本当の君を見た上で、君に告白するチャンスをくれないか?
「君の写真、見せてもらってもいいかな?」


幸村の言葉に、は「来た!」と表情を強張らせると、芝生の上で拳を握り締めた。
目に見えた彼女の怯えは当然幸村も分かっているものの、引く気のない彼が妥協しない瞳を向けて、は逃げ腰のまま体を強張らせる。

約束は約束だ。
現にの荷物の中には、元の自分達の姿を映した写真が入っている写真立てが入っている。


でも、踏み出す一歩が怖くて堪らない
彼らと過ごした時間は自分のものだと今なら自信を持って言う事が出来るけど、
彼らの瞳に映っているのは越前さんな事には変わりない――本当の姿の自分じゃないんだ

「私じゃ幸村君につりあわないよ」そう言おうとしたの言葉を遮った幸村は、立ち上がって彼女に歩み寄ると、両肩に手を乗せる。
「ホントは俺、君の本当の姿なんて大した問題だと思ってないんだ。だって俺は、間違いなく君を好きでいる自信があるからね」

でも、と言葉を続けた幸村は、痛みをこらえるように眉根を寄せた。


「それじゃ君がだめなんだ。
君がどんな形で俺の告白を受け入れてくれたって、
心の中のどこかでは“本当の自分を知らないから”って、俺の気持ちを疑って逃げ場を作ってしまうと思う。

逃げないで欲しいんだ、自分から――俺の気持ちから」


彼女の頬を涙が伝うのを見て、幸村はぎゅっと胸を掴まれるような痛みに襲われる。
今の幸村には「泣かないで」等と言う資格はない。



だから幸村君、貴方が今ここに居る事が私の救いなんだよ

リハビリがあって、部活に復帰して、全国へ出場する。幸村君の全国への切符は、手術が成功した時から始まるんだよ

待ってます。幸村君がまた私の大好きな笑顔で笑ってくれるの、私待ってますから



君はズルい
俺を真っ暗闇から連れて出してくれたのは君なのに、君はどうしてまだ闇の中に居るの

手を差し伸べるばかりじゃなくて、差し伸べた俺の手も取ってくれ






立ち上がった彼女が荷物から写真立てを取って、瞳を瞑ると、しばし握り締めたものの、覚悟を決めるように幸村にそれを差し出した。
それは家族写真で、あどけない笑みを浮かべている姿は、目の前の彼女じゃない本当の姿の彼女。


幸村の反応を恐れて身を縮めている彼女の濡れた頬に手を滑らせると、はぴくりと体を浮かし、おそるおそる瞳を開く彼女に幸村は尋ねた。

「ねぇ、俺にとって、君の本当の姿と今の姿で違う事って何だと思う?」



唐突な上に意味の分からない問いに、が怯えていた事も忘れて「は?」というと、肩を揺らして笑った幸村は「時間切れ」と言って言葉を続ける。


「正解は、待ち合わせ場所から出発する時に握りたかった手を握れなかったり、文化祭でキスしたかったのに出来なかったりする事」
「キ、キス!?」


裏返った悲鳴を上げたが咄嗟に口元を覆うのを見て、幸村は「しないよ」と笑った。
「俺が手を握りたかったりキスしたいのは君であって、越前さんじゃないからね」

なんの躊躇もない言葉に、かぁあっと頬を染めるの顔を覗き込んだ幸村は、
逃げるように顔を逸らした彼女の両頬を押さえて視線を合わせ、きっぱりと言い切る。



「俺、君が好きだ」



破裂してしまうのではないかと思うほど心臓が高鳴って、スピーカーのように脈打つ体。
改めて言われるととんでもない威力のある言葉に頭が真っ白になって、ぐるぐると視界が回った――幸村が、私の事好き!?

男の子から告白されたのだって初めてなのに、その相手が幸村だなんて、過去の自分が知ったら卒倒するに違いない。
完璧に混乱したは、おもむろに自分の頬に手を寄せると、容赦なくつねり上げて、情けない声をあげた。

「・・・いひゃい」

謎のの行動に理解が追いついて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした幸村は、
「夢オチじゃない」と続いた彼女の言葉にたまらず腹を押さえて笑い出し、赤くなった頬をさすったも、口元を緩めると肩を揺らして笑う。


ひとしきり笑った後で、ふと真顔に戻ったが眉尻を下げて「嬉しいです」というと、
空気を察した幸村も「うん」と相槌を打ったが、申し訳なさそうな彼女が何かを言おうとする前に先手を打った。

「待って、今返事はいらないんだ」



ただ



「ただ君が元の世界に帰った時、越前より多く俺の事を思い出せるようにさせてみせるから」


幸村の言葉に、息が詰まる。


「卑怯な言い方なのは分かってる。でも言ったろ?手段を選んでる暇はないんだ。
これから先、例え君が元の世界に戻った後だとしても、俺を好きになってくれればそれで構わない。

だから、答えの分かりきっている今の返事はいらないよ」


逃げないで欲しいんだ、自分から――俺の気持ちから


射抜くように真っ直ぐな視線がを捕らえて、ああ、この人は本当に私の事を好きで居てくれてるんだ、と言う気持ちが胸を締め付けた。
だからこそ尚更、幸村の覚悟がいたたまれないのだ。

「幸村君は辛くないの?
だって別世界で、どんなに会いたくたって会えない。好きで居るの、凄く辛いよ」


会いたい人は遠い所の話じゃない。
この空さえつながってない場所に居ると言う気持ちは、痛い程自分達が分かっているつもりだから、
そんな思いを幸村にはさせたくないがそう言うと、幸村は「それは違う」と首を横に振った。


