開会式が終わった後、選手達は榊を中心としてコートでミーティングを、
アシスタントはスミレを中心として別室で指導が行われ、怒涛の練習は幕を開けた。
正式なマネージャーはのみだったので、スミレ曰く「分からない事があれば彼女に聞け」と言う事だったのだが、
正直な話しは不安で仕方ない――この子ってホントにマネージャーとして大丈夫なのかしら
しかしそう思ったのは杞憂だったようで、マネージャーと言うのはどうやら肩書きだけではなかったようだ。
テキパキと働く姿は、少なくともこの一週間でマネ業を叩き込んだ自分とは違い様になっていて、
隣で手際よく動き回るのを見ながら内心は舌を巻き、
に負けてられないな、と思ったは、目の前に積み上げられたタオルを持ち上げて意気込んだ。
「…」
とは言え汗まみれになったタオルは当然汗臭くて、
早く持って行ってしまおうと洗濯機に向かおうとしたの背中に刺さるような視線を感じ、
不審に思ったが振り返ると、そこにはボールの山を持った朋香が居た。
一瞬視線があったのだが、先ほどと同じくふいと逸れて背を向けられたので、小首を傾げたはとりあえず声をかけてみる。
「ボール、重いでしょ?変わろうか?」
「別にいいです」
そっけない言葉にはますます意味が分からなくて深く首を傾げた――私何かしたっけ?
もその言葉が聞こえたのだろう、朋香が去っていくと「何かしたの?」と尋ねられて、は「うーん」と頭を抱える。
「あーもしかしたら」
もしかしたら、と言うよりもそれ以外考えられないと言うべきで、は苦笑を零した。
「リョーマとバスで一緒に寝てたの、見られたのかも」
【生まれながらの心】
初日の練習は選手にとっては当然ハードなものなのだが、
アシスタントもまた同様で、夕食が終わると皆早々と自室に引き返した。
一部屋二、三人と言う割合で、一年トリオが一室、桜乃と朋香で一室、そしてあまりもののとが一室と、
こちらにとっては都合のいい部屋割りになった事で安心してくつろいでいる。
ふと飲み物が飲みたいね、と言う会話になった二人は、
いつも通りじゃんけんをして(大概の確立で)負けたが爽健美茶を買いに自販機へ向かっていた。
まだ消灯までは時間の余裕があるのだが、皆部屋に居るのだろう、廊下は静まり返っていて、蛍光灯の灯りも頼りない。
元々心霊系統がダメな癖にそう言うことに興味津々のは、今まで見てきた怪奇特集のワンシーンが頭の中に蘇り、
怖くてしょうがないためさっさと買って部屋へ戻ろうと、財布を片手に足早に自販機へと向かっていた。
わき目もふらず歩いていたせいか、廊下の曲がり角から出てきた人に気付かず、思い切りぶつかる。
「わ」と言ってしりもちをつくと、「大丈夫か」とエロボイスとも言うべき諏訪部さんの素敵な声が降ってきて、
は差し伸べられた手を取って立ち上がると「跡部君、ゴメンね。前見て歩いてなくて」と頭を下げた。
「別にいい。それよりどうした?」
「あー、爽健美茶が飲みたくなってじゃんけんで負けて買出しに来たんだけどね。
思ってたより人気がなくて、蛍光灯も暗いでしょ?
