「あの、ま…!」
夕食後。
今日こそは、と決意を決めて夕食を流し込むように食べたは、目的の人が席を立つ気配がすると、慌てて顔を持ち上げた――が、しかし。
「なんだ?」
「あ…いや、真田君じゃなくて…幸村君を…」
黙々と夕食を食べていた真田と、談笑していた柳、乾の間の席はすでに煙を巻いたように空席になっていて、は小さくため息をつくと、再び椅子に腰かける。また逃げられてしまった。
そう。ここのところ、幸村に避けられている。
みんなでわいわいがやがやしている時は普通なのだが――あ、いや、妙にテンションが高すぎるような気もする――が呼びとめようとした瞬間、まるで先読みするかのように幸村は消えていて、
最初のうちは自分の思いすごしだろうと思っていたもさすがに四日目に突入するとそれが杞憂ではないことに気がついた。絶対に避けられてる。
とはいえ、避けられている理由が思い浮かばないほど鈍感なつもりもない。
幸村がを避けだしたのは、小日向たちとモメた日からだ。が千石に向かって啖呵を切った日。
――それでも好き。一緒にいたい
本当は、ただそれだけの事なんだよね
そしてがリョーマへの気持ちを素直に見つめようと決めた日。
覇気をなくしたようにズルズルと味噌汁をすするを横目で見た柳はちらりと真田に視線を送って、
それに気付いた真田は首を横に振ると、柳と二人揃って肩をすくめた――こればかりはどうしようもない、が…
【後ろにも目を】
こうして水面下ではじまったと幸村の追いかけっこは、ほとんどの人間が知らない間に激戦と化していた。
夕食後終わってロッジを尋ねてもいない。待てども待てども消灯時間になっても帰ってこない。
これは、と思い立海メンバーのロッジを当たってみると、赤也はポカンとした顔で「部長ならロッジじゃないんスか?」なんていう始末。当然ロッジにはいないので、はとぼとぼと帰る毎日だ。
こうなったら一個一個のロッジをしらみつぶしに探してみようかしら、とも思うけれど、おおっぴらにするのもどうかと思うので、仕方なしには自分が探せる範囲の捜索を繰り返すばかり。
今日もまたしかり、で、片付け終わった後は小日向と辻本と別れて(は別の用事で借り出されていた)幸村を探しにあっちへふらふら、こっちへふらふらとあてもなくさまよい続けている。
「…ここにもいない、か…なんでこんなに見つからないんだろう?」
誰かのロッジにいるとしか考えられない。それか本当にの考えが先読みできるか…
電話をしても、出ないのは初日で確認済み。
メールで済ませていいような用件でもない。
しっかり自分の口から伝えたいんだ。
「えぇいしょげるな!頑張れ!ちゃんと話すって決めたでしょうッ」
パチンと気合を入れて叩いた頬がヒリヒリと痛み、は喝を入れた後赤くなった頬をさすると、再び捜索をはじめる。しばらく歩いていたは前方に柳が見えると、おーい、と手を振った。
「柳君、お疲れ」
「ああ」
どうやら月を見ていたらしい柳はに視線を向けると、薄い唇に弧を描く。
白い肌は本当に夜に映えていて、思わず柳に見惚れてしまいそうだな、とがやんわり頬笑み返すと、柳は「精市は見つからないのか?」と尋ねて来た。
「あ…うん……」
ことこの件では立海メンバーにも迷惑をかけている気がしてならない。
異様にテンションが高い幸村は練習中にも勢いで無理難題を課すらしく、「いい加減にしてほしいもんじゃのぉ」と仁王に苦言されたばかりだ。
それを思い出したは「ゴメンね」と頭を下げる。
「でも、どうしても幸村君と話がしたいの。幸村君が聞きたくないのは分かってるけど…ちゃんと、伝えなくちゃいけないことだから」
柳は何も言わない。
