「どうした精市」
ぼぅと窓の外を眺めていた幸村の様子がおかしかった事に柳は気づいていたのだが、
部員の前では尋ねる事が出来ず、真田、柳、幸村の三人になった時ようやく聞くことが出来た。
いつもなら居るだけで場を盛り上げるも、今日に限って用事の為に部活を休んでいるし、突然訪れた来訪者のおかげで赤也までもが早退だ。
ここ数日様子がおかしかった幸村だが、赤也の早退を許可してからと言うもの輪をかけておかしい。
柳の問いに幸村が答えるよりも早く、「む」と言った真田が眉間に皺を寄せて「やはりまだ部活は無理だったか」と言うのを聞いて、幸村は苦笑を零した。
「俺は部活に復帰した事で助かってるよ。テニスをやってる時には、醜い自分を忘れられるからね」
「何を言う精市。お前が醜いなら弦一郎はどうなる?」
「・・・一応聞くが蓮二、どう言う意味だそれは」
「気にするな弦一郎。場を和ませるあめりかんじょーくと言うやつだ。精市の言う醜いは精神面の話だろうからな」
いつもならここで幸村の笑いが入るのだが、今日に限っては聞こえてこない。
柳と真田が首を巡らせると、幸村は相も変わらず窓の外を見ていて、柳たちの会話も聞こえていないようだ。
「の事か?」
いい意味でも悪い意味でも、幸村の気をここまで引くのはテニスと彼女位のもので、
それを踏まえた上で尋ねた柳の問いに、幸村は色のない瞳で窓を見たまま「ああ」と頷くと、机の上でぎゅっと空気を掴む音が聞こえる程拳を握り締めた。
「自分でも驚いているんだ。何であんな事を言ったのか」
だったら、君の越前に対する想いはそれだけだったって事だ。俺にもまだ、追い上げるチャンスはあるってことだね
彼女の驚いた顔がまぶたに焼き付いて、浮かぶたびに醜い自分を晒されているような気持ちになる。
痛みをこらえるような幸村の表情を見た柳は、壁に背中を預けると静かに口を開いた。
「誰かを好きだと思う気持ちは、決して美しいだけのものじゃないだろう。
その人の一番になりたいと思う気持ちは、どんなに自分をごまかそうとしても、根底にあるから変わらない。
世の中は0と100だけじゃないんだ。美しいだけの恋など、人が作り出した幻想に過ぎない」
この手の話題に自分の出る幕がないのは真田が一番よく分かっているのか、二人の会話に耳を傾けているものの口を挟もうとはしなくて、
幸村は「そうだな」というと、くしゃりと顔を歪めた。
「の優しさに救われたのをいい事に、俺は甘えてる。
でも俺が一番驚いてるのは、その事を全然後悔してないって事かな」
彼女の優しさも弱さも、身に染みて分かっているから
一方的に俺の気持ちを押し付けたら、が困るのは分かってる。だから、諦めた方がいいみたいに言わないでくれ
ああ言う言い方をすれば、彼女が自分の気持ちを無碍に出来ないのが分かっていた。
それと同時に
別にたいした事は言ってないんだ“自慢の弟だね”ってそれだけ。
跡部君はそれが問題なんだろうって言ってたけど・・・それがどうかした?
もし越前が彼女に好きだと伝えても、きっとは――
【弱さと優しさ】
「それで逃げて来た訳ですかぁ」
「そうなんですよぉ」
ごめんね部活休ませちゃって、と申し訳なさそうに言ったに、は「別にいいよ。あたしもゆっくり考え事したかったし」と言って茶を飲んだ。
お茶請けには赤也ママが買ってきたと言う最中(もなか)が出されていて、甘いものをあまり食べないの分までちゃっかりの前に置いてある。
がいそいそと最中の包みを開けるのを見ながら、「ユッキーに告白された、ねぇ」と頬杖つきながらが言うと、
彼女は包みを開けていた手を止めて、おもむろに窓の外に視線を移したに言葉を返した。
「そっちこそ、赤也と千石に告白されたんでしょ」
触れられたくない所に触れられたのか、は明らかに拗ねた表情を見せるとつんとそっぽを向く。
「千石さんはあたしが好きな訳じゃないもの。切原さんの笑顔が見たいって事は、ようするに切原さんが好きって事でしょ?」
「まぁ・・・私たちが別人って知らない時点でそうなるけど、でも切原さんの中に入ってるのは間違いなくアンタな訳だし・・・ああ、ややこしいなぁ・・・」
思わず眉をひそめたは、気を取り直すように包みを開く手を再開させると、中から最中を取り出して一口食べた――おいしい
ほくほくとした表情で最中を食べ終わったが二個目に手を伸ばす様を見たは、呆れたようにも伺える投げやりな説明をする。
「どっかの有名な老舗の最中なんだって」
「へぇ・・・こう言う時甘いもの食べない妹持ってよかったって思うよね」
「マジその意識なく地雷踏む癖止めた方がいいって」
あたしの妹としての価値はそれだけか?ん?と言うに、
「そこまで言ってないじゃん」とあえて否定せず取り繕うような笑みを浮かべたは、逃げるように話の筋を元に戻した。
「んで、千石には結局返事してないままなんでしょ。赤也には?」
