――別世界の人間のはずの彼女がここに居る、逃げだと判断するのに十分な材料です
冷静になって考えて見ると、どうして木手がその事を知っていたのか。
そしてあの場に居た裕次郎も、驚いた様子は見せず、どちらかと言うと不二を意識して焦っていたように思える。が言ったのだろうか?
首を傾げただが、数秒で嫌々と首を横に振った。
確かに後先考えずノリで突っ走る部分があるが、は姉のよりも基本一枚も二枚も上手だ。軽々と喋る程バカではない・・・と思いたい。
木手に聞けずとも、裕次郎に聞いて見るか――しかし「私が異世界人って知ってるんですか?」とは改まって聞けるような話題ではないし。
焚き火を見つめていると、パチパチと火花が踊る様子が瞳に映って、
ぼぅとしていると、昼間の木手の台詞が浮かんでは消えていき、また脳裏を過ぎった。
他人に説教する前に、自分がその奇麗事で世の中を渡っていけるかどうか、押し付けれるものかどうか考えてから口にする事です、か
「痛い言葉だなぁ・・・」
くしゃりと顔を歪めていると、「?」と言う声が後ろからかかり、振り返ったは、その姿を見ると驚きに「祐ちゃん」と瞬く。
「どうしたの、こんな所で」
「やーを探してたんばぁよ」
「私を?」
「ああ。昼間の事、気にしてるんじゃないかと思って。その、木手の事・・・」
いいにくそうに言葉を濁した裕次郎の言いたい事を暗に汲み取ったは、ぎこちなく笑った。
「ううん。私こそ跡部君に対して木手君が警戒してるのも知ってたのに考えなしだったもの。
言い方はどうにしろ、木手君が祐ちゃんや平古場君を守ろうとしてるのは分かってるし、祐ちゃんが気にしなくていいんだよ」
取り繕うような笑みを浮かべただったが、「あー」とうなり声を上げると、肩を落とした――「でも私のせいで木手君と跡部君の溝が深まったよね」
ずーんと重い空気を背負ったを見て、裕次郎は「わ」と手を挙げると「そんな事無い!」と言葉を続ける。
「元々わったーは跡部に対してあんまり良く思ってないから気にすんなッ!」
彼女を庇おうとするあまり口走ってしまったが、彼女が裕次郎たちと跡部の仲を取り持とうとはしてないものの、
あまり波風をたてて欲しくないのは裕次郎から見ても歴然で、苦笑を零した彼女を見た裕次郎はますますたじろいだ。
「少なくとも木手は、やーが跡部の手ごまとはもう思ってないあんに!そう、味噌汁!」
「・・・味噌汁?」
「木手が、味噌汁食いたいって」
苦笑していたが真顔に戻り、「木手君が?」と問うと、裕次郎は大きく何度も頷く。
先ほどの浮かない表情は何処へか、途端にぱぁっと顔を輝かせたは「本当!?」と言って立ち上がると、ズボンについた砂を払った。
「お袋さんの味には敵わないかも知れないけど、不肖、頑張らせて頂きます!」
「しに(とっても)楽しみさー」
通りがかった柳沢に当番を少しの間変わってもらったが裕次郎と一緒に食堂に着くと、そこには先客が居て、
湯気が昇るおわんを持ったリョーマと、おたまを持った小日向を見たは、足を止めると表情を曇らせる。
「あ、越前先輩。こんばんわ」
「・・・こん、ばんわ」
無理やり笑顔を繕ったを横目で見た裕次郎が、リョーマを見、お互いの視線が意味ありげに交差するのにも気づかず、
そんなリョーマの隣で小日向は「どうしたんですか?」と小首を傾げた。
「ちょっと、お味噌汁を作りに・・・」
ふわりとカールした髪、白い肌、ふっくらと色づいた唇が「お味噌汁?」と柔らかな声をつむぎだす。
その行動のひとつひとつが胸に突き刺さるようで、が力なく頷くと、小日向はふわりと微笑んだ。
「もしよかったらこれ・・・少し多めにできちゃったんです」
差し出されたおなべに入っている味噌汁を見るの瞳が揺れて、おそるおそる手を伸ばした彼女がかすれた声で「ありがとう」と言う前に、
鍋に届きかけた手を遮った裕次郎は「やなが(悪いが)」と眉を潜める。
「わったーはくにひゃー(こいつ)の味噌汁食べに来たんばぁよ。他の奴の料理食べる程、気を許したつもりはないあんに」
「祐ちゃ」
「・・・そんな言い方ないんじゃないですか」
冷ややかな声が聞こえた方に目を向けると、辻本が立っていて、目をむいたが何か言おうと口を開く前に裕次郎は先手を打った。
「これでも優しく言ったつもりさー。はっきり余計なお世話って言ったほうが良かったか?」
「ッ」
小日向が口元を押さえて後退さる。
そのまま踵を返して走っていった彼女を見て、辻本は裕次郎を見ると「甲斐さん、酷いです」と目元を吊り上げて彼女の背を追っていった。
残されたとリョーマ、裕次郎の間に沈黙が走って、すがるような瞳でリョーマを見ていた彼女は、ふ、と視線を逸らすと、拳を握る。
