「赤也に、バレた?」
「…うん」


電話から聞こえてくる声は、今にもかすれて消えてしまいそうで、は携帯を耳に寄せると「それで?」と尋ねた。

「真田と柳が部室で話してたのを、赤也が聞いちゃったみたいなの。
どう言う事なんだって詰め寄られて――誤魔化しきれなくて、全部話したんだけど…」

自他共に認めるシスコン野郎の赤也の事だ。
そうだったのか、で終わるとはとても思えなくて、が「今家なの?」と尋ねると、
泣いているのだろうしゃくり上げる声が聞こえた後、小さく「うん」と返事が帰って来た。


「でも、全然口も利いてくれなくて、赤也の家族も不審に思ってる。どうしよう家追い出されちゃったら…ッ!」
「落ち着いて。仮に赤也がバラしたとしても、現実問題、自分の娘の精神が赤の他人と入れ替わってるなんて思わないから」



だけど赤也も今混乱してるだろうし、お互い少し距離を置いたほうが良いかもしれない。

とりあえずと赤也を離して、赤也を幸村に説得して貰うのが一番だろう――でも、行き成り越前家に迎えるなんて無理だし…。
真田の家に居候?バレたのは真田のせいなんだし、嫌とは言えないはず…。

でも、たった一人の肉親が落ち込んでるんだ、出来ればそばに居てあげたい。
せめて気が紛れるような事が出来たら、とは何気なく目を机に向けると、はっと目を開いた。



「何とかなるかも知れない…ッ!うんうん、してみせるから、アンタ今日と明日は何とかしのぎなさい。
それから、親に外泊許可を貰う事。そうね…明後日から二泊三日、友達の親戚の家に泊まりに行くとでも言いな。分かった?」
「う、うん」

「それまで、堂々としてなくちゃダメよ。何言われても平気な振りしてる事――絶対、連れ出してあげるから、頑張って」



こればっかりは代わってあげる事が出来ない。
他人と言う関係が恨めしい。家族だったら、飛んで言って抱きしめてあげれるのに。

「大丈夫だから」と言うと、は電話口で緩く笑った後に「頑張ってみる」と弱弱しく言葉を返した。




【誠意】




いつもは夕食を食べたら勉強をしに部屋へ戻るのだが、今日はテレビをつけてリビングのソファーに陣取っていた。
リョーマと言葉を交わして他愛ない話をすると、彼と菜々子さんが二階に上がっていくのを横目で見届ける。

リビングに残ったのが、後片付けをしている倫子と、
テーブルで新聞を読みながら茶をすすっている南次郎の三人になると、はテレビを消してテーブルに歩み寄った。


足音でこちらに視線を向けた南次郎が、
至極神妙な顔で立っているを見て「どうした」と尋ねてき、倫子さんもテーブルを拭く手を止めると「あら」と言う。

「お父さん、お母さん…お願いがあるんです。
明後日から三日間、神奈川の友達と一緒に大阪に行かせて下さい」


「は?」と南次郎が素っ頓狂な声を上げ、「おいおいそんな金がどこにあるんだよ」と顔をしかめたのを見て、
はポケットから懸賞で取ったチケットを取り出した。

「実は、さっきまで忘れてたんだけど、商店街の福引で大阪旅行のペアチケットを当てたんです。
ホントは日頃のお礼にお父さん達に上げようと思ってたんだけど、友達が家に居れない状況になって。

その友達の力になってあげたいんです。
大阪の親戚の家に行くと言う名目で、旅行に行かせて下さい。お願いします」


間違っても、妹の助けになりたいんですなんて言えない。
ホントの事が言えない以上、誠意を見せるしかないと思ったは、深々と頭を下げた。


「大阪の親戚っつったって、ウチには大阪に親戚なんていねぇぞ」
「分かってます」

暗に嘘をついて欲しいと言っている事が分かった南次郎が顔をしかめ、「ダメだ」と新聞に目を戻す。
ここで引くわけには行かない。

そもそも一回のお願いで聞いて貰える等とは思ってなかったは、「お願いします」ともう一度言い、更に頭を深く下げた。

「お父さん達の了解が取れないなら、無許可でも行くつもりです。
家に閉じ込められても、縄で縛られても意地で家を出ます――でも、そんな事したくないんです。

お願いします、行かせて下さい」


南次郎と倫子が、頭を上げないを見て、顔を見合わせる。
倫子は「ねぇさん」と言うと、「どうしてその子は家に居られなくなっちゃったの?」と尋ねて来た。

「…言えません」

しばしの沈黙を置いてそう言ったに、南次郎は目元を吊り上げる――「理由も言えねぇのに親に嘘をつけってのか」
「はい」とがきっぱり言うと、南次郎は苦虫を噛むような顔をし、新聞を閉じた。

