「お姉ちゃん!」
「…

両肩に添えられた手を握る手が震えて、無意識にガタガタと歯が鳴る音が嫌に耳につく。
恐怖に支配された身体が言う事を聞かなくなって、うつろな瞳に不安に顔を歪めてると、ジロー、そして跡部の姿が見えた。

跡部の姿が見えた途端、びくりと身体が震えるのを感じる。


ねぇねぇあの子が何で?いやぁだ、鏡で自分の顔見てみろってね


どくんと身体が波打ち、視界が霞んだ。
怖い、コワイ、こわい


人が、怖い




【染み付いた恐怖】




「買出し、ですか?」
「ああ、ちょっとばかり荷物が重くなりそうだからね。
スポーツ店にも行って欲しい事だし、選手二人位連れていきな

あ、丁度いい所に。跡部、彼女と一緒に買出しに行ってくれないかい?」


たまたまそこを通りかかった跡部に声をかけたスミレの言葉に、は居心地が悪そうに身を縮める。
昨日は朋香と桜乃の会話を聞いた事で一杯一杯だったが、
よくよく考えるとあの場に居た跡部にも自分がリョーマを好きだと言うことがバレたのは歴然だ。

しかしあの場で慌てて取り繕うのもかえって怪しい事から、バレるのは必然的だったとしかいいようがないのだろうが、

あの後とりあえず冷静になろうとIpotを持って屋上へ行き、大好きな歌を歌って消灯時間近くに部屋に戻った所、
跡部が二人分の爽健美茶を買ってきてくれたことをから知らされた事を思い出す――幾らなんでも気まずい要素が多すぎる。

「荷物位なら何とかなりますし、ひとりで大丈夫ですよ」
「だけどお前さん、スポーツ店で買うもの分かるのかい?テニスにあまり詳しくはないんだろ?」


スミレの指摘に、うっと言葉に詰まる。
確かに専門的なものの要求に応えられる自信はないし、テニスにあまり詳しくはない所かど素人だ。

ものの数秒考えたものの、素直に「お願いします」と跡部に頭を下げると、跡部はスミレに「別に構いません」と言って、コートを振り返った。
「おい樺地――」
「樺地君は今日一日使わないんじゃなかったでしたっけ?アホベ様」

「「「うわ!?」」」


突然にょきっと現れたの姿に、跡部は言うまでもなく、もスミレも唖然として、
ドリンクを配ろうとしていたのだろう、手一杯ドリンクを抱えたはにっこりと笑って「でしたよね?」と念を押す。

半ば習慣とも言うべき、鳴らそうとして掲げていた手を下ろした跡部は「チッ」と舌打ちをすると、
少し遠くの木陰で睡眠学習と呼んでいいのか悪いのか、眠っているジローへ足を進めて、すやすやと眠る彼のわき腹を蹴った。


見てるこちらはとても痛そうだったのだが、
眠っていたジローは「うーん」と身じろぎすると、とろんとした瞳で跡部を見て、「跡部ぇ?どしたの?」と首を傾げる。

一応手加減はしたのだろうか、あまり痛くはないらしい。
跡部は仁王立ちでジローを見下ろすと、顎で立ち上がるように示す。

「買出しに行くぞ。さっさと起きやがれ」
「ええ?なんで樺地じゃないの?」

眉根を寄せたジローは「あぁ」と思い出したようにゆっくりと手を叩いて、眠た気に目元を擦った。
「今日一日、跡部は樺地を頼らないんだったねぇ」

「そう言うこった。さっさと起きろ」
「でも俺眠いC…」

「私からもお願いできるかな、ジロー君」


樺地と三人で街を歩くという事は、無口な彼は当然喋らず、跡部と二人と言う気まずい空気を抱えなければならない事になる。
その点ジローだと会話にも困らないし、とが頼むと、ジローはパチッと目を開けて「いいよ!」と表情を輝かせた。

ほっと胸を撫で下ろしたのTシャツを握って、座ったままジローは「ねぇねぇ」と言うと、目を細めて笑う。

「俺手伝うからさ、またちゃんの歌――いってぇ!?」
ジローの言葉が終わらないうちに、何を考えたのか跡部が突然脳天に拳を落とし、ジローは頭を抱えて身をかがめた。
が驚きで目を白黒させてその様子を見ていると、跡部はよほど石頭だったのか、殴った拳を摩りながら思い切り眉間に皺を寄せる。

「くっちゃべってる暇があったらさっさと行って終わらせるぞ。練習時間は無駄話の時間じゃねぇんだ」

跡部の言う事はもっともで、スミレからお金を受け取ると早々と合宿所を後にし、三人は町へと繰り出した。
Tシャツにジャージのと、練習着の跡部達では目立つかと思ったのだが、
案外人は他人に目を配っていないもので、最初ほど人に対する緊張感が抜けていたのだろう。


自分達の後ろから女の子達が着いて来てるなんて、その時のには思いもしなかった。


「んじゃぁ私ここで待ってるね」
スポーツ店の入り口で、店主に発注してあるらしい品物を取りに行くと言う跡部とジローと別れ、
はドアのすぐ近くに置いてある品物を見ていた。

元々かなりのインドア派で、遊びに外に出ると言ったらカラオケ位しか浮かばないは、
買い物とは無縁な上にスポーツとは絶縁状態に近い為、店の品を興味津々に物色する。



あ、このリストバンド青学のジャージに似合うなぁ〜、買ったらリョーマ喜ぶかな
でも合宿の買出しで個人的なものを買うのはちょっと悪いよね


うーん、と頭を抱えていたは、不意に耳に入った声に身体を浮かせた。

ねぇねぇあの子が何で?いやぁだ、鏡で自分の顔見てみろってね」
「ホント、ウザイよね、ああいう女」

こそこそと、それでも聞こえる程度の声に、背中に当たる視線。
それは間違いなく敵意で、少し首を巡らせると、あからさまに見下した、嘲笑するような笑みを浮かべた女の子達が居た。

