その日、青学のコートに春の風が吹いた




【春の風】




「あっぢ〜…こんな暑さじゃやってらんないッスよぉ」
「暑い暑いうるせぇんだよテメェは、そんなに暑いなら帰ってクーラーにでもあたってろ」

「あんだとマムシ!やんのかコラ!?」
「あ――ッ!もう、暑苦しいから喧嘩しないでッ!」


堪忍袋の緒が切れたように叫んだは、コートの端で対峙していた二人にやけくそのようにドリンクを投げつけると、
寸での所で受け取った二人を睨みつけてニヤリと口端を持ち上げた。
「そんなに暑いなら乾汁飲めば?冷たくなるかもよ…」

「え!?涼しくなるんじゃなくて冷たくなるんスか!?」
「待っているのはだからね…」

ふ、ふふと笑うを見て、桃城と海堂は顔を見合わせると逃げるが勝ちと言わんばかりに肩寄せあって逃亡し、
「やっと静かになった」と真顔に戻ったは、照りつける太陽を恨めし気に睨みあげる。

「確かに暑いよなぁ…これじゃぁ普通の人間は日射病で二三人倒れてもおかしくないよ」

平部員は午前中のみの練習で、午後は各自の判断による自主練の為、
荒井を初めとする部員がちらほら残っている中レギュラーはコート全面を使って練習していた。

故に休憩を自主的に取れる平部員とは違い、レギュラーは次の休みまでぶっ通しで練習。
そう言う意味で倒れてもおかしくないと思っただったが、肝心なことを見逃していた――レギュラー陣にまともな人間等居ない。


不二と河村が打ち合ってるコートの傍を通ったは、まず第一の被害者を見るはめになった。
「…1…5…3…」

ノートに視線を落としてブツブツと呟いている乾はいつもの事だが、
試合のデータでもなく、ましてや新たな乾汁のレシピでもない事をぐだぐだと述べているのは珍しい。

足を止めたは、「どうしたの乾君?」と言うと「げッ」と顔を歪めた。

「 3. 1415926535 8979323846 2643383279 5028841971….」



え、円周率ですか――ッ!?
うっわ、ウザイ壊れ方だなぁオイ!(言いすぎ)と、思いながらも「乾君しっかり!」と肩を激しく揺らした途端、
乾は糸が切れたようにバタリと倒れた。

「ろ、6939937510…」
「ダイイングメッセージですか!?乾君の円周率に対する愛は分かったから…し、しっかりして――ッ!」

カク、と事切れた乾の肩を揺らしながら「桃城君!海堂君!」と呼ぶと、
の眼につかない所でいがみ合っていた二人がびくぅっと肩を揺らし、転げるようにかけてきた。


「重すぎて保健室までは運べないから、めがね外して木陰に転がしときなさい!」
「え!?そんな投げやりで大丈夫なんッスか!?って言うかめがね関係ねぇ――ッ!
「…越前先輩も地味に暑さに参ってるんじゃないッスか…?」

両腕を掴まれてズルズルと乾が運ばれて行くと、
やっぱり犠牲者が出たかとため息をついた時「タ、タカさん!?」と言う菊丸の声に、首を巡らせる。


萌えるぜ、バーニーング!」


タカさん、漢字変換間違ってるよ――!書き直して、書き直して!
と叫ぼうとしたのだが、生憎間違ってないのだと気付くのに時間はいらなかった。


フェンスにかじりついているタカさんの視線の先には、
ひらりとスコートを揺らしている女子テニス部員で、河村はわなわなと体を震わせると、空に向かって叫ぶ。


「河村隆十八番A○B48!スカート、ひらり行くぜバーニーング!
女の子にはスカートひらりひるがえし、走りたくなる時があるッ♪何ッ」


スタンとが着地したと同時に、後頭部を蹴られた河村がコートに沈み、菊丸は「タカさぁああん!」と言うと泣きじゃくった。
「俺、タカさんがA○B十八番だなんて知りたくなかったにゃ――ッ!」


「私もだよ…英二君…って言うか周助君、対戦相手がおかしくなったのに気付いて何で止め…周助君?」


タカさんまでもが(の手により)落ちてしまった。そろそろ部活中止したほうがいいんじゃね?みたいな空気の中、
うな垂れてゆらり、と揺れている不二の姿は傍から見ても普通じゃなくて、はサ――ッと血の気が引くのを感じる。

「ホント…いい天気だよね…いつかは落ちる太陽だけど…
「ちょ、周助君!?パクリは良くないよ…!それジャングルはいつもハレのちグゥの七巻でのワジの台詞…ッ!」

「ハレ?ハレがグゥ?直訳すと晴れるのはいい事だ?地球温暖化をなめないでくれる?
「意味がわかんないよ周助君!ホント、マジで周助君がおかしくなっても誰も止められないんだから!しっかりしてッ!」

ひぃいと息を呑んだの瞳に、顔を上げた不二がにたりと笑うのが映った――ほ、ホラー映画だぁああ!


「これだけ暑いのにまだ暑くなるって言うの?それは僕に対する挑戦状かな?
いいよ、受けてたってやろうじゃない。
僕が倒れるのが先か太陽が落ちるのが先か…


「うわーん!壊れられるより倒れてくれた方がいいよ――ッ!


もう帰る――!と半泣き状態でわめいていたは、我関せずの態で何時の間に買ったのかポンタを飲んでいるリョーマの、
フェンス越しの後ろに立っている人を見て、ぽかんと口を開けた――私まで暑さで幻覚が見え出したのか?


