「…これは、死活問題だ…」
ガクガクと震える手でシャープペンシルを握って、が小さく呟いた言葉は静かな部屋に虚しく響き渡る。
窓の外はもうとっくの昔に真っ暗闇で、立場上決してこんな勉強している所など見られてはいけないは、
部屋の電気を消して、机の電気のみで教科書にかじりついていた。
テストまで後一週間。それが終われば晴れて夏休みなのだが、その前にそびえる壁は果てしなく高い。
テストの成績が机から出てきた時には、もう全て話してしまおうかと思った位だ。
って言うか全教科九十点台ってどう言う勉強したらそんな点が取れるのか
少なくとももう私には無理だ。ペンが、ペンが持てません…ッ!
しかも当然のように英語が百点なのを見た時には、もう眩暈で倒れてしまいたいと願わずにはいられなかった。
別に英語は苦手科目ではない。どちらかと言うと得意科目に分類してもいいだろう。しかし人にはそれぞれ限界と言うものがある。
「限界…それは物事の、これ以上あるいはこれより外には出られないというぎりぎりの範囲、境。限り(yahoo辞書参)…
ダメだ!混乱してきた!もう嫌だ助けてママン…ッ!」
身体能力が変わらないんだったら、頭の中身も変えないで欲しかった。人格だけ入れ替わるっての!?(無茶言うな)
ちくしょう帰国子女だなんて言う肩書きいらねぇよ!
私は日本人である事を恥じてない!素晴らしきブシドー!(もう意味分からん)
「と、…現実逃避はこのくらいにして…。今私の前に立ちはだかっているのは、数学、古典――そして英語」
むしろ全教科ですと言いたい所だが、とはげっそりとした表情で頭を垂れた。そんな事を言ってたらきりがない。
それにしても、どうして中学校のテストでこんなにレベルが高いのだろうか。高校のテスト並みに問題が難しい。
20.5見た際、跡部の得意科目にドイツ語とギリシャ語と言う単語を見た時には腹を抱えて笑っていたが、
今考えると青学でよかったなとはつくづく思う。氷帝の生徒だったりした日には、いろんな意味で首をくくらなければならなかった。
それを考えると、気持ちがちょっと前向きになってきて、
とりあえずこの苦手なこの三教科を徹底的にマークし、残りは日ごろの勉強の成果に頼ることにしよう。
と、思える辺り自分に余裕が出てきたと言うか、あちらのテスト前の時期よりかは、少し自信がある。
何せこちらに来てから一日も勉強を欠かした事がない。元の世界の母親が見たら、感動のあまり卒倒するだろう。
こちらに来てから今日までの授業は、真剣に聞いていて、
予習復習もきちんとしている事から、問題集を解けばまだ追いつけるだろうが、
越前さんが受けていた授業の部分は、どうあがいても取り戻せない。ぶっちゃげどこから手をつけていいかが分からなかった。
それでも暗記系科目はコツコツと勉強してきたお陰で幾分か余裕があるのだが、その他にはまったくと言っていいほど自信がない。
デット・オア・アライブと言う単語が脳裏に浮かんだが、
どこか思いつめた表情で教科書に伸ばそうとした手は、なぜか携帯電話を握っていた。
(待てよ、早まるな。これは最終手段だ――嫌、しかしもうテストまで一週間。最終手段だとか言ってる場合ではない)
教科書と携帯の間で行き場がないように手がさまよう。
バレる事も死活問題だが、この最終手段もある意味生命に関わってくるような気がするのは気のせいだろうか。
しかしの立場を知ってる上で頼れるのはもう“彼”しか居ない。
覚悟を決めたは、携帯電話を開くと手早くメール作成をした。
To:周助君
件名:古典数学(90点代)、英語(100点)
