合宿をきっかけにマネージャーが居る味をしめたのか、
事ある事には部活の手伝いをさせられ、入部届けこそ出していないものの事実上のマネージャーのようなものになっていた。

そのおかげで関東大会立海戦にはいけない旨を伝えると、菊丸と桃城はそれこそブーイングの嵐だし、
不二には極上のスマイルで見送られたり(ヤツの嫌味は性質が悪いと身に染みて感じた)、海堂には純粋に残念そうな顔をされたのだ。

正規のマネじゃないんだし、そこまで責められる必要はないのだが、
何で私が悪いみたいになってるんだろう、と思いつつは当日の朝を迎える。




「おはよう、リョーマ」
「おはよ」

一階に降りると、リョーマは既にパンとサラダ、それに嫌々ながらだろうが一日のノルマの牛乳を飲んでいて、
隣に座ったは二種類あるサラダのドレッシングに手を伸ばすと、ごまドレを選んでサラダにかけた。

「ついに関東大会決勝戦だね。調子はどう?」
「別に。いつも通り」

とかいいつつ、いつもより緊張感が伝わってくるのはきっと気のせいじゃないだろう。
がパンを持ってきてくれた菜々子さんに「ありがとうございます」と言って受け取ると、リョーマは「それで」と突然に話題を切り出した。

「何で今日来れない訳?」

予想もしなかった問いには瞬いて、「え」と言いながらリョーマを見たのだが、リョーマは視線を合わさない。


関東大会決勝に行けないと大石に申し出て早一週間。

部活中も、家に居る時もリョーマがその話題に触れた事はなかったから、リョーマにとっててっきりどうでもいい事なのかと思っていたけど、
視線を合わせてくれない事やらこの口調から推察するに――は思いついた言葉を、考える事もなく口から滑り出した。
「拗ねてるの?」

そう言った瞬間、リョーマは弾けるようにを見て、大きな猫目の瞳にを映す。


「…」
「……」


ち、沈黙が痛い。
あまりに長い無言に耐えかねたが「冗談だから」と慌てて言うと、リョーマはやっとから視線を外して朝食に向き直った。

怖かった――ッ!涙目になりながら食パンをかじっていると、「理由」と更に催促され、
何でここまでこだわるんだろう?と思いながらも、正直に答える。

「今日、立海テニス部の友達が手術なの。真田君達は試合でしょ?だからせめて私は傍に居てあげたいなと思って」
「…ふーん」


理由聞いたくせに答えが「ふーん」って言うのはあまりにも淡白じゃありませんか、リョーマさん!
は気まずさ背中を押されるようにパンとサラダをかきこんで牛乳を飲むと、
ガタッと席を立ち上がって二階に逃げようとしたのだが、その前に、とポケットの中に手を突っ込んで“あるもの”を取り出した。

「リョーマ」
「何?」

「これ――」




【通過点】




「おはよう、幸村君」
「やぁ」

三日前に手術に立ち会うとメールをしていた為に、幸村はが来た事にさして驚きもせず、
大手術の前とは思えない程穏やかな顔で出迎えてくれた。


「気分はどう?」

ベッドの傍らに置いてあった椅子に腰掛けて、
調子はどうか、と聞こうと思ったのだが寸前で言葉を変えて尋ねたに、幸村は淡い微笑みを浮かべて窓の外に視線を移す。

「実感がないって感じかな――もしかしたら、この空を見れるのも最後かも知れないのに」

どれだけ大人びて見えても、幸村はまだ中学生
そして死が間近に迫る恐怖を知っているからこそ、どれだけ穏やかに微笑んだとして不安がない訳がない。



ぎゅっと胸を掴まれたような痛みに、は瞳を伏せた。
よかったここに来て、幸村君を一人にしなくて本当によかった。



「幸村君」
「何だい?」

言葉を探そうとするのだけれど、かえって喉につっかえて出てこなくなって、もどかしさには眉根を寄せてぎゅっと鞄を握り締める。

幸村君が手術に成功するの、私知ってるよと言った所で、彼の不安は拭えないだろうと言う事は簡単に想像出来ていたので、
だからこそ言葉じゃなくて伝えられるもの、自分に何が出来るかと必死に考えた挙句、はいきついた結論を鞄の中から取り出した。


「これ、よかったら貰ってくれない?
高校生の時に友達から作り方教わって、それを思い出しながら作ったうえに不器用だから見栄えは悪いけど、

精一杯、私の願いをこめたから」


ミサンガを差し出すと、幸村はしばしの間それを凝視して視線を持ち上げる――「これ、俺に?」
しっかりと頷いたに、ミサンガを受け取った幸村は「ありがとう」と言うと、花がほころぶような笑みを浮かべた。

「手術が成功するようにって事かな?」

どこか余裕を持とうとするかのような幸村の問いを「違うよ」とあっさり否定したは、ミサンガを握っている彼の手を握り締めて微笑む。
「幸村君率いる立海が、全国大会で優勝できますように」

