「虎ー、気持ちいいか?」

ふにふにとタオル生地の頬をつつきながらふにゃりと笑ったに影がかかって、首を巡らせた彼女は「わ」と驚いた声を上げると心臓を押さえた。
「さ、佐伯君」
「驚かしたかな?」

驚きましたと素直に返事を返した彼女は、佐伯の視線の先にあるうさぎのぬいぐるみを両手で隠すと、
「いつからそこに居たんですか」と伺うように尋ね、彼は爽やかに微笑んだ――「虎に話しかけてる辺りかな」

「あー」とか「うー」とか言ったは、がっくりと肩を落とす。
「お恥ずかしい所をお見せいたしました」

「そんな事ないよ。虎は日向ぼっこ中かな?」

佐伯の口から「虎」と言う単語が出る度非常に恥ずかしくなって、流れとは言えもう少し考えて名前決めるんだった、とは頬を僅かに染めた。
「こうも暑いと寝汗とかかいちゃうので、お天気ついでにちょっと洗濯して干してたんです」
「合宿にまで持ってきてくれてるなんて嬉しいな」

「昔から何か持ってないと寝れなくて、最近はこの子がお気に入りなんです。ありがとうございます」

相も変わらずにこにことした笑みを崩さない佐伯の考えてる事は分からなくて、
は視線を逸らすと「子どもっぽいでしょ」と苦笑を零す。


と歩いて居ても友人と間違われる事が多々あって・・・ゆ、友人なんですがねッ!」

事情を知ってるがゆえについ口がすべるが、佐伯には詳しいことは話していない。
その事を思い出したが慌ててフォローを入れたが、あからさまな取り繕いに自分が情けなくてたまらなくなり、
どうしようかと視線を泳がせていると、佐伯は軽く笑った。

「無理に聞こうとか思ってないから、そんなに気を張らなくていいよ。
前にも言ったけど、俺は別に君がどこの誰とか、そう言う事に興味がある訳じゃないから。

深く追求したりしない。だから、ありのままの君を見せて欲しい」

はたと瞬いたは微笑むと、気を取り直したように口を開く。

「髪を染めるとか、化粧をするとかそう言う事にまったく興味がないんですよ。

太ってたから着飾るとか言う事もなかったですし、そう思われても仕方ないって言うか、
そもそも自立出来てなかったですし、自分でもとても大人だとは思えません」


今度は慌てて訂正する事もなくいい終わり、佐伯はいいたかった事が伝わったのだと、彼女を見る目を嬉しそうに細めた。

「俺は、そんな越前さんが好きだけど」
「ありがとうございます」

のほほんと笑った彼女を見た佐伯は少し驚いた顔をすると、苦笑を零し、そんな彼の様子に気づかないは空を見上げる。
「自分が嫌いでたまらなかった。でも皆と会って、自分を好きになれなくても、認める部分くらいはあるんじゃないかなって思えるようになったから」

頑張って見つけてみます、と彼女は微笑を浮かべた。

「落ち込んでた時に、オジイが言ってた事だから、本当かどうかは知らないんだけど。海って青いだろ?」


突然切り出された話題に付いていけないままが頷くと、佐伯は空を指差す。

「でもオジイが言うには、海の色は空を映してるから青いんだって。
絶対とは言い切れないけど、天気が悪くなると海はにごったように見えるし、晴れた日には綺麗な青に染まるだろ。

俺の心が空で俺の見てる世界は海なら、見えてる世界の海は限りなく透明で、本当は俺の心を映しているだけ。
だから俺の空が変われば、海は色を変えてまったく違って見えるんだって。ロマンチックだと思わない?」

「オジイさんが、言ったんですか」

「ハハハ、凄く驚いてるな。ああ見えてオジイは昔モテてたらしいよ。

ここからは俺の意見だけど、越前さんの空が曇って居るのに、俺から見て越前さんの海がこんなに綺麗に見えるなら、
晴れたときは、きっと誰にも負けない位美しくなると思う」


君の隣でそんな海を見ていたいな、という佐伯の言葉に、はとても嬉しそうに微笑み返した。




【妹】




「そんなに居場所を作りたい?自分が有能だって見せつけて、仲間を作りたい?
バッカみたい。まるで小学生じゃない。

全部任せて?それって、今まで実績上げて始めて言えることでしょう?
貴方達、そんなに役立つことした?誰かに勝(まさる)何かをしたの?

