眼鏡と帽子を鞄の中にしまったは、
人ごみに紛れるようにおそるおそると言った態で歩いていると、廊下の角から曲がってきた佐伯と目が合った。
その途端Uターンをしてダッシュで廊下を駆け抜けると、佐伯が追ってくる足音を遠く耳で聞いて距離を測りながらも、わき目をふらず足を動かす。

すれ違う人たちが血相を変えて走るを見ながら「ねぇあの子さっき歌ってた子じゃない?」と肩をつつき合っているのが耳に入って、
人の目を引いている事を感じたは、ひぃいと息を呑むと心の中で悲鳴をあげた――なんで私がこんな目に・・・ッ!


は人当たりも良く、基本明るくて前向きな為、赤也やブン太、千石に好かれるのは分かる気がするし、
岳人や宍戸や裕太も好意かどうかは分からないが、好感は抱いているのはにも分かる。

だけどはこれと言って特に目立った特技もなければ
(歌はテニスへの愛が伝わっているだけであって、特別上手いと言うわけではない)、
性格も後ろ向きだし、佐伯に至っては二日に一回メールを何通か交わした位しか記憶にない。



不二との会話を聞かれて興味を持ったらしいと言う噂は聞いたが、
私は珍獣じゃないし、見世物ではないから、興味本位で近づかれるのにいい気分な訳がないじゃないかと、はもつれる足に鞭を打つ。



とは言っても、日頃マネの仕事をちょびっとかじっているかな程度のと、
汗水流してテニスをしている佐伯の体力には当然差がある上に、第一足の速さが違って、

パシッと言う音と共に腕をつかまれたは、力尽きて崩れ落ちるようにしゃがみこむと、荒く肩で息をした。

「大丈夫かい?」

尋ねられて顔を上げると、心配そうな佐伯は汗一つかいておらず、息も乱していない。


こんなに差があって逃げるのなんて無理に決まってるじゃん。
改めて感じたが観念したように頭を垂れると、それを見た佐伯は苦笑を零した。

「とりあえずどこかで何か飲み物でも飲んで落ち着かないかい?ゆっくり見て回りたいからね」

立ち上がったの腕から手を離した佐伯は、すぐ近くで飲み物を売っている模擬店に寄ると「何飲む?」と首を巡らせて尋ねる。

「爽健美茶を。お金は自分で払いますよ、元々財布にするつもりはありませんし」
そういい終わる前にお金を払ってしまった佐伯が、
爽健美茶を渡してアクエリアスの蓋をあけようとする傍で、が財布を鞄から取り出そうとすると「気にしないでいいよ」とやんわり断った。

「良い歌を聞かせて貰ったお礼と・・・そうだな、今日一緒に出店を回ってくれるお礼」

さりげなく拒否権はないぞ、と言われた気がして、は財布を鞄にしまい直すと「どうも」と言って爽健美茶を飲んだ。
素直に受け取ってもらえたのが嬉しかったのか、佐伯が目を細めて笑うのが瞳に映ると、はぐっとお茶が器官に入ってむせ返る。

この爽やかさは反則だ!
ドキドキと心臓が鳴るのをごまかすようにお茶を喉に流し込み、こんなんで後半日持つのだろうか、と早くも先の事が不安になるなのだった。




【財布選手権=佐伯編=】




「何か目立つ格好してる人多いですねぇ」
「確かにね。これなら切原さんの格好も目立たないんじゃないかな?」

「どうでしょうか、さすがにゴシック系はいませんよ」


すれ違う女の子は巫女装束やスコートから、メイド服等と言う色物まで居て、通り過ぎる男の子達の視線を集めている。
佐伯も見てるのかなと視線を向けると、彼はそんな女の子にも目もくれずを見ていて、目が合うと爽やかに微笑まれた。

なんだか居心地の悪さを感じたは、ハロウィンでもないのに魔女の格好をした女の子が出てきたクラスを見ると「貸衣装屋ですね」と注意を逸らし、
窓に貼ってある紙に書いてある宣伝文句を読み上げる。


