「今、何と仰いましたか?」
「だから、手塚が帰って来るんだ」


話があるから部室に残るようにと不二に言い渡されたは、動揺のあまり大石から引き受けた部誌を床に落とした。
てづかがかえってくる、てづかが帰って来る、手塚が帰って来る、と脳内変換された後に、パカッと口を開く。


「手塚が帰って来る――ッ!?」


恐らく校内中に響き渡ったであろう、懇親の力をこめたの叫び声に、
不二は両耳を塞いで手近にあったトロフィーを投げた(何てバチ当たりな)。

思い切りガツンとぶつかったが頭を押さえてテーブルに沈没すると、「ちょっとは落ち着いた?」と尋ね、
「…頭が転げ落ちるかと思いました」と答えたを怪訝な目で見た不二に、説明する。


「ホラ、Dr.スランプあ○れちゃんってあったじゃないですか。
あれ見たいに頭が外れてごろごろごろっと…ちょ、さすがに二発は死にます!ぎゃぁ投げないで!


ひぃと泣きそうな声を上げたを見て、不二は掲げていたトロフィーを棚に戻すと、あからさまなため息を吐いた。
「まったく、くだらない冗談は止めてよ」

「くだらない冗談で死ぬ思いをしたんですか私は…?」



切実なの問いを「話を戻すよ」の一言でバッサリ切り捨てた不二に同情等はなから期待していないは、大して気にも留めず尋ねる。
「帰って来るって、九州から?ドイツから?」

原作は確か九州からで、アニメはドイツから帰って来たはずだ。
でもどちらにしろ帰って来たのは全国大会直前で、夏休みの間なんて話しはどちらでも見た事がない。


しかし「ドイツ?」と不二が首を傾げたと言う事は、原作通り九州なのだろうとは重ねて尋ねる。
「夏休みに部員の様子見に来ますって訳じゃないんでしょ?」
「うん、とりあえずは部長復帰みたいだよ。ただまだ無理は禁物だって、こっちの病院で治療を続けれる位には回復したみたい」

よくよく考えてみれば、関東大会前に立海と一緒に合宿と言う時点から話がズレてるし、つい先日は沖縄から偵察に来たのだ。
自分達が知っているストーリーと微妙に違うのは明らかで、
だったらこれから先も変わるのかな、と思考がずれていたに釘を刺すように不二は言う。


「何考えてるかは知らないけど、僕が言いたかったのはそこじゃなくて、手塚が帰ってきたら間違いなくバレるよって事」
「…ですかね、やっぱ」


先の悩みより目先の悩み、げんなりと頭を抱えたに不二は頷く。
「手塚と越前は生徒会で一緒だったしね。多分、ウチのレギュラー陣の中じゃ手塚と一番仲が良かったんじゃないかな?
ホラ、手塚って必要以上に他人に踏み入らないし、越前は踏み入られるの嫌がるでしょ?だから」

あー、そう言う所はに似たタイプなんだな越前さんは、とは思うと「じゃぁどうしたら?」と問い、
不二は最初から答えが出ていたようにあっさりと言葉を返した――「正直にバラしちゃえば?」



「他人事のように躊躇のない返答ですね」
「うん。だって他人事だし」



もっともな不二の言い分だが、釈然としないのは何故だろうと顔を歪めたに、不二は言葉を続ける。
「手塚はああ見えて人を良く見てるし、勘も鋭いからね、隠そうとすればする程怪しまれると思うんだ――何、人の顔じっと見て」

ぼうと不二の顔を見ていたを怪しんで眉根を寄せて尋ねた不二の問いに、止めときゃいいのには正直に答えた。


「嫌、周助君の優しさってわかりにくいなぁと思って」
「…後トロフィー二つだけど、大きいのと小さいのとどっちがいい?

「両方ご遠慮させて頂きます…」


不二がトロフィーを戻してからやっと息が出来たは、胸を撫で下ろすと、部誌を机に広げる。
「でも、“私実は越前さんじゃないんですよ”って言って、普通信じます?」
「まぁ、信じないだろうね」

「ですよねぇ」とが相槌を打った後、何となく沈黙が広がって、
部誌の上に突っ伏したを見た不二は、唐突に「ねぇ」と言うと、顔を上げたに尋ねた。
ってさ、もしかして僕達の未来知ってるんじゃない?」