いいよね、ヒロインは。
何にもしないのに愛されて、何にもしないのにみんなから信用されて、居場所を作れる」

淡々とした言葉とは裏腹に、の顔は激痛を堪えるかのようにゆがんでいて、
「大ッ嫌い。ヒロインなんて。一言で世界まるごとの幸せをもらえるんだもんね」と吐き捨てるように言った。


何か言わなきゃ、と思うのに乾いた喉が引っ付いて声が出ない。
山と海の合同会議のため選手は皆集まっていて、そんな中でも、仲睦ましげに話している千石と辻本の姿を見るは、一言で言うと痛々しかった。


期限付きじゃなくて、ホントの、姿でここに来れたら・・・ッ!
何であたしはこの世界の人間じゃないの?こんなに好きなんだよ、千石さんの事、好きなのにッ!


一文字に結ばれた唇、揺れる瞳、震える身体

そのひとつのしぐさからでも十分にの心中は伺えて、適当に理由をつけてつれて帰ろうと思った刹那、
「私とつぐみに全部任せてください」と言う辻本の言葉に、は耐え切れなくなったように口を開いた。


「おい」と赤也がかける声を遮って、「それってただの僻みでしょ」と辻本が言葉を返す。

小日向はふんわりしているが、辻本はおそらくが二人のことをあまり快く思っていないのには気づいていて、
それに輪をかけて昨日の裕次郎との出来事が跡を残しているのだろう。殺伐とした空気に、他の選手は居心地が悪そうだ。

「その強気なとこも、ちょっと天然は言ってるところも、可愛らしい容姿も」
が微笑みながら歩むが、目は笑っていない。
跡部が制するように「」と声をかけたが、彼女はそんな跡部の声も耳に入らないように、今度は小日向を見た。

「長い綺麗な髪も、その綺麗な茶色の瞳も、抑えめな所も」

「切原」と手塚が腕を掴む。
動かなきゃ、を止めなくちゃと思うのに身体はまったく言う事を聞いてくれない。

「可愛いよね。いいよね。
みんなそんなところに惚れて、そんな貴方達だから心を許しちゃう」


だってそれは、だけが抱く感情じゃない
見ない振りをしていたって、心のどこかではいつだっても抱えてきた気持ちだから――ヒロインって、ずるいと

ちゃん」と千石が呼び、足を止めたは辻本を見据えると、冷たい笑顔を浮かべる。

「ただの僻み?言おうと思えば、そうも言えるね。
けど、正確には違う。これは・・・」


これは、と言う後に続く言葉は口裏をあわせる事などなくても伝わって、
の気持ちを代弁するようにの頬に涙がこぼれると、彼女はひぅっと息を呑んだ。


こ れ は 嫉 妬 だ


ちゃん!」と言う千石の怒声に、隣に居た辻本はびくりと肩を揺らし、
バンッと机を叩いて立ち上がった彼は辻本を背中に隠すとを見据える。

「もうやめなよ。どう見てもちゃんが悪いのわかるよね?辻本さんも小日向さんも嫌がってるッ!」

その言葉は、が醜い嫉妬を抑えるようにしていた枷を外し、がしゃん、と何かが崩れるような音を残した。

ぎゅっと拳を握り締めたとは対照的に、現実に引き戻されたような顔をしたは黙り込んで俯くと、
取り繕ったような笑みを浮かべて両手を挙げる。


「ごめん。あたしが悪かった。

何か昨日眠れなくってさ!イライラしてたからあたっちゃったんだ。ごめんね!
ちょっと寝てくるから、今日は会議欠席で!では」

早足で去っていったの足音が聞こえなくなると、
無言で立ち上がったはスタスタと無表情で千石に歩み寄り、右手を振りかぶると、千石の頬をひっぱたいた。

パシン、と乾いた音が鳴って、誰かが息を呑む音が聞こえる中、は声を震わせる。

「嫉妬して、何が悪いの。
アンタが私達の何を知っててそんな事言う権利があるんだッ!

死んでもいいから会いたい位好きな人が居て、毎日気が狂うように欲して、いつか会える事だけを夢見て生きてきて・・・」


神様、これは罰でしょうか


「やっと会えたのよ、全てを捨ててもいいと思える位好きだった人に会えたのに。
期限付きだから、いつかは自分達の世界に連れ戻されるから、好きで居る事も諦めたくなるくらい辛いのッ。

そんな時、何の枷もなく自分の好きな人を好きで居られる子が現れて、
私達が必死で作り上げたものを簡単に得てるのを見てて、嫉妬しない訳が無いじゃない!