しばらくまっすぐと見据えられたあと、彼はようやく口を開いた――「随分と前向きになったな」――と。
「そうかな?」
「ああ、最初にあったころとは見違えている」
「みんなのおかげだよ」
「……越前ではなくてか?」
「もちろんリョーマのおかげでもあるけど、幸村君に跡部君、ゆうちゃんに佐伯君。観月君。柳君に真田君に…言いだしたらきりがないくらい、みーんなのおかげ」
雰囲気だけでも伝わればいいと、身振りで両手を広げて「みんな」を表すと、柳はふ、と声を出して笑った。
「そうか」
「うん」
「だが、たまには後ろを見ることも必要だと思うぞ」
「へ?」
「前ばかり見ていると、案外見つからないこともある。後ろを見てはじめてわかるものもある」
パチパチと瞬き。
「後ろ」と呟くと、「ああ」と淡白な返事が返ってきて、つられるように後ろを振り返ったは「あ」と声をあげた。正確にいうと、二つの「あ」という声が重なった。
薄闇の中にふわふわとした髪が見える。はギョッと目を剥いた。
「幸村君!」
驚いた途端、幸村が踵を返して走り出す。
慌てて地面を蹴りあげたが追いかけて駆け出すが、スピードが尋常じゃない。どんどん距離が開いて行って、は「待って!」と声をあげるが、届いているのかもわからない。
それでも声を張り上げた。
「幸村君!待ってッ」
息が途切れる。無意識のうちに伸ばした手が宙を掴んで、は唇を噛みしめると、足に鞭を打つつもりでスピードをあげた。待って、待って、待って。
「ま…!」
その瞬間、幸村が止まった。
何が起こったのかはよくわからないが、夜闇のなかで彼の影が動かなくなったことだけはわかって、が距離をつめると、影が二つに増えている――二つ?
首を傾げたの瞳に映ったのは、幸村を羽交い絞めにしている真田の姿。彼は「幸村!」と怒声をあげると、「いい加減にせんかッ」と言葉を続けた。その迫力には思わず立ち止まる。
昼間とは違い冷え込む夜に、さらに空気が凍ったように感じた。
「きみに、何が分かるんだ真田?」
絞り出したような幸村の声が聞こえたと思った途端、力任せに真田を振りほどいた彼は、昼間のはしゃぐ姿とは一変した表情で真田を見つめている。背筋が泡立つほどの繊細な表情だった。
「お前に何が分かるっていうんだっ」
絞り出すような声が引き金を引いたかのように、真田が幸村の頬を引っぱたき、は息をのんだ。
「わからん。が、お前が逃げていることは分かる」
「うるさいうるさいうるさい!」
「越前に負けたくないのだろう。なら、逃げずに立ち向かうのが筋じゃないのか」
「逃げなければ勝てるのかい?これはテニスの試合じゃないんだ――!」
「なら、逃げれば勝てるのか!?」
真田の言葉に幸村が瞳を見開いた。大きな瞳が揺れる。
「逃げても勝てん、逃げなくても勝てん、なら逃げるな幸村!テニスの試合ではなくとも、これはお前の試合だろうッ」
金剛力士像も真っ青な迫力には情けなくも身がすくんだが、勇気を出して一歩踏み出すと、二歩、三歩と幸村と真田に歩み寄っていく。
伸ばした手は今度は宙を泳がずに、真田の手首をつかんだ。
「ありがとう、真田君。あとはわたしがいうから」
しかめっ面のままを一瞥した真田は「ああ」と低く返事をすると、腕を解いて踵を返す。彼の靴が砂をかむ音が聞こえなくなるまで、時間が止まったように幸村とは動かない。
「ねえ、幸村君」
「…」
「あのね、幸村君の言うとおりだったの」
「……」
「諦めようとしても、諦められなかった」
――好きで“居る”んじゃない、好きで“居てしまう”んだ。
諦められる恋なんて所詮そこまでのものだろう。
本当の恋は諦めようと思ったって諦められない
それは、君自身が一番よく分かってるんじゃないか?