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助けて下さいm(_)m |
【神様>魔王?】
「これ…何ですか」
「何って、テキスト」
朝一に教室で待ってるようにとメールが来たのは、決意を決めてメールを打った十分後。
言われた通り誰も居ないうちに教室に来ると、目の前には軽く山を作るくらいの参考書が乗せられていた。
それでもあえて尋ねたの言葉に、あっけらかんと返事を返す不二。
うん、それは見れば分かるんですけどね。とは参考書から逃げるように不二に首を巡らせた。
「あの、この量を一週間でやれと仰るのでしょうか」
「うん。ちなみに僕は二週間かかったけど、まぁ僕は部活があったし、出来るんじゃない?」
なんか凄く投げやりな言葉に、は言い返す気力も起きずに「はぁ」と生返事を返す。
お前これが越前さん相手でも同じ位投げやりで出来るのかと尋ねたい。今すぐ尋ねてやりたい。
が、越前は元々出来るから必要ないよ、と、ヤツなら悪びれもなくいけしゃぁしゃぁと言うのは目に見えいて、
わざわざ自分が傷つく事をする程おろかではないのだよ。と、は改めて参考書の山に目を向けた。
数学、古典、古典、数学…永遠と続くこの二教科に気絶したくなるのだが、肝心の英語が見当たらない事には瞬く。
「あの、英語は…」
「それね、僕も考えたんだけど。百点取るの無理だと思うんだよね」
この子ったらあっさりと…ッ!人の立場も知らないで!
「…しかしですね、周助君。一応帰国子女と言う肩書きを持っている以上、英語の成績はよくないと疑われるんですが」
「でも無理なものは無理だろうし。テスト用紙盗んだりしたら出来るかも知れないけど」
「私を堕落させたいんですか?」
「まさか。あくまで仮定の話しだよ。大体、そんな事したら越前の経歴に傷がついちゃうしね」
しれっと言う不二に、はもう返す言葉の気力もなく、バタリと参考書の頂上に額を乗せた。
「その越前さんに向かう愛情のひとかけらでもいいんで、こちらに向けて下さいませんか」
ポツリと呟いたの言葉に、不二ははぁ、とため息をつくと、真顔になる。
「これだけ大量の参考書を君のためにわざわざ家から持って来てるのに、どの口がそんな事言ってるのかな?」
今にも顎を掴まれて「この口かな?え?」とでも力いっぱい握られそうな勢いである。
ひぃぃ!目が、目が開眼してる!呪われるッ、魔王に呪われる!と、両手で目を塞いだは、はっと気がついたように顔を上げた。
「周助君の黒魔術で何とかなりませんか?!」
「…は?」
「私の世界では周助君=元祖魔王。周助君の目が開けば泣く子も黙る。って言うか永遠に黙らせられると言いますか。
とにかく周助君に不可能はない訳ですよ」
力説したの言葉の後、シーンと言う効果音が付きそうな程静かになる教室で、
不二は何とも言えない表情をすると、「僕も一応人の子なんだけど」と苦笑した。
そうだったのか…ッ!
初めて知った!とありありと顔に書いたを見て、
あからさまに気分を害した不二は鞄の中から参考書を取ると、「追加」と山の上に重ねる。
重ねられた参考書の重みで、山が崩れそうになり、は大慌てで両手で囲うと、弾けるように不二の方に首を巡らせた。
「ちょ、これ辞書くらいの厚さあるじゃないですか…!殺す気ですか!」
身動きが取れないながらも必死で講義するに、不二はふ、と視線を落とすと、口端を持ち上げて笑う。
「僕…魔王にはなれないかも知れないけど、鬼にはなれる気がするんだ…」
何その今気付きましたみたいな顔!先生ここにSが…ドSが居ます!
