腫れた頬事件は越前家代々に伝わりそうな程の大騒動となった。
前々から思っていたのだが、リョーマに対してはある意味淡白な、かの南次郎氏も娘の事になると豹変するようだ。
倫子さんは心配してくれたものの、理由を無理やりに聞こうとは思わなかったらしく、湿布を貼ってくれたのだけですんだのだが、
一方の南次郎は「誰にやられたんだ、おいリョーマ、ラケット持ってこい」と用途不明だが嫌な予感がするラケットを催促し、
結構冷静に見えたリョーマも、異存はないと言うようで――おいリョーマ、ラケット渡すなよ!と思わず突っ込みを入れてしまった。
これは是が非にも理由は言えまいと、天の岩戸のごとく口をつぐんだに、南次郎は泣き付く始末。
なんだか某死神漫画の主人公のお父さんを彷彿とさせるのは気のせいだろうか、とは口端を引きつらせた。
次の日たまたま廊下で会った不二は「その怪我どうしたの」と口調は優しいものの、目が開眼していて、
初めて間近で見たは「ひぃぃ」と息をのむと
「ちょっと廊下で転んで」とあり得ないいい訳をして逃げ、自ら落ち込む原因を作ったのだ。もう少し言い様があるだろう、私。
そんなこんなが数日たちやっと騒動も治まった時、「昼休み電話をしていいか」とからメールが入ったのだ。
お互い怒涛のように過ぎていく日々の中で、落ち着いてメールのやりとり等できるはずもなく、
メールの回数はどんどん減っていき、現状を把握することすら怠っていた時の事だったので、は喜んで応じる事にする。
昼休みになって人気の少ない校舎裏に行くと、案の定誰もおらず(日陰で湿っぽい事からお弁当を食べるには不適当なのだ)、
が「電話OKだよ」とメールすると、幾分もしないうちに携帯のバイブで手が震えた。
「もしもし」
『やっほー、姉ちゃん元気?』
相変わらずの能天気な声には拍子抜けして、
「とりあえずね」と答えると肩をすくめる――どうやら取り立てて大変な用事じゃないらしい。
あの子の事だから、誰かにバレて騒ぎを起こしているのじゃないだろうか、と言う心配は杞憂に終わったようで、
はほっと安堵の息をつくと、柔らかな口調で「それで、どうしたの?」と尋ねた。
『あのね、先に謝っとくけどゴメン。ばれちゃった』
ピシィっとは固まる。
かろうじて「誰に?」と尋ねると、電話の向こうであははと笑う声が聞こえる――「真田と柳とユッキーとブンちゃん」
全然笑い事じゃねぇよ!
思わず携帯を握る手に力が篭って、は震えると「…なんで」と尋ねた。
『真田と柳には、亜久津と一緒に乱闘してる所見られて、
ブンちゃんにはクラスの女子に“赤也の妹になれたから調子に乗ってるんだよ!”って切れた所聞かれたの』
「何確信に触れるような事いってんのアンタは――ッ!」
「だからゴメンって言ってるじゃん」と、怒られている事を、
まったく気にも留めてないようにいけしゃぁしゃぁと言うに、は電話口で怒鳴る。
「柳がごまかせないのは分かる。柳にバレた以上真田を丸める事が出来ないのも分かる!その連鎖でユッキーに伝わるのもしょうがない
あの三人はまだ口が堅そうだから百歩譲って許すにしろ、ブン太にバレたら部活中に言ったも同然だろーがぁ!