「リョーマ、小日向さん・・・追いかけてあげて・・・」
ぎょっと目を見開いた裕次郎が「!」というのとは対照的に、リョーマは静かに「それでいいの?」と尋ねると、
かすかに震えながら頷いた彼女を見て、何ともいえない表情を見せた後、小日向が消えた方向へ去っていった。
はその後ろ姿を見ていたものの、今度は裕次郎に首を巡らせると、気を取り直したように「辻本さんに謝りに行こう」と裕次郎の腕を掴む。
彼女の行動の意味が分からないと言う裕次郎の顔に、は半ば強引に彼の腕を引いて、「このままじゃ駄目なの」と呟いた。
「辻本さんは、比嘉中にとって必要な存在だから」
「・・・やー、ぬー言ってるばぁよ」
「イレギュラーな私と違って、辻本さんは比嘉中の支えになる人なんだよ。だから、だから・・・ッ」
この世界に居るはずのない私のせいで歯車を違えさせないで、
とが声を振り絞った途端、裕次郎はその手を振り解き、叫んだ――「ふざけんなッ!」
怒声に近い大きな声にがびくりと身を揺らして裕次郎を見ると、彼は顔を歪める。
「イレギュラーとか、この世界に居るはずないとか、辻本が比嘉中の支えになるとか、んな事知るかッ!」
「でも・・・ッ」
「やーが居ない世界をやーが知ってても、わんの知ったこっちゃない!」
それはそうだけど、とが尻すぼみした途端、裕次郎はまくし立てた。
「居ないはずの存在とか聞きたくない、やーは現にわんの前に居るあんにッ」
「・・・ッ」
息が止まるかと思った。
真っ直ぐな裕次郎の瞳がを射抜いて、呼吸をする事すら忘れてしまったように呆然と立ち尽くした彼女に、裕次郎は問う。
「やーは、わったーの未来を知ってるんだばぁ?」
その問いにハッと目を見開いた彼女の時が再び動き出して、は逃げるように視線を逸らし、「それは」と言葉に詰まった。
言葉よりも態であらわされる彼女を見た裕次郎は「やーの知ってる事を話せ」というと、
裕次郎の腕から手を離した彼女の腕を逆に掴んで、振りほどけない強さで握り締めた。
「離して」
それから数分必死に腕を引っ張るが、引けば引くほど掴む力は強くなって、最終的には血も通わないのではないかと思う程握り締められる。
逃げれないという事を悟ったは、かすかに口を開くと、ポツリと零すように言った。
「木手君が勘ぐってる事の真実は、言えない
ただ跡部君と比嘉中の仲がどんどん険悪になって行く中、辻本さんが二組の架け橋になるの。
最初は比嘉中も辻本さんを突っぱねるけど、段々信用するようになって、最終的には跡部君と和解をする時のきっかけは彼女・・・
跡部君と仲良くして欲しいなんていいません。
でも、ルートによっては比嘉中が自力で島を脱出しようとして危険な目にあう話だってあるの。
だから、辻本さんは跡部君と比嘉中のために必要で・・・」
とりとめなく浮かんでくる言葉を必死でまとめて口にしたがそう言うと、裕次郎は「ようするに」と話をまとめる。
「わったーは跡部の事と上手くいかなくて自力で島を脱出しようとして危険な目にあう。
やしが、やーはわったーが奴のたくらみについては言えなくて、辻本が必要だと思ってるんだな?」
跡部君は確かに皆を騙してるけど、それは木手君たちが考えているように全国大会に出場する選手を傷つける為の作戦だと言う訳ではなくて、
全選手の強化を図っているものだから、とは口止めされている以上言えない。
だからこそ、騙す立場に居るではなく、純粋に彼らと接する事の出来る辻本が必要なのだ。
深刻な表情で頷いたを見て、裕次郎はおもむろに顔を歪めると、重いため息をついて額に手をそえる。
「ふらー(バカ)」
「ば、バカって・・・」
「木手は確かに跡部の奴を疑ってるばぁよ。やーの言う通り自力で島を脱出しようとするかも知れん」
なら、とが言おうとするのを、裕次郎は遮った。
「やしが、わんと凛がそんな事はさせん。
わんがやーから聞いた事を凛に伝えんでも、凛は絶対に反対する。
あぬひゃーはを置いて脱出する位なら、跡部に真っ向から立ち向かう奴やっし」
もちろんわんも、と言いたかったが、話の腰を折るのは目に見えていたので、裕次郎はその言葉を飲み込んだ。
「それに、わんは跡部が何企んでたとしても、別に興味ねぇし、どんと構えてやるばぁよ。
好きな事の勝ちにこだわりたいのは、あぬひゃーもわったーも同じやっし。受けてたってやる」
ニヤリ、口角を持ち上げた裕次郎を丸い瞳に映したが何度も瞬き、裕次郎は彼女の腕を握っていた手を離すと、
ぽんと頭の上に置いて、彼女の髪をくしゃくしゃとかき回す。
――好きなものの勝ちにこだわりたいのって、当然なんじゃないですか?