もう半泣き状態のが山を二つに分けて涙を堪えていると、不二は「冗談は置いておいて」と言葉を続けた。
「百点が取れるはずもない英語で時間をロスするよりも、苦手な二教科に重点を置いて、
せめて全科目平均上位に入れば疑われないと思うんだよね。
大体、現実的に考えて自分の娘の中身が他人を入れ替わってるなんて普通思わないって」
この世界のどこが現実的なのかを聞きたい。
しかし下手なことを言うと、今度は鞄から百科事典のような厚みの参考書が出て来る可能性が高いので、ギリギリ言葉を飲み込んだ。
何も言わない事に満足したのか、
不二は「じゃぁ毎日、参考書ちゃんと消化してるかテストするから。頑張って」と言うと、教室から去っていく。
その背を見ながらは小さく呟いた――「冗談なら辞書型参考書持って帰ってください…」
それからの怒涛の一週間は幕を上げた。
睡眠時間はせいぜい四時間。
ご飯とお風呂と寝ている時以外は机にかじりつきつつ、毎日不二手作りのテストをこなし、
九十点以上取れなかったら次の日にテストは繰り越し。しかも問題は変わってるときたもんだ。
「ペンだこが出来た」といえば、「包帯で手とペン固定してみれば?」とたいした事もなさ気に返される始末。
もう鬼を通り越して鬼畜だ!とが泣きながら不二の教室を去っていくのは見慣れた光景で、
「不二君と越前さんって最近よく一緒に居るよね、付き合ってるのかな?」とお門違いな噂が流れていると知ったのは大分後なのだが。
とにもかくにも気が狂いそうで、もう周りの目なんてどうでもよくなったは、
昼休みを初め十分休みだろうと帰り道だろうと教科書と参考書から目を離さなくなった。
(とは言っても、家族と居る間はポーカーフェイスを崩さなかったが)
いつも清清しい顔でテストでいい点を取っていたが必死に勉強をしている姿を見た生徒が、
「越前さんでもあんなに勉強しなくちゃいけないんだ」と気を改め勉強を初め、
感動した担任の先生にお礼を言われたが、そんな事はどうでもいい。
テストまで後二日。もうそろそろ気力も根性も尽き果てそうだ。
かろうじて正気を保ったまま、血走った目で参考書を解いていると、部屋のドアが叩かれ、は時計を見上げた。
午前三時――一体こんな時間に誰が起きてるのだろうか?
「はい」と返事をすると、開いたドアから入って来たのはリョーマで、手にはお盆、その上におにぎりと目薬が乗せられている。
「どうしたのそれ」と言うと、「夜食」と言葉を返され、机の上に乗せられた。
見ると、いびつな形をしたおにぎりが二つ――倫子さんがよくお弁当に入れてくれるおにぎりは綺麗な形だから
はそのおにぎりを穴が開くほど見つめると、リョーマに尋ねた。
「これ、リョーマが作ってくれたの?」
「いらないならいいけど。俺が食べるし」
ひょいと持っていかれそうになった手を握ってとめて、は「嬉しい」と言うとリョーマを見上げる――「ありがと、リョーマ」
手を離して、ふわり、と笑ったにリョーマは瞬き二回。
数秒黙り込んだ後で、ふぃっと顔を逸らすと、「別に」と言って部屋から出て行こうとするので、慌てては呼び止めた。
「ねぇ、リョーマも一緒に食べよう」
くるりと振り返ったリョーマにおにぎりを一つ差し出すと、リョーマはしばらく動かなかったが、
何言う訳でもなく踵を返しておにぎりと手に取ると、口に入れる。
「…しょっぱ」
そんなリョーマとは対照的で、「いただきます」と言った後黙々と食べるに、
リョーマが「塩辛くない?」と尋ねると、はほくほくとした表情で「美味しいよ」と答えた。
「リョーマが一生懸命作ってくれたものだから、美味しい」
「…」
尾を引く沈黙に、は「う」と内心固まる――兄弟でこんな事言うのっておかしいのかな?
