前金はありがたくもしっかりと受け取った。
これで生活に必要なものは買えるし、武器だって買える!
後はあてがわれたマンションかアパートでゆっくりしよう、オベロン社なくらいだから、億ションくらいなんじゃね!?(マンションとアパートがあるのかは謎だったが)

と思ってたは、屋敷の奥にある一室に案内された瞬間、全身の血の気が引いた。

「あ…あの……」
「なんだ」

案内してくれるのは、仏頂面のリオン坊ちゃん。
ヒューゴのいうことに異議を唱えたい満々の表情をしていたが、どうやらヒューゴの方が聞く耳を――聞こうとする耳をまったく持っていなかったようだ。
あれよあれよと言う間にリオンが上司で――しばらくは面倒を見てやるといい、という事になり(リオンが苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。あからさまな…)、
屋敷の案内を命じられたのだ。

それはいいものの


はおそるおそる、感じた疑問を言葉に出す。


「まさか…わたし、ここに住むんですか?」
「それで了承したんだろう」

「してないですよ!わたしはてっきり億ション…じゃなかった、マンションとかアパートとかに住居を構えて通勤かと…!」

いけね、うっかり欲にまみれた発言が出ちゃったぜ

「…もう遅い。ヒューゴ様がお決めになった事だ。今日からここが貴様の部屋だ。さっさと入れ」

後ろから蹴り飛ばされる勢いである。
部屋に入ると、どうやら客室の中の一室だったらしく、最低限の必要なものは揃えられていた。家具などなど、おかげで買わなければいけないものは随分と減ったが…。

(ただでさえ毎日顔会わせるのに…住む所も一緒って正直どうよ?)

あからさまなお前嫌いオーラは、本人が気づいているのか気付いていないのか知らないが、こっちの胃をキリキリと痛めつけるのである。

「明日は一日かけて必要なものを集めろと、ヒューゴ様はおっしゃっていた。好きにしろ」

そう投げ捨てて、ぷいと部屋を出て行く。
慌てて後をついていくと、絶対に入ってはいけないらしいヒューゴの書斎(まあ、やましい事ばかりだから当然だな)や、中庭など、
一通り適度に…もとい、適当に案内され、最後に食堂に案内された。

「ここが食堂だ」
「…はあ」

「あら、あなたが新しい方?」

後ろから、ふわりとした声が聞こえる。
首を巡らせれば、美しく可憐なメイド様がそこに立っていて、はあの服が喜びそうだな、とふりふりヒラヒラのスカートを先に見て、視線を持ち上げた。

「わたし、ここのメイドのマリアンよ。食事や掃除の事はわたしに言ってね」
「あ、はい…」

「可愛らしい方ね。腕が立つなんて思えないわ」

にっこりと花が咲くように微笑まれる。
いやいや、マリアンさんに言われたって嫌味としか思えませんから!とが全力で首を横に振ると、隣でリオンが鼻で笑った。

そんなリオンを横目で睨み、は「あの」とマリアンに声をかける。


「なにかしら?」
「たまに…キッチンとか貸して貰っていいですか?材料は自分で買いますし、ちゃんと後片付けもしますんで…」

「あら、どうして?」
「料理作るの好きなんです。だから、お夜食欲しい時とか、キッチンお借りしていいですか?」

「料理が好きなの!まあまあ!ええ、構わないわ。わたしの方から料理長に行って置くから、使う時は一声かけて、好きなように使って」

「ありがとう、ございます」


その時、ふと心の中が一息ついた気がした。
思えばこの屋敷に来てから気を張ってばかりで、息が詰まりそうだった自分に気づく。
「料理」という単語が少し落ち着きを取り戻させてくれて、はここにきてはじめて、力が抜けたように笑う事が出来た。

それを見たマリアンは、あら、といわんばかりに目を見開いて、リオンを促す。

「リオン坊ちゃま、後はわたしが彼女を案内しますから、お仕事に戻られてください」
「…だが」

こんな奴、マリアンの手を煩わせるまでもない
そう言いたげなリオンの表情に、彼女が優しく「リオン坊ちゃま」と諭すようにいうと、彼は渋々といった態で食堂を去っていった。鶴の一声ならぬ、マリアンの一声である。