って言うか亜久津と何時知り合いになったのよアンタは!」
まくし立てるように言うに、は「姉ちゃんうるさい」と言うと、
呆れたように言葉を返した――「一個づつ聞いてくれないと返答に困るよ」
何でアンタが呆れるのよ!私が呆れてるんでしょうが今は!と、の心中は穏やかでない。台風が吹き荒れてるようだ。
『姉ちゃんと落ち合った次の日にね、姉ちゃんに会いに青学に行こうと思ったら道に迷っちゃって。
道聞こうと思ったら柄の悪い人たちしか居なくてね、仕方ないから聞いたのよ。
そしたら案の定因縁つけられたから思わず手が出ちゃって、後ろから殴られそうになった所を亜久津に助けられちゃったのよ。
これは運命の出会いっしょ?んで、せっかくだから亜久津と仲良くなりたいじゃん?って訳で私は山吹に通いつめたのですよ。
そんで一緒にモンブラン食べに行ったりしてたんだけど、お好み焼き食べに行った日に人にぶつかって絡まれちゃって、
正当防衛だから一緒に暴れてたら、何でか知らないけど東京に真田と柳が居て…バレちゃった』
てへ、と電話越しに聞こえてきそうなノリである。
『それに、ブンちゃん言わないって約束したから大丈夫だって…多分!』
「何で多分だけ自信一杯なのよ!」
今一緒に居たら絶対殴ってる、と声を震わせるの言葉を聞いて、だから電話したんじゃんとあっけらかんには言った。
『そんで問題はココからなんだけどさぁ〜』
今までの何処が問題じゃなかったかをあえて尋ねたい。
『なんかテニス部のマネジになっちゃったんだよね。あ、もちろん断って逃げたんだよ。でも捕まっちゃって』
「…そして自ら的になる敵地に赴いてる訳ですか」
『何かその言い方カッコイイねぇ!そうそう、赴いてる訳ですよ』
もう嫌だ!この子のお姉ちゃん止めたいッ!とは思わず泣きそうになる。
会話のキャッチボールが出来てない。ボール投げたらサボテンがかえってきた!と意味の分からないことを叫びたい気分だ。
『そんでね、夏休みの中盤あたりで合宿あるらしくって。
朝真田に資料を氷帝まで持っていくように頼まれたんだけど、姉ちゃんも一緒行こうよ』
「え、嫌だ」
『即答ですか!?返事早いよ!』
コンマ一秒単位で拒否したに、は電話の向こうから力いっぱい突っ込み、
ああ、確かに電話口で騒がれたらうるさいな、とはさり気なく携帯を耳から離した――お陰で少し冷静になれた。
『なんでー、行こうよぉ』
「誰が好き好んで跡部と忍足に関わらなくちゃいけないのよ。私はアンタと違って平穏な日々を望んでるの」
そして一般市民なの、セレブとは次元が違うのよ、と言うと、は「いいのね…?」と打って変わった静かな声で尋ねてくる。
「な、何が…?」と、思わず尋ねたに、は神妙な声で答えた。
『あたしと跡部が会うんだよ?何かあるよね?何もない訳がないよね?』
た、確かに…!
説得力がありすぎる言葉に、は思わず息をのむ。
ここでだけを行かせる=氷帝にバレる、と言う図式が否応なしに浮かんだは、
しばらく押し黙ると、あからさまなため息をついた。
「分かった…行くよ。何時に氷帝集合?」
『学校終わるのが四時だから、余裕を持って五時半位に氷帝の門前集合って事で』
「んじゃぁねぇ」といたって明るく電話が切れて、は通話を切ると、深く肩を落とす――もうヤダ
【いざ、氷帝へ!】
氷帝学園、と書かれた門を見上げて、は気持ちが重くなるのを感じた。
私立青学よりも大きな校舎、出て来る生徒達は皆制服を各々に着こなしていて、セレブ感がこれでもかと言う程漂ってくる。
時計を見ると、五時二十五分。
そろそろ着いてもおかしくない頃なのにな、とは思うと、携帯電話をポケットから取り出して見た。
メール一件
From:
件名:思ったよりも早く着いたから
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ちょっと探検してくる。
テニスコートで待ってるね(*^ワ^*)/
|
(*^ワ^*)/じゃねぇ…ッ!!
