とはいえ。

寂れた洋館を前には言葉をなくした――どうしよう、心臓が痛い…。
ちらりと隣を見ると、同じように顔を青くした小日向がたっていて、その恐怖はどうにも他人事だと思えない。いっそのこと二人で逃避行でもしないかベイベー、と言いたいところだがそうもいかず。


――だから来てください。ちゃんと越前君に伝えてください


うっし、と気合を入れたが辺りを見ると誰もいない。驚くと、少し離れた所で赤也がドアを開けるのが見えた――まだ、まだ心の準備ができてないよ――ッ!
ワタワタと慌てていると、「何してンの?」という声が聞こえて、視線を向けると相変わらず不機嫌そうなリョーマ。は「嫌…」というと、口ごもる。



「えーっと、その…あのね、リョーマ」
「せんぱーい!先行きますよ――ッ!」


赤也…
本当にその空気が読めない所が萌えだね、うん、いや、マジで…。



が一歩を踏み出すのに多大な躊躇をみせていると、リョーマは呆れたため息を吐いて、ぐぃっと腕を引っ張った。は「うぉ!?」と乙女らしかぬ悲鳴をあげる。
「リョ…」
「言ったでしょ。トロトロしてたら腕引っ張ってでも連れてくって」

「え!?それ今の話しなの!?ってかちょ、待…ッ、ニ゛ャアアアァアアアァアアアアア――ッ!!




【恐怖、洋館イベント】





ズルズルと引きづられながら断末魔をあげるの声が洋館の中に消えていき、バタンと扉が閉まった先で、は恐怖におののいた。

(何なのこの洋館!ゲームで見てたよりずっと雰囲気あるんですけどッ!?)


埃かぶった床に、キィキィと錆びた音をたてて揺れるシャンデリア。所どころ湿気て割れた床の板の下から今に手が出てきて手招きしても不思議じゃない(想像力豊か)。
「…面白そうですね」
ニヤリと笑う日吉の言葉にはいやいやいやと激しく首を横に振った。これのどこが!?


「まずは…奥に行ってみましょうか」

どんよりとした暗い部屋の中にいるにも関わらず、なぜか光る柳生の眼鏡。
無表情の伊武が先頭を歩いて、その後ろに小日向。ぞろぞろと連れ立って闇の落ちた廊下を進んでいくと、大きな扉を開いた。


「応接間?」

「…何か聞こえる」
リョーマの言葉には「ひぃ」と悲鳴をあげる。

先を知ってるとか知ってないとかそういう問題じゃない。怖いもんは怖い――「あ」――という伊武の言葉の続きを聞いたは、一気に頭の中が真っ白になるのを感じた。

「あそこの肖像画、目が…動いた」


もうダメだ。
ここから先の展開が一切合切頭の中から吹き飛んでいく。

?」
「な、何…?」

「テーブル行くから、少し動いて」

気がついたら全体重をかけて直立立ちしていたようだ。行くの?という問いを表情で示したものの、問答無用で引っ張られる。ですよね。
歩み寄ったリョーマはテーブルに人差し指を走らせると、指の腹を見て、メンバーに視線を戻した。
「多分…つい最近まで、誰かがここにいた」


「別の部屋を調べてみるか」

(いやいやいやいやもう帰ろうよ――ッ)

もーダメだ!ここは小日向と一緒に一時避難を試みよう!瞬時に小日向に向かって口を開きかけたはきょとんと瞬いた――「あれ?小日向さんは?」
「…伊武君もいませんね」


「こ、小日向さん!?」

素っ頓狂な声をあげる
ここで小日向がいなくなるなんて、そんなバカな!

が勢いに任せて走り出そうとすると、リョーマは力いっぱい腕を握っては前につんのめる。

「隠れて驚かすつもりじゃないだろうな?」
「んなキャラじゃねえだろ、伊武は」

赤也はピリ、と緊張の糸を張った。他のメンバーもしかり。が動揺しているはたでリョーマが左右に視線を走らせる中、柳生はつとめて冷静な声をあげた。
「…二人でどこかを調べにいったのかもしれません。手分けして探しましょう。切原君と日吉君、わたしと海堂君」

ちらりと柳生が視線を送ると、リョーマはコクリと頷く。

「では、越前君はさんを」


「行くよ」
リョーマに引かれるままに歩いている間、は必死に落ち着こうと努力をした。小日向と伊武は無事だ。スミレと一緒にいる。ここはスミレたちが潜伏してる所で、こんな仕掛けがあるのは…


バタン、と扉が閉まる音。
我に返ったが見ると、そこは書斎で、気がついた時には遅い。鍵が閉まる音。ハト時計が鳴った瞬間、は声にならない悲鳴をあげた。

「――ッ!」

落ち着こう、冷静になろうと思う気持ちが返ってパニックを引き起こす。ゲームなんて、体験のうちに入らない。この恐怖はここにいる人間にしか分からない!
ボロボロと涙が零れていくのを感じたはしゃくりあげた――リョーマが消えたらどうしよう?