「その子は、お前にとって何なんだ」
「大切な妹みたいな存在です」

「その子とリョーマと、どっちが大切なんだ?」

要するに南次郎が言いたいのは、赤の他人にそこまでしてやる義理がどこにあるのか、と言う事なのだろう。
それが分かった上で、ははっきりと答えた。


「家族と他人は違います。でも、どちらも私にはかけがえのない存在です」


南次郎達に取って、リョーマとが家族であり、
が友達なのだろうが、の中では違う――リョーマが他人だ。
はかけがえのない大切な妹で、リョーマは言葉では言い表せない程大切な人。比べる基準が違いすぎる。

南次郎はもう一度「お願いします」と頭を下げたを見、新聞を開くと、湯の身に手をかけた。


「おい、大阪の親戚に連絡入れておいてくれ。ウチの大事な娘がそっちに行くからくれぐれも大事に扱うように、ってな」

はっと目を見開いたが顔を上げると、
倫子はクスクスと笑って「そうね」と言い再びテーブルを拭きだした。



これは、つまり黙認してくれると言う事だろうか
の嘘を、一緒についてくれると言う事なのだろうか



「…コッチの空港を出る時、向こうの空港に着いた時、一日事ある事にマメに連絡を入れる事。帰りも同様。
もし連絡が途絶えるような事があったら、引っ張ってでも連れて帰るぞ」
「ありがとう!」


さっそくに連絡入れてあげなくちゃ!きっと喜ぶぞ!
話しを持ちかけた時から打って変わった軽い足取りで二階に上がっていくを見ていた南次郎に、倫子は笑った。



「素直じゃありませんね。それだけ大事な友達が出来た事を喜んであげればいいのに」
「うるせぇ、可愛い娘をそう簡単に見ず知らずの土地にやれるかってんだ…だが」


――どちらも私にはかけがえのない存在です


「リョーマ以外見向きもしなかった癖に、アイツも、あんな顔出来るようになったんだな」
「変わる物ですね、時に離れて行ったように淋しく感じますよ」

「チッ、まだまだ離れてなんかやんねぇよ」とお茶をすすりながら言う南次郎は、
どこからどう見ても子離れできない駄々っ子のようで、倫子はくすくすと鈴のように笑う。

「そうですね。まだまだ、可愛い娘ですものね」












「そう。すまないね、弦一郎のせいで」
ベッドの脇に腰掛けて、お見舞いに持ってきたリンゴを剥きながら事情を説明したは、
幸村の侘びに、「いつかは、きっとバレてましたから」と苦笑を零した。

「でも、あの子はきっと最後の最後まで、赤也には気付いて欲しくなかったと思います」



赤也の妹になりたい、と言っていた時の表情が脳裏に浮かぶ。
――きっと赤也って凄いシスコンだと思うんだよね。凄く優しくしてくれそう…あ――ッ、妹になりたい!



口を利いてくれないのだと、泣いていた声が今にも聞こえてきそうで、
表情を曇らせたの頭に、幸村は大きな手のひらを乗せた。

「分かった。どこまで力になれるかは分からないけど、俺は俺なりに赤也を説得してみるよ」
「ごめんなさい。幸村君だって自分の事で精一杯なのに…」

「いいんだよ。言ったろ?今は少しでも誰かの手伝いがしたいし…彼女は、ウチの大事なマネージャーだからね」

幸村の言葉に、は無理して笑顔を作ろうとしたものの、失敗して変な微笑を浮かべる。
何となく微妙な空気になって、話題を変えようと言う気遣いなのだろうか
皿に乗せられたリンゴを指差して「食べていいかい?」と幸村が尋ねると、は「どうぞ」と言って皿を差し出した。


「果物剥いたりするのはいつもなんで…スイマセン、不器用で…」


ガタガタに剥かれたリンゴは、見るからに見栄えが悪くて、は居心地悪そうにそわそわと尻を動かすと、慌てて付け加える。
「あの、料理は出来るんですよ。普通位には!」

「ふふ。俺はここの所病院食ばかりだからな。いい加減手料理が食べたいよ」
「だったら、幸村君が退院した時にお祝いに持ってきます」

さらっと出た言葉だったのだが、はわっと両手を挙げると勢い良く首を横に振った。
「あの、出すぎた事言ってスイマセン!お母さんの料理が一番ですよね、
って言うか彼女さんの立場がないって言うか、ホントごめんなさい!」

