顔がまともに見れなかった。見てしまえばガラガラと今あるもの全てが壊れそうでしかたがない。
貴方はどんな顔をしていたんだろうか。しりたいような、しりたくないような。

『結局アンタは、俺を騙してたんだろ』

心臓が潰されそうで、喉が苦しくて――上手に息も出来ない。震える手を一生懸命止めようとしても、上手く抑えられない。

「あかや」

赤也、赤也
どれだけ呼べば、貴方は振り向いてくれる?少しでも彼らの近くにいたくてここに来たのに、それなのに。

ずっと赤也の妹になりたかった。
それは、間違いだったのか。想うことさえ許されないのか。

この世界に来たことが間違いならば、あたしは何故ここにいるんだ
貴方や、他の人たちを想うことさえも許されないなら、あたしはここにいる意味がない

「あかや」

ねぇ神様。貴方はどうして、あたしをここに連れてきたの?















ドアの向こうから、足音が三つ聞こえる。一つは静かに、一つは緊張しているのか音が大きくて、一つは聞きなれた赤也のお母さんの足音。
それはどんどん近くなって、の部屋の前で止まり、ドアが叩かれた。

、テニス部の子が来たよ」

お邪魔します、と小さく呟く音と、ドアが閉まる音がする。



真田の呼ぶ声さえ、自分の事を呼んでいるのではなく、“さん”なんじゃないかと思う。なにこれ、重症じゃんか。
そう思いながらも、こんな腫れてる目じゃ顔を合わせられないな、と冷静なことも思っている自分に心の中で微笑する。

「すまん、俺が・・・」

クッションに顔を押しつけたままなので顔は見れないが、きっと真田は申し訳なさそうに顔を顰めているだろう。そんな顔、見たくないのに。

「切腹する、なんて言い出さないでよね」

言って、微笑する。

この間のブン太のように、不覚は絶対に見せられない。泣いて終わることなんか一つもない。他の人に泣き顔を見られて得することなどない。
いつものように明るく、個性のかたまりのような“”でいなければ。それが自分を支える術であり、すべてであるから。

「・・・強がるな」

それまでなにも言わなかった柳が、の頭に手を置いた。ポンと軽くかかった重圧は心臓の辺りに深く沈んで反射的にまた目頭が熱くなる。
あぁ、どうしてこの人達はわかってしまうんだ


「今さら誰かに文句言ったって意味ないジャン。いつかは赤也だってわかったことだし、それがどう伝わるかなんて誰もわからない。
過ぎたことは仕方がないし、第一赤也に伝えられなかったあたしが悪いんだし。

赤也を騙してた、あたしが」


二人が押し黙るのがわかった。あーあ、ばかだなあたしは。別に心配してほしいわけでも同情してほしいわけでもないのに。

いけない、わかってるんだけどな。
どうして空気を悪くするようなことを言ってしまうんだろう。


「なーんてね!大丈夫、大丈夫!なんとかなるって」


どうかあたしの強がりをわかって。
これ以上ここにいられたら、大声出して泣けないから

「何かあれば、俺たちを頼れ」
「と言っても、この騒ぎは俺たちが起こしたようなものだが」

見事なコンビネーションで、二人が一つのセリフを残して部屋を出ていった。
















泣き過ぎて、もう多分一粒も涙がでない。それぐらい泣いて気付けば夜だった。ご飯も食べてない。というか下に降りる勇気がない。
先程から鳴りやまない電話も、いい加減うざくなってきた。

「・・・もしもし」
『お前さっさとでろぃ』

不機嫌そうな声が流れてきて、電話の向こうでブン太が眉を寄せているのがわかる。

「真田と柳から聞いたの?」

鼻づまりで言葉に全部濁点がついているようだ。微かにブン太が笑った声が聞こえた。
ブン太にはきちんと話し言葉にきこえているだろうか。言葉をわかってくれているだろうか。

『おう』

ブン太はそれ以上なにも言わずに、こちらから言うのを待っているようだった。

「真田と柳にばれたとき、あたしこう言ったの。

“実は自分は貴方の妹じゃないんです”なんて言ったら、きっと、話してくれなくなっちゃう。
せっかく来られたから、したいことをしたい。

でも、赤也ともいたい。できるだけ、ずっと。私が帰るまで”って。

あたしどれだけ勘がするどいんだろうね、本当にその通りだったよ。全く…これからエスパーちゃんにでもなろうかな。」

口も聞いてくれない、目も合わせてくれない彼を思い出してぽたりと落ちたしずくに少しだけ感動した。
もう涙は出ないと思っていたのに。


『俺が力になる。なんかわかんないけど、この間から話聞いた時すんげーそう思ったんだ。

が悲しいときとか、が苦しいときとか、話聞く。それだけで力になれるか、っていうと違うような気もするけど…
の力になれること、するからさ。』


ブン太の言う“”はどっちだろう。しょうもない疑問が思い浮かんで、それと一緒にあたしを睨んでくる赤也の顔も思い出した。
あたし?それとも“さん”?