ホントに自重する気があるのだろうかあの子は、
むしろ騒ぎを起こしたいように思える――そんなに私をハゲさせたいか!(被害妄想)
は拳を震わせたものの、門を出て行く生徒達が不審な目で自分を見ている事に気付くと、
コホンと咳払いして、改めて校内を見上げた。ただでさえ他校の制服なんだ、目立つ事この上ない。
意を決して一歩踏み入れると、そこはもう高級感漂う空間だった。
何だか無駄に木が多い。ついでに言うと人も多い。
校舎の壁なんかピカピカで、窓ガラスも一切曇ってなく、一体何人掃除のおばちゃんを雇ったらこうなるのかを聞きたくなる。
とりあえずグラウンドに向かって足を進めてみたものの、その足は十分も歩かずに立ち止まる事になった。
ここ…どこ?
いくら大きくてもここは学校。大体学校のつくりはそんなに違わないだろうと思ったのがそもそもの間違いだ。
ここは氷帝――テニプリの世界に常識なんてあってないようなものなのだから。
見渡す限り広がる木々と、アリスの世界に出てきそうなアンティーク調のテーブルと椅子。
さしずめここは中庭と言った所か…げんなりとした表情で、は頭を抑える。
ただでさえ方向感覚はないに等しいのだ、簡単にテニスコートに辿り着けるはずもない、と、は改めて見渡した。
まるで物語の一ページのように広がっている木々は、夏の爽やかな風を受けて葉を揺らしている。
太陽が差し込む木漏れ日は、万華鏡のようで――ってそんな事言ってる場合じゃないから!
柄にもなく乙女チックな思考に(もはや現実逃避とも言える)は鋭い突っ込みを居れると、とりあえずその場に足を踏み入れた。
さわさわと葉が擦れる音がする。
がきょろきょろと木々を見上げながら歩いていると、足元を見てなかったせいで、何かに躓いた。
「わ!」
思わず前のめりにこけそうになって、寸でのところで地面に両手をつくと、かろうじて顔面ダイブを逃れる。
ありがとう越前さん、これが私の体だったら間違いなく地面とキスしてました(運動神経皆無)
「痛ぁ〜」と言いながら体制を立て直すと、どうやら誰かの体に躓いたらしい、すらりと伸びた二本の足が見える。
ゆっくりと目線を顔の方に持っていくと、規則的に揺れる腹に、
どちらかと言うと可愛い顔立ち、さらさらと揺れる金色の髪が瞳に映った。
ジローさんじゃないですかっ!
立ち上がったは、足音を立てないようにゆっくりとジローに近づくと、腰を下ろして、額にかかった髪を横に流してみる。
「うわー、可愛い。天使みたい」
ジャージを着てるから、部活前なのかな?
って言うか、ホントにどこでも寝てるんだなぁ…
思わず我を忘れて見入っていると、閉じていた眼が突然開いて、はびくぅっと体を浮かした。
「えへへ〜、俺天使みたい?」
聞かれていた、随分乙女な発言に恥ずかしくなってがあたふたしていると、ジローはの腰に手を伸ばして、引き寄せる。
「うわ!」とが驚いた声をあげると、ジローはぎゅぅっと抱きついて、ダメ押しのように尋ねて来た。
「ね、俺天使みたい?」
「う、うん」
初対面の人間に行き成り抱きついてくる天使なんておるか
そんなの気持ちを露とも知らず、ジローは「えへへ」と笑うと、
の顔を見上げてふわりと微笑んだ――「俺、そんな事言ってもらったの初めて」
ちょ、その笑顔反則ですから!ぎゃぁ眩しい!と、
が思わず目元に手をかざした時、ジローは少し身を起こしての太ももに頭を乗せると、尋ねて来る。
「ねえ、君誰?」
抱き寄せて膝枕するよりも、それがまず尋ねるべき事だよね
さり気なく置かれた頭に突っ込む気も起きず、が「越前です」と言うと、ジローはぱぁっと顔を輝かせた。
「越前って、あの青学の越前君のお姉さん?」
「うん。そうだよ」
