それは、深い理由など無く、ただの衝動だった。
今日は部活が休みなのでちょうどよかった、とにんまりと笑う。

「あの子の所に」

小さく呟いて、神奈川行きの電車に乗った。












帰り道、自動販売機に目がいった。
自動販売機の前にしばらくたたずんで、爽健美茶を穴が開くほど見つめる。

一昨日と昨日、連チャンで東京に行ったため、残金は一桁しか無かった。
爽健美茶は150円もするし、今日はあきらめるしかない。

しかし、今飲みたくてしょうがなかった。
は、したいときにしたいことをしなければ気がすまないタイプだ。

隣からお金を入れる音がして、そちらを見れば白ランの人物がいた。
オレンジ頭の――


「はい、爽健美茶飲みたいんでしょ」


そしてこの声、この顔。まさしく千石清純。
大好きで、彼のためにこの世界に来たかったと言っても過言じゃ無いほど大好きな彼。

まさかもう会えるなんて、夢にも思っていなかった。

「あれ、爽健美茶じゃなかった?」

心配そうに顔を覗き込まれ、急いで首を振る。
そっか、とボタンを押して、出てきた爽健美茶をに渡す。

「じゃあ俺はコーラにしようかなぁ」

自分の分の飲み物を買って、公園に行こう、と彼は歩き出した。
引かれている手を見つめ、これは夢なのか。今さらな事を考える。

だって貴方と会えるなんて、まるで夢のようだから。














公園のベンチに腰掛ける。
辺りには子供達が楽しそうに遊び、母親達が立ち話をしていた。

「俺、千石清純。亜久津の友達なんだ。」
「立海大二年の切原って言います。」

千石はコーラを一口飲み、「テニス部の切原君と兄弟?」と続ける。

「双子の妹なんです」

彼が喋るたび、ドクドクと脈が速まっていく。
心臓がうるさくて、近くにいるだけで胸が苦しくなる。

「最近亜久津とよく一緒にいるでしょ?」

赤也や亜久津の時のように、テンションをあげられない。
萌に敏感になれないし、うまく笑うことさえできなくて、どうすればいいのか迷う。

「俺も話してみたいと思ったんだよねぇ。」

それは単純に興味が湧いた、ということで。
女の子大好きな彼にとって、日常茶飯事なことだ。


嬉しかった。
もしかしたら千石さんには会えないかも知れないと思っていたから。

わかってた。
こっちの世界に来ても自分だけが特別視される訳もなくて、彼にとってあたしはそこら辺の女の子と一緒だということ。

だからこそ、悔しかった。
考えなしにただ“トリップしたい”だなんて言って。
傷つくことくらい、自分が何もできないことぐらい、わかっていたから。

悔しかった。
自分はこの世界に来たって変われなくて、外見が違ってもあたしはあたし。

たとえ愛されても、それはこちらの“さん”で。
みんながあたしを好いてくれるわけない。

わかっていたから、辛い。
再び再確認させられたことが、悔しい。



「ごめんなさい!今日は急ぐ用事があって、あんまり長く話せないんです」

言い訳苦しいが、こうすること以外千石から離れる方法が思い浮かばなかった。

「俺もごめんね。いきなり押しかけちゃって。また来るよ」

会えば、もっともっと貴方を好きになる。
元の世界にいた頃よりも、今よりも。だから会っちゃいけない。

貴方が他の女の子といるところを見れば、あたしは深く傷つくから。
それは自分を守るため。それは“帰りたい”と思わないため。

「はい、待ってます」

うまく笑えただろうか。
彼が微笑したのを見て、笑えたんだろうと少し安心した。












彼女は、待ってます、と言ってくれた。
でもその笑顔は千石が見たかった笑顔とは別で、とても苦しそうだった。

「最近の俺、なんか変だな」

彼女が走っていく背中を見つめ、困ったように眉を下げる。

に「話したかった」と言ったとき、今にも泣きそうな表情に変わった。
辛そうな、悔しそうな、悲しそうな。そんな顔。

「あんな顔、させたかった訳じゃないんだけどな」

どうしてこう、自分は一番大事なときにアンラッキーなんだ、と自分を責めてみたが何も変わらなかった。

ひとつ、溜息。

「また来よう。今度は笑ってもらえるように」

君が僕に笑ってくれるのを、僕は待ち続けよう。














昨日の夜は、部屋にこもってずっと泣いていた。
赤也姉や赤也、両親たちまでも心配そうに何度も部屋を訪ねてきた程だ。

教室に入り自分の机に鞄を置く。
鏡を取り出して、少し腫れていた目を押さえた。

ドタバタ、と大きな足音が聞こえて、それは自分の教室の前で止まった。

「切原いる!?」

一斉に女子達の黄色い悲鳴が上がる。――どれだけテニス部は人気があるのだろう。
いや、あのメンツだから仕方がないことかもしれないけど。

あれ、今あたしの名前を呼ばなかったか?