「だから、もう一度ちゃんと伝えます。好きになってくれてありがとう、わたしを必要としてくれてありがとう…」
わたしは、
と言いかけた言葉に躊躇した。
これを伝えれば傷つけるのは分かっている。でも、伝えなくても幸村を傷つけている。
――逃げても勝てん、逃げなくても勝てん、なら逃げるな幸村!テニスの試合ではなくとも、これはお前の試合だろうッ
なら、ちゃんと伝えなくちゃ
「わたしは、リョーマが好きです」
伸ばしかけた手を引っ込める。反対側の手で押さえて胸元に抑えつけたは瞳を伏せた。そのまま何分そうしていたのかわからない。やっとのこと聞こえたのは「分かった」という言葉だけだった。
背中を向けた幸村が歩き出す。
その足音をただ黙って聞いて、は頭を下げた。
「ありがとう」という気持ちを込めて。
ロッジへ戻る道すがら、浮かない表情でトボトボと歩いていたに「あ」という声が聞こえた。駆け寄る音に顔をあげると、そこには小日向がいて。彼女は「あの」というと、視線を泳がせる。
「…その」
「何?」
「ちょっと一緒に来て欲しいんですけど…」
「へ?」
間抜けな声をあげたが立ち往生していると、小日向は痺れを切らしたようにの腕を引っ張った――「わわ」――前につんのめりながらも歩き出したは「何事!?」と目を回す。
「さっき、声をかけられたんです」
「声?」
「今日のミーティングの話し覚えてますか?」
ミーティング?
ことごとく疑問で返していると、小日向は「洋館の話しです」と噛み砕いた。洋館…遠い目で記憶をたどってみるが、まったくもって覚えていない。
それもそのはず、は幸村の動向ばかりを気にしていて、ミーティングの話しなど右から左に流れて言っていたようなものだ。しかし洋館という単語には聞きおぼえがある。
あれだ、
あのイベントだ
ホラーチックなイベントだ
は「もしかして小日向さんいくの?」と尋ねると、彼女は困ったようにひとつ頷き、はかかとに体重をかけると「無理!」と首を大きく横に振った。
あのイベントの全貌は分かっている。裏でスミレちゃんが糸引いてるのも知ってる。でもそれでも怖いものは怖い!――ひぃ、と悲鳴をあげたに小日向は首を巡らせた。
「越前君がいるんです」
「え…」
「だから、来てください」
有無をいわせぬ強い瞳に射抜かれて、は固唾をのむ。
「私、すごく頭にきてるんです。ヒロインとか、そんなの知らない。だって、ズルいのは先輩じゃないですか。
先輩たちは、はじめからみなさんとお知り合いで。みなさんからすごく大事にされてて…それなのにヒロインなんて嫌いって言われて…一言で幸せなんて貰えない。
越前君が好きなのは、最初から先輩だもの」
ぎゅ、と強く手を握られる。
は何一つ返す言葉がないまま立ち尽くしていると、小日向は「でも」と顔をあげた。
「先輩を見てて思ったんです、幸せになりたいなって。
一生懸命前を向こうとしている先輩みると、不思議と応援したくなっちゃうんです。
私も幸せになりたいなーって、だから、幸せになります。それは越前君とじゃないけど…別の誰かと、先輩に負けないくらい幸せに。だから来てください。ちゃんと越前君に伝えてください。
じゃないと私、怒ります」
口を一文字に結んだ小日向。
は小さく頷いた。
「私も先輩のこと嫌いです」
小日向の言葉にはもう一つ頷いて、それでも握った腕を話さないまま、二人はゆっくりと歩き出した。
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隣の芝はいつも青いという話。
イメージはいわずもがなゆっきーの「後ろにも目を」あと、ハルヒの「止マレ!」です
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