【わがまま】




ドキッと心臓が一際高く鳴ったが「何でですか」とすっとぼけると、
不二は棚から背中を離して、机を挟んでの反対側の椅子に腰掛ける。


「この前、僕と試合した彼…沖縄の人間だったよね
関東大会のすぐ後じゃ、さすがの乾だって九州地区を勝ち抜いた選手のデータまでは追いついてないはずだからね

英二から聞いたけど、彼が比嘉中の生徒で、しかも名前まで把握してたのは乾に聞いたって言ったんでしょ?
その時から少しおかしいなとは思ってたんだけど、君から彼と試合をして欲しいと頼まれた時に確信したんだ」


“確信した”と言う事は、言い逃れは出来ないぞと言う事なのだろう、と言葉の裏を読んだは、諦めたように瞳を伏せて「はい」と頷いた。
「どうして彼と試合をする選手を探してたんだい?君の事情を把握してるから、僕を選んだんだよね?」


言おうか言うまいか迷ったのだが、強い不二の視線に射抜かれて、握っていたシャープペンから手を離すと膝に手を置く。


「…比嘉中は、監督がスパルタで、無理やりラフプレーを強要してるんです。
部長を初めとする部員一同、実力はもちろんありますけど、ラフプレーに頼ってる節もあり、大会を勝ち抜きました」

「だから純粋にテニスをして欲しかった?」

容赦ない不二の問いに、はぎゅっと膝の上で拳を握り締める。


「押し付けがましいのは分かっています。

だけど、元の世界で比嘉中を知った時思ったんです。
監督に逆らえない、ラフプレーで得た勝ちは勝利には違いないけど、それだけの世界に居るのは悲しいなって。

あのね、自分と僅かな人間だけの世界って安心出来るんですよ
周りを見ないで、周りに認められなくてもいいんだって虚勢を張って居れば、傷つく事がないから。
でもね、本当は外の世界が怖いだけで、他人と触れ合うが怖くて・・・少なくとも私はずっとそう言う恐怖から逃げて閉じこもってました。

でもこの世界に来て、色んな人に会ったんです

好きだったリョーマに幸村君、鳳君に佐伯君、南君――観月君と話せたのも嬉しかった。
元の世界に居た時は、例えこっちの世界に来れても関わり合いになりたくないなって思ってた跡部君とも仲良くなれたし、


こうやって周助君と話してる今でも、学んだ事ってたくさんあります。

だからこそ自分達と監督、そしてラフプレーの小さな世界に居る彼らが、
これから先外に出ようと思えるきっかけを投げかけれる事が私に出来る事なら、したかった。

ラフプレーなんてしなくても、あの人達ならきっと勝ったら楽しくて、負けても悔しいけどまた頑張れるテニスが出来ると思ったんです。
周助君達みたいに」

不二の視線が痛くて、苦し紛れに笑ったは「隠しててごめんなさい」と頭を下げた。
「自分達の未来を知られてるのは嫌だろうなって思ったんです。
もし私の未来を知ってる人があらわれたら、私は怖いから」


視線を机に落としたは、無言の不二の圧力に、
下唇を噛み締めて逃げ出したい気持ちを必死に押し殺して、不二が「何で」と呟いたのを聞くと、怯えるように縮こまる。

「何で君は、他人ばかり気にするんだ」


だけど出てきたのは怒鳴り声でも、怒ったような声でもなくて、振り絞るような小さな声だった。


「僕が君が越前姉じゃないって気付いた時も、君は僕の為を思って御礼を言って、
越前姉の事を考えて越前が好きなのを我慢してるのもバレバレだし

目に見えた嫌味を言った観月を庇って、その後の僕へのフォローもして、挙句の果てにはラフプレーをしないテニスの楽しさを伝えたかった?

君、何様なんだよ…ッ」


「…周助、君」


「君だって、一人の人間だよね。
もっとわがままを言ったり、自分の我を通したり、自分だけの事を考えた行動をしてもいいじゃないか

見てて痛々しいんだ」




私は越前さんじゃないけれど、今は彼女の代わりだから――好きになってくれて、ありがとうございます

そんな事を言ったら、不二君の想いを踏みにじる事になります。
今は私に出来る事はありません。彼女と入れ替わる事も、何も出来ないけど…でも、不二君の想いを、大切にしたいです

観月君の一面しか見てないのに、それだけが観月君って決め付けるのは間違ってる

周助君が私を認めてくれようとしてるのは、十分伝わってます――ですから、そんな辛そうな顔しないで下さい。
私、例え周助君から責められたって、嫌われたって、好きで居る自信ありますから!」

