赤也とブン太の断末魔が上がっている事等露とも知らないは、
「ゴメンね、待たせちゃって」と言いながら、青学のコートへ向かう道中を海堂と共に歩いていた。
「構いません。でも先輩、何時の間に立海と親しくなったんスか?合宿初日も、氷帝と玄関で話してたッスよね」
合宿初日の玄関と言えば、
と跡部の言い合いに仲裁に入った時の事だろう、とは苦笑する――あんまり思い出したくない類の話しだ。
「あの跡部君と言い合ってた女の子が居たでしょ?
立海の子なんだけど、近頃仲良くなってよく一緒に居るの。だから立海の人とも仲良くなってね、よくしてもらってるんだ」
「氷帝とは?」
「その子と一緒に合宿の資料届けに行った事があって、望むと望まざると関わらなければならなかったと言うか…」
あの時は跡部や忍足と関わるのは心底嫌だったが、
今になって考えてみればいい出会いだったなと思いをはせたものの、それは一瞬の血の迷いだと言う事に気付いた。
がガンダムSEEDの名シーンを自分と岳人の出会いに捏造したり、
テンションの上がった忍足がメルトに乗せて自分と岳人の出会いを捏造したり、
跡部と岳人のどちらが真の王者かと言う意味不明な決定戦が開催されようとしたりと、ロクな事があった覚えがない。
改めて考えてもがっくん可哀想だな。
なんか氷帝の苦労人代表って宍戸のイメージが強かったけど、が氷帝と関わりだしてからは岳人も立派な一員になってる気がする。
それにしても、と少し意外そうな顔では海堂を見上げた――思ってたよりよく喋ってくれるし、会話に困らない。
仕事を覚える為青学の練習に顔を出して居た時も、海堂とはあまり話した記憶はなく、
どちらかと言うと桃城と話した事の方が多かったが、こうやって話している今もあまり違和感がない事に自分でも驚いてしまう。
それでなくても、気を抜けば背中に圧し掛かってくる菊丸を引き剥がしたり、
その度に恨めし気な視線を送ってくる不二から逃げたり、マネ業以前なことで日々は忙しかったのだ。
気持ちに余裕等あるはずもなし、しかも海堂はいつも黙々と練習をして、
部活が終われば部室に留まる事もなく自主練に向かう為、無駄話をする事もなく今日まで来た事になる。
今ではそれもちょっともったいなかったなとも思ってしまうのは致し方ない。
青学のフェンスに近づいていくと、菊丸の「ほいほーい」と言う音と共にラケットがボールを弾く音が聞こえ、
は海堂に「手伝ってくれてありがとう」と言うと、緩やかに笑った。
「海堂君いっつも練習頑張ってるでしょ?話しかける機会あんまりなかったけど、
これからは練習を邪魔しない程度に話しかけていいかな?海堂君と話すの楽しかったから」
屈託のない笑みを向けたを、海堂はこれでもかと言う程目を見開いて見、訝しげに眉根を寄せる。
「先輩、何か最近変「越前の人格に変化が起きている確立98.9%」」
「うわぁ!?」
何か異臭がしたと思った途端、背後にかかった影には言うまもなく驚き、
驚きの声こそ上げなかったものの海堂も表情を凍らせてびくぅっと飛び跳ねた。
「い、乾君…」
振り返ると、異臭の原因である乾汁を片手に持って、太陽があたってる訳でもないのに何故かめがねを光らせた乾が居て、
はバクバクとなる心臓を落ち着けるように胸を撫でると「何言い出すの、突然」とすっとぼける。
「ここ数週間のデータが、以前よりも明らかに違っている事から推察するに、越前の精神に何らかの変化が起きている可能性が98.9%と高い」
確かにその数値は高いわな
まぁそもそも乾のデータに嘘はつけないだろうと言う事は想定していたので、変に思われないよう平然と言葉を返した。
「と言うか、選手でもない人のデータ取るのはどうかと思うけど…」
がそう言うと、乾は「うむ」と言って真顔だったものの、
突然両口端を釣り糸で引っ掛けたようににやりと怪しい笑みを浮かべて笑う――「これは趣味だ」
ここまで開き直られてはもう何も言うまい、とは頭を抱え、
データとストーカーは紙一重と言う単語が浮かんでしまった事にはこの際目を瞑ろう。
「人間がいつまでもデータ通りだと思ったら間違いだよ。データは日々進化していくんだから」
「さすがだな越前。俺もそう思う」
こう言うデータマンっぽい事言えば逃げられると予測していたは、内心しめしめと笑ったのだが、乾は無言で乾汁を突き出してきた。
「何?」
臭いから近づけんなッ!とは言えるはずもなく、拒否を表すために一二歩後退すると、乾は汁を持って詰め寄ってくる。
「越前の味覚音痴は検証済みだからな。これを飲んで平気だったのは越前と不二のみだ。
安心しろ、身体には非常にいい成分が凝縮されている、乾汁ハイパーリミックスインフェルノだ」
注)意味:インフェルノ→地獄
「ちょ、インフェルノの意味がマジ分かんないんですけど!って近ッ!ぎゃぁあ異臭が目に染みる…ッ!」
頬にぐりぐりと寄せられたグラスに、半泣き状態で叫んだは、誰か助けてくれる人は居ないのかとコートを見渡した。
大石、タカさん、乾の突然の現れに未だ動けない海堂は論外。
菊丸と桃城はどう見たって楽しんでる上に助ける気等更々ないだろう。
不二…!こんな時の為にアンタ居るんでしょ!とがコートの端のベンチに座っている不二にヘルプの視線を送ると、
どこからともなく取り出した人型の木を、彫刻等で掘りながらこちらににこりと微笑んで来た。
え、それ何?仏像ですか?そんな手助けいらねぇよッ!!
