昨日の今日で、見覚えのある外見と制服を着た少女が、山吹中の門前にいた。
一瞬逃げようかという思考が浮かんだが、少女はこちらに気付いたようだ。
「仁さん!!」
とても嬉しそうによってくる少女は、一見すれば壇二号に見える。
しかしそれは、一見すれば、の話だ。
「仁さん、そういえば私の名前言ってなかった気がして」
女の癖に喧嘩っぱやいし、この間は亜久津をモンブランで釣っていた。
“お前は毎日東京に来るほどの金があるのか”
問おうかとも思ったが、さほど問題でもなかったのでやめておく。
亜久津のそんな気も知らず、
「私、立海大附属中学校二年の切原といいます」
相変わらずの笑みでそう言った。
「切原?」
確か立海大のテニス部二年で切原とか言うヤツが居なかったか。
まさか妹か、それとも姉?
「テニス部の切原の、双子の妹です」
それで自分にもこんなになつくのだろうか――怖いモノ知らずというやつかもしれない。
だが、懐かれていることにそこまで悪い気がしないので、切原の妹だとしても自分は気にしないだろう。
「今日は仁さんに東京でお勧めのお好み焼きを食べさせてもらいたいんです!」
これまた嬉しそうに言うから、いきつけの店へと歩き出す。
無言でも行くことがわかったようで、も小走りで亜久津の隣に寄った。
今日も来たあの子。亜久津と二人のところ見つけたのに出るタイミングを逃した。
あの制服は立海大の子だろうと思う。
今日の朝亜久津にあの子について尋問(らしきこと)をしたが、たいした返答は無かった。
名前も聞いていないというし、何年かも知らないと言う。
しかし、あの子の亜久津を見つけたときの嬉しそうな表情が、頭から離れない。
あの笑みは亜久津にだけ見せるのだろうか。
俺にも見せてくれる?
そんなことばかり考える千石に、千石自身が驚いた。
女の子はみんな好きだ。誰か一人を特別に好きだなんて感情を持ったことがない。
「どうしちゃったんだろ、俺」
心がからっぽ、そんな感じがした。
オレンジ色の頭を掻きむしりながら、自分を嘲笑う。
亜久津にヤキモチ?
そんなはずない。亜久津だって男なんだから、女の子といたって変じゃない。
とりあえず今日は帰ろう、と家に向かった。
のろしをくぐって、少し膨らんだお腹を押さえた。
「ごちそうさまでした」
亜久津に言えば、不機嫌そうに眉を寄せながら自分の財布をしまう。
が金を払おうとレジで財布を出したとき、残金が帰りの電車代しか無いことが判明。
結局亜久津におごってもらう形になった。
時刻は、昼の三時過ぎ。まだまだ門限には時間があったので、亜久津の後ろを着いて歩く。
亜久津も何も言わずに前だけを向いていた。
どん、と肩がぶつかった。
ぶつかった肩をさすりながら隣を見て、は顔を顰める。
人目でわかる程、ちゃらちゃらした、いかにも不良の男性。
運が悪い。
「すいま「何処見て歩いてんだ、あぁ?」・・・」
の謝罪を聞かずにガンをつけてくる。
売られた喧嘩は買う。
それがのモットーであり、今回は謝罪はしようとしたのにあっちが聞かないかった。
「おい、テメー」
目の前の男の胸ぐらを掴む、後ろから伸びてきた手。
この声と手の正体は、言わずともわかった。
「仁さんやっちゃえ!」
言ってはみたものの、間に挟まれているのは辛い。
するりとそこを抜け出して男の後ろを見、の顔は青ざめた。
「うっわー、集団だよ」
ぞろぞろと自分と亜久津を囲んでいく男達を見て、ごくせんかよ、と呟く。
さしずめと亜久津は、不良生徒とと言ったところか。
「おい、お前」
「切原です。」
「・・・切原」
なんですか、と微笑して答える。
胸ぐらを掴んでいた男を一発殴って気絶させ、亜久津はを向く。
「テメーの身はテメーで守れよ」
口角をあげ、次の男を殴りに言った亜久津の背中を、唖然と見ていた。
意味がようやくわかって、もにやりと笑ってみせる。
「任せてダーリン」
OBに誘われ、柳と真田は東京のとある学校で行われた練習試合に行っていた。
高校生と言っても、試合を見ていて自分たちが劣っているとは思えない。
むしろ自分たちの方が優っているのでは、とも思ってしまう。
「今日は収穫という収穫がなかったな」
「あぁ。」
歩いている通りは、妙に人が賑わっていた。
「通りの真ん中で喧嘩してるって!」
「集団相手に二人だってよ!しかも片方女の子!!」
きゃっきゃ言いながら去っていく女性二人組の言葉が耳に入り、真田は眉を寄せる。
女性が喧嘩とはけしからん!