「そっかぁ!だから青学の制服着てるんだ!ねぇねぇ、不二君元気?」
「元気ですよ、そりゃぁもう」
あの開眼を思い出して背筋が寒くなったが苦笑いを零しながら言うと、
ジローは「また試合したいなぁ」と嬉しそうな笑顔で笑って、まどろみだした。
え、寝るの!?せめて私を解放して寝てよ!と言って、が身をよじると、「動いちゃダメだよ」と言ってまた腰に手を回す。
ひぃぃ!お嫁に行けなくなるよー!(何でだ)
とは言えここは他校。うっかりそんな発言をした日にゃ、さらし者も言い所だ。
おまけに相手は天下のテニス部――さらし者ならまだしも、血祭りになりかねない。
声にならない悲鳴をあげていると、が来た方角と反対から歩いて来る音が聞こえてきて、
こんな所を見られちゃまずいと、は必死にジローを揺らした。
「ちょ、寝ないで!起きて!人が来る!」
「ん〜…羊が三匹…」
「誰が羊の話しをしとるか!」
こうなりゃ張り倒すしかないな、とが手を伸ばしかけた時、足音が止まると訝しげな声が尋ねてきた――「先輩?」
顔を上げると、怪訝そうな顔をした日吉が映る。
これぞ天の助けだ!と言わんばかりには日吉に向けて両手を開いた。
「日吉助けて!お嫁に行けない!」
「何がどうなって、そうなるんですか」
それでもが必死な事は伝わったのだろう。日吉はジローの襟元を掴むと、懇親の力を使って引き剥がした。
「うわぁ」とジローが寝とぼけた声をあげて、ごろごろと芝生の上を転がる。あ、なんかちょっと面白いかも。
やっと自由になったわが身で立ち上がって、
日吉に頭を下げたが「ホントに助かったよ。貞操の恩人」と訳の分からない礼を言うと、日吉は無愛想に尋ねた。
「何してるんですか、先輩。こんな所で」
そうだった!私はあの問題児を探してるんだった!
本来の目的を思い出したが、「ねぇ、テニスコートってどっち!?」と掴みかからん勢いで聞くと、
日吉はジローの両脇を持って持ち上げる。
「俺も跡部さんに頼まれて芥川先輩をコートに連れてく所だったんですよ。ほら、先輩、起きて下さい」
「うーん…」
ジローが目を擦って、今更気付いたように日吉を見上げた――「あれぇ?日吉。こんな所で何してんの〜?」
仮にも先輩だというのに、日吉はあからさまに嫌そうな顔をすると、「先輩を連れに来たんですよ」と半ば強制的に立ち上がらせる。
おぼつかない足取りで立ったジローは、眠そうに目を擦ると、を見てえへへと笑った。
「俺、天使じゃなくて、芥川慈朗って言うの」
嫌、“天使みたい”から何時の間に“天使”に昇格したんですか貴方は
そう言おうと思ったものの、日吉が「天使?」と首を傾げたので、は「何でもない!」と激しく首を横に振り、
日吉とジローの背中を押した――なんか先生の事をお母さんって呼んだ小学生の気持ちだわ(微妙な例えPART2)
「行こう、行こうテニスコートへ!」
が急かすように背中を押すので、半ば早歩きになった三人は、中庭を抜けて再び人ごみの中に突入する。
ざわざわとざわめき立つ人の波は、先ほどとは違う浮き足立った感じがして、
「何かあったの?」と日吉に尋ねると、彼は首を横に振った――「俺はずっと芥川先輩探してたんで」
日吉の言葉に、大して悪いとも思ってないくせに、ジローが「ごめんねぇ」と謝る。
何だか謝り方と言うか、言葉の軽さがうちの問題児に似てるな、と思ったの耳に、その問題児の声が飛び込んできた。
「何度でも言ってやるわよこの泣きボクロ!アホベ!このセレブ!」
もう動揺することすら無駄な気がして、は肩をすくめるとこめかみを押さえた。
とりあえず、セレブは悪口じゃないよ、

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