到着地に着く前に離れてしまった手は、それでも僅かな温もりが残っていて、
ぎゅっと胸の前で手を握って余韻に浸りたかったのに、怒涛のように訪れたバーベキューと花火がそれを許してくれなかった。
お陰でをしばく暇もなく後々のお預けとなってしまい、は目の前で起こっている肉争奪戦を眺めながらキャベツを噛んでいる。
「てめぇ越前!こう言う時は先輩に譲るもんだろーがッ!」
「桃先輩に譲ってたらきりがないッスよ!あ、英二先輩それ俺のッス!」
「残念無念また来週〜ってね」
二兎を追うものは一兎も得ずと言うのか、リョーマが桃城と肉を取り合っているうちに、
リョーマの目の前にある肉を菊丸が掻っ攫っていき、そちらに意識が向いている間に桃城が肉を奪うというなんとも醜い争いだ。
もどちらかと言うと野菜より肉派だが、あの争奪戦に加わるほど飢えてない。
競争率の低いキャベツやにんじんを食べていると、立海の方はを中心に盛り上がっていて、は乾いた笑みを浮かべた。
「妹さん、元気だね」
突然気配もなく現れた不二に、はごほっとむせ返って慌ててにんじんを飲み込と、横目で睨む。
「…気配なしに現れるのは止めて下さいませんか。心臓に悪いです」
「失礼だね。人が湧いて出たみたいに言うの止めてくれる?」
精一杯の勝気で睨んだつもりだったが、所詮不二の前では魔王と雑魚キャラ――「すいません」と謝ってしまう自分が情けない。
「分かればいいよ」とどこまでも上目線で言った不二は、
誰一人手をつけていない(ようするにつけれない)テリトリーの肉を取ると、焼肉のたれにつけた。
「裕太も、この数日楽しそうだったからね。公衆の面前で告白されてたみたいだし」
「…考えなしの妹で…スミマセン…」
笑顔のはずなのにどこか棘のある言葉はあきらかにを責めていて、
肩身が狭い思いをしたは逃げ場がないか視線を走らせたものの、
開いてる場所はノートを片手に食べている乾の隣、同じように野菜中心に細々と食べているタカさんの隣、
肉争奪戦の輪の中のいずれかである(大石は菊丸を止めに入って居る為、一くくり)
逃げ場がない…と、落ち込んでいた時噂をすれば影が差すとでも言うべきか、聖ルドルフの二名が現れた。
「おや、不二君ではないですか。こんな所で奇遇ですね」
同じ敷地内に居て奇遇もなにもないだろう、しかも不動峰とルドルフのバーベキュー場所はここからちょっと離れている。
狙って来なければ絶対に会う事はない――お前は好きな人を偶然に見せかけて待ち伏せする少女か、とツッコみたい。
「観月さん、やめましょうよ」
「やぁ裕太。そっちは盛り上がってるかい?」
不二に話しかけてるはずの観月が無視され、観月に話しかけてるはずの裕太が無視され、不二は裕太に話しかけていると来たもんだ。
観月の身体から怒りとも呼べるブリザードを感じて、は身を震わせると、
この際肉争奪戦の所でもいいから逃げようと後退さった――裕太ゴメン…ッ!骨は拾ってあげるから!
「ちょっとお待ちなさい。貴方、随分と不二君と親しそうじゃないですか」
ぎゃぁ火の粉がこっちにまで降りかかってきた!と、が振り払う暇もなく観月ははっと鼻を鳴らす。
「貴方みたいな常識のない人が彼女の時点で、たかが知れてると言うものですよ。
不二君、次に試合する機会があったら僕の圧勝は目に見え「ちょっと黙ってくれる?」」
向こうがブリザードならこっちは氷点下で吹き荒れる嵐とも言える風が襲い、
裕太とは身も心も凍ったが、は勇気を出して口を挟んだ。
「あの、私周助君の彼女じゃありませ「黙ってって言ってるでしょ」…はい…スイマセン」
観月の常識がないと言う言葉には反論出来ない。
だって初対面なのに「キラ」とか言わせてしまったし、不動峰の試合では横茶々入れちゃったし、
だからせめて彼女の部分は否定してあげようと思ったのに、親切は余計なお世話だったようだ――こ、怖いよッ!