「真田、あれは赤也の妹ではないか?」
指さした先は、噂になっていた喧嘩の中心に立っていた少女だった。
確かに、制服も立海大のもので、一・二度しか顔を会わせていないが赤也の妹だとわかる。
まさか、赤也の妹が喧嘩をしているというのか
赤也の話から、妹はおとなしくて勉強好きで、赤也とは正反対だと聞いている。
どういうことだ。
少女の周りには既に何人もの男が倒れており、別の男が少女を殴ろうとしていた。
しかし少女は立ち尽くしたままで、なにもしない。
「待て!」
反射的に叫んだ言葉と同時に、少女の元へ駆け寄ろうとした、その時。
「ぐほっ」
「あたしに喧嘩売ろうなんて百万年早いんだよ」
充分引き寄せたうえで、彼女はその男を吹っ飛ばした。
近くにいた、山吹中の制服の男が最後の一人を蹴り飛ばしてから喧嘩は終わる。
「うわー!こんな時間だ、帰らなきゃ!!仁さん、またね!」
仁さん、と呼ばれた男は、山吹中の亜久津だった。
真田も柳も訳が分からずに、不審そうな顔で二人の様子を見ている。
少女がこちらを向いた瞬間。
「え、」
少女も動きを止めた。
「つまり、お前はこの世界の者ではなく、他世界から来て“切原”の身体を借りている、と。」
「そういうことになりますね、はい・・・」
連行されたのは真田の家で、は二人の前で正座していた。
最初は言い訳をしようとしたが、無意味に終わり結局事情を話した。
「赤也は知っているのか。」
「その事なんですが・・・言わないで欲しいんです」
真田の険しい顔――きっと彼はまだ信じ切れていない――で話を聞いていて、
柳がに質問を続け、は逃げ道が無いので正直に答えている。
「あたしは、元の世界でずっと赤也の妹になりたかった。赤也ってシスコンでしょう?
あなた方が出てる本の中でもそんな感じの発言が多かったんです。
だからなりたいと思ってたけど、実際問題簡単じゃないんですよね。
“実は自分は貴方の妹じゃないんです”なんて言ったら、どういう反応すると思いますか?
きっと、話してくれなくなっちゃいます。
せっかく来られたんです。したいことをしたいから・・・
でも、赤也ともいたいです。できるだけ、ずっと。私が帰るまで」
だから、黙っていてもらえませんか。
どうしても、ここは譲れなかった。それがたとえ愛しの真田でも、柳でも。
「どうする、弦一郎」
「仕方ないだろう。こいつも考えているようだ。」
黙っていてくれるんだ。
確信した瞬間、嬉しくて涙が溢れ出した。
本当のところ、自分の言い分で真田と柳が黙っていてくれる、という自信はなかった。
言い分はすべての都合で、二人が知ったこっちゃない。
もし聞いてくれなかったら、と思うと悲しくて必死に涙を堪えていた。
「た、たるんどる!泣くな!」
「弦一郎、お前は慰め方を覚えろ」
うっ、と詰まって真田はおろおろしたまま押し黙る。
柳がふわりと笑っての頭に手を置いた。
「大丈夫だ。今度から何かあれば俺たちを頼ればいい。」
乗せられた手は、とても優しくて安心が出来た。
