コンコン、とドアがノックされる。外は既に暗闇に飲み込まれてしまっていて、時計を見ると夜中の四時を示していた。
ベットから起きて扉を開くと、自分より少し背の低いイオンが不満そうな顔で仁王立ちしている。
「もうちょっと早く出て来れないわけ?寒いから早く入れて欲しいんだけど」
彼は驚いているを無視してさっさと部屋の中に入ると、ドアを後ろ手で閉める。
そのままいつもの席に座って足を組み、にも目の前の席に座るように目で促した。
「アリエッタのいないところで話がしたかったんだろう?
ったく、僕は君より随分忙しいって言うのに、こうやってあわせてやってる僕に感謝して欲しいよ」
ふぅ、とわざとらしいため息と一緒に肩をすくめた彼は、腕を組んでに今日の昼に聞いた返事を待っている様子だ。
は返事をするように椅子をきしませながら座り、膝に肘をついて顎を乗せる。
「その前にあたしからも質問がある。今の正確な日付と年号を教えてもらいたい。
先月の入団式で聞こうと思ってたんだけど、つい転寝しちゃって聞き逃しちゃったんだよね。だから」
「?今日生きてる人間が今日の日付と年号を知らないなんて変だね。日付を知っていなければユリアの預言を理解できないはずだし。
…今日はND2012のレムデーカン・レム・23の日だよ」
目を丸くしたがぽつりと呟く。――「五年前か」
怪訝な瞳にを映したイオンが「そろそろ僕の質問に答えてくれない?」と目の前で眉を寄せて考え込んでいるに投げかけた。
「君がどうして普通の人間にはできないことができるのか。
そして今この場所で息をしているはずの君が、今日の日付と年号を知らない理由もね」
考えの結末に辿り着いたのか、は顔を上げてまっすぐにイオンを見た。
「普通の人間にできないことができるっていうことは、普通の人間じゃないっていうことだって頭の良いイオンならわかると思うんだけどね。
そして、今日の日付と年号を知らなかったらユリアの預言を理解できないのなら、ユリアの預言を受けたことが無いと考えることもできると思うよ、イオンなら。
あたしはユリアの預言を生まれて一度も受けたことが無い。
そして、あたしは今この世界で息をしているはずなのに、日付と年号を知らない」
この場所で、と表現したイオンの言葉よりも、彼女が強調したこの世界で、という言葉のほうが、嫌ににしっくりきていた。
思えば彼女にはわからないことが多すぎる。
どこから現れたのか。
そしてどうやってダアトに入り、見たことも無い服装をし、皆に崇め奉られている導師イオンを呼び捨てにするような行為が出来たのか。
――言ってた。ここからずっとずっと遠いところから来たって
ここにずっといるのに、心配して親がくることもない。捨て子にしては健康そうな身体で、何かに不自由しているようにも見えなかった。
そして彼女はこの世界の文字を知らず、詠唱をせずに譜術を使うことが出来た。
「あたしはこの世界にとって普通の人間じゃないよ。だって身体に音素が含まれていないもん。
このネックレスは第一から第七音素のそのものを玉に込めたようなもん(って神様見習いが言ってた気がする)だから、
身体に音素がない分このネックレスから音素を使って譜術を使った」
イオンの瞳がこぼれるほど大きく開かれる。
「んでもって、ユリアの預言にもあたしの存在は多分記されていない。
イオンは詠んだ?自分は将来、身体に音素が含まれていない人間に会う、とかさ」
「…いや」と小さくイオンが返事をしたが、彼女は聞こえていないのか宙を眺めながら話を進めた。
「イオンは12歳で死ぬんでしょう?そしてそう預言したユリアと、それを示したユリアの預言を恨んだ。
でも一番恨んでいるのは、預言によって縛られているこの世界と、その預言を深く信仰しているバカ共」
ダンッ!と二人の間にあった机を横に投げ飛ばしてに掴みかかってきたイオンは、とても冷たく、その瞳は虚空を映している。
その割に酷く傷ついた顔をした彼は、やっとのこと搾り出したような声で「何が判るんだ」と唸った。
「何が判るんだッ!
僕はただ単に平和に暮らしたかったッ!こんなところに来て、世界の人間全てに預言を詠めるからって信仰されたくなんかなかったんだッ
ただ普通に、そこらへんに転がってるような平凡な家庭で、母さんと父さんと一緒に、おいしくもないご飯をおいしいって良いながら笑って過ごしたかったんだ…
別に幸せじゃなくたって良かった…
でもそれをユリアによってどん底に落とされたッ!!