取り残されたはどうしていいのか分からずに立ち往生していると、リオンから目を話した彼女が「さあ、お部屋に行きましょうか」とスカートを翻して踵を返した。


「え…」
「疲れているんでしょう?お部屋で休むといいわ――慣れないうちは、あまり休む事もできないかもしれないけど」

そこまで聞いて、はようやく彼女が気を使ってくれている事に気がついた。
朴念仁なリオンが気付かなかった事を、いち早く気がついた彼女はさすがメイドということか。

「ありがとうございます」とが言うと、いいのよ、と彼女は鈴がなるように微笑む。肩の上で、絹のような髪がサラサラと揺れた。


「わたしはメイドですもの。気を使わずに、何でも言ってちょうだいね」


なるほど
これはリオンも惚れるな。普通。

こんなメイドがいたら世の男どもは確実にダメになっちまうぜ!と思う間に部屋へと再び案内され、
「目が覚めたら夕食を御出しするから、ゆっくり休んでね」と言う彼女の言葉に安心するままに、部屋に残されたはそのままベッドにダイブし――

目が覚めるまで、気絶したように爆睡したのだった。
(思い切り休む事が出来た人)



【A thread of bluff】



虫の音が響く真夜中。
カツカツと音をたてつつ屋敷の廊下を歩いていたリオンはひどく不機嫌だった。

理由は当然、あの女である。

自分の剣を受け、しかも反撃までしたうえに、昌術は詠唱なしでぶっ放して見せ――まず気に入らなかったのは、アイスニードルをリオンの足元にむけて放った事である。
こちらは本気で命を取るつもりだった。なのに、向こうはそうじゃないなんて、バカにしているにもほどがある。

そんな女が自分の部下になった事も気に入らなければ、マリアンに優しくされていたのも気に入らない。

むしろ、それが一番気に入らない。

この行き場のない怒りをどうしていいのか分からないまま、イライラと廊下を突き進んでいると、腰元から、『坊ちゃん』というシャルティエの声が聞こえた。


「…なんだ」
『あれ…』

シャルティエが静かに声をあげる。
あれ?あれじゃ分からないだろう、とリオンが八つ当たり上等、キツめにいうと、慣れっこのシャルティエは噛み砕いたようにもう一度声を上げた。

『中庭の…木の所』


彼の声に釣られるように視線を向けると、木の近くをフラフラと歩いている――今一番リオンの気を逆立てする人物がいた。
シャル、わざわざ嫌なもの見せるな
リオンがそう口を開こうとした時、木の幹に手をついた彼女はへなへなと力が抜けたようにしゃがみこんだ。

「…」

そのまま目の前に両手を持ってくると、震える手をしばしの間見つめて、張りつめた糸が切れたように両手で目を覆う。


「――ッ」


は、と息を吐く音が聞こえた気がした。
「ありえない…」

彼女のわずかな声が、なぜか耳を突く。廊下の窓は開け放たれているが、何故ここまで彼女の声が聞こえてくるのかはリオンにも分からなかった。
平たく言うと、リオンが全意識を彼女に向けているからなのだが、そのことに彼は気がつかない。

ただ、悲痛なまでの彼女の声が耳に痛かった。

「あれが…剣の感触…」

両目に当てた手をもう一度見ると、否応なしに震えているのが分かった。まるでリオンと剣を交えている音が聞こえているかのように、今度は耳を塞いでうずくまる。


「こりゃ、慣れるまでまだ時間かかりそーだわ…」

ウー、と低い唸り声をあげて、空を仰ぐ。
今にも泣きそうで泣かない瞳は真っすぐと宙を射抜いて、はパシンと頬を叩くと、決意を込めたようにグッと下唇を噛みしめた。

「頑張るよ…!」


、と呼ばれた名前は彼女の親族が何かだろうか。
はスク、と立ち上がると、木の幹に手をついて身体を支えた。どうやら真っすぐ立つのが厳しいようで、彼女は二回、三回と深呼吸をする。


「よし!ご飯を食べに行こう!
いやー、何があってもご飯が美味しいのはもはや才能だね!よ、ちゃん天才的〜」


リオンの目から見ても、全然平気そうじゃない彼女は、右に左にとよたよたしながら中庭の闇の方へと消えていって、
言葉が出ない彼の腰元で、シャルティエは感心したような声を上げた。

『出稼ぎも大変ですねー、坊ちゃん』
「…」

『でも、まるで剣握った事ないみたいな言い草でしたね。変だなー』
「……」

『坊ちゃん?』

伺うような声が聞こえる。
リオンはハッと我に返ったように目を見開くと、気分を害したように眉根を寄せて、踵を返した。


「…デカイ独り言だ…」

『迷惑ですか?』
「……ああ……」

『ふーん』

なんだかシャルティエの声音が気に入らない。どっか倉庫にでもブチ込んでやるか、とリオンが思う傍らで、
シャルティエは何かを考えるように間を開けると、もう一度『ふーん』と声を上げた――変な子が来たものだ。まったくもって。