「…何、周助君。さっきから人の顔じっと見て」
「嫌。手塚並みに凄い眉間の皺だなぁと思って」
とか言いつつ視線を落とした不二は、肩から下げてあるテニスバッグとは違う、
手荷物の鞄の中をガサゴソとあさって財布を取り出すと、更に中からカードを取り出した。
意味不明な行動に「何してるの?」と相変わらずのぶきっちょ面で尋ねたの眉間に、何を考えたのかカードを突き刺してみる。
手を離すと当然カードは重力に負けて落ちるもので、ポトリと落ちたカードを見たは「な――ッ!」と言うと眉間を押さえた。
「何がしたいの!」
「カード挟めるんじゃないかなと思ったんだけど、やっぱ無理みたいだね」
行動の意味は分かったものの、何かしたいのかまったく分からない不二にがあんぐりと口を開くのとは対照的に、
不二はカードを財布にしまうと、残念そうに肩を下げ、バスに乗り込んでいった。
ポツリと取り残されたは、その場に縫い付けられたように立ちすくむ事数十秒。
ため息を零すと、とぼとぼとした足取りでバスの中に乗り込む。
誰が好きで眉間に皺寄せるかっての――はバスに入った途端キャッキャと聞こえた声に、これ以上ない程首をうなだれた。
「ねぇリョーマ様!隣に座っていいですか?」
「ちょっと、朋ちゃん…」
「俺、一人で座りたいんだけど」
「じゃぁ!通路挟んで隣って事で!」
「…勝手にすれば」
まだ合宿が始まっても居ないのに、もう帰りたい気持ちでいっぱいになって、
は通路が開いたことで誰も座っていない一番後ろに荷物を置いて腰を落ち着けると、窓の外を見る。
バスの構造上、タイヤがある前方の席、中央の席、後部座席は揺れが酷いのであまり好まれて座られる席ではない。
その証拠に、部員達は大型バスの中で当たり障りのない場所にポツポツと座っていて、うとうとと船をこいでいるようだ。
出来ればバス酔いが酷いもそちらに座りたい所なのだが、
それでもあえて後部座席の窓側に座ったのは前の席を見ずにすむと言うただそれだけの事。
「リョーマ様、お菓子持ってきたんですけど、食べませんか?」
「いい。俺、少し寝るから」
「…そうですか…でもでも、合宿でカッコイイリョーマ様を見れる為に私達も寝ときまぁす!」
それだけでもにとっては立派な理由な訳で、
やっと静かになったバスの中でほっと息づくと、低い唸り声をあげて背もたれに背中を深く預ける。
気持ち悪い…
一応30分以上前に酔い止めは飲んできたのだが、一向に効く様子がない。
おまけに酔い止めを飲めば眠たくなるはずなのに、気持ちの悪さで目が冴えるばかりで、
は鞄の中からタオルを取り出すと、頭を座席に預けて目元にタオルを乗せた。
ガタガタと揺れるバスの中は、皆もう寝たのか静まり返って、尚更酷く揺れを感じてしまう。
そんな中誰かがこちらに歩いて来る音が聞こえたものの、
そんな事に構う余裕などあるはずがなく、はタオルをかけたまま手探りで鞄の中をあさっていた。
「お茶…お茶…」
うわ言のように呟きながら鞄の中をかきまわしていると、頬に冷たいペットボトルが触れる。
「はい」
「あ、どうも」
全員眠っているばかりだと思っていたのに、起きている人が居たんだと思いながら、
お茶を受け取って目元のタオルを取ると、瞳に映った姿に瞬いた。
「…リョーマ」
「お茶、飲んだほうがいいんじゃない?バスに酔ったんでしょ」
「あ、うん」
お茶を喉に通すと少し気分が楽になってきて、「ありがとう」と苦く笑うと、リョーマは「ん」と言って片方の口端を持ち上げる。
リョーマ独特のこの笑い方はあまりにもリョーマらしくて、最初は直視できない上に凄く心臓が飛び跳ねていたのだが、
最近は幾分か落ち着いて見れるようになってきた――でも、やっぱりカッコイイな、と思ってしまうのはしょうがない。
お茶を返したは、リョーマがてっきり元の席に戻るものだと思ったのに、
リョーマはが座っている座席の横に置いて居た荷物をどけると、隣に腰掛けた。
驚いてぽかんとしたに、リョーマが「何?」と尋ねて来たので、は正直に答える。
「一人で座りたいって」
「だって、ああでも言わないと隣に座ってくるでしょ。それに、桃先輩とか来るといびきうるさそうだし」