ど う し よ う




「…」




嫌だ

いやだ





!」
「……え?」

「大丈夫。俺がいるから」


リョーマの言葉が、ぽっかりと口を開けた心の中にストンと落ちる。
は呆然とリョーマを見たのち、ハッと己を取り戻して頷いた。だいじょうぶ、大丈夫。リョーマは消えたりしない。

腕を離れたリョーマの手は、自然との手に触れて、しっかりと握ると体温が触れる。


――勘違いすんな。元の世界に戻るお前達も辛いだろうが、残される側だって辛いんだ


跡部の言った意味を身をもって理解した。
消える側だけじゃない、残される方だって不安だ。大丈夫だと安心しても、寂しさが不安を呼ぶ。

骸骨が飛んでも、なぜかもう怖くない。そうか、リョーマが一緒だからだ。

「ドア、今音がした」
手を伸ばしたリョーマがノブをまわすと、不思議なくらいすんなりとドアが開いて、とリョーマが連れたって廊下を歩いていると、向こうから柳生と海堂が歩いてきた。

「そちらはどうでしたか?」
「いなかった」

「そうですか、わたしたちの方もいなかったのですが…」
「切原と日吉がいない」

「…」
「部屋には鍵がかかってて、外から呼んだが返事がなかった」

「俺たちのほうも、鍵がかかった…開いたけど」

言わなきゃ。
どうせこのイベントが終わったら今回の合宿のからくりはバレるんだもの。今言ったところでたいした差しさわりもない。

ごめんね跡部、先生たち

でも、みんなの不安な気持ちはいたいほど分かるから、だから――


「何かからくりがあるとしか…「あの!」」

勇気を出して踏み出したは、抜けた穴に足を取られよろめいた。「わ!」と思わず壁に手をついた途端、身体が傾く――「え?」


!?」
「リョーマ…!手、離してっ」

が離した手をリョーマは離さない。このままじゃ巻き込まれる、は声を荒げたが、リョーマはを握ったまま、事もあろうこと一緒に落ちた。
対応が浮かぶ間もなくぐるんぐるんと視界が回る。
やがてドシンと尻もちをついて地を感じたが首を巡らせると、真っ暗ななか見えた影に悲鳴に近い声をあげた。

「リョーマ!?」
?」
「大丈夫!?もー、何でついてきたのさッ」

「そっちこそ、何で手離せとかいうわけ?」

「だって一緒に巻き込まれちゃうじゃん!」
「だから何?」

「だから――!」

「こんなこと、別に大した事じゃないでしょ?だけいなくなることのほうが、よっぽど大した事なんだけど」


ぐ、と言葉に詰まる。
沈黙が尾を引いて、くにゃりと強気が折れたが「りょーま」と口を開こうとした時、ずず、と何かを引きずる音が聞こえ、とリョーマはそろって首を巡らせた。

「今の音…」

ドドドドドと心臓が高鳴り、は唇を噛みしめる。スミレちゃんだ。でも頭ではスミレだと分かっていても、怖いもんは怖い。会えば絶対ビビるにきまってる――逃げるが勝ちだ。

「リョーマ、逃げよう」
「え?」

「ここにいたらダメ。とにかく一緒に逃げるの!」

立ちあがったがリョーマの手を引く。釣られて立ちあがったリョーマが半ば引っ張られる感じで走りだすと、二人は廊下を駆け抜けた。早く、早く。しかし。


「…ゾンビって…ゲームかよ」
廊下の先にいる数体のゾンビ。
振り返ればスミレちゃん扮したゾンビがいる。悪ふざけが過ぎるよ、と対面したゾンビのリアルさに肝は冷えるばかりで、が息を殺していると、リョーマが名前を呼んだ。



「何?」






だけ逃げろ、なんて言ってやんないから」







振り返ると、ニヤリと笑ったリョーマの顔。
あーもう、こんな時でもカッコイイなんて反則でしょ、とはへらりと頬が緩むのを感じる。冷静さと落ちつきが戻ってきた。

「大丈夫だよ、これスミ――うわ!?」

ぐい、と引っ張られた腕。リョーマと繋いでいるほうの手じゃないことに弾けるように振り返ったは視界いっぱいにゾンビの顔が見えて悲鳴をあげた。
(俺たち無視してイチャこいてんじゃね――!)
という無言の圧力が身体中に圧し掛からんほどの勢いだ。


「ちょ、ま…!ぎゃッ」

ばし、と空気を切る音。引っ張られる力を感じなくなったの手にはゾンビの手なんてなくて、見れば木材を握りしめたリョーマが立っている。その後ろには――ゾンビ。


もはやこれがスミレだ、という意識なんてものはなかった。ゾンビ、リョーマが危ない。その二点だけ。
再び襲いかかって来たゾンビに裏手の拳を打ちこんだは、クラウチングスタートよろしくしゃがみこんで地面を蹴ると、走りこむ。

「リョーマに……!」


再び蹴りあげる地面。
思い切り足をしならせたは見るも鮮やかな真空回し蹴りを決めた――「手ェ出すなァアアアァァアアアァアアアアアアァ!!!!!!!!」


ドカンと吹っ飛ぶ音とともに着地をし、その覇気にゾンビ扮するメンバーがおそるおそると後退するなか、はようやく思いだしたように「あ」と声をあげた。さーっと青ざめていく。

