「悪いな、手伝わせて」
「気にしないで、私もかくまって貰ってるし」


創立祭は予想以上の大反響らしく、トラブルや手伝いで生徒会は全員出払っていて、
足りなくなったパンフレットの追加製作を引き受けたは、不器用ながら地道に用紙を束にしてホッチキスで留めていた。

開始早々、体育会系の彼らとの体力の差、そしてあの人数からは逃げ切れまいと懸命な判断を下した彼女は、
今回のメンバーで唯一頼れそうな跡部の所へ逃げて来、手伝いを引き換えに安全な場所を手に入れたと言う訳である。
「でも、生徒会長も大変だね。創立祭の現状把握だけじゃなくて、こんな地味な作業までしなくちゃいけないし」


パチン、パチンと二人分のホッチキスの音がなる中、横目で跡部を見たは、なんとも言えない表情で口端を引きつらせた。
ホッチキスと跡部・・・つくづく似合わないコンビだと思う


「派手に仕切るだけが仕事じゃねぇからな」と言った跡部が出来上がったパンフレットの山を抱えると、
一ミリのズレもなくピッシリとそろって綴じられたパンフレットには「おお」と感心の声を上げて、自分のと見比べる。

こんな所にも出来る人間と出来ない人間の差が出てくるのか


ため息をついたに首を巡らせた跡部が、「そう言や」というと「お前たちと理事長、どこで知り合ったんだ?」と尋ねて来、は顔を歪めた。
が赤也君に妹じゃないってバレた時に家に居れなくなってね、たまたま私が抽選会で当てた大阪に旅行に行ったんだ。
連れ出す事ばっかり考えてたから夕食の事をすっかり忘れててね、質素な食事位なら間に合ったんだけど、
どうせ大阪に来たんだから食い倒れしたいよねって事で地元の喉自慢に出てみたら、そこに出張中の理事長が来てたみたいで」


もう人前で歌うのはあの時でこりごりだと思ってたのに、と言葉を濁したが大阪での出来事を思い出して苦渋をのんでいると、
跡部は「もったいない事言うな」と言って、の横に積み重ねられていたパンフレットを半分取った。



「あれだけ人の心に届く歌が歌えるんだろ、狭い所で終わるな」
「ありがと。でも、越前さん音楽が嫌いだったらしいから、あんまり目立つ事すると別人ってバレちゃうし」



苦笑を零したがそういうのと、生徒会室の扉が開いたのはほぼ同時。
目を見開いて顔を向けたは予想外の人物に言葉を無くし、静かになった生徒会に跡部の「日吉」と言う言葉が嫌によく響く。

同時にピリリと警戒する空気がの肌を突き刺して、
「別人って、アンタ誰だ」と地を這うような声で尋ねた日吉の言葉に、いたたまれなくなったは視線を逸らした。


「それは・・・」
「先輩をどこへやった」

が答える前に次から次へと追求するように言葉を並べる日吉に、跡部は諌めるように「日吉」と名前を呼ぶと、眉根を寄せる。
「落ち着け、じゃなきゃ説明も何も出来ないだろう」

カッと怒りで顔を赤くした日吉が何かを言おうと口を開いて、
怒鳴られると思ったが身をすくめるのとは対照的に、日吉は痛みをこらえるような顔をして声を絞り出した。
「落ち着ける訳がないでしょう。先輩が、居なくなったなんて、目の前に居るのが別人だなんて・・・ッ!」

「日吉」と呼んだの声が悲しそうな顔が、ある日の彼女と重なって、日吉はぎゅっと拳を握り締める。


ねぇ、日吉。もしあたしが


「日吉」
「先輩の声で呼ばないで下さい。アンタに名前を呼ばれる筋合いはない」

「・・・ッ」


息を呑んだの前で、跡部が言い過ぎだと言おうとした時、日吉は弾けるように踵を返して走り出した。
そんな姿を追おうと立ち上がったに、「お前はここにいろ」と跡部は言うと、立ち上がってドアに手をかける――「俺が話しをつけてくる」




ねぇ、日吉。もしあたしが


もしあたしが居なくなった時は、泣いてくれる?




