「あ、暑い・・・この暑い中九時に眠れるか・・・ッ!」
「暑い暑い言わないでよ。
ホラ、こういう時は涼しくなるものを考えればいいんだって、カキ氷、アイス、扇風機にクーラー「暑さを思い知るだけだから止めて」

ごもっとも、と肩をすくめたは、パタパタと手で顔に風を送りながら
「散歩って言っても、合宿所からは出れないし、皆ロッジだしつまんないねぇ」と一人ぼやく。


「蛙の声が聞こえるのは幸せだけどね」
「でも窓開けて寝るんだよ?ゲコゲコうるさいよ」

たいした当てもなくさまよっていた二人は、小さく声が聞こえてきている事に気づくと、ロッジを見上げた。

「管理小屋か」
「嫌な所に来ちゃったね、引き返そうか」


踵を返して去ろうとした二人の耳に、浮き足立った辻本の「いいじゃない、別に。誰かタイプの人居た?」と言う声に思わず足を止めて、
顔を見合わせると「あー」とどちらからともなくうめき声を上げる。

初日の夜と言えば、お目当てキャラの確認があるところだ。

「早く行こうよ
「そう言う姉ちゃんこそ足止まってるよ」


しばらく動きを止めて、二人はそろって「嫌いや嫌いや」と首を横に振ると、は勤めて明るい声で両手を挙げる――「さすがに立ち聞きはマズイでしょ」
彼女の言葉に、は「そうだね」と同じようなテンションで相槌を打つと、一変神妙な声音で言葉を続けた。
「でもね、姉ちゃん。世の中には敵情視察と言う言葉があるよ」

シ――ンと言う何とも言いがたい沈黙が降りて、二人が言葉に詰まっていると、沈黙に耐えかねたが引きつった顔で微笑む。

「敵情視察って言っても、私は別に張り合うつもりはないし。
それに攻略対象が四十人で、しかもなぜか四天宝寺がプラスされて42人なんだよ?そう簡単に――」


「越前君、かな」



ふ、フラグ立ってる――ッ!


「へぇ・・・越前君かぁ。ふーん、そうなんだ」
「な、何よ。綾夏はどうなの?」

「私?私は千石さん」


ピシィッと隣でが石化する音が聞こえて、ギャっと遅れて己を取り戻した彼女はの両腕を掴んで思い切り揺らした。
「42分の1の確立でヒットですか・・・ッ!?姉ちゃん、今すぐ奴らを醸そう!か、醸すぞ――ッ!

その取り乱し方は私がしたから!ネタかぶってる!って言うか声がデカイ!


誰か居る?と言う辻本の声と共にこっちに向かってくる足音が聞こえて、
の口を押さえると建物の影に隠れてやりすごし、ドアが閉まる音がすると安堵のため息をついての口から手を離す。


「アオカビはP・クリソゲヌム、クロカビはC・トリコイデス、A・オリゼー可愛いなぁオイ。私も今日からキミ達の仲間だ、一緒に醸そう、フフフ・・・」
付いていけない取り乱し方は止めてください。ホラ、バレる前にロッジに戻るよ」

半ば引きずるように笑い声を上げるをロッジに連れ戻したは、重いため息をつくと頭を抱えた。


「アンタが壊れてくれたおかげで、私は正気を保てたけど・・・千石さんに返事はしてない訳だし、辻本と張り合えばいいじゃん」





「ゲームのシナリオって変えられるの?元々この世界に存在しない私たちに?」




「それは・・・」とが言葉に詰まると、はピアノの上に手を走らせる。
落ち込むとピアノを弾きたがるの癖を知っているので、「弾けば?」というと、「でももう十時回ってるし」と彼女は眉尻を下げた。

