「こんにちわ」
ドアをノックしてロッジの中を覗き込んでみたものの、比嘉中メンバーは誰も居ない。
おかずを片手にどうしようか、と立ち往生していると、後ろから「何のようですか」と棘のある声が聞こえて来て、
が首を巡らせると、そこには不機嫌さを眉間に刻んだ木手の姿があった。
「あ、嫌。何してるかなと思って」
よりにもよって単独の木手と出くわすとはついていない
適当な台詞で誤魔化し、慌てておかずを背中に隠したの行動を目ざとく見た木手は、
「下世話なマネは止めて頂けますか。迷惑ですよ」と言って目元を吊り上げた。
木手がそう言う事も簡単に想像出来ていたし、自分がやっている事が大きなお世話だと言う事をちゃんと理解しているは素直に謝る。
「スミマセン。大きなお世話かも知れないけれど、私がしたい事なんです。また出直してきます」
「何度来たとしても同じ事です。甲斐君と平古場君は騙せても、跡部君の汚い策略に俺は引っかかりませんよ」
吐き捨てるように言った木手の言葉が意味する事に、は眉根を寄せると言葉を返す。
「これは私の個人的なお節介です。跡部君は関係ありません」
「口では何とでも言えますよ」
キッパリと切り捨てられ、言葉に詰まったに木手は追い討ちをかけるように畳み掛けた。
「甲斐君達は信じて疑ってないようですが、俺は貴方方も十分怪しいと思っていますよ。
もし仮に貴方が何も知らされていないのだとしても、跡部君はどうとでも糸を引くことが出来ますからね、
例えば、そのきのこに関してもそうです。
貴方が親切のつもりでも、俺達にとっては重大な被害になる可能性があるものを口にするとでも思いますか」
カッと頭に血がのぼるのを感じて、は背中に隠していた皿を手元に戻し、一つまみきのこを取って口に含んで飲み込むと、
「私は跡部君に利用されてるつもりも、跡部君がそんな事をするとも思っていません」と木手を見据えた。
「確かに、用心が必要な事はあるかもしれません。
でも、どうして物事がそうだと決め付けるんですか、何もかも分かったような顔をしてるんですか?
それだけが真実とは限りません、全て虚像のものを見てるだけかも知れないじゃないですか」
思いつくままに言葉を口にするを、木手は冷静な目で見返し、尋ねる。
「なら貴方は、自分の見る目を信用していないと言う事ですか?」
「・・・え?」
「そう言う事でしょう。そしてそれは貴方が先ほど言った事も否定する事になる。
跡部君はそんな事をするとは思わないと言いましたが、それこそ騙されているかも知れないと言う事を貴方は今の言葉で認めたんですよ」
――どうして物事がそうだと決め付けるんですか、何もかも分かったような顔をしてるんですか?
それだけが真実とは限りません、全て虚像のものを見てるだけかも知れないじゃないですか
「ッ」
息を呑んだが「それは」と言おうとしたのを、木手は先手を打って切り捨てた――「貴方が言ってる事は、所詮奇麗事に過ぎないんですよ」
その木手の言葉が容赦なく胸に突き刺さって、頭をフライパンで思い切り殴られたような衝撃にめまいがする。
「他人に説教する前に、自分がその奇麗事で世の中を渡っていけるかどうか、押し付けれるものかどうか考えてから口にする事です」
息が、出来ない
木手の言葉が頭の中を駆け巡って、体が震えるのを抑えられない
木手の言う事は正しい、だって
わ た し は げ ん に ざ せ つ し た
「木手!」
その声が上がった方を見たものの、理解が追いつかずに、ぼやけた視界に不二と裕次郎の姿が映る。
声を荒げた裕次郎は、駆け出して木手の胸倉を掴むと、つばがかからん勢いで叫んだ。
「どう言うつもりだ・・・ッ!」
「どう言うつもりもこういうつもりもないですよ。別世界の人間のはずの彼女がここに居る、逃げだと判断するのに十分な材料です。
