそうだね」
「ええ、だいじょうぶですよ。怪獣ごっこでも追いかけっこでも何でも来いです」

「そりゃよかった。明日の午後には、あたしはアイグレッテの街に向かうからさ。コイツらじゃ頼りなくてどうしようかと思ってた所だったんだよ」


なにをー
ロニのか細い抗議の声が聞こえてくる。

ちゃんと意識あったんだね、ロニ…。


「任せて下さい。ちゃんと留守番してますから」
「頼もしいね。それじゃ、野郎どもはおばちゃんに任せるとして、あたしたちは夕食にするとしようか! ホラ、おきな、ロニ。早く行かないと食いっぱぐれちまうよ。ジューダスもね」

「…ぼくは」

「十分面倒も見ただろ? ここはあたしの顔をたてて、飯でも食べてきなよ」


の反応を窺うような顔でリオンがこちらを見る。

「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫ですよ」
「そうそう。女同士じゃなきゃ出来ない世話もあるんだから、ホラ、男共はさっさと出て行った出て行った!」


まだ朽ち果ていてるロニを蹴り飛ばすように部屋から追い出して、ナナリーはジューダスの背中を押すと強引に外へと押しやった。そのまま外まで見送ったらしい。押し問答の声が聞こえてくる。


「たったご飯食べるくらいの間なんだ。ソレくらい離れてても問題ないだろう?」
「そう云って眼を離すとすぐあいつはケガだの気絶だのするんだ」

「あたしがいてどうしてケガだの気絶だのするってんだい」
「お前のせいで十分有り得る話だと思うがな、怪力女」

「なにをー!? アンタに技は決めても、病み上がりの女の子を手にかけるほど堕ちちゃいないよ、あたしは!」
「ぐぇーっ」


……まだやってる。
そのまま数十分経ってようやく戻って来たナナリーは、のバッグから着替えを取ると、てきぱきとタオルを濡らしてきたりなんだりと世話をやいてくれた。

どうやらかなり熱があがっていたらしく、汗っぽかった服を着替えることが出来て気持ちがいい。


「ありがとう。ナナリーさん」
「さんだなんて、気持ち悪い呼び方止めておくれよ。あんた、ってんだろ?あたしも遠慮なく呼び捨てにさせてもらうからさ、ナナリーって呼んでよ」

「うん。ありがとう、ナナリー」


「それにしても、ジューダスは過保護だねぇ。
あの身なりでアレじゃ、意外性ありすぎて驚くよ」

「あ、あはは…」

「最初にあたしがあいつら見つけた時も、この暑い中バカみたいな格好して倒れてたんだけどさ。ジューダスのヤツ、あんたに覆い被さって倒れてたんだよ」
「へ?」
「しっかも、これがなかなか離れてくれなくてね。仮面取って引っ叩いてやろうかと思ったよ、あたしは」

「それを実行に移してくれなくてよかったです…」


そんな事したら歴史が一気に騒然となってたに違いない。
が引き攣った笑いを返すと、ナナリーはが着替えた服を片付けながら、「でも、ま」と明るい調子で言葉を続けた。


「面白い王子様じゃないか」
「まあ……うん、そうですね」


派手な服、ビラビラの袖、モンスターの仮面。
それを面白いで済ませられるナナリーはカッコよすぎる。男気が溢れている。が笑うと、ナナリーはパチッとウインクを飛ばした。


「さ、野郎共が帰ってくる前に、あたしたちはとっておきの夕食でも食べようか」
「はい!」