生憎男兄弟と言うものが居ないので、免疫がないはこう言う時なんと返していいのか分からない。
それでも、リョーマが作ってくれたのは本当に嬉しかったし、
こんな時間に持ってきてくれたのには、日ごろの勉強の疲れも吹っ飛んだので、正直な気持ちだったのだが。
おずおずとがリョーマを見上げると、リョーマは大きな瞳にを映して「そう」と淡く微笑んだ。
悶絶しそうな程のかっこよさに、は思わず視線を逸らして「う、うん」とかろうじて返事を返す。
しばらく沈黙が続いたものの、リョーマは何気なく机の上に置いてあった写真に目をやって、「これ、誰?」と尋ねて来た。
見ると、それは現実の自分達と、その両親の写真で。
は切ない気持ちでそれを見つめると、「友達と、その家族なの」と困ったように微笑えみ、
リョーマはそんな彼女の表情を見て、「ふーん」と言うと、最後の一口を食べ終わり、部屋のドアに手をかけた。
「目」
「え?」
「目、充血してるから。目薬差したほうがいいんじゃない?」
お盆の上に乗せてある目薬。
リョーマが出て行った音を聞いていたは、ぎゅっと目薬を抱きしめると、瞳を伏せた。
「ありがと、リョーマ」
□
「周助君!見て!全科目八十点代取った!」
廊下に貼ってある成績表を見に来た不二とたまたま遭遇したは、飛び跳ねん勢いで駆け寄ると、成績表を掲げた。
キャッキャ言って喜ぶを見た不二は、「よかったね」と今では希少価値の優しい笑顔を見せる。
「うん。周助君のおかげだよ!」
あれだけ勉強してこの成績だが、越前さんの足元ぐらいには及んだと思う。
こと数学と古典に関しては、九十点を上回ったのだから、満足極まりない。
ホントにありがとう、と言おうとしたの後ろから「おい不二」と先生の声が聞こえてきて、
二人して振り返ると、不二のクラスの担任の先生が険しい顔で歩み寄ってきていた。
「お前、今回のテストどうした。古典と数学以外はいつもより成績が落ちてるじゃないか」
古典と数学と言うピンポイントに、ははっと目を見開くと、
「少し調子が出なくて、次は頑張ります」とやんわりと微笑んで返事を返す不二を見る。
そう言えば、毎日毎日作られていたテストは不二の手作りで、
今考えれば、テストに出そうな問題をチョイスして作っていたのだ。自分の勉強時間が減るのは目に見えている。
「そうか」と言って去っていった先生を目で追っていた不二は、
が苦い表情で自分を見上げている事に気付くと、「気にしないで」と頭をぽんぽんと叩いた。
「君のせいって否定は出来ないけど、僕が好きでやったことだから」
「…ありがとう、周助君」
彼も人の子と言う事で魔王説は否定されたし(それでも黒い部分を否定する事は出来ないが)、
もしかしたら天使…いや、神様かも知れない、とは感動を噛み締める。
全国の不二ファンの皆さん、彼は優しくて好青年です!(魔王の方がタイプと言う人も居るかもしれないが)
ここが現代なら、そう叫んで不二のイメージアップに貢献しただろう
(普段のイメージが悪いと言ってる訳ではない。言ってる訳ではない!)
不二は「でもそうだね…」と、どこか遠い目で天井を見ると、ぽんと手を叩いた。
「確かに君がいつまでこっちに居るか分からないんだし、テスト対策は早めにやっておいたほうがいいよね。
って事で、明日からまた参考書もって来るから」
「あの…夏休みは…」
「僕は部活もあるんだよ?それに加えて君の勉強を手伝ってあげるのに、何?君休む気?」
「め、滅相もございません!不肖、頑張らせて頂きます!」
勢いあまって敬礼までつけたを見て、満足そう不二は頷く――「そうそう。素直が一番だよね」
え、それアンタにだけは言われたくないんだけど、とが心の中で呟くと、
(でもある意味素直だ。越前さんの事以外については、欲望に忠実とも言う)
真っ黒い笑みを浮かべて尋ねて来た――「今ろくでもない事考えたよね」
ぎゃぁああと声にならない悲鳴をあげたは、
不二を残して安全地帯(自分の教室)に逃げ込むと、ぜぇぜぇと肩で息をして、方程式を頭の中に浮かべる。
ヤツは神様>魔王?=鬼だ!やっぱ鬼畜だぁあああああ!

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