「制服からメイド服まで貸します、ですって」
「へぇ・・・越前さんは、何か着てみたいなってのはあるのかい?」

「いえ、どちらかと言うと可愛い格好をしている女の子を見るほうが好きですね。あ、でも」


開いているドアから見えた服に、「セーラー服は着てみたいかも」と足を止めた。
「私中学校も高校もブレザーだった・・・だろうな、と思うので、一度着てみたいですね。ホラ、青学って中高一貫でブレザーですし」

秘密を知る人間が増えるにしたがって、最近自分でも意識せずに地が出てるな、とは慌てて言葉を摩り替えてみたのだが、
あまりに不自然すぎて、漠然と事情を知っているらしい佐伯も苦笑を零したものの、の背中を押す。


「俺も越前さんのセーラー服姿見てみたいな、着てみたら?」

佐伯の言葉に、はしばしの間考えた後「じゃぁちょっとだけ」と教室の中に足を踏み入れた。



元の世界に戻れば、セーラー服を着る所か制服を着る機会だってないだろうし、コスプレするにしてはあまりにも体系が不向きすぎだが、
その点今なら体は中学三年生な訳だし、体系的にも申し分ない。



は黒いセーラー服を選ぶと、仕切られたスペースで着替えをし、着ていた服を店番の生徒に預けた。
佐伯の前に出ると、彼は呆気にとられたような顔をしてはっと目を開き、
「凄くよく似合ってる」と微笑むのを聞いて、も「そうですか?」と少し嬉しそうに自分の格好を見る。

「これ、六角の制服に似てますよね。佐伯君も学ランだし、さっきよりも目立ちませんよ」
「うん。それに俺としては、制服デートみたいで嬉しいかな」


さり気なく言われた言葉にぎょっと目を見開いたが、「制服デート!?」と叫ぶと、
佐伯は余裕のある表情で「初めて?」と尋ねてき、はくしゃりと顔をゆがめると「まぁそうですね」と相槌を打つ。
「色恋沙汰とは無縁でしたし、初めてです。佐伯君は慣れてそうですね」

「残念。俺も初めてなんだ」

「そうなんですか」とが驚いた顔で言うと、佐伯は笑顔のまま「行こうか」と言って歩き始め、言葉を続ける。
「興味がなかったって言うと嘘になるけど、どっちかって言うとおじいや剣太郎達とテニスをしてた方が楽しかったしね」
「じゃぁ佐伯君に玉砕した女の子はたくさん居たことでしょうね」


が言うと、佐伯は「そうかな」と苦笑して、窓の外の空を見た。
「中途半端に付き合った方が申し訳ないからね。でも、もし本気で好きな子が出来たら、多分絶対に手を離さないで束縛すると思うな」
「フリーにしちゃダメだからですか?」


佐伯君らしいです、と肩を揺らして笑うに、佐伯は瞬くとふわりと花がほころぶような笑みを浮かべる。
「初めて見たな、君の笑顔」
「そうですか?」

「うん。合宿で他の選手と話して笑ってる姿は見たけど、俺自身とはメールしかしてなかったし、さっきから困ったようにしか笑わなかったから。
もし君が誤解している時の為に言っておくけど、俺は興味本位なだけで君に近づいてる訳じゃないよ。

確かに君に興味があるのは認める。
でも、君がどこの誰だとかそう言う事に興味があるんじゃなくて、君自身に興味があるんだ。

今どんな事を考えてるのかな、とかどんな顔で笑うんだろうか、とか喜んだらどういう顔をするんだろう、とか

そうだな、まずは仲良くなりたい」


たどり着いた佐伯の結論に、が「仲良くですか」というと、彼は頷く――好きになるかどうかはそれからだ。

そんな話をしながら階段を下りて昇降口に向かうと、外は学校の中よりも活気付いていて、まぶしい太陽が照り付けていた。
は手をかざして太陽を見ると、「そうですねぇ」と言って佐伯に視線を戻す。

「得意かどうかは別にして、好きな科目は英語、数学・・・苦手なのは古典と科学です。
でも前回のテストでは周助君の助力のおかげで数学と古典は九十点以上だったんです!」
「へぇ凄いな・・・不二は教えるのが上手いのかい?」

「上手い下手を言う間もなくスパルタですよ。
ペンだこが出来てペン握れなくなった時なんて、“包帯で手とペン固定してみれば?”ってあっけらかんと・・・ッ!あの人は魔王ではなくです」
「ハハッ、君と不二って仲がいいなって思ってたけど、本当に仲がいいんだね」