だからこそ自分達と監督、そしてラフプレーの小さな世界に居る彼らが、
これから先外に出ようと思えるきっかけを投げかけれる事が私に出来る事なら、したかった。




「未来を知ってるなら、下手に変えれば君自身が消える可能性だってあるのに」


その言葉を聞いた時、不二が本当に伝えたい言葉が分かって、
はやっと顔を上げると「そんな事考えた事もありませんでした」と場の空気も読めないあっけらかんとした言葉で瞬く。
「そうですよね、未来が変わって存在が消えるかも知れないって夢小説のセオリーですよね、
でも自分好みの話に変えてやる!って奴もありますし・・・」

ぶつぶつと呟いていたは、どこか咎めるような不二の視線に苦笑を零すと、瞳を揺らした。


「自分の世界に居ると、居心地がよくて、怖いものがなくて安心できる・・・でも外の世界に出れない自分が情けなくてたまらないんです。

外の世界に出て、私に何が出来るだろうか?結局また挫折して、傷つくだけなんじゃないだろうか?でも、このままじゃいられない・・・
そんな無限ループみたいに自分に出来る術が分からなくて、自分の気持ちに嫌気がさしながらただ呆然と生きていく中、
この世界にいつか来れると思う事だけが救いで、せめて気持ちだけでもリョーマの所にいけたら、夢の中ででも会えたらって願ってました。

リョーマを想う事だけが、私の存在理由になってたって言っても、多分過言じゃありません」




リョーマが居ない世界なんて生きる理由がない

それは私だって一緒だよ、でも、生きていればいつか千石さんに会える
・・・神様は頑固だけど、その内折れてあたし達を連れてってくれる。そう思わなくちゃ、やってらんないよ





何度交わしたか分からない妹との会話
いつ折れるか分からない気持ちを必死でお互いに支えて、“いつか会える”時の為だけに生きてきた。

元世界が嫌いな訳じゃない
だけど、元世界での逃げ場のない気持ちがリョーマを求め、好きだと言う気持ちを加速させて、
気が付いたら元世界に居ない人が、生きる理由になっていた


「この世界に来たい人達は、もっとたくさん居るし、あの世界から逃げたい人って、いっぱい居るんです。

その中から、この世界に来れただけでも、私達はこれ以上ない程救われていて、幸せで、
どんな形にしろ、リョーマの瞳に映ってるだけで心から温かくなれるんです


妹が、がどう考えているかは分かりませんけど、私はこの世界の人たちに伝えたい事を伝えて、
周助君が心配してくれたみたいに消える事になっても、全然後悔しないと思います。

その人の気持ちに私の言葉と一緒に、私と言う存在が残るだけで存在理由は満たされます。

結局、人の為に言ってると言うよりも、自分の為に言ってるんです。
充分私はわがままですし、自分の事しか考えてないですよ」


未来を知ってるなら、下手に変えれば君自身が消える可能性だってあるのに

元の世界に戻りたくなくなるほど、この世界は居心地が良くて、
このまま戻る位なら、いっそこの世界を過ごした後で消えられたらとも思う・・・最後の思い出はここで残したい、と


「だから、周助君は心配しなくても大丈夫ですよ。私、胸張って言えます。今、とても幸せだって」


本当なら、越前さんの事が心配でいっぱいだろうに、結局いつも不二は心のどこかでを見捨てられなくて、気にかけていてくれて
未来を知っている事だって気付いていたのに、裕次郎との試合を引き受けてくれて、よくよく見ないと分からない優しさだけど。


の言葉に、不二はぎゅっと眉根を寄せて立ち上がると、「さっさと部誌書きなよ」と言って部室のドアに手をかけ、
置いてきぼりを食らうのか・・・ッ!と、目を見開いたに首だけで振り返ると「外で待ってる」とだけ言って出ていってしまった。

はい。でもそのくせ怖いもの見たさで心霊特集とか見ちゃうんですよね。不二君は平気そう


ほら、今だっておいていく事だって出来るのに、外で待ってる、だなんて


嫌、周助君の優しさってわかりにくいなぁと思って
「周助君の優しさって、わかりにくいけど・・・すごく温かいです」

その言葉が不二に聞こえたか聞こえていないか、には分からないけれど、
それでもその背中はどこか優しく見えて、は「よし」と意気込むと、部誌に向き直った――まだまだ頑張れる!


本来の趣旨であったはずの、手塚の事などすっかりと頭から抜け落ちているなのだった。


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イメージ→遙かなる時の中で 永泉 「白・曼珠沙華」