「試合でも口でも僕に勝てないからって言って、他人を使って貶すなんて最低じゃない?
大体、何でもかんでもシナリオ通りに行くと思ってるのが甘すぎるんだよ。
皆各々考えてる道があって、それを歩こうとするのに上手く行かないからもがいてるのに、
シナリオだかなんだか知らないそんなものに頼って、出来ないから人に当たるなんて、人としてどうかと「周助君!」」
その声が上がったのは、不二の前で苦渋を飲むような表情をしている観月じゃなく、
どうすればいいのか分からない裕太ではなくて、不二の横でぎゅっと拳を握り締めただった。
「私、その言葉嫌い。“人としてどうかと思う”って、言われた事ないから言えるんだよね?」
思ったよりも大きく出た声は、争奪戦をしていたメンバーの視線すら集めるもので、
しかしそんな事はもう目に入ってないは瞳を揺らすと、口火を切った。
「言われたら、凄く傷つくんだよ。
観月君の喧嘩の売り方も、周助君の言うようにフェアじゃないって思う。
でもね、どうでもいい相手に突っかかったりしないんだよ。
認めて欲しいから、自分と言う存在をわかって欲しいから、だから喧嘩売るんだよ」
“人としてどうかと思う”
それは、高校で仲がよかったはずの友達に言われた言葉
自分の事を分かってくれてると思ったのに、分かってくれてなかった
こっちの事情も何一つ知らないくせに、聞く気もないくせに、勝手に決め付けた挙句、何の基準で測られたのか知らないその言葉
「私達って、自分自身の事も分からないけど、他人の事って所詮他人事なんだよ。
自分が辛い時に“もっと辛い人なんか一杯居るんだから頑張りなさい”なんて言われても、頑張れる訳ないじゃん。
その人の辛さなんかその人にしかわからないんだもん、分かれって方が無理だよ。
言う方は簡単だよ無責任に言えるんだもん。でも、言われた方はもっと苦しくなるんだよ。
頑張ってるのに、自分は精一杯頑張ってるのに、それを認めないで頑張れだなんて辛すぎる。
それと一緒だよ、観月君のシナリオに対する執着もそれを通そうとしてる努力も、観月君しか分からないんだよ。
言い方はどうにしろ、虚勢張って何が悪いの?自分を認めてもらおうと思って何がいけないの?
それを“人としてどうかと思う”なんて無責任な一言で片付けちゃ、あんまりだよ…
観月君の一面しか見てないのに、それだけが観月君って決め付けるのは間違ってる」
分かってくれなくてもいい、だけど理解しようとして欲しかった
その友達に言えなかったこの言葉を、あれから何度胸に抱え込んだ事だろう
溜め込んでいた思いを全て言ってしまったは、ようやく自分が口に出していた事を理解すると「わ」と両手を挙げた。
「ゴメン、何か勝手に一人で語っちゃって。
周助君もさ、私が悪く言われたから庇ってくれたのに、好き勝手言ってゴメンね!
でも常識ないって言われたの当然でさ、観月君には今回の合宿で色々萌に関して迷惑をかけたから、言われてしょうがないんだよ!