「好きで“居る”んじゃない、好きで“居てしまう”んだ。
諦められる恋なんて所詮そこまでのものだろう。

本当の恋は諦めようと思ったって諦められない
それは、君自身が一番よく分かってるんじゃないか?」




幸村の言葉に息を呑んだは、下唇を噛み締めると瞳を揺らす。
「私は、リョーマを諦めたよ。今度からは弟として、家族として、違う形の好きで居る事に決めたの。
どんなに好きだって、諦めなくちゃいけない時はあるよ・・・ッ!」


堰を切ったようにあふれ出した涙が芝生の上に落ちて、体を震わせて泣き始めた彼女を見る幸村の目は、冷静なように見えた。
「だったら、君の越前に対する想いはそれだけだったって事だ。俺にもまだ、追い上げるチャンスはあるってことだね」

温和な幸村からは想像も出来ない言葉を聞いて、「ゆきむら、くん」とかすれた声を上げたに、
幸村は顔を歪めて「酷いと思うかい?」と尋ねると、すがるように腕を引いて抱き寄せる。
「俺も、思う・・・でも、君が好きで好きでたまらないんだ・・・ッ!」


呆然と幸村の胸に頬をついたを抱きしめる手に力を加えた幸村は、
瞳を揺らすと俯きゆっくりと彼女を離して、の瞳に映った自分が苦笑を零すのを見た。

「一方的に俺の気持ちを押し付けたら、が困るのは分かってる。だから、諦めた方がいいみたいに言わないでくれ」


好きでいさせてくれ、振り絞るような幸村の言葉に、は一筋涙を流す。



「好きになってくれて、ありがとう」


俺、君が好きだ


「私を必要としてくれて、ありがとう」

好きだと言われたのも、真っ直ぐに想いを伝えられたのも初めてだから、慣れないうえに上手く受け止められなくて、
こんなありきたりな言葉でしか答えられない自分が悔しいけど、幸村に届くように精一杯の気持ちを込めて微笑んだ。




【序章】




!」
「はぃいッ!」

帰った途端玄関にスライディングするように現れた南次郎に肩を掴まれたは、大きく揺らされて頭が揺れて気分が悪くなってくる。
男か!?男か!?男かッ!?

うっと口元を押さえただったが、南次郎の言葉にはたと瞬くと、
近くで見た幸村の綺麗な顔や、リハビリ中だとは思えない程意外に厚い胸板や、少し高めの声が浮かんで、ぼっと顔が熱くなるのを感じた。


ただ君が元の世界に帰った時、越前より多く俺の事を思い出せるようにさせてみせるから


冷静になって考えてみると凄い殺し文句だ。
一生男縁なんてないと思っていたにしてみれば、天変地異が起きたに等しい出来事で、
「あの」「その」と何かを言って場を取り繕うとしたものの、態度にすべて出ているのを見た南次郎は頭を抱えて仰け反る。

「いいか!俺より強い男じゃないと絶対認めねぇからなッ!」
「あらあら、気にしなくていいのよさん。いいじゃないですか年頃なんですし、彼氏の一人や二人・・・


嫌、二人はちょっと・・・
何て返答すればいいか迷ったは、とりあえず弁当箱は夜にでも洗おうと思い、
「まだ話は終わってねぇぞ!」と怒鳴る南次郎と、穏やかな笑い声を上げる倫子さんの声を背に階段を駆け上った。

さっさと部屋に逃げ込もうと目論んでいたがリョーマの部屋の前を通ろうとした時、ドアが開いてリョーマが出てくる。


「ただいま」と言おうとしたの目の前に紙が押し出され、瞬きを二回した彼女は紙を見た。
「お祭り・・・?来週の土日にあるんだ」

「行くよね?」

否定を許さない問いは、てっきり部活関連の集まりなのかと思ったが「集まるのはレギュラーだけ?」と尋ねると、
リョーマは首を横に振って「二人」と淡白に答えた。
「二人って?」

「俺と、


呆気に取られたが「二人」というと、リョーマは「ふーん」と含みのある声で言って、荷物に視線を落とす。
「夜中男にこそこそ弁当作ってた事、喋ってもいいんだけど」
「な・・・ッ!男って、別に幸村君とはそんなんじゃ・・・あ・・・


ぽろっと出た名前に気づいて口を押さえた時はもう時すでに遅し、
しっかり聞き取ったリョーマが「幸村って立海の部長?」と言うと、は観念したように頷いた。

「成功したら、リハビリがてら一緒に出かけようって手術の時に約束してたの。
お弁当も、その約束で・・・は、初めての割りには上手く出来たって言うか、やってみれば意外と出来るもんだね!」



苦しい言い訳とは分かっているのだけど、
さすがにノータッチには出来なくてフォローを入れたを見たリョーマは、「日曜。七時ね」というと踵を返す。

「え、ちょ、待って」

その背に手を伸ばしたに、彼は首だけで振り返ると、感情を伺えない瞳に彼女を映した。
「立海大の部長とは二人で出かけれて、俺とはだめな訳?」
「い、嫌・・・そう言う事ではないんだけど・・・」


なんでリョーマこんなに棘があるの!?――ひぃぃと息を呑みながら何度も頷くと、
それを見たリョーマがバタンと音をたてて扉を閉め、やっと息が出来たようには胸をなでおろす。

「何なの一体・・・」


しかしこれは、の予想できる範疇を超えた出来事の序章にしか過ぎない事を、彼女はまだ知らなかった。