挙句の果てにぺこぺこ頭を下げるを見て、幸村は「はは」っと肩を揺らして笑うと、しばらく笑って目元の涙を拭った。

「俺、彼女居ないよ」
「そうなんですか」

驚きで瞬いたに、幸村はリンゴをかじりながら「ん」と返事を返す。
「あんまり必要性を感じないかな。今は病気で手一杯だし…他に部員の事も考えなくちゃいけないしね」


そう言えば20.5に恋愛では一人の女性を愛し続けるけど、当分は部員が恋人みたいな事書いてあったな、
が考えていると、「でも」と幸村は付け加えた。
「君なら恋人に大歓迎かな」


ぶっと噴出したを見て、幸村は更に笑う。
「ま、またからかいましたね!」
「さぁ?からかってるかどうかは君次第って所かな」

「まだ言いますか!」


「ホラ、静かにしないと看護婦さんが殴りこみに来るよ」とやんわり注意する幸村の言葉に、
両手で口を押さえたが、びくりと体を浮かした――殴りこみって!

予想通りの反応なのか、幸村はまたひとしきり笑うと「話しを元に戻そうか」と本題に戻す。

「それで、よく越前のお父さん達が許してくれたね。中学三年生の旅行を」
「真実が言えないなら、誠意を見せるべきだから。精一杯頭を下げました。
まあ許可が下りないなら、家に閉じ込められても縄で縛られても意地で家を出るって、半ば脅しも入ってたんですけど」


あはは、と笑ったに、一瞬幸村は瞬いたものの、苦笑した――「強いね」
幸村の言葉に、が「幸村君だって強いですよ」と言うと、彼はふと真顔に戻る。

「俺は…弱いよ。今この状況が夢ならいいのにっていつも思う。死が怖くてたまらない」
「死が怖くない人なんて居ませんよ。目の前に迫らないから、怖いと言う実感がないだけです。
それに、怖いものがない人なんていませんよ。皆怖いものの対象が違うだけなんです」

「君の怖いものは何?」

突然聞かれて驚いたは、幸村から視線を逸らして窓の外で揺れる木を見ると、「そうですねぇ」と遠い目で雲を追った。
「今は、自分自身を裏切ること…かな」
「裏切る?」

「はい。自分が信じることを一つ一つやっていかないと、元の世界に戻った時きっと後悔すると思うんです。
私がここに来れたのは奇跡だからって…スイマセン、これこそ強がりですね。訂正します。

私が怖いのは…未来、です」

「未来?」
ポツリ、と零したように言ったの言葉を拾った幸村にこくりと頷くと、手元に視線を落として、瞳を揺らした。


「幸村君には、ちょっと申し訳ないけど…向こうに居た時、私、未来が怖かった。
ここで終われたら、死にたいって、思ったことも何度もあったよ。

私ね、中学校も高校もそのつどその時精一杯頑張ろうって思ったんだけど、人間関係が上手くいかなかったの。
私太ってるし、可愛くもないから、せめて性格ぐらいは可愛くあろうと明るく勤めてたし、人の事とか絶対言わなかったの。

だけどね、高校の時、それまで仲良かった子が私がクラスの子の悪口言ってるって嘘言いふらして、
私人の事なんて言った事ないのに、なぜか皆そっち信じちゃってハブられて。

何とか誤解は解けたんだけど、溝は埋まらなくってね。
結局そんな感じで高校生活終わって、進学したら変わろうってまた決めて頑張ってたんだけど、
何が気に障ったのかなぁ…。

同じクラスだった男の子にからかいの対象にされちゃって。

元々男の子と交流がなかったからそう言う幼稚な行動に免疫がなかったって言うのもあったんだけど、
それまで虚勢を張ってたのが崩れたって言うか、緊張の糸が切れて途方に暮れたって言うか…。

それが原因でちょっと精神的に参っちゃって、学校にも行けなくなったの。

頑張ろうって思ってたのにどうしてこうなっちゃうんだろう、って凄く落ち込んだ。
今から頑張ろうって思っても、無駄なんじゃないかなって、何で生きてるのかなってそこまで落ち込んじゃってね。