私達だっ、て」


連れて来てもらっただけでも感謝しなければならないのに、リョーマと千石を好きで居たいと願った罰なのでしょうか


「私達だって、貴方達と同じ世界に生まれてきたかったッ。結ばれなくてもいいから、普通に恋したかった!
越前さんと切原さんじゃなくて、として貴方達に出会いたかった。皆を騙してるとか思わずに、友達だと胸を張りたかったッ」

呆然とする千石を突き飛ばそうとした腕は誰かによって押さえられて、
身をよじりながら悲鳴に近い声で叫ぶは、周りに全員居る事すら頭から抜けて、ただ感情のままに言葉をつむいだ。


「好きだって言ったんでしょう。笑顔が見たいって言ったんでしょッ。あの子がどんな気持ちでそれを聞いてたか分かる!?
自分が切原さんじゃないって言わなくちゃいけない、でも言ったら嫌われるかも知れない、
笑顔だけが全てじゃないのに、千石さんが好きなのは切原さんの笑顔なんだって必死で言い聞かせて。

嫉妬や、醜いところを全部含めてでしょうが!

全てを受け入れる覚悟も無いのに、甘ったるいうわべだけの言葉を言うな。
手のひらを返すような恋なら、初めから好きだなんていわなきゃいいのよ、ぬか喜びさせないで。私の妹を泣かすなッ!


振りほどいて踵を返すと、「どこへ行く」と言う真田の声に、振り返らずに答えた――「を探すの。会議を続けててください」
彼女が居なくなってしばらくの沈黙の後、忍足は「会議を続けてくださいって言われてもなぁ」と机にひじをつく。

「気になって手に付かんっちゅーねん。せやけど、中には事情を知っとる奴も居るみたいやな」

ぽかーんと状況についていけてない表情をしている選手がほとんどだが、苦渋を浮かべている選手も居て、恐らくそれらが事情を知る選手だろう。
忍足がそう推察していると、柳が静かに口を開いた。


「いつも冗談ばかり言うくせに、肝心な本音を言わないな、あいつは」
「一見先輩の方が溜め込んでるように見えるッスけど」

の泣いた所って滅多に見ねぇしな」
「それを言うなら俺、ちゃんがあんなに怒って怒鳴った所も始めてみたよ」

「先輩の生命線はある意味ッスからね」


「という訳で精市。俺達は会議を欠席する」

立ち上がった柳、赤也、ブン太、ジローが歩き出すと、真田は「待て」とその背に声をかけて、赤也は「止めても無駄ッスよ」とひらり手を振った。
「止めはせん。俺も探そう」
予想外だったのか、赤也は「マジッスか」と目を見開いて真田を見ると、くしゃりと笑い、続いて平古場と裕次郎が立ち上がる。


「木手、スマン。わったーも行くばぁよ」
「止めても無駄ですね、勝手にしなさい」

ぞろぞろと続く退室者に菊丸は「どう言う事だよおチビ」とたずねたが、返って来ない返事に首を巡らせて見ると、瞬いた――「あれ、おチビは?」
おチビー?と声をかけて見るが、この場に姿形も見えない。

きょろきょろと菊丸があたりを見回していると、不二はふふ、と微笑んだ。

「越前なら、とっくの昔にを追ってったよ」
「ぜ、全然気が付かなかったにゃ」


そんな彼らの傍で、手塚は誰よりも苦虫を噛み潰したような顔をしている跡部と幸村に視線を向けると、ため息をつく。
己の立場をわきまえているから行けないのだろうが、先ほどから口を挟まない事から見ても、おそらく心ここにあらずで居ても居なくても大差ない。

「跡部、幸村。説明は俺が引き受けよう」と手塚が言うと、二人はようやく顔をあげた。

「だが」
「跡部さん、不本意ながら俺も手伝いますから行ってきて下さい。そんな状態でここに居られても鬱陶しいだけです」

「安心していいよ幸村。事情を説明してもガタガタ言う奴が居たら、僕が黙らせるからね
「・・・すまない。行こう跡部」

「ああ」


はじけたように走り出した二人が去っていくと、忍足は「跡部とジローが知っとんのは分かるけど、日吉も知っとったんか」と驚いた声をあげ、
日吉はムスッとした顔で言葉を返した――成り行きですよ

成り行きって、お前な・・・忍足が苦笑を零すと、手塚は改まったように口を開いた。


「俺から説明しよう」