おいおい、皆寝てるとは限らないんだぞ。
目つぶってるだけかも知れないのに、いけしゃぁしゃぁと言ったリョーマは「でも」と付け加えた。
「の隣なら、いいかなって思っただけ」
うわーこのタイミングでそう来ますか、とは顔を逸らして窓の外を見る――絶対今頬真っ赤だよ。
学校とか部活の先輩が居る時はいつも「姉」と呼ぶのに、突然不意をつかれた「」呼びは心臓に悪い。
リョーマは耳まで真っ赤になってるを見て口元を緩めると、帽子の下げて、事もあろうにことんと首をの肩に乗せた。
突然かかった重みに状況を理解するまで数秒を要して、は心の中で「ギャ――ッ!」と叫ぶと、わたわたと動く。
「ちょ、リョーマ」
「動かないでよね。寝にくい」
「そう言う問題ではなくてだね…ッ!」
「あんまり大きな声出すと、先輩達起きるよ」
それは困る、とはぐっと言葉を飲み込んで動かなくなり、満足気にリョーマはうつらうつらと瞳を伏せた。
肩にかかる体重、帽子で見えないけど、きっと伏せてあるまつげは長いんだろうな、とか思ったは思わず笑みが零れる。
ねぇ、こんなに君が愛しいよ
好きになっちゃダメだって分かってるのに、君が見せる一つ一つの仕草がどんなに私の心を揺らすか、きっと気付いてないだろうね
とくん、とくんと鳴る心臓、胸にこみ上げる幸せはバス酔いなんて吹き飛ばしてしまって、
は幸せに頬を染めると、その頭の上にゆっくりと自分の頭を乗せた。
せめて、今こうやって触れる事位は許して欲しい
【犬と猿】
バスが大きく揺れて目が覚めて、は合宿場に到着した事を窓の外を見て確認すると、隣で眠るリョーマの肩を揺らした。
「リョーマ、着いたよ」
「ん…」
小さくリョーマが喉から声を出して、はドキリと心臓が高鳴るのを感じる――頼むから私の心臓が爆発する前に起きてくれ!
その必死な思いが伝わったのか、リョーマはゆっくりと頭を上げると目元を擦って辺りを見回した。
「着いた?」
「うん」
立ち上がったリョーマは思い切り背伸びをすると、何事もなかったかのように自分の荷物が置いてある席へ戻っていく。
なんだかやっと生きた心地がして来て、バス酔いの事なんかすっかり頭から抜け落ちたも伸びをした。
「さ、着いたよ。全員忘れものがないように降りといで。開会式があるからね。
選手は部屋に荷物を置きに、部屋割りは玄関の所に置いてるよ。マネージャーは他校の出迎え、さ、行くよ」
スミレの声と同時にバスのドアが開く音がする。
荷物を持って立ち上がると、バスを出て行くメンバーの最後尾に並び、
不意にドア元へ目が行ったと、バスを降りようとしていた朋香との視線が合った途端、ふいっとあからさまに視線をはずされた。
「…?」
何か引っかかりを覚えたものの、大して気にしないでおこうとバスを降りた。気のせいかもしれないし。
出来る事なら立海よりも前に到着しているとありがたいんだけど、
そう思いながら視線を上げたは、目の前の現状にふらりと眩暈を感じる。
玄関の前でバチバチと火花が散るように対峙しているのは、犬猿の仲と言うか、
むしろ逆に仲がいいのではないかと思う程、ある意味お互いを意識している跡部との姿だった。
「てめぇ!もう一度言ってみろ!」
「何度でも言ってやるわよ!この泣きボクロ!アホベ!セレブ!
悔しかったら一日樺地無しで生活して見せろ!」
ああ、なんかこの会話前にも聞いた事がある…。
立海と氷帝が先についているなんて悪夢だ、と頭を抱えたは、
玄関でもめているせいで立ち往生している青学の人波をかきわけて玄関まで歩み出ると、
長太郎が「先輩!」と言うのに対して苦笑いでこたえた。
大体、真田と柳はどこに行ったんだ。
自分所のマネージャー位しっかり管理しろよ!と、自分が姉である事を棚にあげて内心毒づく。
跡部は長太郎の声にへと首を巡らせると、「よお」と笑顔を浮かべてみせたつもりのようだが、生憎かなり引きつっていた。
不本意ながら「何があったの」と聞こうとした時、が力いっぱい跡部を指差す。
「聞いてよ、コイツがっくんの事ガキって言った!あたしの事ならともかく、がっくんの事までガキって…ッ!