佐伯の言葉に「そう思いますか?」と、が釈然としない顔で言うのを見て、佐伯は「うん」と自信があり気に頷いた。

「不二ってさ、基本的に他人に合わせるんだよ。なまじ優しいだけに、よっぽどの事がないと笑顔を崩さない。
だから、素直に感情を出せる君は不二にとって立派に仲のいい友人だと思うよ」


君がどこの誰だとかそう言う事に興味があるんじゃなくて、君自身に興味があるんだ


おそらく漠然とが越前さんではないと言うことを分かって居る上での言葉に、
は先ほど珍獣でも見世物でもないと佐伯の言葉も聞かずに決め付けていた自分を恥じて、視線を落とした。

話を聞かずに否定されると言う事がどれだけ辛いか、よく分かってたつもりなのに


「周助君って、自分の事では怒らないんですよ。
裕太君の為とか、越前さんの為とか、この前は私の為に怒ってくれましたし」


君だって、一人の人間だよね。
もっとわがままを言ったり、自分の我を通したり、自分だけの事を考えた行動をしてもいいじゃないか



「周助君にとって笑顔を崩すことがよっぽどの事で、ましてやそれが他人の為なら、それは寂しいです」
「・・・寂しい?」



「私は自分の事しか考えずに、周りが自分を認めてくれないと感じて拒絶していた時期の後、反対に“周りと上手くやろう”って頑張ってた時がありました。
嫌な事言われても笑って、自分の好きな事隠して必死に話をあわせて、全然楽しくない事も“楽しい”って言って。

そのときはそれで精一杯だったんです。
波風を立てずに平和に過ごす事が友達関係を作るって事なんだろうな、って思ってました。

でも、ある時私自身には身に覚えのないことで責められた事があったんです。
両親に学校に行きたくないと言って泣いて、三日位休んで登校したんですけど、クラスで完璧に浮いてしまって。

そんなこんなで精神的に参ってしまった時に、白黒はっきりつけようと呼び出され、その時初めて“喧嘩”をしたんです。
頭に血が上って、今だったらもっと落ち着いて自分の言いたかった事を伝えれただろうな、と思うんですけど。

本気で“喧嘩”した事もなければ、本気で“笑った”事もなかったって、気づいて、
そう思った時、じゃぁ本当の友達は誰なんだろう?自分は孤独なんじゃないだろうか?とか色々悩みました。


自分を出してもダメ、自分を出さなくてもダメなら、本当の自分はどこにあるんだろう、って
自分の為に怒るのって、自分を理解して欲しいから見せる反応なんですよ、どうでもいい人に怒ろうとか思わないでしょ?

私はずっと理解してもらうことを恐れていて、だから自分の為に怒った事なんてなかった。
卒業した後に気づけば、本当の友達って呼べる人なんて一人や二人だったんです。友達関係なんて作れてなかったんだって気づきました。

私はただうわべだけの付き合いをして、自分が傷つかない世界にひたってただけなんです。理解されないと分かっていれば、傷つくこともないから。


だから今思うと寂しいなと思うけど、でも、周助君は大丈夫だと思います。
部活のみんなや、佐伯君みたいに、笑顔の裏に隠れてる周助君を分かろうとする人が居ますから。

私だって負けてませんよ、大切な友人は私にも居ますし」




長々と言った後で、また語ってしまったとはっと気づいたは、佐伯の反応をうかがうように視線を持ち上げた。
この暑い中涼し気な表情をしている佐伯の反応は読み取れなかったものの、佐伯は尋ねてくる。


「初めて喧嘩したって言うその友達が、今の本当の友達?」

「そこが人生の凄い所です。世の中そう上手くはいかないものですよ」


ふふ、と笑ったを見て、佐伯はまぶしそうに目を細めた。
「君の視線で世の中が見てみたいな」
「あんまり褒められたもんじゃないですよ?引っ込み思案だし、マイナス思考だし。いつも余裕ないですし
私は佐伯君がうらやましいですね、爽やかで余裕があるイメージがありますから・・・あ」


何かを見つけたようなの声に、佐伯が追うように視線を向けると、そこにはぬいぐるみの山があり、
プラカードには「バスケ部五人抜きの景品、お好きなものをどうぞ」と書かれてある。