「先輩・・・ッ」




【財布選手権=跡部(日吉)編=】




「日吉!」
人気のない校舎裏へと無我夢中で駆けて来た日吉は、脱力するようにその場にしゃがみこむと、力任せに壁を叩いて唇を噛み締めた。
追いついた跡部がその背中に歩み寄ると、「跡部さんはいつから知ってたんですか」と言う主語のない日吉の問いに答える。
「合宿の初日だ」

日吉の中で、いつから彼女じゃなくなったのか、と言う疑問には思い当たる節があってすぐに解決した。


ただでさえ空手をやってきた時の癖が残ってるんです。
古武術の型が苦手なのは分かりますけど、いつにも増して出来てない――むしろ、素人みたいだ



“あの時”だ。あの時もうすでに彼女はいなかったんだ。
「・・・何で、気づかなかったんだ俺は」

「無理言うな。見た目は変わってない、中身が入れ替わっただけなんだ。普通気づかねぇよ」
「それでも、俺は気づかなきゃいけなかったんですよ!先輩じゃないんだって・・・ッ」



俺の好きな人じゃないんだって



皆まで言わずとも、この日吉の反応で跡部は彼が越前さんに対してどういう気持ちだったのかと言うのは暗に察することが出来て、
なんと声をかけていいかわからないまま、壁に背中を預けて座り、宙を仰いだ跡部に、独り言のように日吉は口を開く。

「最初は、ただ尊敬してたんです。
何事にも動じなくて、強くて、凛としていて、そんな先輩に憧れてた俺は、何も考えずに“憧れている”と言うことを彼女に伝えました」


それを伝えた時の彼女の表情は、今でもゆうに思い出すことができて、胸を騒がせる。



あたしは強くなんてないよ。
無関心にしていれば傷つかずにすむような気がして、感情がないふりをしてるだけなの

そんな事で逃げれる感情なら、とっくの昔に捨てられているのにね



日吉、時には平気なふりをして何かを捨てるよりも、我を忘れて泣くほうがずっと強いことだってあるんだよ





「その時俺、初めて先輩が笑ったの見ました。
今にも泣き出しそうな、痛みをこらえるような笑みで、それを見たとき、俺は“この人を守りたい”って思ったんです。

よくよく見ると、あの人はぜんぜん強くなんてなかった。
涙こそ見せなくても、いつも泣いてるような顔をしてたんです。


でも、いくら先輩の事を守りたいと思っても、どうして先輩が傷ついているのか俺には分からなくて、
守りたいと思えば思うほど、あの人がそれを望んでいない事が分かるだけだった・・・」



そんな時、不意に零すように言われた言葉――もしあたしが居なくなった時は、泣いてくれる?



「それが最初で最後の、先輩の泣き言だったのに、俺先輩が居なくなった事に気づきもしないで」

日吉、と言おうとした跡部の声にの声が重なって、首を巡らせた跡部と日吉は息を切らしている彼女を瞳に映した。
「こんな所に居たんだ。探すのにどこにも居ないんだもの」

何で来たんだ、と言うような跡部の表情に苦笑では答えて、睨むように自分を見る日吉に近づくと、スカートの裾が地面につかないように腰を下ろす。
「越前さんは帰ってくるから、最初で最後なんかじゃないよ。私もも、時が来れば元に戻るから。だから、泣かなくていいよ」

その言葉に驚いたのは日吉だけでなく、跡部が「どう言うことだ」と問うと、は「跡部君にも言ってなかったね」と言って瞳を伏せた。


「これはね、私の勘でしかないんだけど、間違いないと思うよ。
だってどんなに彼女が逃げたいと思ったって、ここは越前さんの居場所だもの」


そう。どんなに自分たちがここに居たいと願ったって、ここは二人の居場所ではない。


「泣いたり、怒ったり、笑ったり、どんな風に過ごしても元に戻るなら、なるべくいい思い出をいっぱい作りたいと思ってるの。
期限付きとは言え、日吉から越前さんを奪ったんだから嫌われて当然かも知れないけれど、私はどんな風に思われても、日吉の事は好きだよ。