しかしそれが実体だと分かったの視線に気付いたリョーマは、
後ろに首を巡らせて、なにやらそわそわと髪の毛を撫で付けているを見る。

髪の毛のセットと思われる行為が終わってスタスタと歩み寄って来たは、
リョーマを通り過ぎて、その後ろに立っている人物に「あの」と声をかけてにこりと微笑んだ。
「どうかされましたか?」

「これ、やーぬ(お前の)だろ?」

掲げられた生徒手帳は、確かにので「これ、何で貴方が」と言うと、青年は笑う。
「今朝、駅前で男にとび蹴りしただばぁ?そん時に落ちたの拾った」

リョーマの耳に「あ…」と身に覚えがありそうな声が聞こえ、は苦笑いを零した。

「しんけん(マジ)驚いたばぁよ。絡まれちょるイナグー(女の子)助けるとや言え、スカートでとび蹴りやっし。
“朝からむさくるしい事してんじゃねぇ――ッ!”って駅中に響いてたしな」


ちらりと横を見ると、あきらかに呆れた顔をしているリョーマと視線があって、は口端を引きつらせる。

「お見苦しい所をお見せしました。しかもわざわざスイマセン」
「敵情視察のついでやっし、気にすんな」

「敵情視察って君

眉根を寄せて歩んできた大石の肩を押すと、思った以上に力が入っていたのか、
見事な程横にすっ飛んでいき、は「大石君ゴメン、後で謝るから」と心の中で侘びをいれた。

「皆暑さで参っちゃってて。せっかく視察に来てくれたのに」
「やまとんちゅはこれ位ぬ暑さでバテるぬか?なさきねーんな(情けないな)」

ちらちらとうちなーぐちが覗くが、元居た世界ではあさるように夢小説を読んでいたのだ、多少は理解できる。

「でもおもしれーもん見せてもらったさー。やーの飛び蹴り見事やっし」
「空手やってた(らしいん)です。でも、沖縄武術にも興味あります!」

「わん、うちなーから来たって言ったか?」

しまったぁ!とは思ったものの、怪しまれないように
「うちなーぐち、(喋る貴方達が)好きで(夢書くために)よく調べてたんです」と言って、「それに」と木陰で伸びている乾を指差した。


「比嘉中の試合は私も興味があったので、あそこのデータ計算機に色々と聞いてたんです。
甲斐裕次郎さんですよね?」
「わんらの試合?やー、見る目あるやっし。やまとんちゅにデケー面させるのも、今年までばーよ」

もはや計算機扱いされている乾に悪いとすら思っていないは、「あの」と言うと、頬を朱に染めた。


「初対面であつかましいんですけど、ゆ、祐ちゃんって呼んでもいいですか…ッ!



(((祐ちゃん!!!????)))



かろうじて正気を保っていた桃城と海堂、大石と菊丸がぎょっと目を見開き、リョーマにいたってはポンタを吹き出す。
裕次郎が「でーじ(マジで)いきなりやっし」と肩を揺らして笑うと、は「じゃぁ!」と身を乗り出した。

「裕次郎君って呼んでもいいですかッ」
「好きに呼べ」

「じゃぁ裕次郎君!生徒手帳のお礼に今晩一緒にご飯食べませんか!ファミレス位なら奢れます!」

「ちょ、!?」
耐え切れずに立ち上がったリョーマを、菊丸と桃城が覆いかぶさって止め、
リョーマの耳元で「死ぬ気かッ!」と未だに押された肩を抑えてる大石を指差す――ああなりたいか!


普段のなら間違ってもリョーマにそんな事をしないだろうが、今日のは(特にあの男が出てきた辺りから)おかしい。
リョーマが思いとどまると、菊丸が「偉いぞおチビ!」と過剰な程に褒めた。

「ついでだし気にすんな」
「あの、迷惑だったらいいんですけど…」


もじもじと言葉を濁す少女は、先ほど乾を転がしとけと言った挙句河村にとび蹴りを食らわせたと少女と、
あまつさえ桃城や菊丸が知るちょっと前の越前とは似ても似つかない。

これが事情を知ってるものが居ればいいのだが、あいにく知らない面々ばかりで、
衝撃映像を見てるような心境にさせる中、各々は現実を受け入れようと暑さでくたばっていた脳をフル回転させた。

「え、英二先輩…越前先輩、暑さにやられたんスかね!?」
「それしか考えられないにゃ。それにしてもさっきから辺りを包んでるこの生暖かい風は何なんだよ〜」

「まるで春のうららかな風ッスね。越前先輩から出てますよ絶対」

こそこそと耳打ちしあう菊丸と桃城の間で、リョーマはあきらかに面白くない顔をすると、ポンタをぐぃっと飲み干す。


「まぁ別に戻ってもヤローだらけだしな、メシ位いいか」
「本当!?やった――!って事で大石君、私早退と言う事でッ!」

「もー好きにしたらええ」(注:大石です。まだダメージ食らってます)


「じゃぁ私着替えて来るんで!校門の所で待ってて下さい!」
「おー」


バタバタと足音を立てて去っていったを見た菊丸と大石、桃城がやっと息ついたようなため息を吐き、
突然吹いた春の風は、嵐のように去っていくのかと無駄な知識が増えた。


青学テニス部のある暑い夏の日の一ページは


犠牲者:三人
(自主)早退:一人



と、類を見ない壮絶な一日となったのだった(強制終了)