「これでも、まだわったーが危険な事をしようとすると思うか?」
ボサボサになった頭に手を乗せたが「いえ・・・」と言うと、裕次郎は「それと、もう一つでぇじ(大事)なくとぅや(事は)」と笑った。
「そう思えるようになったのは、辻本あらんくて(じゃなくて)、やーのおかげやっし。
ここは、確かにやーの知ってる世界かも知れん。でも、今は違う。今のここは、“やーが生きてる世界”だ」
「・・・」
「やーが存在して伝えた事が、全部じゃなくても、少しずつ染み込んでいって出来上がった世界に、やーがおらん世界の事は必要ない」
「祐ちゃん」と言おうとしたよりも先に、裕次郎は帽子を取ってぐしゃぐしゃと髪をかきむしると、「あー」と間の抜けた声をあげて肩を落とす。
「もうちょっと国語勉強しとけばよかった」
完璧に緊張の糸が途切れて、思わずぷ、と噴出したは口元を押さえると肩を揺らして笑い出し、
眉を潜めた裕次郎を見た彼女は「ご、ごめん」と謝ると笑いを引っ込めようとして失敗したような笑みを浮かべた。
「なんか祐ちゃんらしい間の抜け方で思わず・・・」
「やーにだけには、間の抜けてる云々は言われたくないあんに」
「失礼な!私はいつでも真剣ですッ」
「尚更性質悪いばぁよ。ま、そう言う所がやーらしいっつーか」
くしゃりと笑った裕次郎を見たは、目を細めて笑うと「ありがとう」とお礼を言い、瞳を伏せる。
「祐ちゃんの言葉も嬉しかったし、私の代わりにお味噌汁断ってくれたんだよね」
「気にすんな。悪役は慣れてるあんに」
「でもさすがにあれは言いすぎ」
「う・・・。あれは越前の奴に頭に来て、八つ当たりもあったんばぁよ」
「リョーマに?」
ぽろっと滑らせた口を手で押さえてみたものの、言った言葉は元には戻らず、小首を傾げたを見た裕次郎は視線を逸らした。
視線を戻すと、相変わらずきょとんとした顔のが見えて、彼はしどろもどろになったが、開き直るように言葉を返す――「嫉妬だ」
「嫉妬?」
「先に言っとくが、小日向と辻本でも、テニス関係でもないからな」
「そうなんだ」
「・・・普通そこは何に対する嫉妬ですかとか聞くもんだろ」
「え、聞いていいの?」
「嫌、聞かれたら困る・・・」
「何それ」と笑うを凝視する裕次郎の視線に気づいた彼女は、「どうしたの」と問うた。
裕次郎は何か言おうと口を開きかけたのに、済んでのところで口をつぐみ、しばしの後言葉を返す。
「わん、高校に入学したらテニスを続けるかとか、あんま考えた事なかった。
でも今は続けたいと思ってるばぁよ。高校でわんのテニスを見つけて勝ちたい、テニスがしちゅんな事だって気が付く事が出来たのは、やーのおかげだ。
だから、やーがもし、たしかにしちゅん(本当に好き)な事を見つけた時は」
リョーマはまだ中学一年生で、これから先この世界で大切な人が出来る。この世界にいつまでも居れない私が、その邪魔になりたくない。
越前さんの気持ちも、幸村君の気持ちも大切だけど、でもやっぱりリョーマが一番大切だから、リョーマの為なら何でも出来るよ
「好きな事を、好きって言う勇気を忘れんな。後、嫌いな事を嫌いだって思える勇気もな。
やーは消極的すぎやくとぅ(だから)、少し過激な位がちょうどいい。
無理にあわせようとすんな」
「・・・うん、頑張る」
苦笑を零した彼女の胸に居るのは、自分ではなくて
自分が欲しい気持ちを持ってる奴は、彼女の傍に居ない
「祐ちゃんは、悪役なんかじゃないよ。
だって、祐ちゃんは太陽みたいに眩しい人だもの」
――悪役は慣れてるあんに
の言葉に、裕次郎は「ホントにな」と心の中で沈んだ声をあげた。
本当の悪役なら、たとえ一生彼女から恨まれる事になったとしても、リョーマから彼女を掻っ攫っていけるのに
「さ。じゃぁ味噌汁を作りますか!」
連れ去る事も出来ずに半端に口を挟む自分、でも手を差し伸べない中途半端な自分が恨めしい。でも、願うなら
ああ
悪役になりたい
この手で君の目を塞いで、自分しか見えないように世界を奪えたらいいのに

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