「あたしはこの世界でまだしたい事がいっぱいあるから、彼氏とか彼女とかに縛られたくないって言った」
「実にアンタらしい結論だね」
しみじみと頷きつつ茶をすすりながら言ったに、
「そう言う姉ちゃんはユッキーになんて言った訳?」とが尋ねると、彼女は揺れるお茶の水面に視線を落とす。
「言ったって言うより、言われたって感じかな。
口を開く前に、答えの分かりきってる今の返事はいらないって言われた。
その代わり、元の世界に戻った時リョーマより多く自分の事を思い出させてみせるから、それから俺を好きになってくれたらかまわないって。
でもさ、別世界の人を好きになっただけでもあんなに辛いのに、想いが通じ合った人を想うなんて辛すぎるよ。
織姫と彦星じゃあるまいし、四年に一度だって会えないんだよ?少なくとも私はそんな強くない」
「実に姉ちゃんらしい意見だね」
先ほどの仕返しか、はたまた本音なのかは分からないが、そう言ったには困ったように笑うと、「だけどね」と言って瞳を揺らした。
「それを言ったら凄く悲しそうな顔をされたの。
好きで居るんじゃなくて、好きで居てしまうんだ。困らせないから諦めろなんていわないでくれって」
のよく言えば優しさ、悪く言えば弱さは生まれてきてから付き合ってきたが一番理解していたつもりだ。
だが彼女のことを知ろうとする気持ちが大きければ時間なんてものは関係ないのかも知れない、と思う程幸村の言葉は彼女のツボをついていて、
彼女の前では驚く程優しく微笑む彼がそれ程追い詰められている事が伺える。
ユッキーも必死なんだね、ポツリと零したの言葉を聞いてが「え?」というと、彼女は首を横に振った――「何でもない」
いたたまれない気持ちになったは、「んで」と話題を変える。
「あたしは頑として用事の内容は言わなかったけど、ユッキーは大方気づいてると思うんだよね。姉ちゃんは何て言って来たの?」
「それが朝練の時点で私ボロボロで役に立たなくて、手塚に午後の部活休みたいって言ったら、深く理由も聞かずOKしてくれた」
「へぇ・・・手塚にもそんな一面があるんだねぇ。グラウンド100周!のイメージが強いからさぁ」
「確かに。あれってホントに走ったのかな」
場の雰囲気も和んできて、いつものようにくだらない話題で盛り上がっていると、玄関のドアが開いて「ただいま」と言う赤也の声が響いた。
「おかえりー」とが大きな声で返事をすると、二つの足音がこっちに向かってくるのが聞こえて、とは顔を見合わせる――誰だろ?
「ユッキーかもね」
の言葉と同時にドアが開いて赤也が顔を覗かせ、
彼はが居るのを確認してから、開口一番に「先輩、迎えが来てるッスよ」と自分の後ろを指差した。
お迎え?二人が身を乗り出して赤也の後ろを見ると、隙間から見えたリョーマの姿に、は「ぎゃ」と悲鳴を上げる。
「な、何で・・・」とうわ言のように言ったっきり固まったの代わりに、は彼女の言葉を代弁した――「何で赤也とリョーマ君が一緒に居るの」
「聞いてくれよ、コイツ血相変えて立海に乗り込んで来たんだぜ!
いつもは余裕綽々の顔してる癖によ、眉間に皺こーんなに寄せて“、アンタの家だよね”って「・・・ちょっと黙ってくれる」」
鬼の首を取ったかのごとくはしゃぐ赤也を横目で睨んだリョーマは、部屋に入って呆気に取られてるの前まで行くと「帰るよ」と手を差し伸べた。
その状況に思考が追いつくまでゆうに三十秒はかかったは、
ぎゅっと太ももの上で拳を握ると、「迎えに来てくれてありがとう。でも、夕食までには帰るから」と取り繕うように笑う。
リョーマもあの流されやすいに拒否されるとは思わなかったようで、
気まずい沈黙が降り、その様子を見ているに赤也が「なあ」と耳打ちしてきた。
「先輩とアイツ、何かあったのか?」
「まぁね。って言うか赤也、前々から空気読めないキャラだとは思ってたけど、連れてくるとは夢にも思わなかったよ。
赤也のそんな所が・・・
そんなところが萌だッ!」
「お前はカッコイイとか可愛いとか、萌え以外にボキャブラリーはないのか・・・?」
切実な赤也の問いに、が「無い」とキッパリ切り捨てると、赤也は諦めたようにため息をつく。
「そんな事言われてもよ。お前が大阪に行った時、越前の野郎には借りがあって・・・断れなかったんだから仕方ねぇだろ。んで、何もめてるんだよ」
それにしても、と改めて赤也がリョーマを連れてきてしまった以上、この気まずい空気をどうにかしなければならないと考えて、
その為にはこの興味津々な顔で尋ねてくる赤也を(言い方は悪いが)まず片付けなくちゃならないと、
一番無難に話を進めるには何といえばいいか考えたは、
言葉を選んで赤也に耳打ちした――「姉ちゃんが越前さんじゃないのがバレちゃったみたいで」
リョーマが告白したらしい、と言うのは自分を妹以上の存在として見てくれている赤也に言うのははばかられる。
この際嘘も方便だろうと思ったが言うと、赤也はきょとんと瞬いた――「今更何言ってんだよ」
は?