導師になるべくしてなって、決められた預言を詠んで、へらへら上っ面で尊敬されて、こんなところに閉じ込められてッ!
それがなんだよ、用がなくなったらポイさ。あと3年で僕は死ぬんだ。世界にとって必要なくなるからね
その苦しみが君わかるかい?勝手に人生の道筋を決められてるんだ。そこから脱線することは決して許されない。
それなのに、すぐにいらないと言われて捨てられるんだ僕は…よっぽど何も知らないままひもじい思いして死ぬほうが楽だよ」
彼の瞳は、つい先程昼間に試験会場で見たものだった。
ああやはり先程の彼は、レプリカのイオンが言っていた彼のことだったんだ。
は何も言わずに彼の背中に腕を回し、ぎゅっと自分のほうに引き寄せる。その背中を優しく撫でて、落ち着かせるように「大丈夫だよ」と耳元で何度も繰り返した。
震えながら小さく嗚咽を零し泣き始めたイオンはまだ9歳の子供だ。
「イオン、聞いてね。そしてあたしの言うことを信じて欲しい。信じられる限りで良い。だから、少しでも良いから信じて欲しい。
あたしはこの世界にとって普通の人間じゃない。預言にも書かれていない。生まれて一度も預言を詠まれたこともない。
そしてここの文字を知らない。そして譜術を詠唱なしでしようすることができる。なぜなら、あたしはこの世界に今までいなかったから。
つまり、つい先月イオンに会ったときに、初めてこの世界の土を踏んだわけ。
でもあたしは、この世界のことを知っている。この世界のこと、って言っても、この世界のほんの一握りのことしか、だけど。
イオン、ヴァンのレプリカ計画に加参するつもりでしょ。
イオンが死んでから、イオンのレプリカは七人生まれてね、七番目のイオンが結局導師イオンという肩書きを貰うの。
で、そのほかの六人のイオンたちはザレッホ火山に落とされて殺される。
けど、一人だけ生き延びて、ヴァンに拾われて顔を隠し、師団長となる。
そしてレプリカ計画に加算するの――空っぽの、何の価値も無い自分を生み出した世界を恨んで。
イオンは知ってるよね、聖なる焔の光。彼はね、いろんなことを通して、預言には無い未来を作ろうと奮闘することになるんだけど。
導師イオンとなった七番目のイオンは、彼と一緒に行動する。世界の平和を求めて。
一人は世界を恨んで、一人は世界の平和を求めて。でも二人とも、預言をどうにかなくそうとして戦うことになる。
一番違ったのは、七番目のイオンは人としての自覚を持って死んだこと。もう一人のイオンは、最後まで自分がレプリカであることを自嘲しながら死んだこと。
…どうしてこんなことをイオンに話すと思う?わかるはずもない、未来のことを」
彼はの腕の中でビクリと肩を浮かし、恐る恐る顔を上げてを見た。
「さぁね。…導師にでもなったつもり?」
嘲笑しながらツイと視線を逸らすイオン。
「あなたにも、知らない未来が広がってるってことを言いたかった。
きっとたぶんね、あたしが何言ってもイオンはレプリカ計画に加担するし、イオンもシンクも生まれる。
ユリアの予言――星の記憶はかきかえることは出来ないと思うんだ。
でもそれでも、あたしはイオンに世界を恨みながら死んでほしくない。
だから決めたの。あたしがすんげー大物になって、イオンの心を開いて見せるから。生きてて良かったって言いながら死に逝かせてあげる。
あたしがイオンの、生きた証になってあげるから」
どうしてまだ9歳の男の子が、世界を恨みながら、自分の人生を罵倒しながら死を待つだけの生活を送らなくてはいけないのだろう。
あんな空虚な瞳をして、物事を見なければならないのだろう。
単なるエゴだっていい。
「あたしはイオンに笑って欲しい」
イオンはやがてゆっくり笑顔をつくるとの背に腕をまわした。
「君って、やっぱ馬鹿だね」
03.「vs我らがツンデレ王子!」
翌朝。
配られたクラス分け表を見ては心底感心した。やっぱりイオンってすげー。
のクラスは11組。ついでにジャンは5組。いいな、あの野郎。――ついでに言うと、アリエッタはもちろん1組だ。
そしてクラス分け表にアニス・タトリンの名前を見つけ、「きたっ」と小さな声をあげてしまった。同じ部隊だ。
「しっかし、困ったな。まさか今日から練習が昼からだなんて…」
朝から来た意味ないじゃーん。と教会でステンドガラスを見上げた。
もう一回部屋に帰るのも面倒だし、だからといってこのまま昼までここで過ごすのも時間がありすぎる。
やはりここは図書館にでも行って文字の勉強でもするかな。
そう決めて立ち上がろうとしたのとほぼ同時、隣に人が座った。
「うげ、」
この派手な銀髪は間違いない。ジャンだ。
何故こいつがここにいるんだ。そして何故あたしの横に座るんだ。嫌味か、嫌味かッ!?