最初からずっと思ってた。彼らはあたしと“さん”、どちらを見ているのか。
馬鹿だなあ。分かってるはずなのに何か期待してた自分がおかしくてしょうがない。

みんなはあたしのことを知らなくて、あたしがみんなのことを知っていて。
の存在を知っているのは少数なのに、なんでを見てほしいなんて思えるのかが今思えばわからない。

赤也は“さん”を見ていた。それはテニス部のみんなだって、亜久津だって千石だって、氷帝のみんなだって同じ。
同じじゃないとおかしくて、同じなことが当然なこと。


『俺は赤也の妹じゃなくて、“”に言ってんだ』


その時始めて認識した。
彼は――ブン太はずっと、“あたし”の事を見ていてくれていた、と。












ブン太との電話を終えて、少し気持ちが軽くなって気がした。
多少冷静になった気持ちで今の状況を整理していくと、再び悲しくなったが、とりあえずに電話しようと携帯を握る。

「赤也に、バレたの」

電話が繋がった瞬間、言葉も待たずに先に伝えた。
突然投げつけられた言葉にとまどいながらも、は「赤也に、バレた?」と繰り返す。

「・・・うん」

小さく返すと、「それで?」と尋ねてくる。
また泣き出しそうで、必死に声を抑えた。にきちんと伝えなければ。

「真田と柳が部室で話してたのを、赤也が聞いちゃったみたいなの。
どう言う事なんだって詰め寄られて――誤魔化しきれなくて、全部話したんだけど・・・」

「今家なの?」
「うん」

話しているうちに、込み上げてくる気持ちに押さえが効かなくなっていく。

「でも、全然口も利いてくれなくて、赤也の家族も不審に思ってる。どうしよう家追い出されちゃったら・・・ッ!」

紡ぐ言葉は、逆に自分を追い詰めている。
ついに溢れ出した涙は、頬をつたって膝の上のクッションにシミを作った。

「落ち着いて。仮に赤也がバラしたとしても、現実問題、自分の娘の精神が赤の他人と入れ替わってるなんて思わないから」

それから少しの間沈黙があり、が何か思いついたように喋り出す。


「何とかなるかも知れない…ッ!うんうん、してみせるから、アンタ今日と明日は何とかしのぎなさい。
それから、親に外泊許可を貰う事。そうね…明後日から二泊三日、友達の親戚の家に泊まりに行くとでも言いな。分かった?」


詰め寄ってくるように話すに「う、うん」とひきめに返事を返す。

「それまで、堂々としてなくちゃダメよ。何言われても平気な振りしてる事――絶対、連れ出してあげるから、頑張って」

いつもはが落ち込んで、それを黙って支えるのに、
たまにこうやってが落ち込めば、それをがどうにかしようとしていた。

「大丈夫だから」

安心させようとしているのだろう優しい声に、とても勇気づけられる。
「頑張ってみる」

声量は小さかったものの、どうにかなる、と少し前向きになることができた。

















といっても、親は両親共に家におらず、リビングはがらんとしていた。いつもはあんなにうるさいのにな。
リビングの端のほうにあるのはピアノで、昔お姉ちゃんが使っていたそうだ。

「大丈夫、だよね」

ピアノに触れて、小さく呟く。
今なら弾いてもいいかな。お姉ちゃんも赤也も、部屋で音楽きいてるだろう。

ぽろん、とこぼれおちるように音を出すピアノ。

さん”はピアノを習っていなかったようなので、手が慣れない。
調律も怠っていたようで、音もひび割れていた。

それでも、流れていくピアノの音は心地よくて、また泣いてしまう。

ひび割れた音も、時々音が外れるのも懐かしい。
本当に苦しくて辛いとき、最後に行き着く落ちつく方法はピアノを弾くことだった。

他人が感動できるようなすごい音も出せないし、立派な曲も何一つ弾けない。

けど、弾いているだけで落ちつくことができた。
歪んだ視界も、だんだん増えてくる間違いも、何故か安心できた。

『結局アンタは、俺を騙してたんだろ』

違うよ、違うの。
騙したいんじゃなかった。伝える勇気がなかった。


「違うんだよ、赤也・・・」
「・・・?」


リビングの電気がついて、呼ばれた方へ向く。
明日の晩ご飯の材料と思われるビニール袋を持って、そこにはお母さんが立っていた。

「あら、ピアノが弾けたの?」
「え、あ・・・うん。へたっぴだけど」

そんなことないわよ、と笑いながら、お母さんはビニール袋を机に置く。

「何かあったの?」

多分真っ赤で腫れているだろう目を見て、眉に皺を増やす。
――あたしはこの人をも、騙しているんだ。


「あのさ、明後日から二泊三日、友達の親戚の家に泊まりにいってもいいかな」


少し考え込むしぐさをしてから、「いいわよ」と彼女は笑った。

「いい、の?」
「もちろんじゃない。可愛い娘のためだもの。
それに、貴方が私に頼み事するなんて、滅多にないから。」

ふふ、と笑ったお母さんはとても美人で、少しだけ見とれてしまう。

ごめんなさい、あたしは貴方の娘じゃない。
さん”じゃないんです。貴方を騙してるんです

今すぐそう言えたなら。唇を噛む。

「ありがとう」

きっとこの時は、うまく笑えていたと思う。















出発当日、パンパンになった鞄を肩に掛けて、玄関の前に立つ。

昨日はなんとかに言われたとおりに、平然として過ごすことができた。
――結局赤也とは一言も言葉を交わさなかったけれど。

“今日から二泊三日出かけるから部活出れない”

それだけ打って真田にメールを送る。用意は出来た――忘れ物は、ない。
リョーマ気分で、帽子を深くかぶった。

「行って来ます」

――帰ってきたら、赤也と仲直りできますように。
そう祈りながら。