「よく似合ってるわ」
倫子は鏡に映ったの浴衣姿にほぅとため息をつくと、浴衣をしまっていた箱のふたを閉めた。
長い間眠っていた箱は言うまでもなく埃かぶっていて、これまでの年月が伺える。


「まさか、またさんの浴衣姿を見れる日が来るなんて思わなかった」


嬉しそうな倫子の声音とは対照的に、は浴衣の裾をぎゅっと握ると、「うん」と浮かない声で返事を返した。
倫子は自分の娘がいい方向に変わったと思っているのだろうが、変わった訳ではなく別人なのだと思うと、申し訳なくなってしまう。

それでも本当に嬉しそうにしている倫子を見ていると、
も後ろめたい気持ちがあるのと同時に、嬉しいような、くすぐったいような気がして微笑んだ。


「さ。久しぶりのお祭りなんですもの、楽しんでいらして」

背中を押されるように部屋を出たは、「準備出来た?」と言うリョーマの声に首を巡らせると、「ぎゃ」と思わず悲鳴を上げる。


リョーマがゆかたをきている は100のダメージをうけた ひんし(瀕死)


ちょ、今なら出血死できるんですけど・・・ッ!
あまりの眩しさに顔を背けたを見て、リョーマは「何してんの、早く行くよ」というと、階段を下りて行き、
「お母さん行って来ます!」と笑顔で倫子に手を上げてその背を追うの後姿に、倫子は瞳を揺らした。

「あんな顔で笑えるようになって・・・神様、本当にありがとうございます」




【崩れる世界】




「うわー、思ったより人多いけど、はぐれる程じゃないね」

夏の七時はまだ明るいため視界もいいため見失う事もないだろう。
お祭りなんて久しぶりだなぁと瞳を輝かせたは「梅が枝餅に、綿菓子、りんご飴」と指折り数えると、
期待のあまりふるふると体を振るわせて、気合を入れるように拳を空に掲げた。


「クレープは忘れちゃいけないでしょ・・・ッ!」
「・・・色気より食い気だね」


ポツリと呟いたリョーマの言葉に、はドキッと心臓を高鳴らせたものの、すぐに「うん」と笑顔で返事を返す。


兄弟の前で無理をしたり、自分を隠したりするのはおかしい
自分を飾るのを止める事をまず第一歩にしようと、この間の創立際をきっかけに決意したは、静かに深呼吸をした。

すぐには無理だが、少しずつ変わっていけばいい


「とりあえず出店をチェックして、それから食べ歩きスタートと言う事で。お父さん達のお土産は梅が枝餅でいいよね」
「お土産なんて別にいいと思うけど」

「だめだよ。浴衣着せてくれたお礼はしなくちゃ」


さ、行こう行こうと歩き出したの嬉しそうな横顔を見て、リョーマは僅かに口端を緩めると、隣に並んで歩き出す。





ハンバーグくじ、射的、金魚すくい、輪投げ等など
色々な出店を回りながらすべての出店を見て回った二人は、元来た道を引き返すと、気になった店に顔を出した。


「おじさん!綿菓子頂戴な」
「あいよ、三百円ね」


お金を渡してキャラクターが印刷された綿菓子を受け取ったは、さっそく袋を開けると「リョーマいる?」と言って差し出す。
「ん。一口もらう」

そう言って手を伸ばしたリョーマの腕にかかっているのはミサンガ。
それはがリョーマと幸村の全国勝利の祈願をかけて作ったもので、「つけてくれてるんだ」と言うと、リョーマは「まぁね」と綿菓子を摘んだ。



「神頼みはあんまり好きじゃないけど、勝利の女神になら頼ってもいいかなと思って」
「リョーマの口から“勝利の女神”なんて単語が出てくるとは思わなかったなぁ」

「自分でもらしくないのは分かってるから、そんなに笑わないでよね」



笑いながらゴメンゴメンと目元の涙を拭った彼女の腕に、キラキラと光るブレスレット。

ちょくちょくと部屋を訪れるたびに、帽子やら眼鏡やら、この間はうさぎのぬいぐるみまで増えていて、
「これどうしたの」と尋ねれば、「もらったの」とあっけらかんな返事が返ってくるのは正直あまりいい気分ではない。


ムスッとした顔で出店に首を巡らせたリョーマは、屋台に並んだアクセサリーを見つけると、の浴衣の袖を引っ張った。
「何?リョーマ」
「こっち」


足を向けたリョーマが止まったのは、にしてみれば随分と意外な場所で、
「アクセサリー好きなの?」と尋ねたの言葉に返事もせず、リョーマはシンプルなデザインの指輪と、
四葉がついたネックレスを指差すと、支払いを済ませたと思った途端、その場でネックレスのチェーンから四葉を取った。


何をしてるのかさっぱり分からないが、指輪をネックレスに通す一連の動作を見ていると、リョーマは「後ろ向いて」と口を開く。

おずおずと背中を向けたの首にネックレスを止めたリョーマは、
振り返った彼女の首元にかかった指輪を見て「いいんじゃない」と言うと、口角を持ち上げて笑った。


のイメージにあってる。地味に見えるけど、見る人が見れば光ってみえる・・・そう言うの俺、嫌いじゃない」
「・・・はぁ・・・どうも」



何だ今日のリョーマは
悪いものでも食べたんだろうか?