そんな彼女に俺は説教されるつもりもありませんし、あまりの奇麗事に反吐が出そうですよ」
飄々と口を滑らせた木手に、
裕次郎がハッと目を見開いて不二を見るが、驚いた素振りも見せないため、裕次郎が怪訝そうな顔をすると、不二は静かに口を開いた。
「君が言う事は、確かに正しいかも知れない」
あっさりと言った不二に、木手は「話が分かるようですね」というと、その瞬間、不二は目を開いて木手を睨みつける。
「この世の中、奇麗事だけで生きていけるとは僕も思わない。
誰もがそれを奇麗事だと決め付けて急ぐ中、真っ直ぐとそれを叫ぶ人間は異端であると同時に必要な人間なんだ」
ようやく現状を理解出来たが「周助、君」と唇を震わせながら言うと、それを聞いた裕次郎は駆け寄って来、「大丈夫か」と肩を揺らした。
泣きそうな顔で、それでも涙を流さない彼女がぎゅっと唇を噛み締めて俯くのを見ると、裕次郎はたまらず抱きしめる。
「“押し付けがましいのは分かっています。
だけど、元の世界で比嘉中を知った時思ったんです。
監督に逆らえない、ラフプレーで得た勝ちは勝利には違いないけど、それだけの世界に居るのは悲しいなって。
だからこそ自分達と監督、そしてラフプレーの小さな世界に居る彼らが、
これから先外に出ようと思えるきっかけを投げかけれる事が私に出来る事なら、したかった。
ラフプレーなんてしなくても、あの人達ならきっと勝ったら楽しくて、負けても悔しいけどまた頑張れるテニスが出来ると思ったんです”」
脈略も無い不二の言葉に、木手が訝しげな顔をすると、不二はに視線を向けた。
「彼女が僕に言った言葉だよ。
君が奇麗事だと一蹴するのは簡単だろうけど、認める事は遙かに難しい。
一匹狼を気取るのはいいけど、君に対してかけてくれる声を見ない振りを決め込むのは、子どもでも出来るんじゃないの?
少しは大人になったらどうだい?」
「・・・」
「まぁ、あんまり言うとまた言いすぎだって怒られるから、ここらで止めとくけど」
以前彼女を庇って観月を撃沈させ、逆に説教された事を思い出した不二はそう言うと、に首を巡らせて「行くよ」と声を上げる。
戸惑って裕次郎と不二を見るに、裕次郎が「行け」と言って背中を押すと、パタパタと足音をたてて彼女は不二の背中を追っていった。
木手とともに残った裕次郎は、彼女の背中を押した手を下ろすと、瞳を揺らす。
「わったーの試合、ラフゲームばっかあんに。
でも、あぬひゃー“しちゅん(好き)な事の勝ちにこだわりたいのは当たり前だ”って、
“もし勝ち方にこだわりたいなら、高校生になって見つければいい。好きなことは、それまで続けられるから”って、言ったばぁよ。
あぬひゃーの言う事は奇麗事かも知れん。でも、それだけじゃない」
――絵を描くとか、文章を書くとか好きな事はあるんですけど、何もかも中途半端で
だからこそ何かを好きって言えて、スパルタでもラフプレーでも、歯を食いしばって頑張れるのは、私から見るとキラキラ光ってますよ
「上手くいかなかった事を、自分の中で解釈して伝えるから、わったーの心に・・・少なくとも、わんの心には届いた。
木手の言う“奇麗事”でわんは救われて、あぬひゃーをしちゅんになった」
木手を振り返った裕次郎は、これ以上無いほど輝いた笑顔を浮かべる。
「ま、木手に分かねーらんなら、だぁ(それ)でいい。これ以上ライバル増えたらかなわん」
――意地を張るのは悪い事じゃないし、跡部君達と協力できないなら出来ないでいいけど、自分達だけだって思って追い詰められないでね
「あぬひゃーと会う前のわんだったらどうだったか分からねーらんが、今は跡部がぬーを企んでても別にいいばぁよ。
勝ちにこだわりたいのはわったーもあぬひゃーも同じって事だろ?