だから、出来ることなら仲良くなりたい

いまさら何都合のいい事言ってるんだって、騙してた事には変わりないだろって言われてもしょうがない事は分かってる。
でもね、怖かったの。

初めて日吉と会った時、不器用ながら必死に好きな人に優しくしようとしてる日吉に本当の事を言ったら態度が変わられるのが怖かった。
それと同時に、自分が越前さんの作り上げたぬるま湯に浸ってるだけなんだって事を思い知らされて、逃げたくてたまらなくなったの」



こないで、いい



あの時、泣きそうな顔で自分を見上げてきた彼女が脳裏に浮かぶ。
「ここに来てからいろんな事があった一ヶ月とちょっと、確かに私は越前さんの作った世界に居るけど、
この期間みんなと過ごした時間は越前さんのものじゃなくて、私のものだから」


見てくれは違ってもちゃんはちゃんだもん


「いまさらかも知れないけれど、越前さんじゃない私の存在を認めてほしい。
認められなくても、時期が来ないと元には戻れないし、しぶとく居るよ。

会いたくてたまらないあなた達に会えたんだもの。

大好きなあなた達を見ていたい
元に戻った時に後悔しないように、少しでも多くの時間を君たちと共有したいの。だからもう逃げません、以上!」


がパンッと叩いた手の音に跡部も日吉も驚いて、勝手に自己完結したは立ち上がった。
「いっぱい喋ったら喉渇いたから、お茶買ってくる!」


パタパタと足音を残して去っていった彼女の背中を視線で追って、
姿が見えなくなると、跡部は噴出すように笑い出す――「立派に言い逃げしてんじゃねぇか」

唖然としていた日吉も、跡部の言葉に「確かに・・・。変な人ですね」と呟いた。


ああ、と頷いた跡部は「でもな」と続けると、笑顔一変、額に手を当てて苦笑を零す。
「お前がこれからどう言う態度で接したとしても、時間はかかるだろうがちゃんと受け止める奴だ。そう言う意味では強い。
だけどな、アイツは極端に自分に自信はない上に、しょっちゅう落ち込む――それから、よく、泣くんだ」



結ばれる未来はなくて 出会いから遠ざかってく

元の世界に居た時姉ちゃんほとんど外にも出ないし、あたしが一緒じゃないと街歩けない時期もあったしさ、
ちょっと何かあっただけで滅茶苦茶へこんで立ち直れないし、死にたいってよく泣いてたし。それが普通だったの

私は、リョーマの事弟だって思わなくちゃいけないの。どんなに好きでも、その気持ちを捨てなくちゃいけないの




「その癖付け入る隙を与えねぇんだよ。
妙に意固地で、強がるから、手を差し伸べようとしても次の瞬間には無理に立ち上がって、痛そうな笑顔で“平気だ”って言うんだ。

見てるこっちが勝手にハラハラしたり、諦めようと思ったり、やっぱ好きだって思い知らされたりするんだよ。ホント厄介な奴だ」

「跡部さん・・・」


はっきりと「好きだ」と言った跡部の言葉に日吉が言葉を詰まらせた。


「てめぇの気持ち、今なら俺も分かる。
アイツの幸せをどんなに願っても、居なくなられちゃ堪らねぇよな。何のために自分を押し殺してるのか、分からなくなる」


跡部君


「あの人達は、いったい誰なんですか?って切原の妹のことですよね」
「別世界の人間なんだとよ。俺達のことを知ってて、会いたくてたまらなかったそうだ」



神様、何でアイツらを連れてきた
散々気持ちを引っ掻き回されて、その挙句連れ戻すなんて横暴にも程があるだろ


知ってしまったんだアイツの笑顔も、弱さも、優しさも、暖かさも


跡部君


アイツの笑顔のために、幸せのために、俺は自分の気持ちを我慢してんだよ

だから笑顔を見るくらい許してくれ





「跡部さん」
「・・・なんだ」

「俺の祖母がよく言うんです。
誰かの幸せを願うなら、まず自分の幸せを知らなくちゃいけない。
知ってしまったら欲しくなるのは当然だから、手に入れようとする為に人は傷つき学ぶだろう。