「挑戦してみる?」と尋ねてきた佐伯に、はいいえと首を横に振った。
「私運動神経皆無なんですよ、残念ですけど諦めます。さすがにバスケ部五人相手はきついです」



「しかも男子バスケ部だしね」
「はい」

「じゃぁ、俺が挑戦してみようかな」



「え」とが言う間もなく佐伯は「挑戦します」と参加料の二百円を手に名乗り出て、
学ランを脱いでYシャツのボタンを上から二個まで外すと、ボールを受け取り、位置につく。

ピ――ッと開始の笛が鳴った途端、佐伯は鮮やかなドリブルを見せ、自分より身長の高いバスケ部員に挑んだ。

向かってくる巨体を避け、手をすり抜け、確実に一人二人と抜き去っていく。
呆然とその姿を見るの他にも、通りすがりの女子や、彼氏と一緒のはずの女の子さえ見惚れて、
佐伯はレギュラーと思われる最後の一人を抜くと、華麗にシュートを決めた。


「おお」と湧き上がる歓声の中、佐伯は着地するとバスケ部員に向かって爽やかに笑う――「ダメだよ、俺をフリーにしちゃ」


大して汗もかいていない為、すぐに学ランを着た佐伯に、マネージャーと思われる女の子が頬を朱に染めながら「どうぞ」とぬいぐるみの山を促すと、
彼はに首を巡らせて「どれが欲しかったのかな?」と尋ねてきた。


そもそもそんなつもりで言った訳ではないが反応に戸惑うと、佐伯は笑みを深める。
「俺は挑戦してみたかっただけだし、ぬいぐるみには興味ないからね。貰われるぬいぐるみも、欲しい人に貰ってもらった方が喜ぶよ」


上手く言いくるめられているのは分かっているものの、
そう言われると断る訳にもいかず、は欲しかった大きな耳が垂れ下がった大きなうさぎのぬいぐるみを指差すと、抱きかかえた。
「うわー。やっぱりこれ抱き心地いいです!かわいい――ッ!」

ふかふかのタオル生地に顔をうずめたが笑うと、佐伯は「よかった」と微笑む。


「さっき、俺のこと爽やかで余裕があるって言ったけど、実は全然余裕なんてないんだ」

おもむろに伸ばしてきた佐伯の手がの頬に触れて、わずかに熱い体温に苦笑を零した佐伯は「ホラね」と言った。
「今心底ほっとしてる。あの場でぬいぐるみが取れなかったら結構恥ずかしいだろ?」


安堵するように胸をなでおろす仕草をした佐伯は、「俺も意外にプレッシャーに強いのかな」と瞳を伏せた。


「だから、これからは越前さんが余裕がなくなったとき、俺が手を引いて“少し休んだら?”って声をかけようと思うんだけど」
「それは嬉しいです!そうだ、このうさぎ佐伯君にとってもらったから“虎”って言うのはどうですか?うさぎなのに変ですかね?」

うーんと首を傾げて悩むを見て、佐伯は小さな声で付け加える。
「言ったろ。俺は絶対に手を離さなくて束縛するから」

「?、何かいいました?佐伯君」
「いや、越前さんは覚悟した方がいいんじゃないかなぁって話だよ」


そこが人生の凄い所です。世の中そう上手くはいかないものですよ


彼女の言葉は一見奇麗事のように見えるけれど、ちゃんと現実を踏まえていて、
上手くいかなかったからこそ伝わってくる何かがある。


君の視線で世の中が見てみたいな
彼女の世界の中で、自分がどういう風に映っているかを見たいと佐伯は思った。


テニスをしてるとさ、もっと強くなりたいって思うだろ?色んな事を知って、誰よりも一番になりたいって
今この胸に湧き上がってくる感情は、その言葉で単純に表現できるようで、もっと複雑に入り組んでいるようにも思える。
だけど、ただはっきりしているのは

「俺は多分、すでに君に恋してたんじゃないかな」


恋するだけの理由を探していた。
だけどそれは見つけるものじゃなく、生まれるもの

彼女のそばで、たとえ同じものは見えないとしても、彼女の見ている世界をみたい

それだけで十分だ