最初からずっと思ってた。彼らはあたしと“さん”、どちらを見ているのか。
馬鹿だなあ。分かってるはずなのに何か期待してた自分がおかしくてしょうがない。
みんなはあたしのことを知らなくて、あたしがみんなのことを知っていて。
の存在を知っているのは少数なのに、なんでを見てほしいなんて思えるのかが今思えばわからない。
赤也は“さん”を見ていた。それはテニス部のみんなだって、亜久津だって千石だって、氷帝のみんなだって同じ。
同じじゃないとおかしくて、同じなことが当然なこと。
『俺は赤也の妹じゃなくて、“”に言ってんだ』
その時始めて認識した。
彼は――ブン太はずっと、“あたし”の事を見ていてくれていた、と。
ブン太との電話を終えて、少し気持ちが軽くなって気がした。
多少冷静になった気持ちで今の状況を整理していくと、再び悲しくなったが、とりあえずに電話しようと携帯を握る。
「赤也に、バレたの」
電話が繋がった瞬間、言葉も待たずに先に伝えた。
突然投げつけられた言葉にとまどいながらも、は「赤也に、バレた?」と繰り返す。
「・・・うん」
小さく返すと、「それで?」と尋ねてくる。
また泣き出しそうで、必死に声を抑えた。にきちんと伝えなければ。
「真田と柳が部室で話してたのを、赤也が聞いちゃったみたいなの。
どう言う事なんだって詰め寄られて――誤魔化しきれなくて、全部話したんだけど・・・」
「今家なの?」
「うん」
話しているうちに、込み上げてくる気持ちに押さえが効かなくなっていく。
「でも、全然口も利いてくれなくて、赤也の家族も不審に思ってる。どうしよう家追い出されちゃったら・・・ッ!」
紡ぐ言葉は、逆に自分を追い詰めている。
ついに溢れ出した涙は、頬をつたって膝の上のクッションにシミを作った。
「落ち着いて。仮に赤也がバラしたとしても、現実問題、自分の娘の精神が赤の他人と入れ替わってるなんて思わないから」
それから少しの間沈黙があり、が何か思いついたように喋り出す。
「何とかなるかも知れない…ッ!うんうん、してみせるから、アンタ今日と明日は何とかしのぎなさい。
それから、親に外泊許可を貰う事。そうね…明後日から二泊三日、友達の親戚の家に泊まりに行くとでも言いな。分かった?」
詰め寄ってくるように話すに「う、うん」とひきめに返事を返す。
「それまで、堂々としてなくちゃダメよ。何言われても平気な振りしてる事――絶対、連れ出してあげるから、頑張って」
いつもはが落ち込んで、それを黙って支えるのに、
たまにこうやってが落ち込めば、それをがどうにかしようとしていた。
「大丈夫だから」
安心させようとしているのだろう優しい声に、とても勇気づけられる。
「頑張ってみる」
声量は小さかったものの、どうにかなる、と少し前向きになることができた。
といっても、親は両親共に家におらず、リビングはがらんとしていた。いつもはあんなにうるさいのにな。
リビングの端のほうにあるのはピアノで、昔お姉ちゃんが使っていたそうだ。
「大丈夫、だよね」
ピアノに触れて、小さく呟く。
今なら弾いてもいいかな。お姉ちゃんも赤也も、部屋で音楽きいてるだろう。
ぽろん、とこぼれおちるように音を出すピアノ。
“さん”はピアノを習っていなかったようなので、手が慣れない。
調律も怠っていたようで、音もひび割れていた。
それでも、流れていくピアノの音は心地よくて、また泣いてしまう。
ひび割れた音も、時々音が外れるのも懐かしい。
本当に苦しくて辛いとき、最後に行き着く落ちつく方法はピアノを弾くことだった。
他人が感動できるようなすごい音も出せないし、立派な曲も何一つ弾けない。
けど、弾いているだけで落ちつくことができた。
歪んだ視界も、だんだん増えてくる間違いも、何故か安心できた。
『結局アンタは、俺を騙してたんだろ』
違うよ、違うの。
騙したいんじゃなかった。伝える勇気がなかった。
「違うんだよ、赤也・・・」
「・・・?」
リビングの電気がついて、呼ばれた方へ向く。
明日の晩ご飯の材料と思われるビニール袋を持って、そこにはお母さんが立っていた。
「あら、ピアノが弾けたの?」
「え、あ・・・うん。へたっぴだけど」
そんなことないわよ、と笑いながら、お母さんはビニール袋を机に置く。
「何かあったの?」
多分真っ赤で腫れているだろう目を見て、眉に皺を増やす。
――あたしはこの人をも、騙しているんだ。
「あのさ、明後日から二泊三日、友達の親戚の家に泊まりにいってもいいかな」
少し考え込むしぐさをしてから、「いいわよ」と彼女は笑った。
「いい、の?」
「もちろんじゃない。可愛い娘のためだもの。
それに、貴方が私に頼み事するなんて、滅多にないから。」
ふふ、と笑ったお母さんはとても美人で、少しだけ見とれてしまう。
ごめんなさい、あたしは貴方の娘じゃない。
“さん”じゃないんです。貴方を騙してるんです
今すぐそう言えたなら。唇を噛む。
「ありがとう」
きっとこの時は、うまく笑えていたと思う。
出発当日、パンパンになった鞄を肩に掛けて、玄関の前に立つ。
昨日はなんとかに言われたとおりに、平然として過ごすことができた。
――結局赤也とは一言も言葉を交わさなかったけれど。
“今日から二泊三日出かけるから部活出れない”
それだけ打って真田にメールを送る。用意は出来た――忘れ物は、ない。
リョーマ気分で、帽子を深くかぶった。
「行って来ます」
――帰ってきたら、赤也と仲直りできますように。
そう祈りながら。