何、あの子たち

心臓がうるさいくらいに跳ねて、頭が真っ白になっていく。
こちらの世界に来てから、顔も体系も普通の女の子になったはずで、現に今まで笑われた事はあっても、こんな目で見られた事はなかった。

現に大阪の時だって、ハゲさせたいか発言はある意味笑いの対象にはなったけど、それ以上の事は起きなくて


ガクガクと手が震えるのを感じる――どうしよう、店を出ようか。でも、跡部達まだ戻って来てないし


「跡部君も、何であんな女と一緒に歩いてるんだろう。恥ずかしくないのかなぁ?」

跡部君、と言う言葉では状況を理解した。
おそらくは彼のたちの悪いファン。

思い出した
跡部と絶対に関わり合いになりたくないと思っていたのは決して彼の人柄だけじゃない。
彼自身が望もうと望まざるとも、その脚光はあまたのファンを魅了しているのだ。いい人も、悪い人も


夢小説とかを読んでいても、たちの悪いファンが描かれている所は多かったが、
氷帝はまさに奴らの巣窟とも言うべきところで、青学も、立海もそこまで酷いイメージはない。

跡部は悪くない。悪いのは彼女達だ。でも――跡部と居る事で、私は…


「あたしだったら、恥ずかしくて隣歩けないよ。顔も体系もあんなんで、しかもTシャツにジャージだよ?マジダサ。
ああいう女ってさ、いい笑いものになってるのにも気付かないのかなぁ?可哀想」

頬を、生ぬるい涙が伝う

ホントはもっとブスだし、太ってるし、笑いものだよ。

でも、ねぇ



「おい。テメーら、何勝手に好きな事ほざいてやがる」
跡部の声が聞こえて、はっと女の子達が息を呑む声が聞こえた。

ゆっくりと振り返ると、そこには機嫌の悪さを眉間に刻み込んでいる跡部が居て、
女の子達はわっと声を上げると、そろって転がるように店から出て行く。

それでも女の子達のあざ笑う声が、仕草が脳裏から離れない。

「しょうがねぇ奴らだ」とため息混じりに呟いた跡部が、「大丈夫か?」とに近づいてきて、
涙を流しているの頭に伸びてきた手を、思わず反射的に叩き、跡部が驚いた顔をした。


叩いた手を見て、自分が何をしたかを遅くも気付いたものの、溢れるように流れてくる恐怖を抑えることは出来ない。
かろうじて搾り出した声で「ごめんなさい」と言うと、弾けるように店を飛び出した。





跡部は悪くない、悪いのは女の子達。
でも、跡部と居たらまた何か言われるかもしれない

でも、ねぇ貴方達が私の何を知ってるの――?
何を知ってて、そんな事言うの?

ここ最近忘れていた人に対する恐怖が蘇ってきて、街行く人の視線を敏感に肌で感じてしまう。
見られていないのに、見られている気がして、跡部達の声が聞こえてくるのを遠耳に、路地裏に駆け込んだ。

周りを見えないように膝に額を押し付けて、声が聞こえないように耳を手で覆い、震える身体を縮込ませる。

怖い、こわい、コワイ
目が怖い

人が、怖い





追いついた跡部がその身体に手を伸ばそうとして、ジローはそれを止め首を横に振った。
ちゃんに連絡を取ろ。今俺達が近寄ったら、多分また逃げちゃう」

跡部が耐え難い表情を浮かべたものの、手を下ろして、ジローはポケットから携帯を取り出すと合宿所の電話番号をまわす。
にかわって貰ったのを確認すると、手短にいきさつと現在地を告げて電話を切った。

合宿所からここまでおよそ十五分と言った所だろうか
たったそれだけの時間なのに、今の二人には一時間以上の長い時間に感じる。


「ねぇねぇ跡部、昨日さちゃんが中二も中三も皆ガキみたいなもんだって言ったでしょ?」
突然そう言ってしゃがみこんだジローはぼぅとした表情で、身動き一つしないを見ると、口端を歪めた。

「俺達って、ホントにガキなんだなぁ…って、今凄く思う。
もし俺が大人だったら、逃げるちゃん捕まえてでも抱きしめてあげれたのに」


複雑だった跡部の心境は、ジローのその言葉で全て整理されたように感じた。
ああ、そうか――昨日の夜も、何か言葉をかけたかった訳じゃない事に今更気付く。抱きしめて、今ここに居る事を確かめたかったんだ。


だけど



「そんな勇気ないなぁ〜」
「…ああ」

それからは何となく言葉が途切れて、が来るまでの十数分間は無言のまま、時々嗚咽をあげる彼女を遠くから見るだけ。
恐らく走ってきたのだろう、汗をかいた彼女が「お姉ちゃん!」とに駆け寄ると、やっとは顔を上げて泣きぬれた顔を出す。


お姉ちゃん?と跡部とジローが顔を見合わせた。
いつもちゃんと呼ぶのを見られているからなのか、違和感があった――正確に言うと、今の呼び方が酷く自然だったというべきか

もその事に気付いたのか、跡部達に首を巡らせて一瞬表情をこわばらせたものの、苦笑を浮かべる。

を見て、ジローを見て、跡部に視線が向かった途端、彼女は怯えた表情を浮かべ、その顔は跡部の心をえぐった。
はそんな跡部を見ると、の腕をぎゅっと握って立ち上がらせる。

「とりあえず、まず合宿所に戻ろう。何があったか詳しくしりたいし、“跡部先輩”達にも言わなければいけない事がありますから」