不二が助けに入らないと言う事は、恐らく本当に越前さんはこの乾汁ハイパーリミックスインフェルノを飲んでいたと言う事だろう。
越前家家訓で調理器具一切の使用を禁じられていたのは、ただ不器用なだけじゃなく味覚音痴もあったのだと思えば納得がいく。
だが、だからと言って死ねと言うのか私に!
「どうした越前。飲めないのか?」
「…」
自慢ではないが、は味覚音痴ではない。
どちらかと言うと普通に味覚には自信を持っていて、
料理を作る時も材料と調味料を目分量で適当にぶっ込み、それの味見をしながら足りないものを補うと言う超大雑把な調理法だ。
いくら身体が越前さんのものとは言え、まずいものをまずいと分かっている上で飲めば当然味はそう言う形で脳に伝わるはず。
故に――死。
「飲みましょう。飲んでやろうじゃないですか!」
もうこうなったらヤケじゃ!と、はグラスを受け取ると、躊躇することなく一気に喉に流し込んだ。
「…相変わらず、美味しいね」
にこーっと微笑んでグラスを乾に返すと、「私もう仕事があるから戻るね」と片手を挙げて爽やかにその場を後にし、
フェンスのドアから出て奴らの視覚外に出た途端、口元を押さえて猛スピードで水飲み場まで駆け込んだ。
蛇口をひねれるだけひねり、水を口に含んでは吐き出す――ダメだ!耐え切れるものじゃない!
とは言え一度飲んだものを吐き出すわけにも行かず、水の飲める量にも限界がある事を悟ったは、蛇口をひねるとしゃがみ込んだ。
今すぐ自販機まで走ってコーラでも何でも味の濃い飲み物を飲みたいが、生憎足は縫い付けられたように動かない。
「ま、まずぅ…」
ちくしょう乾、いつかあのめがね叩き割ってやる。忍足のと一緒に踏みつけてやる、と呪いのように呟いていると、頭の上に冷たい何かが乗っかった。
「はい、コーラ」
リョーマの声に顔を上げると、何故かコーラを持っているリョーマが居て、
どうしてここに居るのかと言う考えよりも先に身体がコーラを求めた為に、はガシッとコーラを掴むと、プルタブを開けて飲んだ。
しゅわーっと炭酸が喉に刺激を与えて、濃い味が喉を通っていくのを感じる――生き返った
「ゴメン、リョーマありがとう…」
「別に。朝のお礼」
朝?とが首を傾げると、リョーマは「ポンタ。置いてたのでしょ?」と尋ねてくる。
乾汁のお陰で飛んでいた記憶が蘇って来て、「リョーマ起きてたの?」と聞くと、彼は首を横に振った。
「寝てた」
「じゃあ、何で私って…?」
「からだったらいいなって思ったから、とりあえずお礼言ってみただけ」
まったく根拠のない話だけど、何だか凄くリョーマらしくては思わず微笑み、何気なく言葉が口から出る。
「そっか、自慢の弟だね」
その言葉を言った瞬間、リョーマの顔があからさまに歪んで、
綺麗な顔が歪むその仕草に、がきょとんと瞬いて見ていると、リョーマは帽子のつばを押して顔を隠した。
「…俺、練習戻るから」
「あ、うん…ありがとう」
何だろう、今物凄く傷ついた顔をされた気がした。
でも、傷つけるようなことは何も言ってないし、本当に突然だったから言葉が喉に突っかかって。
スタスタと去っていく背中に声をかけたかったけど、話しかけるなと言わんばかりの背中に、はぐっと言葉を飲み込んで、瞳を揺らした。
「…リョーマ」
【終わりの見えている恋】
すがるように呟いた名前は風に乗って消えてしまって、はコーラを地面に置くと、下唇を噛み締める。
リョーマのあの顔が脳裏に焼きついて離れなくて、そのまま嗚咽をあげてしばらく泣いていると、
「?」と言う低い声が聞こえ、は顔を上げた。
「跡部君」
「何泣いてんだ」
「あ、あはは。昨日も今日も泣き顔見られて、私泣いてばっかりだね」
誤魔化すように笑ってもそれは所詮強がりで、また込み上げて来た涙にしゃくりあげていると、