「大丈夫だよ。ここは離れロッジだし、比嘉中も寝てるって」
「そっかなぁ・・・じゃぁ弾こうかな。姉ちゃん歌わない?ドキサバと言えばあの歌でしょ」

「いいね、あの歌大好きだよ」


ぽろん、とピアノが鳴って、優しい前奏が流れ出す。




う、としゃくりあげるの声が胸を焦がして、込み上げて来る涙がの目じりも熱くした。





つっかえる声を必死に搾り出す。
でもあふれ出す気持ちはとまらなくて、のピアノも途切れ途切れに、は声を震わせながら最後まで歌い上げた。






歌い終わった途端、糸が切れたように泣き出した二人は、両手で顔を覆うと体を震わせ、が切羽詰った声を上げる。

「期限付きじゃなくて、ホントの、姿でここに来れたら・・・ッ!」


俺はちゃんの笑顔をいつも見ていたい。君が好きだ


「何であたしはこの世界の人間じゃないの?こんなに好きなんだよ、千石さんの事、好きなのにッ!」


この世界に来る前、ある日ポツリと呟くように言ったの台詞が今にも聞こえてきそうな程、胸を締め付けた。
あたし、ホントはテニスの世界に生まれるはずだったんだよ。でもね、父さんと母さんが呼んだから、こっちの世界に生まれて来ちゃったんじゃないかな

「それでも、リョーマの姉に、赤也の妹になりたいって望んでた事は叶ったよ」
「じゃぁ!じゃぁ姉ちゃんは平気なの・・・?
元の世界でも、この世界でも一番大好きだって言える人に好きって言われたのに、気持ちを誤魔化さなくちゃいけなくて、

小日向と辻本が現れてあたし達が作ってきた信頼をいとも簡単に手に入れられて、好きな人まで持っていかれるんだよ!?」


「平気なわけがないでしょう!」


ロッジに響いた叫び声にも似た声に、はビクリと体を震わせて下唇を噛み締める。
はぎゅっと拳を握り締めると、涙を流しながら、静かに震えた声を出した――「でも、平気にならなくちゃいけないの」


今目の前に居る人が好きって言う以外に、何考えてるの?

私の事を好きって言ってくれたのは、生きててよかったって思える位幸せだよ。でも、私はこの世界の人間じゃないから


「リョーマはまだ中学一年生で、これから先この世界で大切な人が出来る。この世界にいつまでも居れない私が、その邪魔になりたくない。
越前さんの気持ちも、幸村君の気持ちも大切だけど、でもやっぱりリョーマが一番大切だから、リョーマの為なら何でも出来るよ

小日向とリョーマが上手くいった方が、私を好きで居てくれるより、リョーマも私もずっと幸せだもの。だから、リョーマは弟でいい。
リョーマが好きって言ってくれた事が一生の宝物で、私はそれを持って元の世界に帰る。それだけで、幸せ・・・」


だから、大丈夫だ

だいじょうぶ
だいじょうぶ

笑え、笑え


「小日向たちを無理して好きになる事まではしなくていいからさ、我慢できなくなったら爆発しちゃおう」


君は一人じゃないんだから、溜め込まないで吐き出しつつ。出来るだけ我慢して、出来なくなったら爆発しちゃえばいいんじゃないかい?


ね、と言われたは、泣き顔でくしゃりと笑うと「うん」と頷いて、再び鍵盤に指を置くと、に首を巡らせる。
「さっきの姉ちゃんの歌酷かったから、もう一回仕切りなおし」
「失礼なッ!アンタのピアノだって酷かったやい!」

顔を見合わせた二人は、視線を合わせるとゴツンと拳と拳をぶつけて笑った。

「今おんなじ事考えたよね」
「多分ね」


「「姉ちゃん(アンタ)が姉(妹)でよかった!」」




【それぞれの決意】




体を揺らされて目を開けた凛は、寝ぼけ眼に裕次郎を映すと「ぬやが(何だよ)」と目を擦って身を起こした。

裕次郎が唇に手を添えて眠っている木手を指差すと、二段ベッドのはしごから降りて、
外に出ろと身振り手振りで合図をし、凛は寝起きが悪いのを隠しもせずロッジから出ると「ぬやが」ともう一度問う。