「納得がいかない」
出された言葉の意味が理解し難かった。何の納得がいかないのだろうか。というか突然話しかけられただと!?
「お前が何故11で、俺が5なんだ。
確かにお前は特例かもしれない。しかし、あのときお前は俺に勝った。
なのに何もなかったことになって、お前はそれでいいのか?ヴァン総長や導師イオンのいいなりでいいのか?
少なくとも俺は納得できない!
だいたい、いつもいつもへらへらして黒板写して問題もまともに答えられないお前が俺に勝ったことが納得がいかない!」
お前一番それが納得いってないんだろ?
「うっわ、すんごくムカつくんですけど!へらへらしてて何が悪いわけ?世の中笑ったもん勝ちよ!笑ってなんぼよ!笑ってりゃなんとか何のよ!
それにね、文字わかんないんだから黒板写しとかなきゃついていけないじゃん!そして文字もわかんないのに問題に答えられるか馬鹿野郎ッ!
それに、納得いかないどうのの話じゃないんじゃないの?
あたしも、アンタも、ここで今から生きていかなきゃなんないの。ここで立派にならなきゃ生きていけないの。
それなのに、納得いかないからって上に逆らってちゃ、上にいけるもんも行けなくなっちゃうし、ましてやここを追い出されでもしたら死んじゃうからね。
それとも何?アンタは自分の命を犠牲にしてまで自分の名誉を護りたいわけ?」
浴びせられた言葉にジャンは眉を寄せた。それでも言い返す言葉は見つからないらしく、口は閉ざしたままだ。
まさかナンパしようと思っていた人間とこんな喧嘩を繰り広げるなんて思っても見なかった。
「賢明な判断と言えるな」
突然ジャンでもでもない声が割って入った。
この声は聞きおぼえがある。というか虫酸が走る。クソ髭め。
「ヴァン、総長…」
驚いた様子でジャンがヴァンを振り返る。今度はが眉を寄せる番だった。
「、もう一度試験会場へ来てくれないか。…もちろん、君も一緒に」
ヴァンは意味ありげに笑みをつくって、さっさと教会を出て行った。
ジャンも一緒に、とはどういうことだろう。
「考えても意味なさそうだし。行ってみりゃわかるか。…一緒くんの?」
「行くに決まっているだろう」
「そりゃ真面目なこって」
ハン、と鼻で笑ったに、ジャンはうざったそうな視線を送った。
試験会場の扉を開けると、二人の影があった。もちろん、一つはヴァンのもの。もう一つは――
「…アッシュ…」
小さく呟いた声は、多分ジャンにしか聞かれていない。
その後ジャンはヴァンに呼ばれて試験会場の端にある椅子に座った。本来なら試験監督用の席だ。
何となくさせられることはわかった。けど、何故?
「これから、君は彼と一戦交えて貰う。彼には手加減することのないよう言っているからね。君も死なないよう頑張ってくれたまえ」
お前が死ね
なに?貴様はあたしに死ねと言っているのか?そうなのか?そうなんだろ!?
そう思っている間にもアッシュの戦闘準備はとうに整っている。
は、置いてあった剣を腰に差した。剣なんて使ったことないけど、ここは異世界人パワーでどうにかするしかない。
くっそヴァンの野郎覚えてろよ!?