跡部はの腕を掴んで立ち上がらせ、水飲み場の脇にある花壇の淵に座らせる。
「リョーマを傷つけるような事言っちゃったみたいなんだけど、何が気に障ったのか全然分からなくて…ッ」
「あのガキが傷つくような玉か」
「でも、凄く傷ついた顔したの。あんな顔、初めて見た」
いつも自信があって、試合でどんな窮地に陥った時でも、いつも不適に笑いながら試合をするリョーマが、
自身が気にも留めていない言葉で傷ついてしまうなんて想像もしなかった。
「本当に身に覚えがないのか?」
「うん。普通に話してただけ」
「越前が機嫌悪くなる前、お前何言った?」
「…自慢の、弟だねって。それだけだよ」
跡部は眉根を寄せると、あからさまにため息をつき、前髪をかきあげる。
「一目瞭然じゃねぇか」
「え、何?跡部君、何でリョーマが傷ついたか分かるの?」
「ようするに、弟って言われたのが嫌だったんだろ」
跡部の言葉に、がますます意味が分からないという顔をして「だって弟は弟じゃん」と言うと、跡部は呆れかえった。
「てめぇは越前の事弟と思ってんのか」
「…思おうとは、努力してるけど…」
「結局は思ってねぇんだろうが」
多分越前も、と言おうとした跡部よりも先に、「思わなくちゃいけないの」ときっぱりが遮って、
跡部が「あぁん?」と言うと、はまだ冷たいコーラに指を絡ませて地面に視線を落とす。
「私は、リョーマの事弟だって思わなくちゃいけないの。どんなに好きでも、その気持ちを捨てなくちゃいけないの」
先ほどまで泣いていたとは思えない意思の篭った言葉に、跡部は面をくらったように瞬いた。
「兄弟の振りしてるって以外でも色々事情があってね。
最初は結構そんなのでへこんでたりしたんだけど、幸村君と話したときに少しだけ吹っ切れたの。
時間はかかると思う、でも平気になれるような気がするから。
竜崎さんと小坂田さんにも今日ちゃんと伝えてきた。
リョーマへの気持ちをなくすまでは、傍に居たいって」
なんでそんなヤツ好きになんだ…てめぇは
姉ちゃんね、こっちの世界でちゃんと理解してくれてるの多分幸村先輩だけだと思うんだよね
「私ね元の世界に居た時、ずっと願ってた。
もしこの世界に来れて、リョーマに会えるなら、たとえ遠くから応援できるだけでも、リョーマにとって通行人Aでも構わないって。
そりゃぁリョーマの視界に入れるなら嬉しいけどね、元の世界の私じゃ全然勝負にならないし、期待してもしょうがないから。
だから、今の位置に居れるだけで私救われてるって思う。
竜崎さんや小坂田さんみたいに、リョーマに恋する権利も、異性として傍に居る権利も、想いあう権利もないけど、幸せなの」
その時が跡部に見せた笑みは、今まで彼が見てきた中で一番悲しくて、儚くて、そして素直に綺麗だと思えた。
跡部先輩、本当は姉ちゃんが太ってて、今みたいに可愛くなくて、人生に悲観的で。
アンタとまったく間逆の人間だとしても、もし姉ちゃんの事好きって…ううん、それは今からまた姉ちゃんを見て決めてくれていい…
だって、見てくれは違っても ちゃんは ちゃんだもん
おもむろに手を伸ばした跡部は、の前髪をかきあげると、無理やり繕ったような笑みを浮かべる。
「てめぇもバカだけど。俺様も大バカだ」
終わりのない恋なんてないけれど、終わりの見えている恋をする事程バカな事はないだろう、と跡部は思う。
叶うことのない恋をしているのだと言う
見た目なんて構わないと思える程好きだと気付いた途端に、彼女のリョーマへの愛をまざまざと見せ付けられた跡部
きっとどっちもバカだけど
「好きになっちまったもんは…しょうがねぇだろ」
「…うん、そうだね」
愛しい想いは止まらない

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