失礼と思いながらも心配な瞳で見ていると、案の定リョーマは眉根を寄せて「何」と尋ねてきて、
なんでもないと首を横に振ったのネックレスに、おもむろに彼は指先を伸ばすと触れる。


「これなら、何があってもつけてられるでしょ」
「うん。学校につけて行ってもバレないね、ありがと。リョーマ」

ちょっと的外れだったのお礼に、リョーマは一瞬呆けたものの、気を取り直すようにニヤリと頬を持ち上げた。


「知ってる?指輪は独・・・」



独占欲の表れなんだって
そう伝えたら彼女がどんな反応をするか見てみたくて口を開きかけたリョーマは、瞳に映った光景にハッと目を開くとの手を引っ張った。

「え、何?」

驚いたの耳に、「おチビの奴ホント付き合い悪いよな!」と菊丸の声が聞こえて来て、
振り返ろうとしたの手を、リョーマは半ば強引に引っ張って人ごみに紛れる。


「でも、先輩まで用事って何々ッスかね?」
「大方今頃二人でデートしてるかもよ」

桃城、不二の声が追って聞こえてくる事からしても、おそらくレギュラー陣がそろっているのだろう。
いいの?リョーマ、と言おうとしたの唇にリョーマの人差し指が触れて、
思わず息を呑んだ彼女の手を更にぎゅっと握り締めると、リョーマは出口に向かって歩き始める。


鳥居を出て人の少ない帰り道になると、はようやく息が出来たように息ついて、「お土産買い損ねちゃった」と肩をすくめた。
「浴衣姿見せてあげるだけでお礼になるんじゃない?」
「そうかなぁ・・・」

「少なくとも親父は感動すると思うけど」


その様子はゆうに想像出来て、思わず苦笑いを零しただったが、もう家が近くなのに離れない手を見て言葉を選び、声を上げる。
「リョーマ、足痛いしゆっくり歩きたいんだけど」


直球に手離してとも言えず、遠まわしに言ったに、リョーマは「下駄だったね」というとペースを落とした――そうじゃなくてッ!
カラン、カランと下駄が奏でる音と共に、とくん、とくんと心臓がなる音が聞こえてくる気がして、
は眉根を寄せると、耳をふさぎたい衝動に駆られる。


本当の恋は諦めようと思ったって諦められない
それは、君自身が一番よく分かってるんじゃないか?



ちがう、違うよ、諦めなくちゃいけない恋はあるんだよ


だったら、君の越前に対する想いはそれだけだったって事だ。俺にもまだ、追い上げるチャンスはあるってことだね


幸村の言葉が頭の中をぐるぐると回って、
振り払うように頭を振ったが、瞳を伏せて握っていたリョーマの手を緩めたのを感じると、リョーマは首を巡らせた。
「もう家そこだし。ホラ、この歳で手を繋いで帰る兄弟なんて居ないって」



だから、離して

リョーマ ハ ワタシ ノ オトウト ダカラ



家の門の手前で、立ち止まる二人。
ゆっくりと離れた手は、重力に引かれて落ちるの腕を掴んで、引き寄せた。

「わ」

靴だったら踏ん張れたものの、歩きなれない下駄では引き寄せられるまま倒れて、
リョーマの唇がまぶたに触れる感触を感じた瞬間の時は止まり、呆然と目を見開く彼女の瞳にリョーマが映る。


「俺さ、の事姉貴だと思った事一度もない」


その唇が触れたら、指先が触れたら




真っ白になった頭の中で越前さんの手紙だけがはっきり脳裏に浮かんで、
嫌に静かに感じる夜の道に響き渡るリョーマの声を聞きたくないのに、耳を塞ぐ方法が分からなくなる。
だってそうでしょ」




私を家族だと思ってくれてる人と、違う形の好きを私は持ってるから


「家族としてじゃなく、俺はが好き」


愛しいリョーマ


背中を向けて歩き出したリョーマが家の門をくぐって、玄関を開ける音が聞こえた。
だけどの足はその場に縫い付けられたように動かなくて、
数分かけて鉛のように重い腕を持ち上げたは、ようやく耳を塞ぐことが出来る。


「えち、ぜんさん」


頬を伝った涙がコンクリートにしみを作って、震える体は言うことを聞くはずもなく、崩れるようにその場にしゃがみこんだ。
「逃げる必要なかったよ。リョーマ、越前さんの事が、好きって・・・ッ」



搾り出すように言う言葉は、彼女には届かない


「戻って来てよ。入れ替わってよ・・・ッ!ねぇッ」



越前さんはリョーマが好きで



いらないならいいけど。俺が食べるし

今度からは、親父達だけじゃなくて俺にもちゃんと相談する事。約束

の隣なら、いいかなって思っただけ



リョーマも越前さんが好きで



からだったらいいなって思ったから、とりあえずお礼言ってみただけ

手、俺から逃げないようにしっかり掴んでた方がよさそうだからね













じ ゃ ぁ わ た し と  す ご し た じ か ん は ?












分かり切った事聞くの止めてよね。
俺はがどんな姿でも絶対に見つけだすに決まってるじゃん



ああ積み上げて来た世界が軋みだす
崩れる世界を、私はただ呆然と眺めるしか出来ないのに