その時、ピアノの旋律と共に歌が聞こえて来て、不機嫌丸出しだった顔を隣のロッジに向けると「か?」と首を傾げた。
「多分な。歌ってるのがだ」

開けた窓から僅かに聞こえてくる歌。
凛と裕次郎はそろりと身をかがめて窓の下まで来ると、腰を下ろして空を見上げ、しばしその歌に聞き入る。


しかし泣いてるような声と、途切れ途切れのピアノ、つっかえる声を無理に出そうとしているその歌が変だと感じるまでに時間はかからなかった。


慌てて立ち上がろうとした凛の腕を押さえた裕次郎に、凛は部屋の中にいる彼女達に聞こえない声で噛み付くように口を開く。
「止めるな!」

裕次郎が言葉を返そうとした時、音楽が終わって、緊張が途切れたように泣き出す声が響き、ますます焦った凛の耳にの声が響いた。

「期限付きじゃなくて、ホントの、姿でここに来れたら・・・ッ!
何であたしはこの世界の人間じゃないの?こんなに好きなんだよ、千石さんの事、好きなのにッ!」


凛の動きが止まる――千石?――オレンジ色の髪をしたちゃらけた笑顔の男を思い出した凛は、
言葉を無くすように口元を押さえると、崩れるように地面に尻をつく。


何であたしはこの世界の人間じゃないの


吐き捨てるように言ったの言葉が不意に引っかかった凛が裕次郎を見ると、裕次郎も豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして凛を見ていた。
「それでも、リョーマの姉に、赤也の妹になりたいって望んでた事は叶ったよ」


彼女達の言ってる意味が分からないが、裕次郎の脳裏にはファミレスで苦笑を浮かべた彼女の言葉が過ぎる
あぁ・・・色々と事情がありまして、同じ歳なのは同じ歳です

信じられる話ではないが、彼女達が寝言を言っているとは思えないし、
何より時折見せた大人びた言動や、ふと見せる表情で抱いていた疑問が一本の線で繋がったような気がするのは気のせいじゃないだろう。



元気かい?無性に君に会いたくてって歌詞が凄く好きなんです。私も、会いたくてたまらなかったから

会いたい気持ちに理由はないんです。
ただ、私が生きてるように、“貴方達”も生きてるんだって事を考えるのが救いだった




「じゃぁ!じゃぁ姉ちゃんは平気なの・・・?
元の世界でも、この世界でも一番大好きだって言える人好きって言われたのに、気持ちを誤魔化さなくちゃいけなくて、

小日向と辻本が現れてあたし達が作ってきた信頼をいとも簡単に手に入れられて、好きな人まで持っていかれるんだよ!?」


「平気なわけがないでしょう!」


温和に見える彼女からは想像出来ないような声に、裕次郎と凛はそろって驚き、お互いの口を押さえる。
「でも、平気にならなくちゃいけないの」

耐えるような声が耳に痛くて、裕次郎は眉根を寄せると今すぐ出て行って抱きしめたい衝動を必死に堪えた。



「リョーマはまだ中学一年生で、これから先この世界で大切な人が出来る。この世界にいつまでも居れない私が、その邪魔になりたくない。
越前さんの気持ちも、幸村君の気持ちも大切だけど、でもやっぱりリョーマが一番大切だから、リョーマの為なら何でも出来るよ

小日向とリョーマが上手くいった方が、私を好きで居てくれるより、リョーマも私もずっと幸せだもの。
リョーマが好きって言ってくれた事が一生の宝物で、私はそれを持って元の世界に帰る。それだけで、幸せ・・・」