あ、でもホラ、観月君もちょっと言い方考えないと、周助君には伝わらないよ」
何とかまとめてさっさとトンズラしようと言う魂胆でまくしたてると、観月は苦虫を噛むような顔をして踵を返す。
「…出直します。戻りますよ、裕太君」
「は、ハイ。観月さん」
「それと貴方…じゃないですね。
越前さん、先ほどは常識がない等と言って申し訳ありませんでした。
僕は“貴方の一面”しか見てませんでしたから、その点は謝罪します」
それは観月なりの精一杯の謝罪の言葉のように思えて、は「いいえ!」と言うと、去っていく観月の背中に向かって叫んだ。
「私、観月さんの声大好きなんです!もしよかったら、またお話させてください!」
【私の心の痛み】
バチバチと花火が散る音が聞こえる傍で、不二は夜の海を見ていた。
その隣にが来たのを横目で見ると、ため息をつく。
「…あからさまに嫌そうにするの止めて貰えませんか」
「文句が多いよ、君は。人がせっかくフォローしてあげてたのに、気付いたら説教されてるしね」
不二の小言には負けると思ったのだが、
そんな恐れ多いことが口に出せるはずもなく、は「ホントにすいませんでした」と頭を下げて付け加えた。
「それから、ありがとうございます」
眉をひそめた不二は、から海に視線を戻すと少しすねたようにも聞こえる声で言葉を返す。
「今更フォローのお礼言われたって嬉しくない」
「違います。もちろんフォローも嬉しかったけど、私の事、理解しようとしてくれてるんだなって思ったから」
不二の心は、不二にしか分からないけれど、きっと越前さんを取り上げた自分に対する怒りと、
それでも理解しようとしてくれてる優しい気持ちが複雑に入り組んでるんだとは思う。
本当なら何故入れ替わったと詰られてもしょうがないのに、不二はそれをしない
その代わり彼の小言が多かったり、多少なりと意地悪だったりするのは不二なりの拒絶なんだろう
そう思った時、あの歌が自然と口から零れ出た。
花火の音で、きっと他のメンバーには聞こえていない
それを踏まえたうえで、は月に向かって手を差し伸べると、瞳を伏せた
「…周助君が、越前さんを好きな気持ちは知ってるけど、それがどれ位の思いなのか私には分かりません」
歌い終わってポツリと零したは、俯いて申し訳なさそうに微笑むと顔を上げて不二を瞳に映す。
「周助君から越前さんを取り上げた事謝っても許される事じゃないと思ってます。
だから、謝ったりは絶対しません。
周助君が私を認めてくれようとしてるのは、十分伝わってます――ですから、そんな辛そうな顔しないで下さい。
私、例え周助君から責められたって、嫌われたって、好きで居る自信ありますから!」
そこで一旦区切ると、は「あ」と言って微笑んだ。
「この歌、私の世界で周助君が歌ってる歌なんです。
本当に大好きでよく聞いてるから、下手くそだけど、私の精一杯の感謝の気持ちをこめました。ホントに、ありがとうございます」
その時、が居ない事に気付いたのか、少し遠くから菊丸が大声でこちらに向かって叫ぶ声が聞こえる。
「越前!線香花火の競争するぞー!不二も、ダッシュだぁー!」
「今行くね!じゃ、私先に戻るから」
そう言ってパタパタと駆けて行くの背中を見ていた不二の後ろから、くすくすと笑う声が聞こえて、
首を巡らせた不二は思いがけない人物に、少し目を開いて驚いた――「佐伯」
気配がなく近づかれると言うのは確かに心臓に悪いな、と不二が思うのを他所に、佐伯は隣に並ぶと何気なく月を見上げる。
「剣太郎とダビデが悪ノリしてね、悪いけどバネさんに任せて散歩に来たんだ。あの子、凄いね」
「…」
不二は答えないが、佐伯は気にもせず言葉を続けた。
「青学がバーベキューしてた所と、六角は近かったからたまたま彼女の説教が聞こえたんだけど、
彼女俺達と同じ歳だとは思えないなぁ…歌も、綺麗だった」
佐伯に視線を走らせた不二の考えてる事が手に取るように分かったのだろうか、不二が何かを言う前に佐伯は肩を揺らして笑う。
「大丈夫、会話は聞こえてない事にしとくから。
正直意味が分からなかったしね。でも、興味は凄く湧いた。
好みのタイプ候補に挙がってる事だし、ライバルは多そうだけど頑張ってみようかな」
どこまで本気か分からない佐伯の言葉に、不二はため息を一つ。
もう一度月を見上げると、その時初めてポツリと零すように呟いた。
「ホント、嫌いになれたら楽なのにね。それをさせてくれないんだ、彼女」
不二の言葉に、佐伯は目を細めて笑って、不二の肩を叩く。
「いいんじゃない?好きと嫌いに分けなくても、世の中中途半端な事なんて山ほどあるよ」
佐伯の言葉にやっと不二は微笑を見せて「そうだね」と頷き、それぞれの想いを他所に、合宿最後の夜はこうして幕を閉じたのだった。
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