何かお化けとか出そうだなぁなんて思ってなるだけ回りを見ないように歩いてたら、跡部君とぶつかっちゃって…」
ま、居ても見えないんだけどねとあははと空笑いを浮かべたは、跡部の手に缶コーヒーが握られてるのを見ると、
自販機へ行った帰りなのだということを理解し、少しでも恐怖を紛らわそうと適当に話題を選んだ。
「跡部君大人だねぇ…私この歳になってもコーヒー飲めないんだよ。
コーヒーゼリーとかは好きなんだけど、甘いものと一緒でも飲めないんだ」
「この歳?」
怪訝な顔をした跡部の表情で、しまった、とは視線を逸らす――話題を取るのに夢中で自分の発言まで気が回らなかった。
「あ、いや。ホラ、中学校三年生にもなって情けないなぁ〜ってね」
「中二も中三も皆ガキなんだろ?別に気にする事じゃない」
跡部の地雷を踏んだ事はまったく身に覚えがないが、
ガキ発言をよほど根に持っている様子の跡部に、は苦笑すると「ありがとう」と言葉を返す。
跡部も練習で疲れてるだろうし、あまり立ち話を長引かせても申し訳ないと思ったは、
「明日も頑張ってね」と言って片手を挙げて去ろうとしたものの、踵を返してついてきた跡部に小首を傾げた。
「跡部君?」
「怖いんだろ。気にすんな」
驚きに瞬くは、破顔するように笑うと肩を揺らす。
突然笑い出したを怪訝な顔で見た跡部に、は「何でもないの」と首を横に振った。
高飛車で自信過剰でナルシスト、眉目秀麗で総勢二百人のテニス部員の頂点に立つ「俺様」男
キャラとしては笑えるから好きだけど、もし出会う事になっても絶対係わり合いになりたくないと思っていた
自分とはあまりに違う世界の人だから、相容れない存在なのだと
けど、今の前には確かにキャラだったはずの彼は存在していて、漫画とかでは分からない側面を見せてくれるから
こんな人とたまに関わるのも、悪くはないかな
自販機に続く角を曲がろうとしたとき、アニメで聞きなれた女の子達の声が聞こえて、
反射的に立ち止まったは、気にせず曲がろうとする跡部の袖を引っ張った。
「リョーマ様と寄り添って寝るなんて許せない!いくらお姉さんだからって言って、過剰なスキンシップだわ!」
やはりとリョーマがバスで寝ていたのを見られていたらしい、とは苦笑する。
跡部もリョーマと姉と言う単語を聞いて、彼女達がの事を話している事も分かったようで、横目でを見、
視線を感じたも、確かに人様の前で寄り添って寝るなんて、いくら兄弟でもありえないよね、と瞳を伏せた。
「もう、朋ちゃん。そんなに怒らなくても…」
なだめるような声はもしかしなくても咲乃だろう。
朋香が地団太を踏む音が聞こえると、「キ――ッ」と甲高い声が聞こえて、言葉を続ける。
「あの女、絶対リョーマ様の事好きよ!女の勘だもの!実の弟好きになるなんてありえない!
それに、リョーマ様もリョーマ様よ!どっからどうみたって下心丸見えじゃない!」
痛いところをつくなぁ〜と、は跡部の刺さるような視線をよそに引きつった笑みを浮かべた。
中一の女の子の勘を「女の勘」と称していいのかは分からないが、少なくとも朋香の勘は当たっている。
「いくらなんでも言いすぎだよ朋ちゃん」と、
咲乃は遠慮がちに言って、次の言葉ではまるで頭をフライパンで殴られたようなダメージを受けた。
「兄弟を好きになるなんて、ありえないよ。だってお姉さんはお姉さんだもん」
ズキッとの心が痛む。
朋香のようにむき出しの闘争心を燃やされる方が何倍もマシ。
あんな風に言われると多少は傷つくとしても、やっかみのようなものだしあまりダメージはない。
だけど、と泣きそうになるように顔を歪ませたは、未だ握っていた跡部の袖を更に強く握り締めた。
お姉さんはお姉さんだもん
時に優しい言葉程他人を傷つけるものはないと、悪意がない言葉ほど辛いものはないと思う。
真っ直ぐにリョーマに恋をして、正論振りかざして兄弟だから好きになるはずがない、なんてはっきりと言える
「ズルイ」と、小さく呟いた言葉に、跡部は眉根を寄せた。
「ヒロインって、ズルイ」