努めて明るい声が、逆に彼女たちの表情をゆうに想像させた。

「小日向たちを無理して好きになる事まではしなくていいからさ、我慢できなくなったら爆発しちゃおう」



「行こう」と手で合図をした裕次郎は、凛と一緒にその場を離れると、別段言葉を交わした訳でもないのに自然に海へと足を運んだ。
夜の海は暗く、今にも飲み込まれそうな寂しさを感じさせて、揺れる波間にぼんやりと白い輪を描いた月が写る。

行き場のないやるせない気持ちをもてあました凛が、八つ当たりするように砂を蹴って「くそう!」と叫び、「ぬーんち(何で)」と声を絞り出す。


「ぬーんちあぬひゃー(アイツ)なんばぁよ。よりによってあんな軽そうな男・・・ッ」
「凛」

「わんだって、あったー(あいつ等)の世界でも、わったー(俺達)の世界でも、一番が好きだって言えるぞ!」

キッと裕次郎を睨みつけた凛が「やーだってそうだろ!」と言うと、裕次郎は海を見つめたまま瞳を揺らした。


言い方が卑怯ってこの前弟にも言われました


「当たり前だろ」
言い切った裕次郎に、凛が何かを言おうと口を開いた時、「うるさいですよ、平古場君」と木手の声が聞こえて、
振り返った二人の瞳に、こちらへ向かってくる木手の姿が映る。

「永四郎」
「ぬーんち(何で)やーがここに・・・」

「彼女達の声で目が覚めたんですよ。静かになるまで海でも見ていようと思ったのに、ここもうるさいですね」


木手の言葉に凛はカッと怒りで顔を赤くすると、裕次郎の腕を掴んで引っ張った――「場所を変えるぞ」
「待ちなさいよ、平古場君」

木手の声に足を止めた凛が「ぬやが」と言うと、木手は眼鏡を持ち上げて「男の嫉妬は見苦しいですよ」とよりにもよって一番デカイ地雷を踏んだ。
「やーにぬーが分かる」
「木手、言いすぎだ」

「本気でしちゅんんかい(好き)になったいなぐ(子)が別ぬ奴思っちょるんぞ!」
「分かりませんね。平古場君、世の中何でも上手くいく程甘くはないですよ」

容赦ない木手の言葉に「ぬーが言いたい?」と凛が問うと、木手はあっさりと答えた。


「好きな人が自分の事を必ずしも好きになる等と言う甘い考えは捨てるべきだと言ってるんです」
「そんな事思って――ッ」

「だったら、彼女が誰を好きでも別に構わないでしょう。
平古場君が好きだと思うように、その彼女にだって誰かを思う権利はあります」


それは、と凛が言葉に詰まり、木手は「それ位で諦める位なら、最初から好きにならない事ですね」と畳み掛ける。
完璧に言い負かされた凛は拳を握ると「それでも」と瞳を伏せた――「それでも、あぬひゃー(アイツ)が好きばぁよ」

「なら、本土の人間に負けない事ですね」

くるりと背中を向けた木手の姿を目を丸くしてみた凛に、木手が言葉を続ける。
「我々は何についても、本土の人間に負けは許されません。肝に銘じておくことです」


木手が去っていくと、我に返った凛が「永四郎」と驚いたように呟き、冷静さを取り戻した凛に裕次郎は「わん」と口を開いた。
「あぬひゃーが別世界の人間で、今わんが見てる姿じゃなくても、しちゅんなヤツが居ても、どうでもいいばぁよ。


わんがあぬひゃーをしちゅんと言う事がでーじ(大事)だからな」


凛さん あたしも かなさんどー!


からのメールが脳裏を過ぎった凛は、隣で海を眺める裕次郎に向かってにししと笑った――「やーも苦労するやっし」
「しちゅんな事での苦労なら、頑張れるあんに」

「奇遇やっし、わんもだ。やまとんちゅには負けん!覚悟しとけよ――ッ」


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イメージ→越前リョーマ 「君だけのFine star」


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