そうして痛みを知っているから幸せを手に入れた時、他人の幸せを理解して願うことができるんだそうです。
あの人の幸せを横に置いた時、跡部さんは何を幸せだと思いますか?」


日吉の真っ直ぐな視線が跡部を射抜く――アイツの幸せをおいておいた時、俺が願う事


なぁ、俺だけを見てれば、他のヤツの視線なんて気になんねぇだろうが。
俺だけを好きで居れば、傷つく事もねぇだろうが。誰よりも幸せにしてやるよ。



「・・・他の誰でもない。俺が、アイツを幸せにしてやる事だ」


ポツリと零した跡部は、ぎゅっと胸を掴まれるような痛みに眉根を寄せて、くしゃりと前髪をかきあげた。

越前なんかに任せるんじゃなく、俺がお前を幸せにしたいんだ。

本当はその笑顔も、その涙も全部俺のものにしてしまいたい。


なぁ、辛い時は俺が傍に居て、嬉しい時はお前の喜ぶ笑顔を見て、そうじゃない時は俺の傍でのんびりと笑ってりゃいいんだよ。

お前に傍に居て欲しいんじゃない
俺がお前の傍に居たいんだ




「だったら、何を遠慮する事があるんですか。
手に入れる前から諦めるなんてあなたらしくないにも程がありますよ。

俺はあなたに下克上しなければならないんです。欲しいものを手に入れて、頂点に居てください」

「バーカ、俺様に勝つなんざ百年早ぇんだよ」


誰かの幸せを願うなら、まず自分の幸せを知らなくちゃいけない


「試合がはじまる前から負けた気で居たんじゃ勝てる勝負にも勝てねぇ。追いかけて来いよ日吉、俺は欲しいものは手に入れて、てめぇを待っててやる」


不敵に跡部が口角を持ち上げた時、三本お茶を入れた袋を抱えたが戻ってきて、浮かない顔をした彼女は重いため息をついてしゃがみ込む。

「爽健美茶を買ってこようと思ったんだけどね、飲み物売ってる所が凄く混んでて、地道に並んでたら、たまたま前のほうに周助君が居たのよ。
でもついでとは言え申し訳ないかなぁって思ってたら、一緒に買ってあげるって言ってくれて頼んだんだけど。

苦手なものを聞かれて、緑茶とかウーロン茶とか苦くて苦手だし、爽健美茶にしてって言ったのね。そしたら――」


袋から出されて差し出されたお茶を見た跡部と日吉は、二人そろって弾けるように顔をあさっての方向に向けると、口元を押さえて震えた。



爽健美茶・緑茶ブレンド



「これってだと思う?それとも嫌がらせだと思う?どっちにしろ怖いよ・・・」
頭を抱えて「あー」とか「うー」とかうめき声を上げるに、跡部は「気にすんな。多分素だ」と、それはそれでどうかと思うフォローをし、
お茶を受け取った日吉は「飲めるのは飲めるんですか?さん」と尋ねて来た。


「飲めるのは飲めるけど・・・って、日吉。今なんて言った?」


跡部との視線が日吉に移って、日吉はぷぃとそっぽを向くと、眉根を寄せる。
「俺にとって先輩は越前先輩です。


でも、


アンタはアンタですから」



越前さんじゃない私の存在を認めてほしい



日吉の言葉にうわぁと顔を輝かせたは「ありがとう!」というと両手を広げた。
「ツンデレ日吉最高だッ!日吉好きだァアア!

飛んで回る勢いで喜ぶを呆れた目で日吉が見、
跡部はピクリと頬を引きつらせると低い声で「日吉」と言うと、日吉はにやりと頬を持ち上げる。

「男の嫉妬は見苦しいですよ、跡部さん」
「てめぇいい度胸じゃねぇか!今から勝負つけてやる・・・ッ」

「心配しなくても俺はこの人に全然興味ないですから、嫉妬するだけ無駄ですよ」

「え、何?跡部君なんで怒ってるの!?」
お前もその鈍さどうにかしろ!


この場にが居れば「結局どうしても報われないんじゃない?」とでも言いそうなある日の午後。
頑張れ跡部!負けるな跡部!明日は明るい・・・かもしれない!(オイ!)