「今更って何」
「越前の奴、とっくの昔に知って・・・」
と、俯いていたはずのに穴が開くほど見つめられ、自分が爆弾発言をした等とは夢にも思わない赤也が「何だよ」とたじろぐと、
物凄い形相でに「リョーマ君が知ってる訳ないじゃん」と詰め寄られた彼はたじたじになる。
「で、でも。俺が青学に乗り込んだ時・・・」
お前、もしお前の姉ちゃんがある日まったく別人になってたらどうする?
――俺だったら
俺だったら、その人見てどうするか決めるけどね
「・・・っ痛ぇえええええ!」
説明する為に向き合っていたに突然頭を掴まれたかと思うと、容赦なくかまされた頭突きに赤也がもんどりうちながら、涙目で叫んだ。
「おま、お前女が頭突きって・・・ッ!」
「あたしに色気を求められても困る!」
「求めてねぇよ!それ以前だ、それ以前ッ!」
無駄な自信で胸を張った姿を見てギャンギャンと騒ぐ赤也に、「姉ちゃんのドロップキックよりマシでしょ」と
はすでにドロップキック所か、放心状態のを見てため息をつき、「何でそんな確信的な事を言うかなぁ」と眉根を寄せて赤也を横目で睨む。
仮にも好きな子からの白い目に「う」と言葉に詰まった赤也は、視線を泳がせると口先を尖らせた。
「仕方ねぇだろ。あの時は俺だっていっぱいいっぱいだったんだからよ、同じ立場の意見を仰ぎたかったっつーか・・・」
ごにょごにょと言いよどむ赤也をしばらく横目で見た後、
はやれやれと肩をすくめて、あっさり口を開いた――「ま、過ぎたこと問い詰めても仕方ないけどね」
「だったら頭突きかますんじゃねぇッ!」
「それとこれとは話が別。んで、リョーマ君・・・もうリョーマでいいや。リョーマは姉ちゃんが越前さんじゃないって気づいてたの?」
戸惑って思考が使い物にならないをよそに尋ねたは、リョーマが瞳を伏せて頷いたのを見ると、「何でそれを黙ってるかなぁ」と頭をかく。
「それ言わなくちゃ、姉ちゃんはただでさえマイナス思考なんだから、君が越前さんを好きだと思うに決まってるでしょ・・・」
赤也に隠そうと思っていたのに、事に唖然して思わずツッコミを入れたの予想外な言葉に、
目を瞬かせたリョーマは、大きな猫目にを映して「そうなの?」と尋ねて来、こくんと力なく頷いた彼女を見ると、頭を抱えた。
「の事姉貴と思った事ないって言ったので通じたと思ってたけど。昨日、驚いてた訳じゃなくてショック受けてたんだ」
「姉ちゃんはリョーマが越前さんの事を姉と思ってなくて好きだと思ってたんだよ」
ようするにリョーマの「姉貴と思った事ない」と言う言葉は文字通り彼女を越前さんだと思った事がないといったつもりだったのだが、
彼が越前さんじゃないと知っているとすら思わないは姉と思った事がなく、越前さんを好きだったという意味に解釈していたと言う事になる。
色々と交差しているように見えて実に単純だった結果に、は口角を引きつらせた。
「君たち、日本人同士なんだから会話成立させようよ・・・?」
「これで問題解決って訳か。何だ、単なる痴話喧嘩か」
と赤也は憎まれ口を叩いてみるものの、中身の違う姉妹を好きになった身としては親近感が沸くのか、二人を見る目は温かい。
でも――は対照的に顔を曇らせると、「ねぇ」とに改まって口を開くリョーマを見る。
これからだよリョーマ、大変なのは
だって
「もう一度、今度はちゃんと伝えるから。俺、アンタの事姉貴じゃないって知ってて、が好きだ」
「オイオイ、人ン家で告ってんじゃねぇよ・・・」
姉ちゃんはこの世界で想いを通じ合う事に怯えて弱くて
「・・・私も、リョーマが好き・・・大好きだよッ」
幸村と越前さんの事の気持ちを差し置いて、自分が幸せになろうなんて言う考えを持たない優しさがある
「でも、ごめんなさい」
もし越前が彼女に好きだと伝えても、きっとは――越前さんと、少なくとも俺の事を考えて断るだろうから
「リョーマの気持ちには、答えられません」
姉ちゃん。
どれだけお互いが相手を想って来たかを知っているからこそ、あたしは姉ちゃんに自分の気持ちに素直になって欲しいよ
なんて、あたしが言える事じゃないけどさ
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ただ柳にあめりかんじょーくと言う英語を言わせたかっただけ・・・

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