こんなガキのどこが俺より勝ってるのかって、全部に決まってるでしょ――が!」
「嫌、俺別に気にしてねーし…(と言うよりもう放っておいて欲しい)」
「がっくんが気にしなくてもあたしが気にするの!」
岳人の事なのに、本人差し置いて白熱するバトルは取り付く島もなく、
忍足は相変わらず面白がってみてるし、岳人と宍戸はもう事態を投げていて、日吉にいたっては一人でさっさと部屋へ行ったようだ。
長太郎とジローは頼りにならん上に、跡部が絡むと樺地は使えない。
とりあえず自分がこの事態をどうにか収拾つけねばと思ったは「まあまあ」と言うと、間に入った。
「ホラ、中二も中三も皆ガキなんだし、別に跡部君がガキ大将気取ってても本人が満足ならいいじゃん。
それに、元々跡部君は樺地君が居なくちゃ何も出来ない訳だし、今更それを指摘してもしょうがないって言うか」
「ちょっと待て」
に言い聞かせていると、事態を収めようとしていたハズなのに跡部の声は先ほどよりも明らかに怒りが含まれていて、
振り返ると跡部が耐えかねたように震えている上に、忍足は腹を抱えて笑っていた――「火に油やん!」
「てめぇの考えている事は十分に分かった。やってやろうじゃねぇか…明日一日俺は樺地を頼らねぇ!」
きっぱりと宣言した跡部に、はぎょっと目を開くと跡部に向き直ってまくし立てる。
「跡部君、出来ない事をしようとしなくてもいいって!
売り言葉に買い言葉で自分の凄い所アピールしなくても、きっと分かってくれてる人は居ると思うし…」
ね?と言うは、自分が地雷を踏んで回っている事等まったく気付いておらず、尚且つ同意を求めようと氷帝レギュラーに首を巡らせた。
しかしそこの一番前には忍足の姿があって、不安が胸を掠めたをよそに忍足は「せやな」と何度も頷く。
ようするに跡部は不特定多数の人にわかってもらいたい訳ではなく、
目の前の一人に分かってもらいたい訳で――それを分かった上で忍足は言葉を続けた。
「俺らは跡部が例えガキ大将気取っとってもええねんで?跡部は部長なんやし、俺らはそれ認めとるからな。
やけどもし跡部が一日樺地を呼ばんで過ごしたら、ちゃん驚くやろ?凄いなーって思うんとちゃう?」
何か珍しくまともな事を言ってるように聞こえるが、忍足は事態を楽しんでいる上に引っ掻き回そうとしているのだ。
しかしは自分の発言が跡部を左右すると言う事はまったく気付いていないので、流されるように「ま、まぁ…」と相槌を返す。
思ったとおり跡部の眼が光ったのを見て、忍足は影で噴出した。
「いいか樺地。明日俺の世話は一切するな」
「…ウス」
樺地はかなり心配そうだ。
小さい子どもにおつかいを頼んでおきながら不安になって後をついていく母親のようである(微妙な例えパート3)
と口喧嘩していた事等すっかりと頭から抜け落ちたのだろう、「行くぞ」と建物内に消えてい行く跡部の背中。
何か意味が分からないが解決したのだろうか、とぽかんとした表情で跡部を見るの影で、は「単純」と呟いた。
「樺地、跡部の巣立ちや。心を鬼にして見守るんやで」と言って樺地の肩を叩いている忍足を初めとしてぞろぞろと入っていき、
残された青学メンバーととが玄関に残される。何か微妙な空気だ…。
とりあえず青学メンバーにお騒がせしましたとが言って、
二人で頭を下げると(は自分は悪くないと言い張っていたが)、次のバスが来たので選手を建物の中に促した。
アシスタントが玄関の前に残って、は一年トリオ、そして桜乃と朋香を見ると複雑そうな顔でを見る。
その視線は、大丈夫なのか、と言う事を暗に告げていて、は「大丈夫」と苦笑を零した。

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