驚きに彼の目が見開き、は言葉を続けた。
「全国大会で勝てるように願いをこめたんだもの。手術はその通過点に過ぎない――立海が優勝できる為の。

手術が終われば、何もかも終わりって訳じゃないでしょ?
リハビリがあって、部活に復帰して、全国へ出場する。幸村君の全国への切符は、手術が成功した時から始まるんだよ」


頑張って、なんて無責任なことは言えない。
本当なら真田達とは違う戦場に居る貴方は一人じゃないから、私も一緒に戦うからって言いたいけど、
そんな安っぽい言葉で幸村の手術に対する気持ちを踏みにじりたくない。

幸村の手にミサンガを巻くと、彼はそれをいとおしそうに眺めた。

「待ってます。幸村君がまた私の大好きな笑顔で笑ってくれるの、私待ってますから」


幸村の瞳に映ったが揺れる。


「全国大会、越前を応援しなくていいの?」
「リョーマには朝もう一つ作ったミサンガ渡して来ました。
全国優勝できますようにって、同じだけ願いをこめましたから、後は幸村君とリョーマの努力次第です」


ああ、君は
何でこんなに真っ直ぐに、欲しい言葉をくれるんだろう

この病気にかかって、泣きたいと思った事は何度もあったけど、泣いた事は一度もなかったのに
不意に幸村は目元が熱くなるのを感じると、頬に一筋の涙を流した。


「ゆ、幸村君!?」


涙を見られるのが嫌だったのか、それとも抱きしめたい衝動に駆られたのか、
幸村にも分からないまま、ただ手繰り寄せるようにの体を抱きしめて、彼女の肩に顔を埋める。

「頼みたい事があるんだ」

抱き寄せられて最初は戸惑った声を上げたも、ゆっくりと幸村の背中に手をまわして抱きしめて、「何ですか?」と答えた。
お互いの鼓動が近い。


君は確かにここに居て、俺は確かに、ここに生きてる…ッ!


あの時よりもずっと近くに彼女の存在を感じて、その嬉しさが幸村の抱きしめる力を更に強くする。
「もし俺の手術が成功したら、俺のリハビリをかねて二人で会って欲しい。
その時に、君の本当の姿を映したもの――写メでも何でも構わないから、もし持ってるんだったら、見せて欲しい」

「え…」とが小さく声を上げて、しばらくの沈黙の後、かなり迷ったのだろう「分かりました」と覚悟を決めたように、頷いた。
幸村は彼女の肩に手を置いて顔が見える位置まで体を離すと、真っ直ぐとその瞳を見据える。



「本当の君を見た上で、君に告白するチャンスをくれないか?」



パチッと彼女が瞬きして、十分な時間が空いた後に彼女から出たのは、「は?」と言うなんとも間抜けなものだった。
その表情があまりにもおかしくて、幸村は笑い出したのだが、彼女が誤解する前に先手を打つ。


「言っておくけど、冗談とか、からかいとかそう言う類の話しじゃないよ。俺、本気で君が好きなんだ」


やっと幸村の爆弾発言が理解にまで達したは、ぼんっと顔を赤くすると、風を切る音がしそうな程早く首を横に振った。

「ちょ、待って幸村君!それが既に告白だよ、じゃなくて…ッ!あの、私」
「待ったはなし。俺の頼み、聞いてくれるよね?」

ここに現魔王の威厳を感じた、と後々は語る事になるのだが、
押されるままに「はい」と返事をしてしまったに幸村はにっこりと微笑んだ。


その時看護婦さんが入ってきて、「そろそろ手術の準備を始めます」と言う言葉に、は状況に追いつけないまま席を立ち上がる。
「じゃぁ幸村君、私手術室の前に居るから」

「ああ。あ、の手作り弁当も食べたいかな」

看護婦さんの前であっけらかんと言った幸村に、が唇を引きつらせながら「うん」と言うと、
傍で聞いていた看護婦さんは「あらあら」と言って口元に手を添えた。


「ナース室で幸村君ったらカッコイイから彼女いないのかしらって話題になってたんだけど、やっぱり居たのね?よく来てるものね、貴方」

嫌、彼女じゃありませんと言おうとしたの言葉を遮って、幸村は口を開く。
「今から口説く所なんです。中々ガードが固いんですよ、彼女」






中三で口説くとか言うんじゃありません…ッ!
ちょ、看護婦さん笑い事じゃないから!







色々と突っ込み所はあったのに、結局何一つ口に出来ず、は諦め気味に片手を挙げて「じゃ」と病室を後にした。

気持ち的に元気になってくれたのは嬉しいけど――病室を出たは、重いため息をついて肩をすくめる。
元気になり過ぎた気がしなくもない


本当の君を見た上で、君に告白するチャンスをくれないか?