「ぎゃーッ!むかでぇええええええ!!!!」
の悲鳴にびくぅっと肩を浮かせたは箸を持つ手を震わせながら少しだけお尻を浮かせて避難を始めた。じわじわと距離を取っていく――と。
「あ!すいません」
当然いつかは隣に座っている誰かにぶつかるもので(一番端ならイスから落ちていた所だ)、は驚いた顔でコチラを見ている白石に頭を下げる。
「なんや自分、どないしたん?」
「いえ…あの……」
「うわぁああああ!白石しらいしシライシーッ!やばいでムカデや刺されてまう!」
ひぃいいいいいいッ
声にならない悲鳴。
あっち見るの怖い、虫嫌い、虫嫌い虫嫌い――!!
「…もしかして自分、虫怖いとか?」
こくりと頷くことでもはやいっぱいいっぱい。自分の皿に目を落としたまま、息をしているのかすら分からないほど微動だしなくなったを見た白石はふ、と口角を緩めた。
「場所、変わろか?」
「いえ、ホント大丈夫です。ってか、もうここに来てる時点でわたしは奴らの巣窟にいるも同然です。こんなムカデの一匹や二匹でビビってたらやってられないですよハハハハハハハハ」
「そこ、蜘蛛いるよ」
「………・…ッ―――!!!!!????」
不二の声と同時にの手から箸が投げられた。ガシャーンと派手な音が鳴るが、あっちはムカデ騒動でそれどころではないらしい。
豆鉄砲を打たれたハトのように立ちあがったが辺りを見回すのを見て噴き出した不二は「冗談だよ」と爽やかに笑った。冗談…だと…?
「じょうだんでいっていいこと と わるいこと って ヨのナカ あるん デス よ」
「へー、はじめて知ったな。僕」
あっさりとスルー。
ちくしょうコノヤロウめ、と下唇を噛みしめていると、不二の隣に座っていた佐伯が苦笑交じりで会話に加わった。
「でも、女の子って蜘蛛嫌いな子多いよな。足が八本あるのがダメとか?」
「あ…いえ…いや、それも十分に気持ち悪いんですけど…どっちかっていうと、蜘蛛の巣が…」
「蜘蛛の巣?」
「蜘蛛の巣って、綺麗すぎて怖いんです…だから、それ作れる蜘蛛も、苦手で…」
「蜘蛛の巣が綺麗すぎる?」
「そうですよ。一匹一匹違う模様作るんですよ?すごくないですか?すごいですよね。人間だったら神業ですよ」
「やー…ってよぅ…」
あっけにとられた表情をする面々の中、裕次郎が困ったように首を右に傾ける。
「どっかがズレてるさー」
コクリと頷くメンバーには小さく眉間に皺を寄せると、コップの中のお茶をぐぃと飲み干した――「ほっといてください!」
【BIBLE】
そう実際問題ここは地獄なのだ。
トイレだってそこらへんのキャンプ場に比べたら綺麗だけれど、それでもリアリティーの追求なのか、やつらの生命力がハンパないのか気が気の場所ではないし、
ロッジだってこまめに掃除はしているつもりでも、たまに虫が出てきて心臓が急停止することがある。(もっともがうにょうにょ以外には強いのでひじょうに助かるのだが)
なんで来たのだろうと問いかければ、そりゃぁ比嘉中に釣られて来たというわけで。
は必死に現実逃避ともよべる回想思考を頭の中に巡らせながら、懐中電灯片手にわき目も振らず歩いていた。目指すは食堂。
明日の朝食の支度でぬかりがあったことを布団の中で思い出しを起こしたのだが、寝起きの悪い彼女が起きるはずもなく。
このまま忘れたふりして寝るかなーという気持ちより、結局のところ罪悪感が勝ってしまったは、一人食堂のキッチンへと向かうはめになったのだ。怖い事はさっさと終わらせよう。
「ホントはモテたいのにぃ嘘をーついてたぁ!かんーちがいしている、それじゃ、激ダサだぜぇ〜〜」
そうそう、努めて気持ちを明るく持つのだ。
木が多い所は見ない。暗い所も見ない。懐中電灯だけが当たる先を――
「ッ」
「ん?」
「ぎゃ――――ッ!!」
突如光の先に見えた腕。包帯だらけの腕が宙に浮いているという光景に体中の産毛が逆立ち、は図太い悲鳴をあげると一目散に逃げようと踵を返した。が。
「越前さん?」
聞きなれた声に踏み出した一歩をかろうじてとどまる。
おそるおそる振り返って懐中電灯の明かりを手から腕へ、さらに横へとずらしていくと、脚立に乗った白石がポカンとした顔でコチラを見ていた。
「しら…いし…君」
「何や、そんな幽霊みたみたいな顔して」
「いや、幽霊見たかと思ったんですって!何やってんですかこんな時間に!」
こんな場所で!つまみ食いですかッ、と言いたいところだが、脚立に座っている彼がつまみ食い目的のはずがなく。視線を向けたが「あ」というと、白石は苦笑した。
「蜘蛛の巣をな、とってん」
「…」
「ここの施設全域の蜘蛛の巣掃除ってわけにはいかんけどな。越前さん、ようここで作業しよるし、せめてここくらいは掃除しとったらどうやろか、思うてな」
「言ってくれればよかったのに」
「いやー、こう言うことは語らんっちゅーとこに美学があると思うねんなぁ、俺」
へらりと調子のいい笑顔を浮かべても、何と絵になる事だろう。って言うか、蜘蛛の巣掃除すら絵になるって正直すごすぎ。
は思わず笑うと、キッチンに歩み寄ろうとしたが、白石は手を伸ばすと「来ん方がええで」と制止をかけた。
「あんま近くおったら、蜘蛛落ちてくるで」