とはいっても、秘策はある。
ジャンと戦った日から、体力をつけようと筋トレをしている。長期戦になっても、上級譜術バンバン使えるぐらいにはなっているはず。
更に言うと、図書館でまだ習っていない上級譜術の一覧も勉強してきた。
これで武術が何とかなれば、引き分けぐらいにはなるはず。――少なくとも、命を落としたりすることはない、はず。
「では、はじめ」
瞬間、アッシュが地面を蹴って一気に間合いを詰めた。
そりゃそうだ。なんてったって彼の武器はルークと同じ剣。そして、ルークと同じ技。
「なめんなよ?あたしはずっとルーク使ってたんだっつーのッ!」
も地面を蹴ってアッシュとほぼ距離が一メートルになると、アッシュの剣が風を切っての腹あたりを横に流れた。
それをギリギリ避けると、グッと剣を持ち直して思いっきり下に下ろした。
アッシュが一歩飛退いて、剣を振りかざす。
「雷神剣!」
「おぅわッ」
空から降った稲光が腕を掠めて地面に落ちる。焼きつくような痛さ。こいつ、手加減する気ねぇな?
雷神剣で出来た風のFOFにアッシュが入り、剣の柄を握り直した。――もう一発来るな、こりゃ
は「アピアース・アクア!続いてアクアプロテクション!」と高々と叫ぶと、次の攻撃を身構える。
「襲爪雷斬ッ!」
先ほどよりも二三倍元気な稲妻がの身体を取り巻く。
何とかアクアプロテクションのお陰でほとんど食らっていないが、稲妻の威力でバランスを崩し格好悪くも地面に背をぶつける。
アッシュがめがけ剣を振りおろそうとした瞬間、は剣を思いっきり横に振った。
「獅子戦吼!」
思いつく技を適当に叫んだ。あわよくば当たれ、と念じながら。
風が獅子のような形になってアッシュを襲い、数メートル遠くまで吹き飛ばす。
が横に振ったせいで剣は地面とごっつんこしてぽっきり折れてしまった。
彼女は慌てて起き上がり剣を地面に捨てると、ゆっくり深呼吸をして精神統一をする。
アッシュが地面を蹴る音がする。集中、集中…技を出来るだけ鮮明にイメージして――
「グランドラッシャー!」
バキバキとうめきながら地面が割れて、一直線にアッシュを尖った岩が襲う。
もろ直撃したアッシュは地面に伏せると苦しそうにうめいた。
「はい!降参します」
は両手をあげて降参の形を示してから、アッシュに歩み寄って手を差し伸べる。
「ありがと。剣は容赦しなくても、譜術は使わないように言われてたんでしょ。
でもあたし武術まだ習ってないからさ。譜術使わないと死んでたんだよ。ホント、ごめんね」
手をとらずに起きあがったアッシュは「チッ」と舌打ちすると、に背を向けてドアの方へ歩いていく。
「勘違いすんな。単に俺が弱かっただけだろ」
ツンか!ツンだな!?
はにやける顔を押さえながら走ってアッシュの背中に飛び乗ると、アッシュは「のわッ」と言いながら何とかバランスを取って振り向く。
「何してやがるッ!」
「ハートレスサークル」
が唱えると、アッシュの傷との腕の傷がゆっくりと治っていった。
「いやぁ、回復をしようと思いまして」
「余計なお世話だこの屑が!」
アッシュはを振り下ろすと早足に試験会場を出て行く。
がやっぱりツンだな、と思いながらしばらく背中が去って行ったドアを見つめていると、後ろからぱちぱちと拍手の音が聞こえて来た。
「合格だ。――、君を神託の盾騎士団参謀総長並びに第五師団長に任命する」
「……はぁあああッ!?」
何言いだしてんだ、コイツ。ほら見ろ、ジャンも目をまん丸にしてるじゃないか!
「ちょうど席が空いていてね。どうしようか悩んでいたんだ。いや、本当に君のような逸材が現れてくれて嬉しく思うよ。
――とはいっても、君はまだ粗削りだ。きちんとこれからも訓練にも参加してもらい、士官学校を卒業してもらう。
それと同時進行で先ほどの少年に武術や団長の仕事を教わってもらおうと思っている」
いやいや、唐突すぎる。びっくりしてツッコミも入れられなくなってるじゃないか!
しかしせっかくのチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。
「了解しました。ありがたくその申し入れお受けします」
にっこり笑うと、ヴァンも機嫌よさそうに笑みを作る。
そして、ジャンを振り返った。
「そして、ジャン。君には参謀副総長並びに第五師団長補佐をやってもらいたいのだが」
ジャンはまた目を丸くさせて、しばらくたってから「御意に」と返答した。やっぱり真面目さんだな。
こうして、まんまとヴァンの思惑通りになってしまったわけだ。

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