私達は原作を最後まで知らないから、リョーマと桜乃がどうなるかなんて知らない。
だけど、ヒロインの桜乃は事ある事にリョーマの近くに居れて、意地悪されて、えーんって泣いて、時にはリョーマに褒められたりして
向こうの世界に居た時、その場面がどれだけ羨ましかった事だろう、悔しかったことだろう
リョーマの傍に居たいって願って願って、やっとこれて、似たような立ち居地に来られたのに
ひがみややっかみなら、甘んじて受けよう。リョーマの傍に居られるのなら、影でなんていわれようと平気だ
だけど、こんなに素直に好きでいることを否定されたら、恨むことも出来ないじゃないか
当たり前にリョーマの隣に居る権利があって、リョーマを好きでいれる権利があって、純粋で、優しくてこんなに女の子っぽくて
ねぇ、ヒロインってズルイよ
「私、水飲んでくる。お茶、買えそうにないから」
小さな声で言った言葉は、朋香たちには聞こえなくても跡部には聞こえただろう。
そっと袖を離して踵を返すと「おい」と言う言葉が聞こえたが、
立ち止まればその場で泣き崩れてしまいそうだから、聞こえないふりをしては駆け足でその場を去った。
跡部は何か引っかかるような顔をしたまま、ポケットから財布を取ると自販機への角を曲がる。
立ち聞きされていたなどと知る由もない二人は、缶コーヒーと財布を片手に現れた跡部を見て瞬いて、尋ねた。
「あれ?跡部さん、さっき来ましたよね?」
「茶、飲みたくなってな」
爽健美茶を二本買って何か言おうかと口を開きかけたものの、
「明日から長いんだ。さっさと寝ろ」と咄嗟に言葉を変え、首を巡らせて元来た道に戻る。
「…あいつらの部屋、確か職員部屋の近くだったな」
【生まれながらの心】
ちゃんなら、Ipot持って屋上に行くって言ってたよ。落ち込んでたみたいだけど、何かあった?
会った所で何と声をかけるつもりなのか、自分でも分からないまま、跡部は屋上への階段を上っていた。
声などかけられないかも知れない。ただ、彼女がちゃんと居る事を確認したいような気がして、その気持ちが足を急がせる。
泣きそうな彼女の顔が、頭から離れない。
あの瞬間、まるで彼女が今にも消えそうな程儚く見えて、手を掴む時間もないまま、彼女はあの場から去って行ってしまった。
僅かに開いた屋上へのドアが見えた時、そのドアの影にうずくまっている影と、かすかに聞こえた声に足を止める。
歌、か?
跡部は壁伝いに階段を上っていくと、暗闇に目が慣れてきたせいか、
ドアの傍で体操座りで瞼を閉じている姿が見え、「ジローか」と声をかけた。
てっきりいつものように眠っていると思ったのだが、ジローはパチっと目が開くと「シ――ッ」と言って唇に手を添える。
訝し気な顔をして足を進めた跡部がジローの脇に立つと、
遠くに聞こえていた歌う声がはっきりと聞こえて来て、その声は紛れもなくのものだった。
切な気な声が耳に残る――今にも泣きそうな、痛みを堪えるように絞るような声。
「跡部、不思議じゃない?」
何の前触れもなく口を開いたジローの言葉に「ああん?」と跡部が尋ね返すと、ジローは膝に顎を乗せて目を細めた。
「特別歌が上手いって訳じゃないのに、凄く綺麗に聞こえるよね。感情が篭ってるって言のかなぁ」
「…事実、篭ってるのかも知れねぇな」
「へ?」
きょとんと瞬いたジローは、複雑な跡部の顔にますます小首を傾げ、跡部は表情を曇らせる――結ばれる、未来はなくて…か
「何でそんなヤツ好きになるんだ…てめぇは」
くしゃりと顔を歪めた跡部の言葉は当然に届くはずもなく、その後もしばしの間続く彼女の歌に、跡部とジローは耳を済ませた。
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皆川さんのこの歌は、初めて聞いた時にジーンときました。素敵な歌です
この話のタイトルは、この歌のタイトルの訳です

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