「ここで大人しくさせていただきます」
ピシャリと返したはお尻をつけて座るのは怖いので、腰を浮かしてしゃがみこむと、白石が作業しているところに向けて懐中電灯を照らす。「助かるわあ」と白石が微笑んだ。
「あの、白石君」
「何や?」
「話したい事があるんです」
「せやから、何?」
実はあれから機会を伺っていたのだけれど、なかなか白石と二人になる機会がなかったのだ。
不動峰やルドルフ、六角や山吹、氷帝、立海、比嘉などなどにもろもろの事情を話すためにあっちへこっちへと駆け回るばかりで、
ゆっくりとした時間も、二人で話す間もなかった。逆に考えれば、いましかチャンスがない気もする。
は白石に聞こえないよう深呼吸すると、口を開いた。
「前、お好み焼き屋さんで話したこと、覚えてます?」
「ああ、誰のこと想って歌ってんの?ってやつやろ?」
――えらい幸せそうに歌っとるやろ?誰の事思うて歌っとるんかなーって
「あの時、わたしが言ったこと、ホント半分嘘半分なんです」
「嘘?」
「ホントは、この世界に来て会った人たちの事、それから好きな人の事を思って歌ってたんです…それが、弟の事だったから、ホント半分嘘半分。
わたしが好きなのは…リョーマだから」
白石の手が僅かに止まった。ほんの一瞬だけ。それに気づいていたけれど、気付かないふりをしては続ける。
「ずっと諦めなくちゃいけないって思ってた。
リョーマのお姉ちゃんって立場でもいいから、この世界に来たいと願っていたのはほかでもないわたし。
なのにこっちの世界に来たら、都合良くリョーマに恋をするわけにもいかないでしょう?だから、諦めようって思ったの。だいじょうぶ、諦められるって」
あはは、と笑っているのとは対照的に、ギュッと胸は狭くなる。
「白石君たちに会った時は、最初に諦めよーって決めた後で。その後も諦めたなあ。何度も何度も…なんども」
「…」
「結局今もバカみたいに好きなんです。自分が一番あきれる位、リョーマの事が好き。
でもねあの時よりもたくさんの思い出を今わたしは持ってる。大阪での経験も…思い出したくはないけど大切な時間だし、この遭難だってそう――この世界に来られて、本当によかった。
リョーマに会えただけじゃない。
たくさんの人と触れて、話して、たくさんのことを知って学んだ。触れてはじめて人の形ってわかるんだなぁって、思えるようになった。
だから今はいろんな人に触れてみたいなって思う。まだ少し怖いから、そう上手くはいかないと思うけど、でも、気持ちはずーっと前向き!
ジロー君にいわれたの。諦めて、もう一度はじめから、越前君に恋しようって。
今度はね、もっと素直に恋がしたい。もう誤魔化したり、何も聞かなかったことにしたり、そういうのしたくない。だから、ちゃんと白石君に伝えておかなくちゃ、と思ったの」
――お好み焼きをロマンに結びつける女の子なんて早々おらんしな、見てて飽きんのもあるけど、傍に置いときたいなぁとも思うし
「ありがとう」
「…越前さんって、卑怯やんなあ」
「ん?」
「ボケ殺しやわ、ホンマ。ボケは深くツッコんだらあかんのやで?追及せんのが鉄則――でもま、ボケたわけやないから、しゃあないわな」
声をあげて笑う白石が不意に真顔に戻る。
「しっとったで、越前さんが越前君の事好きなの」
「へ?」
「注意してない人間にはわからへんかもしれんけどな、越前さんのこと見よる人間には面白いほどよーわかんねん。越前さんが越前君見よるの」
「…そ、そうなんだ……」
「あーあ。こうも素直に暴露されたら、俺が越前さんって呼び続ける意味もなくなるってもんやで。ボケ殺しや、ホンマ。これからは名前で呼ばなあかんなあ、ちゃんと。
せやから」
そこからしばしの間、白石の言葉は続かず、沈黙が辺りを包んだ。
「歌、歌ってくれへん?掃除が終わるまで、チャンの歌聞きたいわ」
「歌…?」
「越前君の事想って構わんから、少しだけ俺の事も想って歌ってや。大阪での出来事、この遭難、なんもかんも含めて歌う今最新のチャンの歌、俺に一番に聞かせて欲しいんや」
「…うん」
脚立の上で彼がどんな顔をしているのか、懐中電灯を手元に当てているにはわからなかったけど、
それでも作業を進める手が少しだけ遅れた彼に合わせてゆっくりとは歌を歌い始めた。
――ちょい待てェエ!勝手に返事をするなッ!そして人の話しを聞けッ!
ああもう、そんなに私をハゲさせたいか…ッ!」
――同じお好み焼き一枚でも、せっかく美味いもん食うなら自分がいっちゃん好きな食べ方で食べんとお好み焼きに失礼やろ
――お好み焼きロマンですね
――まだハゲてないで。よかったな
――「ギャァアアアアアアア!!!!」
伴奏ないから、リズムもぐちゃぐちゃだったけれど、
一生懸命歌った後に、白石が「なかなかいい歌やなあ」なんて言って笑うから、も思わず笑顔を返してしまう――「これ、白石君の歌なんですよ」
のらりくらりと月が沈んでいく中、影になっていて表情は伺えなかったけれども。
白石が誰より、綺麗に微笑んだ気がした。
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