女の子とも上手くやれない、男の子は怖い――人全員が怖くなってね、前を向いて歩くことも、家から出る事も怖くなったの」


そこで一旦言葉を区切ったは、「でも君達と親友。家族、特にが居たから、私は生きて来れたんだよ」と苦く笑った。


「私達の世界から見たら、君達は二次元で、親も私達が君達の事を語る時いつも呆れてた。
それでもね、支えだったんだよ。

君達がどこかで生きてるって思って、いつか君達に会えるのを信じてなくちゃ、自分を保てなかった。

だから幸村君、貴方が今ここに居る事が私の救いなんだよ」


――好きな人が同じ世界に居ない気持ち、私よく知ってます。
   大好きなのに、手が届かなくて。手が届かないから恋しくなって。こんなに好きなのに、何で会えないのって毎日神様恨んで



越前さんが弟を愛してたから、自分は好きになれないのだと泣いていた彼女
そんな彼女の辛さは当然ながら他人事で

自分が生きている証を残したくて彼女に手を差し伸べた

俺はただ、自分よりも可愛そうな人を見つけたかっただけなんだ
そんな時異世界から現れて、傷を背負った君は格好の的だった


「他人にとってはね、ほんの些細な事かも知れない。そんな事でくじけてどうするんだって言われるかも知れない。
だけど、私は私なりに必死に歩いてきたし、その些細な事で私は追い詰められた」


――また、お話を聞いてもらいに来てもいいですか?
   …幸村君が生きてる証を、貰いに来てもいいですか?


彼女も、そう言うつもりだと思っていた
傷の舐めあいのつもりだと、少なくとも俺はそう言うつもりで彼女を抱きしめた

だけど彼女は違ったんだ


あの時、いつも誰かが言う「私も頑張ってるから幸村君も頑張って」なんて言う無責任な言葉を、彼女は言わなかった
俺はそんな一時しのぎで安心するような言葉を聞きたくないと思いながら、どこかでそれを言って欲しくて

自分はまだ生きていられるのかと言う不安の穴に、それを埋めてたんだ


テニスの話しをしないでくれと言ってるんだ!もう帰ってくれないか!


あの時の真田の顔が脳裏に過ぎる。
立海三連覇と言う同じ宿命を背負っていたはずなのに、突然自分だけ別の戦場に放りだされたような気になって

俺は一方的な言葉で、弦一郎を殴りつけた


穏やかな顔で笑ってみせたって死と言う恐怖からは逃れられなくて、誰かの手助けをする振りをしながら、自分を慰めて


――怖いものがない人なんていませんよ。皆怖いものの対象が違うだけなんです


そう。怖いものがない人なんて居ないのに、それを真っ直ぐ見ようとしなかった俺と違って、君はちゃんと見てたんだね
自分の弱さ、怖さを知ってるから、他人の弱さや怖さをを理解できる
だから、一時しのぎの言葉なんて言わないし


――幸村君、貴方が今ここに居る事が私の救いなんだよ


最初から傷の舐めあいのつもりなんじゃなく、俺と言う存在に語りかけてくれてたのか


「…君がここに来たのは、俺達の為でもあるのかも知れない」
「え?」

近くで顔を見た時、真っ赤になる姿
からかい半分だった俺の言葉に、怒る姿

まだ出会って数週間、まして喋ったのは今日を入れて二回なのに、君はいつも俺を真っ直ぐに見てたんだね


――それでも、リョーマの傍に居れたら幸せだって思えます


不意にあの時の泣きそうな顔が浮かんで、ずきんと心が痛む。


ホントに惚れる前から失恋なんて、笑えないな
「え?」

「何でもない」




俺も立ち向かえるだろうか、自分の恐怖に
認める事が出来るだろうか、自分の弱さを






そしたら君は越前にしか見せない笑顔を、俺に見せてくれるだろうか






「赤也の説得は俺達が出来るだけ頑張るから。旅行、気をつけて」

赤也の妹が向こうに逃げたいと思ったのも、君達が来たいと思って来たのも、
もしかしたら君達だけの為じゃなくて――俺の為、赤也の為、そして誰かの為なのかもしれない


今なら素直に君の助けになりたいって思うことが出来る。
俺に出来る精一杯の事をするから、君なら俺の恋人に大歓迎なんて言ったら、からかってるって怒るかな

今度は俺、本気なんだけど


「ありがとうございます。あの…勝手にペラペラ身の内話してごめんなさい。
幸村君が一生懸命頑張ってるのに、私…死にたかったなんて言って」

最初から俯きがちな子だったけど、もっと自信を持てばいいのにとふと思った。
きっと、それを分かってる人はこの世界にも居るんじゃないかななんて、敵に塩を送るようなマネはしない。

今まで君を傷つけた人は、君の本当の気持ちを知らなくて、君の外見しか見なかっただろうけど


「うんうん。俺、今から一生懸命頑張るんだ。だから、笑ってくれないか」


君は眩しすぎるくらい綺麗なのに