黄色い悲鳴もいつの間にか止んでいて、痛い視線が突き刺さっていることに気付く。

あたしが何をした!

「切原さんなら、あそこですよ」

親切なのか、はたまた下心なのか。女の子の一人(名前覚えてない)がブン太に言う。
ありがと、と返して嬉しそうな顔でこちらに向かってくるブン太。

まて、待てまてまて!?
何故レギュラージャージでしかも嬉しそうなんだ!?

お構いなしに歩み寄るブン太に、後退る
こんなことで女子達に目をつけられたら、ブン太は責任をとってくれるのか。


「この間のモンブランうまかったろ!?」


呆然と、口を開けた。そんな事のためにこんな騒ぎを起こしたのか、こいつは。
しかし当のブン太は顔をピンク色に染めながら、嬉々として聞いている。

「はい、とっても。ありがとうございました」

あぁ、高橋さん。貴方の声はもう神だわ!!いや、神より上を行ってます!
けどここは帰って下さいぃいいい!!!!!

女子達の目が、獲物を威嚇する獣と同じ目をしている。怖い、こわいこわい!!
心の中で助けてと悲鳴を上げながら、返事を返す。

「あの、どうしてレギュラージャージなんですか?」
「お前と早く話したかったんだよ!
あそこのモンブラン、食いに行こうって言ってもみんな無視すんだ」

きっと“みんな”はテニス部レギュラーだろう。
の秘密を握っている、真田と柳もいる――というか中心人物――テニス部。

「今度一緒にモンブラン食べにいかない?」
「いや、あたしチョコケーキ専門なんで」

さりげに断っているのだが、ブン太は全く気付いていない様子で、「じゃ、チョコケーキで美味しいトコ行こうぜ!」と続けた。

まだ赤也の方が察しがいいよ!

半ば涙目で叫ぶ――心の中で。(絶対口には出せない!)
とりあえず、「はぁ。」と相づちだけ返して置いた。






結局、ブン太はホームルームが始まるまで居座り続けた。
その間中、女子達の視線が痛いことといったらない。
居心地が悪かった。

「あのさ、切原さん。」

来た、文句!
予想はしていたが、まさか本当に来るとは。なんて単純な奴等なんだ。


「切原君の妹だからって、調子にのりすぎなんじゃない?」


一つ言っておこう。
ここは、次の時間が体育なのでその子達のグループしかいない、教室である。











せっかくケーキ仲間が出来たと思ったのに、ホームルームが始まるので先生に無理矢理教室を出て行かされた。
もう少し話したかったのに。

「もっかい行こ!」

昼休みが終わる寸前、ブン太は自分の教室を出た。










「赤也の妹だからって、調子に乗りすぎって?」

の沸点は、既に通り越していた。
彼女たちの中には以前に掃除を押しつけようとした女子もいて、いつも“さん”を目の敵にしているのが一目でわかった。

「そうよ!あんた「テメーらこそ調子のるんじゃねーぞ、あぁ?」・・・」

睨みあげたその瞳に、一瞬で顔をこわばらせた少女たちが映る。ああ、駄目だなんて自分に言い聞かせても聞かないことぐらいわかっている。

にやりと口角をあげて近くにあった机を叩けばビクリと肩を揺らす彼女たちがあまりに滑稽で思わず鼻で笑ってしまった。



「あんたらさ、赤也の妹になりたいと思ったことある?ねぇ、ある?」


こんなにも愛おしいのに近くにいれない自分にどれだけ腹が立ったことか。一緒の世界にいるという事実すらうらやましいのに。
なんでこの少女たちはそこまで欲張ろうとするのかまったくもって理解ができない。理解しようともしない。どうせこちらのこともわからないから。

「どれだけあたしが赤也の妹になりたいと思ったか知らないでしょ?
やっとなれたと思えば、“赤也の妹にだから調子にのってる”?バカじゃないの」

はっ、と鼻で相手を嘲笑う。

「今は赤也の妹だから調子にのってんだよ!」

どれだけ自分は幸せ者だろう。彼らの隣に立って彼らと話をして同じ世界に立っている。それだけでとても幸せだ。
こんなにも素晴らしい世界に立っていることに気付かない彼女たちがかわいそうでしょうがない。うらやましくてしょうがない。

「あたし心広いから、今まで我慢してきてやったけど」

今度“さん”バカにしたら、ただじゃおかないから。覚えときな

さんはあたしの全て。彼女がいたからあたしがここに来ることができた。彼女に会えたならこの幸せの分お礼をたくさん言いたい。
逃げるようにして去っていく少女たちの背中を蔑むように見ていた。

「あーまじ疲れる。ありえねー」

自分も早く体育に行かなければ、とドアに向いた。


「アンタ、誰だ」


――あーあ、やっちゃったよ
怪しむような目で見てくるブン太と、頭を抱えたがそこにいた。