「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか竜崎先生!!!!」


駆け寄ったゾンビのお面をはがすと、ぐるぐると目を回しているスミレの顔。取り乱したが「ぎゃあ!」と悲鳴をあげる姿を見たリョーマは怪訝な顔をすると、「ばあさん?」と小さく首を傾げた。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!リョーマが危ないと思ったらつい…!」

「ついで蹴ったのか!?」

「だからそういってんじゃん!」


日吉の声に反論したの姿をみて、そちらを見たリョーマが人差し指を向けた――「切原さん、日吉さん、伊武さんに…小日向さん?」
見れば小さなゾンビも。
あーそうか、奥の方にいたのと混乱で小さなゾンビがいたことも見失っていたらしい。よかった小日向さんに裏手決めなくて、とが胸をなでおろすと、リョーマはを見た。

、知ってたの?」


「…」
「……」

顔をあげると、無表情のリョーマと目があう。
知ってたんだよ、知ってたけどいおうと思ったんだよ!?そしたら壁がぐるんと回ったんだよ! と、いういいわけは聞き入れて貰えそうにない。

が言葉に困っていると、腕の中のスミレが「ううん」と唸り声をあげた。

「だ、大丈夫ですか竜崎先生!?」

「…ま、まったく。強烈な蹴りをくれおって…」
「すいませ…!リョーマが危ないと思った瞬間身体が勝手に動いちゃったんです!悪気はなかったんです!赤也君もゴメン!」

声と背丈から察するに、床に倒れているのが赤也だろう。があっさりと謝ると、赤也が「うう」とうめき声を上げる――今度なんかおごるから許して!



「だいたい、なんでアンタがいるんだい?」
「いや…その……成り行きで…」

思わず視線を泳がせる。
スミレたちには協力者、という形で通っていて、たちの立ち位置のことは当然何一つ知らされていない。事実、跡部にもここの話は一切聞いていなかったのだ。が、知っていた。
しかしそんなことを知らないスミレはひょこひょことついてきたに疑問を抱いたのだろう。まあ、当然だ。


「…切原、悪ふざけがすぎたな」
「うん。多分切原君が悪い…」
「まー、言いたいことはみんな同じだったけどね。あれが俺でもさん襲ったと思うよ。まったく、この暑い気ぐるみ来てる人の身も知らないでイチャイチャされるほうの身にもなってほしいよね…」

「っていうか、さん知ってた癖にあんなにビビってたんですか?」

日吉の言葉に伊武と小日向がそろって頷き、はう、と言葉を濁した。


「思ってたよりずっと雰囲気があって…そしたら小日向さんいなくなっちゃうし…っていうか何で小日向さんいなくなったの!?最後までいるはずなのに!予想外でーす!ってやつだよ!?」
「伊武君と一緒に捕まっちゃって」

「もー小日向さんいなくなってパニックになるし!マジで怖いし!リアルすぎるしッ
リョーマかっこいいし!かっこいいし!かっこいいし…!」

「結果的に、それ全体で何割占めてるんですか?」
「八割!」
「おおッ!?」

「っていうかそれだけパニくって、結果二割かよ!どんだけだ越前ッ」

赤也が起きた。ツッコミとともに起きて来た。
は「ゴメンよ赤也君…」と頭を垂れると、スミレに向かってもう一度頭を下げた。


「本当にすいません、先生」
「いや、こっちも悪ふざけが過ぎたねえ。知ってるくせに、アンタが怖がってるもんだからつい…」

「先生までついですか!?」
「つい」

はははと笑うスミレの姿には身体の力が抜けるのを感じる。よかった、よかった(けがさしたのはわたしだけど)みんな無事でホントによかった。
涙が零れる。
あーもう、せっかくリョーマと雰囲気よかったのに、これじゃあ逆戻りだよ…

ほろほろと泣きだしたがしゃくりあげると、スミレはぎょっと目を見開き、「どっかけがでもしたのかい!?」と声を裏返した。
「いや、けがしたのは先生です…あと赤也君…」

「越前、おい…!」
赤也の声に振り返ると、リョーマが立っていて、見下ろされたは視線を落とす。

「けが、ないんだ」
「…うん」

「よかった」

ほ、と息をついたリョーマにはぽかんと口を開いたまま、「怒ってないの?」と尋ねた。「別に」と単直に言葉が返って来る。

が芝居であんなに怖がってたわけないし。怖かったのはホントだろ。だから、心配してんの」
「リョーマが…心配……」

「あんな無茶しないでよね」
「りょーま…」


胸がジーンと熱くなる。


「あー、またはじまったよ」
「所構わずスイッチ入んな、この二人」

花でも見えそうなと、周りなんかどうでもいいリョーマ。
ほわほわとした花が飛び交ってはぶつかるのを鬱陶しそうに払うメンバーの心の中は一様だった――もー帰りたい。その願いももうすぐ叶うのだ。合宿終了まで、残りわずか。