望むところやっし!」
胸を張った裕次郎を見た木手は、やれやれと肩をすくめると踵を返した。
「甲斐君」
「ぬーが?」
「夕食に味噌汁が飲みたいと彼女に伝えて下さい。
でも、彼女を信用する訳じゃありませんからね。毒見は君たちがすることです」
瞬きした裕次郎は、その言葉の中に隠されてる意を汲み取ると、「おう!」と笑う。
何だかんだ言いながら木手は部員思いの部長だと言う事は、部員である裕次郎たちが一番よく知っている。
その彼らに毒見をしろと言う位だから、はなから毒を盛ってあるなど考えてないのだろう。平たく言えば信用したのと同じ意味だ――素直じゃないな
そう言う所が木手らしいとも言えるのだけど
――一匹狼を気取るのはいいけど、君に対してかけてくれる声を見ない振りを決め込むのは、子どもでも出来るんじゃないの?
少しは大人になったらどうだい?
――ラフプレーなんてしなくても、あの人達ならきっと勝ったら楽しくて、負けても悔しいけどまた頑張れるテニスが出来ると思ったんです
「まったく厄介な人ですね、彼女は」
彼女なら完膚なきまでに言い任せられたのに、思わぬ伏兵の登場で事態は彼女側に転び、
思えば裕次郎の言うように「勝ちに対する卑怯さ」は自分達から言えたものでもないと気づかされたのにも悔しい。
言い負かしたはずなのに、結局そう思わされるのが厄介というか、何と言うか、と木手は苦笑を零した。
【厄介な人】
「でも、祐ちゃんが来たのは分かるけど、どうして周助君があんな所に居たの?」
ようやく己を取り戻したが尋ねると、不二は隠すことなく盛大なため息をついた。
「君が隠れて料理作ってるのが見えてね。
行く場所はゆうに想像できたし、どうせ止めてもいくだろうからね、どうしようかなと思ってロッジの方に向かってたら甲斐と平古場に会って・・・」
木手は?と聞くと、ロッジに向かったと言う事で、不二の嫌な予感は的中したと言う事だ。
裕次郎と凛は協力的な姿勢とまではいかなくても、非協力的ではない
「君がどうも料理を持ってロッジに行ったみたいだ、って言ったら、甲斐が走り出したんだ。
無茶するのは君の勝手だけど、僕まで巻き込まないで欲しいな」
不二の言葉に瞬いたが噴出すと、不二は横目で睨んだ。
「周助君の優しさ、最近大分分かるようになってきたみたいです」
「どう言う意味?」
「つまり、心配するような無茶なことはするなって意味ですよね。
心配したら巻き込まれずにはいないひゃら――いひゃひ(痛い)でふよ(ですよ)」
突然頬を引っ張られて涙目になりながら抗議すると、散々力強く引っ張った挙句手は離れていって、は頬を押さえる。
「越前さんがおたふくみたいなほっぺたになったら、周助君のせいですよ」
「その時は僕が責任持って嫁に貰うからいい」
「・・・それって責任を取ると言うよりも、当たり屋みたいなもんじゃないですか?
ホラ、わざとクルマにぶつかっといて、責任取れや――ッ!みたいな。あれ、ちょっと違うか。
わざとクルマをぶつけて、責任を取る・・・当たられ屋?新ジャンルですね、周助君!」
「君なんてずっと木手にいじめられてればいいんだよ」
「ちょ、それは地味に痛いですからッ!何その陰険な仕返し!」
しゃがみこんだ不二が小さな石を人差し指で弾いて、はねた石が足首に当たる。
足を抱えて片足で飛び跳ねていると、不二は攻撃(?)を止めて立ち上がり、ぽんと頭に手を置いて二回叩いた。
「一度しか言わないから、よく聞いて」
ぐいっと力を込められて頭を押さえつけられ、不二の顔が見えない。
誰もがそれを奇麗事だと決め付けて急ぐ中、真っ直ぐとそれを叫ぶ人間は異端であると同時に必要な人間なんだ
「君は僕達に必要な人間だから、もっと自信を持っていいよ」
手がどけられたが顔を上げると、太陽に照らされた不二の表情は伺えなくて、でも
「君の説教、嫌いじゃないからね」
きっと凄く優しい顔をしてるんだろうな、とは思えた。

|